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第六話 国王の贈り物

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 アレクシスと見た演劇はなかなか楽しめるものだった。
 貴賓用の枡席などない大衆劇場なので市民に混ざって見た。狭い席に変装したアレクシスと並んで座ったのが新鮮だった。前後左右には同じように変装した騎士たちが座り護衛をしていたため、ふたりきりというわけではなかったが、それでも常にない距離感がエドワードは嬉しかった。

 真剣な目が舞台上に注がれる。きらきらと輝くその瞳を、楽しそうに緩む彼の口元を、エドワードは初めて見た。
 演目はアルバートが言っていたとおり、巷で流行っている恋愛小説を舞台化したものだ。

 ふたりの男女が出会い、恋に落ちて愛を育み、それから様々な苦難を乗り越えて結ばれるというよくある内容だ。演じているのも市民向けの劇団の役者で、当然エドワードは彼らの名前はおろか顔すら見たこともなかった。しかし、真に迫る演技はなかなかのもので公演が終わるまではあっという間だった。

 見終わった後に真剣な顔をしたアレクシスに「あのようなオメガを側室にどうでしょうか」と主役の役者を勧められたことには辟易したが、概ねデートの誘いは成功したと言えるだろう。
 エドワードはアルバートに「母上の好みを分かっていない」と罵られてから考えを改めたのだ。自分が贈りたいものや商人に勧められた流行りのものではなく、アレクシス本人が喜ぶものを真剣に考えた。そうして必死に検討した末、選んだのがこの観劇だった。

 アルバートの助言どおり好みそうな本を贈ることも検討したが、それは息子の言いなりになるようで面白くない。そこでアレクシス付きの侍従から聞き出した彼の好きな小説の演劇を贈ることにしたのだ。
 その気になれば劇場ごと貸し切ることも出来たが、アレクシスはおそらくそんな大仰なことは好まない。結果として変装して出かけることも楽しんでいたようなので、この選択でよかったはずだ。

 先日のアレクシスの様子を思い出してエドワードは微笑んだ。
 彼の人形のように澄ました顔が興奮で微かに赤く染まる様子はとても愛らしかった。また誘うと言えば、遠慮を口にしながらも満更でもなさそうで、帰る馬車の中でも珍しく口数多く劇の話をしてくれた。

 次はどの演目がいいだろうか、と思いつつも、しかし観劇ばかりというのも芸がない。他にも何かアレクシスが喜びそうなものを、と考えてエドワードはアレクシスが大昔甘いものが好きだったことを思い出した。

 あれはアレクシスがまだ祖国から嫁いだばかりの頃のことだ。
 エドワードが件のオメガに出会う前、自らの妃となったアレクシス(当時はまだ王太子妃だったが)と仲良くなろうと努力したことがあった。そのとき、アレクシスの侍従から甘いものが好きだと聞いた。

 しかし、他国に嫁ぐオメガとして当時からアレクシスは、見た目や立ち振舞いにひどく気を使っていて必要以上の菓子は口にしなかった。それでも、エドワードからもらうものだけは断ることが出来なかったのだろう。困ったように、けれども嬉しさを隠しきれない様子で食べていたのを知っている。

 誕生日や祝いの際に、エドワード自ら選んで贈っていた菓子を贈らなくなったのはいったいいつからだったのか。
 あの習慣が今でも残っていたのなら、エドワードはアルバートに教えられずともアレクシスの好きなものを分かっていただろうか。アレクシスがあれほど自分からの贈り物に困惑することもなかったのだろうか。

 若かりし頃の己の愚行を反省して、エドワードは次の贈り物は菓子にすることに決めた。菓子を贈るなら、どこの店にするかはもう決めていた。初めてアレクシスに贈った、王都でも老舗の菓子屋のものがいい。
 当時、その菓子屋を選んだ理由はよく覚えていない。たぶん、王都で一番有名だからとか、アルビオンの伝統の菓子を扱っているからとか、そういう理由だったはずだ。

 あの頃のエドワードは、アレクシスに少しでもこの国を好きになって欲しかった。そんな純粋だった頃も確かにあったというのに。
 かけ違った釦を何とか正そうとするけれど、すでに出来上がったものを修復することは新しく築くことよりも難しい。しかし、諦めるわけにはいかなかった。

 急いで菓子を手配して、エドワードはアレクシスのもとに向かう。
 アレクシスの私室は、王宮の最も奥。遥か昔は後宮と呼ばれていた場所にあった。

 豪華絢爛な宮殿は、複数の妃を住まわせるために広大な敷地を有している。今でこそ王の妃は最大四人までであるが、かつては百を超える妃がいた時代もあったらしい。

 大勢の妃のために造られた巨大な宮殿を、現在は正妃であるアレクシスが管理している。宮殿内で最も広く豪奢な部屋が、宮殿の主である正妃の間だ。
 初めて足を踏み入れるアレクシスの私的な空間に、少しだけ緊張しながらエドワードは招かれた部屋に入った。

 大きな窓から差し込む日差しが薄い紗幕越しに部屋の中に降り注ぎ、整えられた室内を照らし出している。初めて入った彼の寝室は、確かにアルバートの言うとおり壁際に大きな本棚が置いてあった。そこに並ぶ背表紙は薄く質素なものが多く、大衆向けの娯楽小説のようだった。

 品のいい調度で整えられた落ち着いた部屋だと思った。同時にエドワードはそこに満ちるアレクシス自身の甘やかな香りに、そわりと胸の中を擽られた気分になる。

 部屋の中央には天蓋のかけられた寝台があり、甘い匂いはそこから漂ってくる。アレクシスがその中で真っ青な顔をして臥せっているのだ。
 それは訪室して初めて聞かされたことだった。侍従曰く、突然気分が優れないと言って横になったらしい。エドワードのところにその知らせが届いていないことを考えれば、本当につい先ほど具合が悪くなったのだろう。

「大丈夫か」
「陛下。せっかくのお越しだというのに、このような格好で申し訳ありません……」
「体調が悪いのに無理に起きずともよい。いきなり来た俺も悪かった。それより侍医は呼んだのか」

 エドワードの訪れに無理に身体を起こそうとするアレクシスを押し止めて訊ねれば、アレクシスは曖昧に微笑んだ。

「軽い目眩と吐き気です。寝ていれば治ります」

 なんて平気な口調で言うわりに顔色はひどく悪かった。おまけに倦怠感が強いらしく、身体を起こすこともままならない。その様子にエドワードは眉根を寄せた。

「つまり、診せていないんだな」
「それは……」
「大事あればどうする。とりあえず診てもらえ」

 遠慮するアレクシスを言いくるめて、エドワードは呼び鈴で侍従を呼び、侍医を呼ぶように言付ける。

「二、三日は公務も休むように」

 問答無用でそう告げると、アレクシスはひどく困った顔をした。しかし、そんな彼とは対照的に、侍従たちは安堵したような表情を見せた。体調が悪いくせになかなか医者を呼ぼうとしない主を心配していたらしい。
 寝ているアレクシスに付き添ってやりたかったが、自分がいると気を張って休めないだろうとエドワードは部屋を出た。

 帰り際、持ってきた菓子を侍従に渡した。その際に「食べられそうなら食べさせてくれ」と言ったが、あの様子では食べられないだろうと思う。
 喜ぶ顔は見られなかったが、部屋を訪ねてよかった。あのままエドワードが来なければ、アレクシスは決して侍医を呼ぶことはなかったはずだ。公務だって体調不良を押して出向いていたに違いない。昔からアレクシスはそういう無理をしがちだった。

 アレクシスの体調が気になりつつも、エドワードは執務に戻った。山のような書類と格闘してようやく息をついたとき、侍医からアレクシスの体調について一報が届いた。そして、彼の言葉を聞いてひどく驚くことになる。
 何故ならば、もたらされたのはアレクシスの懐妊の報であったからだ。


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