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第三十四話 覚悟 -1
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指令室までの通路に、人はまばらだった。
昼間の戦闘での被害だろう。壁や階段には所々崩れた部分もあったが、頑丈な城塞はそれほど大きく破壊されてはいないようで、ヴィンターベルク城塞の最上階にある指令室も被害はほどんどなく、冷たい石壁には傷ひとつない。
――どうしよう……。
指令室の分厚い扉を前にして、ルインはここまで来てしまったことを深く後悔していた。
グスタフに促されるまま勢いで足を運んだはいいが、それからのことをよく考えていなかったのだ。
そもそも、一介の兵士であるルインは指令室になんてほとんど初めて来た。
この扉の向こうにシグルドがいるとして、下っ端竜師でしかないルインが呼ばれてもいない指令室に入室することなど不可能に近かった。
いや、シグルドが中にいればまだいい。いなかった場合を考えると恐ろしすぎて、到底ノックなどする気にもなれない。
逡巡したまま、しばらく扉の前で立ち尽くしていたルインであったが、どうにも中に入る気にはなれなかった。顔も知らないお偉方は、この非常事態にいきなり訪ねて来た竜師など相手にもしてくれないだろう。
――帰ろうかな。
冷静になって考えれば、自分は何をやっているのだろうかと思った。
シグルドに会いたいからとこんなところまで来てしまったが、むしろアーベントの元で待っていた方が確実に会えただろうことに気づいたのだ。
シグルドがアーベントの元に来るのは、おそらく出撃直前。ゆっくり話すことはおろか、視線すら合わせる余裕もないかもしれない。
だからこそグスタフはルインに時間をくれたわけではあるが、当のシグルドに会うことすら出来なければ、言葉を交わすどころではない。
例え短い時間だろうと、言葉を交わすことすら出来なかろうと、それでも確実に会えたであろうその一瞬で満足していればよかったのかもしれない。
そう思っていたときだ。
「ルイン?」
背後から声が聞こえた。それは耳に馴染んだ声だった。
ここ数日、特に忙しくてゆっくり会話をすることも出来なかったけれど、ルインの耳はずっとその声を探していたように思う。
穏やかに響く、低くて落ち着いた声。
「シグルド……」
振り向けば、そこにはシグルドがいた。
「どうしてここに?」
「あー、えっと……」
あんたに会いたくて、と小さく呟けば、シグルドは驚いたように目を見開いた。
その強張った頬に微かに喜色が浮かぶが、ルインはそれどころではなかった。見上げたシグルドの顔半分が包帯で覆われていたからだ。
精悍な顔の右目から右側頭部にかけて負傷しているようで、あの美しい青色がすっぽりと隠れてしまっている。
その上、右腕にもぐるぐると包帯が巻かれていた。見慣れた黒い飛行服に白い包帯がいやに映えて、薄暗い通路でも彼が怪我を負っていることがよく分かる。
「怪我、したんですか」
「ああ、いや。上手く避けきれなくて」
狼狽するルインを落ち着けようと、シグルドは大したことではない、と言った。
怪我は乱戦の中、右上空で爆発した爆弾を避けきれなかったのだ、とも。
その爆弾がシグルドに向けて投げられたとき、シグルドは眼前にいる敵に気を取られていて、そちらに気を回す余裕は一切なかった。その爆弾に気づいたのはアーベントで、彼はシグルドが指示を出す前に旋回し、危機一髪でその爆発を回避してくれたそうだ。
けれども、その爆弾には散弾が含まれていて、爆発と同時に四方八方に飛び散るそれを完璧に避けきることは出来なかった。
飛び散った散弾はちょうど右上方から降り注ぐようにしてシグルドを襲った。
その結果、右側頭部と右目とそれらを庇おうとした右腕を負傷したのだという。
傷の場所が場所だから見た目が派手なだけだ、と笑うシグルドにルインは思わず唇を噛んだ。
軽い口調で告げられたそれらの説明が、全て本当ではないことはルインにも分かっていた。大したことはない、なんてシグルドは言うけれど、本当に大したことがなかったら、包帯も薬も使ってもらえないはずだ。
山ほどいる負傷者のせいで医薬品や包帯が全く足りないのだと言って、医務官が竜用の包帯を少し拝借していったのだから。
昼間の戦闘での被害だろう。壁や階段には所々崩れた部分もあったが、頑丈な城塞はそれほど大きく破壊されてはいないようで、ヴィンターベルク城塞の最上階にある指令室も被害はほどんどなく、冷たい石壁には傷ひとつない。
――どうしよう……。
指令室の分厚い扉を前にして、ルインはここまで来てしまったことを深く後悔していた。
グスタフに促されるまま勢いで足を運んだはいいが、それからのことをよく考えていなかったのだ。
そもそも、一介の兵士であるルインは指令室になんてほとんど初めて来た。
この扉の向こうにシグルドがいるとして、下っ端竜師でしかないルインが呼ばれてもいない指令室に入室することなど不可能に近かった。
いや、シグルドが中にいればまだいい。いなかった場合を考えると恐ろしすぎて、到底ノックなどする気にもなれない。
逡巡したまま、しばらく扉の前で立ち尽くしていたルインであったが、どうにも中に入る気にはなれなかった。顔も知らないお偉方は、この非常事態にいきなり訪ねて来た竜師など相手にもしてくれないだろう。
――帰ろうかな。
冷静になって考えれば、自分は何をやっているのだろうかと思った。
シグルドに会いたいからとこんなところまで来てしまったが、むしろアーベントの元で待っていた方が確実に会えただろうことに気づいたのだ。
シグルドがアーベントの元に来るのは、おそらく出撃直前。ゆっくり話すことはおろか、視線すら合わせる余裕もないかもしれない。
だからこそグスタフはルインに時間をくれたわけではあるが、当のシグルドに会うことすら出来なければ、言葉を交わすどころではない。
例え短い時間だろうと、言葉を交わすことすら出来なかろうと、それでも確実に会えたであろうその一瞬で満足していればよかったのかもしれない。
そう思っていたときだ。
「ルイン?」
背後から声が聞こえた。それは耳に馴染んだ声だった。
ここ数日、特に忙しくてゆっくり会話をすることも出来なかったけれど、ルインの耳はずっとその声を探していたように思う。
穏やかに響く、低くて落ち着いた声。
「シグルド……」
振り向けば、そこにはシグルドがいた。
「どうしてここに?」
「あー、えっと……」
あんたに会いたくて、と小さく呟けば、シグルドは驚いたように目を見開いた。
その強張った頬に微かに喜色が浮かぶが、ルインはそれどころではなかった。見上げたシグルドの顔半分が包帯で覆われていたからだ。
精悍な顔の右目から右側頭部にかけて負傷しているようで、あの美しい青色がすっぽりと隠れてしまっている。
その上、右腕にもぐるぐると包帯が巻かれていた。見慣れた黒い飛行服に白い包帯がいやに映えて、薄暗い通路でも彼が怪我を負っていることがよく分かる。
「怪我、したんですか」
「ああ、いや。上手く避けきれなくて」
狼狽するルインを落ち着けようと、シグルドは大したことではない、と言った。
怪我は乱戦の中、右上空で爆発した爆弾を避けきれなかったのだ、とも。
その爆弾がシグルドに向けて投げられたとき、シグルドは眼前にいる敵に気を取られていて、そちらに気を回す余裕は一切なかった。その爆弾に気づいたのはアーベントで、彼はシグルドが指示を出す前に旋回し、危機一髪でその爆発を回避してくれたそうだ。
けれども、その爆弾には散弾が含まれていて、爆発と同時に四方八方に飛び散るそれを完璧に避けきることは出来なかった。
飛び散った散弾はちょうど右上方から降り注ぐようにしてシグルドを襲った。
その結果、右側頭部と右目とそれらを庇おうとした右腕を負傷したのだという。
傷の場所が場所だから見た目が派手なだけだ、と笑うシグルドにルインは思わず唇を噛んだ。
軽い口調で告げられたそれらの説明が、全て本当ではないことはルインにも分かっていた。大したことはない、なんてシグルドは言うけれど、本当に大したことがなかったら、包帯も薬も使ってもらえないはずだ。
山ほどいる負傷者のせいで医薬品や包帯が全く足りないのだと言って、医務官が竜用の包帯を少し拝借していったのだから。
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