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第二十六話 シグルド・レーヴェ -2
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ヴィンターベルク城塞を最前線としたストラナー連邦との戦闘は、日々激化の一途を辿っていた。
もとからヴィンターベルクで数年を過ごしている古参の兵士曰く、そもそもこの土地で冬場に戦争を仕掛けてくることが頭がおかしいのだという。
雪と氷で閉ざされるヴィンターベルクの冬は、城塞にこもっていても厳しい寒さが身に染みる。だというのに、連邦兵たちは小さな砦を拠点としてその周囲で野営をしているのだ。
こちらの意表を突いたつもりの襲撃だったのだろうが、それならば短期間で戦闘を終わらせるべきだった。アイスランツェ砦が強襲されてふた月が経ち、連邦兵は目に見えて憔悴しているようだった。
「連邦が妙な動きをしている?」
哨戒に出ていた竜騎士によりもたらされた一報に、司令官ヴィクトル・アイゼンクロイツが眉を寄せた。
士官学校時代の悪友であり現在の上司であるヴィクトルは、連邦と開戦してから常に城塞の執務室に詰めている。執務机の上に置かれた各所からの報告書を読みながら、騎士の話を促した。
「は、線路のそばでここ数日、複数の連邦兵を確認いたしました。その都度対象を排除しておりますが、何かの意図を感じます」
「ああ、その報告書は目を通している」
線路というのは、ヴィンターベルク城塞の生命線であるヴィンターベルク鉄道の線路のことだ。帝国の最北端――ノルトべライヒ領の中にあるヴィンターベルクは険しい岩山と深い渓谷天然の城塞だった。その針のように聳える山々の合間を縫うように走る蒸気機関車がヴィンターベルクに物資と人を運んでくる。
当然、戦闘に使う火薬や弾薬といった軍事用の物資も蒸気機関車がなければ得ることが出来なかった。冬場の雪で通常よりも運行数が減らされているとはいえ、鉄道に何かあればヴィンターベルクとしては大打撃である。
「しかし、連邦は鉄道ごとヴィンターベルクを手に入れたいはずだが」
「真冬の戦闘を二か月も行って、なりふり構っていられなくなったんでしょうか」
連邦がヴィンターベルクに攻撃を仕掛けてくるのは、この城塞を彼らがノルトべライヒ領を責めるときの足掛かりにしたいからだ。貧しく瘦せた土地であるヴィンターベルクではあるが、山を越えたノルトべライヒの中央領の方は豊かな大地が広がっている。
連邦はおそらく、帝都を落すつもりはない。欲しいのはノルトべライヒの領都の方で、それ以上は彼らにとってもあまり旨味のない話なのだ。
線路や蒸気機関車は直接領都と帝都に繋がっており、歩兵を運ぶ上では重要な施設だった。
本来であれば、連邦はそれを無傷で手に入れたかったはずだ。しかし、先日連邦は戦闘の要である竜騎士を大量に投入し大量に失っていた。
ヴィンターベルクに討伐されたその数は十九騎。
それはまさに絶望的な数字だった。ひとつの基地に四騎の竜がいれば、敵の制圧は可能なのだ。そんな竜騎士たちを十九騎も失った連邦には後がない。
追い詰められた鼠が猫を噛むように、後がなくなれば人は何をするか分からないのだ。
「連邦の指揮官は相当焦っているとみたな」
「焦りもするだろう。元々、あまり優秀な指揮官ではなさそうだ」
ヴィクトルの呟きにシグルドが返せば、ヴィクトルは口の端だけを歪めて笑った。
「鉄道周囲の哨戒はもともと強化していた。人手は足りないが、竜騎士と兵士の数を増やして徹底させよう」
「特に夜間だね。夜闇に紛れて何をして来るか分からない。こんな冬場に戦争を仕掛けて来た馬鹿どもだから」
ヴィクトルの細い指がとんとん、と机を叩いた。
苛立ちを隠さないその様子に苦笑して、シグルドは報告に来た竜騎士の方を見る。
ヴィンターベルク城塞における航空飛行部隊の部隊長である彼とシグルドの間に上下関係はない。ヴィクトルの命令をともに完遂するための戦友のような位置づけで、信頼のおける人物だということをシグルドはヴィンターベルクで過ごした三月あまりで理解していた。
「では、歩兵部隊の方にもそのように伝達いたします」
部隊長は敬礼をして踵を返した。
窓の外は雪が降っていた。夜になれば山から吹き下ろす風と合わさって、激しい吹雪となるだろう。
南部出身であるシグルドには、ヴィンターベルクの寒さはひどく堪えた。しかし、敵は吹雪すら厭わず仕掛けてくる可能性がある。
小さくため息を吐いて、シグルドも執務室を後にした。
雪が激しくなる前に、アーベントに会いに行かなければいけない。
連邦の襲撃が激しくなってからは忙しくて、アーベントの世話も碌に出来ていなかった。気難しいアーベントがヴィンターベルクでは竜師の世話を受け入れているから、少しだけ甘える気持ちもあったのだ。けれども、あまり放置するとアーベントの機嫌を損ねてしまう。
それに。――ルインにも会いたい。
脳裏に浮かんだ青年を思えば、自然と足が早まった。
黒い髪に灰色の瞳を持つルインは、夢の中の彼とは似ても似つかない。それなのに、会いたくて堪らなくなるのはどうしてなのだろうか。
――シグルド。
柔らかくて落ち着いた声で名前を呼ばれたくて、階級も立場も考えず強請ってしまった理由をシグルドはもうずっと持て余していた。
もとからヴィンターベルクで数年を過ごしている古参の兵士曰く、そもそもこの土地で冬場に戦争を仕掛けてくることが頭がおかしいのだという。
雪と氷で閉ざされるヴィンターベルクの冬は、城塞にこもっていても厳しい寒さが身に染みる。だというのに、連邦兵たちは小さな砦を拠点としてその周囲で野営をしているのだ。
こちらの意表を突いたつもりの襲撃だったのだろうが、それならば短期間で戦闘を終わらせるべきだった。アイスランツェ砦が強襲されてふた月が経ち、連邦兵は目に見えて憔悴しているようだった。
「連邦が妙な動きをしている?」
哨戒に出ていた竜騎士によりもたらされた一報に、司令官ヴィクトル・アイゼンクロイツが眉を寄せた。
士官学校時代の悪友であり現在の上司であるヴィクトルは、連邦と開戦してから常に城塞の執務室に詰めている。執務机の上に置かれた各所からの報告書を読みながら、騎士の話を促した。
「は、線路のそばでここ数日、複数の連邦兵を確認いたしました。その都度対象を排除しておりますが、何かの意図を感じます」
「ああ、その報告書は目を通している」
線路というのは、ヴィンターベルク城塞の生命線であるヴィンターベルク鉄道の線路のことだ。帝国の最北端――ノルトべライヒ領の中にあるヴィンターベルクは険しい岩山と深い渓谷天然の城塞だった。その針のように聳える山々の合間を縫うように走る蒸気機関車がヴィンターベルクに物資と人を運んでくる。
当然、戦闘に使う火薬や弾薬といった軍事用の物資も蒸気機関車がなければ得ることが出来なかった。冬場の雪で通常よりも運行数が減らされているとはいえ、鉄道に何かあればヴィンターベルクとしては大打撃である。
「しかし、連邦は鉄道ごとヴィンターベルクを手に入れたいはずだが」
「真冬の戦闘を二か月も行って、なりふり構っていられなくなったんでしょうか」
連邦がヴィンターベルクに攻撃を仕掛けてくるのは、この城塞を彼らがノルトべライヒ領を責めるときの足掛かりにしたいからだ。貧しく瘦せた土地であるヴィンターベルクではあるが、山を越えたノルトべライヒの中央領の方は豊かな大地が広がっている。
連邦はおそらく、帝都を落すつもりはない。欲しいのはノルトべライヒの領都の方で、それ以上は彼らにとってもあまり旨味のない話なのだ。
線路や蒸気機関車は直接領都と帝都に繋がっており、歩兵を運ぶ上では重要な施設だった。
本来であれば、連邦はそれを無傷で手に入れたかったはずだ。しかし、先日連邦は戦闘の要である竜騎士を大量に投入し大量に失っていた。
ヴィンターベルクに討伐されたその数は十九騎。
それはまさに絶望的な数字だった。ひとつの基地に四騎の竜がいれば、敵の制圧は可能なのだ。そんな竜騎士たちを十九騎も失った連邦には後がない。
追い詰められた鼠が猫を噛むように、後がなくなれば人は何をするか分からないのだ。
「連邦の指揮官は相当焦っているとみたな」
「焦りもするだろう。元々、あまり優秀な指揮官ではなさそうだ」
ヴィクトルの呟きにシグルドが返せば、ヴィクトルは口の端だけを歪めて笑った。
「鉄道周囲の哨戒はもともと強化していた。人手は足りないが、竜騎士と兵士の数を増やして徹底させよう」
「特に夜間だね。夜闇に紛れて何をして来るか分からない。こんな冬場に戦争を仕掛けて来た馬鹿どもだから」
ヴィクトルの細い指がとんとん、と机を叩いた。
苛立ちを隠さないその様子に苦笑して、シグルドは報告に来た竜騎士の方を見る。
ヴィンターベルク城塞における航空飛行部隊の部隊長である彼とシグルドの間に上下関係はない。ヴィクトルの命令をともに完遂するための戦友のような位置づけで、信頼のおける人物だということをシグルドはヴィンターベルクで過ごした三月あまりで理解していた。
「では、歩兵部隊の方にもそのように伝達いたします」
部隊長は敬礼をして踵を返した。
窓の外は雪が降っていた。夜になれば山から吹き下ろす風と合わさって、激しい吹雪となるだろう。
南部出身であるシグルドには、ヴィンターベルクの寒さはひどく堪えた。しかし、敵は吹雪すら厭わず仕掛けてくる可能性がある。
小さくため息を吐いて、シグルドも執務室を後にした。
雪が激しくなる前に、アーベントに会いに行かなければいけない。
連邦の襲撃が激しくなってからは忙しくて、アーベントの世話も碌に出来ていなかった。気難しいアーベントがヴィンターベルクでは竜師の世話を受け入れているから、少しだけ甘える気持ちもあったのだ。けれども、あまり放置するとアーベントの機嫌を損ねてしまう。
それに。――ルインにも会いたい。
脳裏に浮かんだ青年を思えば、自然と足が早まった。
黒い髪に灰色の瞳を持つルインは、夢の中の彼とは似ても似つかない。それなのに、会いたくて堪らなくなるのはどうしてなのだろうか。
――シグルド。
柔らかくて落ち着いた声で名前を呼ばれたくて、階級も立場も考えず強請ってしまった理由をシグルドはもうずっと持て余していた。
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