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第二部 一幕 叛逆の狼煙

遅刻の常習犯 

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「いつまでやるつもり? いい加減疲れたっしょ。俺に勝つすべがないんだから諦めなよ。子供を痛める趣味はないんだわ」

「その子供に近づけもしない無能のくせに何を言っているのさ」

 マンチニールの枝を他の植物で偽装する。決して悟られないように上へ上へと繋いでいく。そして、残りは男へと、槍のごとく根を伸ばす。

「よく、吠えたな。ガキが」

 冷徹な声とは似合わない憤怒の形相で男は標的と定めたロジェの元へと今日一番の速さで駆け抜ける。
 作り上げた要塞内は容易になぎ払われていく。
 軽快な動きでどんどんロジェとの距離が縮まっていく。

 ロジェにも予想外のスピード。
 それでも男が自身の元に到達するかしないかは関係ない。
 殺される前に魔法の詠唱が終わればそれでいい。
 要塞外が残っていればそれでいい。
 すでに矢は侵入したのだから。

『我が身を守るは白の化身、ベロボーグ』

『降り注ぐは瞬きの雨。我の元に顕現せよ、驟雨しゅうう

 続けて魔法を紡ぐ。
 杖を持つ手の震えを強く握って押し込める。

「俺の勝ちだ」

 男の短剣がロジェの元へと差し掛かろうとしている。それでもなおロジェは笑っていた。

 これはあのときの意趣返しだと直感的に男は悟った。
 しかし構わずに短剣をロジェの心臓へと振り下ろす。
 殺してしまえばそれで終わりだ。

「いいや、引き分けさ」

「何?」

 怒りでロジェに気を取られている男の元にドニの放った三本の矢は向かう。
 だが、男は本能的な勘で全ては避けられないと悟り、致命傷となり得る一本の矢を避けることに全身全霊をかけ、躱す。

 残りの二本の矢が男の肩と足に突き刺さる。
 そして今、魔法による雨が降り注いだ。

「なんだ、これ。痛えな。おい。お前、何をした」

「さあ、何だろうね?」

 焦っていることを悟られないようにロジェは表情を取り繕った。

 今の男は毒でやけどの様な痛みが走っているはずだ。だけど思っていたより毒の効果が弱い。
 加護か魔導具か。それとも別の何かか。
 分からないが、これでは長期戦は不利だ。
 それにブラッドとの戦いで見せたもの。あれが何の能力かも分かっていないのもロジェをなおのこと焦らせる。

 策を変えるしかないのは分かっている。このままでは勝ち目はない。

 毒のダメージをなくすために最上級魔法を使ったとは言え不完全な魔法だった。だからロジェにも毒のダメージは少なからず蓄積されている。それに魔力も体力も限界に近い。

「ああ、くっそ。最悪だ。本当に最悪だ。口元甘い感じするし、確実に毒っしょ、これ」

 男は独り言のように呟きながら刺さった矢を勢いよく引き抜き投げ捨てる。

 雨も時期にやむ。逃げて誰かに任せるしかロジェが生き残るすべはない。

 ロジェは逃走する。

「逃げるの? こんなに邪魔してくれちゃってそれはないよな?」

 男もロジェを逃がすまいと殺意をもって追いかけていく。根が男の足を引っかけようとするが軽々と男は飛び越えていく。ドニが矢をもって男の邪魔をしているがほとんど意味を成さない。

 息が上がる。もう足が震えだしていて速度はどんどん落ちていく。距離はもうすぐ男の間合い。

「邪魔しなければ生きられたのに。本当に――」

 もうダメだと思った。だがそのとき一人のエルフの男が散歩をしているかのようにロジェの隣を横切った。そして男は最後まで言う前に横に吹き飛ばされた。枕によって。

 ドニは驚きで細めの目をあふれんばかりに見開いた。ロジェも轟音で耳を押さえながらも後ろを振り返った。

「あー、ちゃん? どうして、ここに?」

「うん? あっれ~、ロジェだ。どうしてここにいるの?」

 まだ夢うつつなのか、どこか間延びした言い方のアーベントは不思議そうにロジェを視界に入れた。

「それは……」

 どこか責められているように感じたロジェは罰の悪そうな顔で口ごもる。それを察してかアーベントは目をこすりながら話題を変えた。

「なんだか今日はうるさいね。本当にうるさい」

「あーちゃん、もしかしてものすごく機嫌悪くなってる?」

「少し待っててね。すぐに静かになるから」

「あっ、うん」

 有無を言わせないような圧を感じた。
 アーベントは愛用していた枕を握り直すと自分に降りかかる敵をことごとく壁や地面へとあちこちに叩きつけていった。
 人がのめり込むことってあるんだなと思いながらアーベントの戦う様を眺める。
 歩きながら人をのめり込ませている様は四天王の実力の底知れなさを感じさせる。

 イグニスの人達もアーベントの存在に気づいて武器を下ろした。
 心強いけど、被害が心配になった。

「終わった。静かになった。静かなのはいいこと」

 汚れを落とすように手をパチパチ叩きながら言うアーベントにロジェは「そうだね」と相づちを打つことしかできなかった。
 本当になんでアーベントがこの国に来たのか疑問だ。いつもはエルフの里の奥底で静かに暮らしているのに。

「ロジェ、久しぶり。三年ぶり?」

「えっ、今あいさつするの?!」

 マイペースすぎる。

「全然成長してなくてびっくり仰天。でも、精神だけ肉体とものすごくズレがある。また能力使ったの?」

「そうだよ。生き残るためにそうすることにしたんだ」

 アーベントと話していると、イグニスの人達がロジェの元へとやってきた。アーベントはイグニスが来たことでこの話を続けるのをやめた。

「こんにちはアーベント様。私たちは――」

 ソフィアの声はアーベント本人によって遮られた。

「自己紹介はいい。君たちを私は知っている。それと、ロジェに手を貸してくれてありがとう」

「そんな、恐れ多いことでございまする」

 緊張してかソフィアの言葉はどこかおかしくなっていた。他のメンバーも恐怖なのか緊張なのかは分からないが顔がこわばっている。その中でもブラッドの表情には影が宿っていた。

「ブラッド君」

「はい。何でしょうか?」

「忘れずに向き合いなさい。君はまだ成長できるのだから」

「……はい」

 アーベントはブラッドにあったことを知っているわけではない。だけど長い時間を生きてきたアーベントにとってなんとなく察しがついたのだろうとロジェは思った。それと同時にこの言葉は自身を傷つける。能力を行使したことを責めているだろうことは容易に想像できる。

「私はもう行くよ。ロジェも来る?」

「僕は……」

 迷っているロジェの背中をアンは前へ押した。

「行ってきなよ。後のことはこのお姉さん達に任せなさい。この国の騎士団達も動いているようだし大丈夫!」

「そうね。私たちに任せない。この依頼はきっちりやらせてもらうわ」

 アンがブイと手を前に出しながら笑う。ソフィアも微笑む。後ろのドニ達も行ってきなよと言うように頷く。

「ありがとう、みんな」

「いいってことよ」

「それじゃあ、行こうか。ロジェ」

「うん」

 アーベントはロジェの肩を掴み、自分の元へと寄せる。そして、イグニスの目の前で転移した。一瞬で二人の姿が見えなくなった。

「ねえ、アン」

「何、ソフィア?」

「あの子はどれだけ重いものを背負っているのかしらね」

「分からないけど、少しでも重荷を減らせてあげられてたらうれしいな」

「そうだね。本当に」

 ドニも同感だと言うようにアンに首根っこをつかまれたまま、首を縦にふる。

「そうだな」

 ブラッドも自身の長剣を見ながら同意する。

「さて、そろそろ仕事再開しますか」

 それが合図となってまだいる敵へと走り出す。





 ロジェとアーベントが転移した先はガザニア国にある城の客間だった。

 アーベントは客間にあるソファに横になった。今にも寝る体制である。そんなアーベントに苦笑いしながらもロジェは向いのソファに腰を下ろそうかなと思っていたところで手を掴まれた。

「あーちゃん?」

「解毒と肩の怪我治してあげる」  

 アーベントが無詠唱で魔法を使う。

 ロジェの体がアーベントの緑色の魔力に包まれる。少し刺激を感じたがすぐに刺激を感じなくなった。体が軽くなったような気さえする。

 お礼を言うと「うん」と言う返事が返ってきた。

「あーちゃんはどうしてここにいるの?」

 向かいのソファに腰を下ろし、先程から疑問に思っていたことを尋ねた。ロジェには何かがあるのは間違いないという確信があった。

「枕を新調しに来た」

「枕を?」

 ロジェは不思議そうにこてんと首を傾げた。

 枕を新調ということはこの国にアーベントが求める枕があるということだろうが、それならわざわざこの国に来る必要はない。人に持ってこさせればいいのだから。なら、それ以外の目的があると思っていい。

「そう。枕を。新しい新商品ができたって連絡が来たから。あとは、――違反者が出たって言う連絡」

 アーベントは仰向けになっていた体をロジェの方へと動かす。そして青と緑のオッドアイの瞳にロジェの姿を映し出した。その瞳はどこか吸い込まれそうな深い色をしている。

「違反者?」

「そう違反者」

 違反者。あの怠惰なアーベントが違反者を取り締まる。このことが意味することは一つしか思いつかない。

「四天王の誰かが契約に抵触した」

 アーベントはロジェの答えに「そうそれ」と頷く。

 大きな戦いにはならないだろうと思う。一人違反者がいたところで四天王が三人がかり取り締まれば被害はそんなに出ないだろう。そうロジェは考えていたのだかアーベントの次の言葉は思いもよらないものだった。

「あとは、――裏切り者が出たらしくてね」

 ロジェの瞳が大きく目開かれる。そして重要なことをさらっと言ったアーベントをその大きく見開かれた瞳で凝視する。だが当の本人はのんきにあくびをしていた。 

「四天王はもしかして仲が悪いの?」

 四天王についてはあまり詳しく情報が出回っていない。いや、名前意外ないと言っても過言ではない。その名前もおそらく四天王全員偽名だ。人々が知っているアーベントでさえ上辺だけの、知られても困らないような情報しかない。3年前に会い、何度か交流したロジェでさえアーベントのことを詳しくは知らない。

「表面上はいい。表立ってのケンカがなかっただけとも言える」

「つまり仲が悪いと?」

「それよりロジェ、君と一緒にいた人たちとははぐれたの?」

「どうして知ってるの?」

「適当に言ってみただけ。手を貸してあげようか?」

「どういう風の吹き回し?」

 先ほどからロジェはアーベントが何を考えているのか分からなかった。三年前は情報を話すことも手を貸すなどと言うこともなかった。それが今になって口をすべらせたり手を貸すなどと言ったりするのが不思議でならなかった。

「今の君には力を貸してもいいと思った。前みたいに何もかも諦めた死んだ目じゃなくなった君にはね」



 もし今でも死んだ目をしていたら、アーベントは直接的に力を貸すことはなかっただろう。気づかれないように守るだけにとどめていた。もしかしたら守ることさえしなかった可能性もある。だがそうじゃないなら話は別だ。これはある意味試練でもある。

 ロジェは自身の知らないうちに試練に挑みにきている。なら、アーベントはそれを歓迎しよう。

 アーベントはどこか楽しそうに一瞬ニヤリと口角を上げた。



 客間の扉が開かれる。そして皇帝とその側近であるレイが部屋に入ってきた。

 アーベントは横になっていた体を起こした。

「すでにいらっしゃってたんですね、アーベントさん。すみません。すぐに用意しますね」

「うん」

 アーベントの返事を聞くなり、レイは客室と繋がっている部屋へと向かっていった。
 
 皇帝はというと、ロジェの隣へと乱暴に座った。不機嫌なのは一目瞭然だった。ロジェはアーベントの隣へと席を移動しようとしたが、皇帝に「別にいい」と手袋を肘掛けへと脱ぎ捨てながら言われてしまった。ここで動いたら失礼に当たるから移動はできない。だが皇帝の威圧が凄すぎてロジェの体の震えが止まらなかった。

 それに気づいたアーベントが皇帝に指摘する。
 
「威圧隠せてない」

「ああ、悪かったな」

 今気づいたと言わんばかりに皇帝から威圧感がなくなった。それでも威圧感がまだ体に残っているようでロジェは手を強く握りしめた。

「ロジェ、こっちにおいで」

 アーベントに手招きされロジェは素直にアーベントの方に向かった。

「里の一番下の王子か」

 そう呟くと皇帝は足を組み、肘掛けに頬杖をついた。

「そう。だからあんまりいじめないでね」

「アーベントさん、持ってきました。これが私の商会の次のリニューアル商品である枕です。何か要望があれば改良しますよ!」

 隣から走ってきたレイはアーベントの前の机に枕を置く。

 アーベントはどこか目をキラキラさせ、枕を手に取り抱きついた。そしてあらゆる角度で感触を確かめる。

 3年前から枕にこだわりがあるのを知っていたロジェだったがその目のキラキラさに戸惑いを隠せなかった。これほど喜ぶとは予想だにしていなかった。

 熱意のこもった瞳のレイの商売魂に皇帝はまた始まったか、と苦笑いを浮かべる。

 そして二人は熱心に枕論について話始めた。ロジェはどうしようかなと目をさまよらせていると皇帝と目が合ってしまった。

「さっきは悪かったな。別に君が不愉快だったわけではない。許せ」

「はい」

 この人には逆らうなと心が訴えている。これは恐怖だ。ロジェは落ち着かせるために手を強く握った。

 そんな様子のロジェを見た皇帝はロジェの目の前にどこからか取り出したお菓子を差し出した。

 ロジェはとりあえず手に取り、皇帝を不思議そうに見つめた。

「子供は甘いものが好きだと聞いたことがある。まあ、詫びだ」

 知識がどこか偏ってるような気がしたロジェだったが甘いものが食べたい気分ではあったので飴を口に含んだ。

「うまいか?」

「おいしい」

 頬が緩むロジェを皇帝は微笑ましそうに見た。

「皇帝は子供が好きなの?」

「小さいものは嫌いじゃない。小さいものは身の危険を感じてか近寄らないがな」

 これは皇帝が竜族なのが原因だろう。竜族に恐れをなさない小さいものは少ない。同じ竜族の子供ぐらいと言えば言い過ぎかもしれないがそれぐらい近寄られないと言える。

「ねぇ、リアン兄ちゃんについて何か知ってたりする?」

「知りたいのか?」

「うん」 

「俺的には教えてやってもいいが、俺を睨みつけているアーベントに聞くんだな」

 横を向くとアーベントがレイと話しながら流し目でロジェたちを見ていた。

 皇帝が言うに、アーベントもリアンについて少なからず知っているようだ。前に妖精に聞いてもリアンについて情報が得られなかったのも考えると確実にリアンについての情報が誰かによって隠蔽されていると思っていいだろう。

「分かった」

「ロジェそろそろ行こう」

「うん」

 アーベントは新しい枕を片手にもう片方の手でロジェの手を握る。

「それじゃあ、また新商品出たらよろしく」

「はい、お待ちしております」

 アーベントの転移で二人は客間から消えた。
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