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四章 討伐
暗殺者の里 後編
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この日の夜、カイルはハリーの暗殺を実行することにした。ハリーが吸血鬼になり暴走したらこの里の者の誰もが手をつけられない状況になることは目に見えているからだ。
「兄貴、悪いな。せめて苦しまないように殺すから」
カイルは布団で寝ているハリーの心臓に向かってナイフを突き立てようとしたそのとき――
「何をしているのかしら?」
背後から声をかけられる。カイルは寸でのところでナイフを止めると、背を向けたまま、
「今朝の妖精か。――俺も吸血鬼にするか?」
尋ねる。その声に怒りはなく、やるせなさを背中越しに漂わせていた。
「まだこの男は吸血鬼になっていないわ。あと一度、私が血を吸えば完全に吸血鬼になるけどね」
妖精はほくそ笑む。カイルはそんな愚かな妖精に怒る気にもなれなかった。
「兄貴を吸血鬼にしないでくれないかといっても聞いてくれないんだろ?」
「そうね。これはお互い同意のもとの契約だから」
「どういう契約だったんだ?」
「リンに暗殺をさせないこと、吸血鬼の心臓を渡すこと、そしてリンにとりつくのをやめること、その三つよ」
カイルはくだらないと、それを鼻で笑い、吐き捨てる。
目の前の妖精もハリーも何も分かっていない。リンより弱いくせにリンを守ろうとして失敗した愚か者達。
そう思うのに、目の奥が熱を帯び始めた。
「兄貴は俺よりもリンのこと大切に思っていたんじゃねえか。―― 兄貴は吸血鬼の贄の状態になりつつある。兄貴が目を覚ませばこの里は壊滅だ」
吸血鬼の贄
通常、人は吸血鬼に血を吸われても、一回の吸血で吸血鬼になることは少なく、吸血鬼の贄と呼ばれる吸血鬼に近い人間へと変貌する。
その状態になると、吸血された人間は食べ物の代わりに血を欲するようになる。ここでもう一度吸血され、吸血鬼になれればいい。だが、そこで吸血鬼になったとしても吸血した者の支配下に置かれ、ろくな目に合わない。仮に逃げたとしても明るい未来なんてものは、ありはしない。
血を欲する衝動は日に日に強くなっていく。いくら理性で止めていても、いずれ限界に達し、精神に異常をきたす。そして最後は、近くの者を襲って血を求めるだけの屑鬼と成り果てる。
つまり、吸血鬼の贄とは吸血鬼になるか屑鬼になるかの瀬戸際な状態なのだ。
「妖精さんよ、あんた吸血鬼になって日が浅いだろ。このままじゃあんたの契約もどのみち破棄されるぜ」
「もう一度血を吸えば完全に吸血鬼になるわ。それに吸血鬼の贄になってもすぐに精神に異常をきたす訳じゃない」
「それが間違いなんだよ。もう一度血を吸えば完全に吸血鬼になる? 普通の人だったらそうかもな。でも俺ら、暗殺者は多種多様な毒で体をならしている。どういうことか分かるだろ? 次吸血しても兄貴は完全な吸血鬼にはならないってことだ。完全な吸血金なるのが先か、吸血鬼になる前に精神に異常をきたすのが先か。どっちが早いだろうな」
妖精の目が大きく見開かれる。だが、すぐに妖精はカイルの言い分を否定する。
「そんなことこの男は言っていなかったわよ!」
「それはそうだろうな。兄貴は吸血鬼の心臓の管理をしていただけで研究していたのは俺だ。知らなかったのも無理はない」
「じゃあ、どうすればいいのよ!!」
「どうするも何もすでに遅かったみたいだぜ」
カイルは妖精を抱き寄せ、ハリーの一撃をギリギリのところで躱す。
「どういうことよ、すぐ暴走するわけじゃないって言ってなかった?」
妖精は状況についていけず、カイルの首にしがみついたまま、叫び出す。
だが、今のカイルに構っている余裕などありはしない。
カイルにも予想外の状況。背中に冷や汗がつたう。
どういうことだ。こんなことありえない。
「俺にも分からん。それよりこのままじゃあ里の者は兄貴によって皆殺しだ」
ハリーは吸血鬼化で通常よりも身体能力が上がっている。それを抜きにしても、長になるぐらいだ。己より強いのは当然。カイルだけでハリーは止められない。
「俺も覚悟決めなきゃな。――おい、妖精この里の者全員一カ所に集めろ。そしてこのことは誰にも感づかれるなよ。俺がなんとかする」
「なんとかってどうするのよ。あんたじゃあやられるでしょ!」
「一つだけ方法があるといえなくもない。いいから言うとおりにしろ」
「……分かったわよ」
妖精はしばし黙り込むが、吸血鬼に精通しているカイルよりも良い策が思いつくわけもなかった。
カイルから離れ、妖精は動き出す。
(これでいい。後は俺が吸血鬼の心臓を食べてそいつに俺の体を貸せばおそらくなんとかなるだろう)
「兄貴、こっちだ」
カイルはハリーを自分の方へと誘導し、走り出す。
里の居住区エリアからできるだけ離し、被害を減らす。ハリーが吸血されたことを隠蔽できるように人気のないところに誘い出す。
ハリーの攻撃を躱しながらも誘い出せたカイルはハリーから姿を消し、吸血鬼の心臓がある場所へ潜り込む。
「はあ、はあ」
カイルは扉を閉めると、扉に寄りかかり、座り込んだ。
呼吸を整えるように深呼吸を繰り返す。
そして、息が整うと吸血鬼に心臓に手を伸ばす。
「あとは俺がこれを食べるだけだ。――おい、吸血鬼生きているんだろ。俺の体を貸すから力を貸してくれ」
カイルは勢いよく吸血鬼の心臓を口に入れる。吐きそうになりながらも、手で口を押さえ、無理矢理喉にねじ込んだ。
『いいだろう。力を貸してやる。だが約束を違えるなよ。』
カイルの頭に吸血鬼の声が響く。カイルは苦痛で胸をわしづかみするが、だんだんと意識が遠のいていき、やがて、途絶えた。
「これが人間の体か。なんと惰弱な。まあいい。これで我は晴れて自由の身だ。約束は面倒だが一度した約束だからな。破るのは我のプライドが許さん」
吸血鬼はカイルの頭からあらかた情報を抜き出し現状を把握する。
「面倒なことになっているな。それにハリーとやらが吸血鬼になっているのは腑に落ちん。これは第三者が関わっていると見た」
呟きを残し、カイルの皮を被った吸血鬼は霧化し姿を消した。
◆◇◆◇
「外が騒がしい。何かあったのか?」
リンは騒ぎに気づき、布団から抜け出し、外に出る。そしてハリーとカイルが戦っているのを目の当たりにした。
「なっ!? どういうことだ。どうしてハリーとカイルが戦っているんだ。それにどちらも様子がおかしい」
「ねえ、何でだと思う?」
振り向くと道化師が真横に立っていた。リンはすぐに離れ、戦闘態勢に入る。
「お前誰だ。この里の者じゃないな」
「そんな警戒しないでよ。何も僕はしないよ。それに今この状態になっているのは誰のせいなんだろうね?」
「どういう意味だ」
道化師はどこか不気味に笑みを浮かべるとゆっくりとリンに歩み寄る。
リンはそんな道化師を警戒するように後ずさり、十分な間合いを確保する。
「どういう意味かって? それは一番君が分かっていると思ったんだけどな。でも記憶を失っているみたいだししょうがないか。だったら記憶、無理矢理にでもこじ開けさせれば分かるかな?」
道化師はリンとの間合いを一気につめ、リンの頭をわしづかむ。そして子供のようにはしゃぎ始めた。
「どう? どう? 思い出してきた?」
「っ!!」
リンの顔が歪む。
記憶を無理矢理こじ開けられているせいで相当な負荷がリンを襲う。
耐えきれなくなったリンの体は目が充血し、口と鼻から血を噴き出した。
それを見た道化師はパッとリンの頭を離す。そして――――
「あらら、やりすぎちゃったか。でも大丈夫だよね。吸血鬼なんだから」
全く悪気のない顔で地に膝をついているリンをのぞき込んだ。
「これで分かったでしょ? 誰が悪いのか。君だよ。君が妖精を吸血鬼にしなければ。この里に足を踏み入れなければ、こんな悲劇は生まれなかったんだよ。君のせいで二人とも死ぬんだ。本当にかわいそうな二人だよね。人間だからもともと短い命なのにもっと短くなるなんて。本当に哀れで哀れでしょうがない」
リンは唇を強く噛みしめ、砂を握りしめた。
今のリンには言い返す言葉が見つからなかった。
「もし、死ぬっていうんなら僕にその力貸してよ。僕たちは今困っているんだよね」
道化師のそれは、本当に困っているとは思えないような口ぶりだった。
リンは下を向いたまま、差し出された手を叩き落とす。
「まあいいさ。力を貸してくれる気になったらおいで。僕は歓迎するよ」
道化師はそう言い残すとリンの前から姿を消した。
「俺が二人を止めないと。それがせめてもの――」
ゆっくりと立ち上がったリンは二人の元へと走り出した。
「二人とも吸血鬼になりつつある。どうして二人が……」
「お前、吸血鬼の真祖か。それも生まれたばかりといったところか。動けるならこいつを殺すのを手伝え」
カイルはハリーに岩を投げつける。しかしハリーはそれを真っ正面から打撃で粉砕する。
「カイルじゃないな。吸血鬼か。どうしてお前がカイルの中にいる?」
リンはカイルに向かって威圧を放つ。
カイルからこの吸血鬼を離さないとまずいことになる。今は精神が分離しているようだがいずれ拒絶反応を起こしてどちらの精神も崩壊する。それに器が耐えきれなくなるのは明白だ。
「そんなことどうでもいいだろ。手を貸さないなら邪魔だ。どこかへ行け」
カイルの中にいる吸血鬼は苛立っていった。そしてリンにやり返すように威圧を放つ。
「お前だって分かっているんだろ。カイルの中に今一時的にいたところで長くは持たないと」
「だったら何だ。もともと心臓だけで何もできず、死を待つだけだったんだ。少しの間だけでも最後に自由の身になってもいいだろ」
この吸血鬼にカイルから出てけっていっても出て行くわけない。だったらハリーを止めてからカイルの動きも封じるしかない。
「俺がハリーの動きを止める。だからお前はハリーを気絶させてくれ」
吸血鬼は目を細め、不満げにリンを見ていたが折れそうにないリンを見て、ため息を吐いた。そして、動き出す。
リンも同じように走り出し、ハリーに蹴りを繰り出す。だが、ハリーはなんなくそれを躱す。そしてカウンターとばかりにリンの顔面に向かって打撃を打つ。
リンはそれを、首を傾げ躱す。
ハリーは吸血鬼化し、暴走状態なせいか、いつもより技術の精度がつたなくなっていた。だが、その代わり力が人間のそれではない強さになっていた。
「っ!!」
ハリーの蹴りをリンが腕でガードするが吹き飛ばされる。
いつものナイフじゃないとは言え、ハリーは万能型である。そのため体術も達人の域に達している。そこに吸血鬼の怪力が組み合わせれば吹き飛ばされるのは至極当然のことだった。
「おい、何している。大口叩いといてその程度か」
吸血鬼の怒気のはらんだ、冷たい声がリンの耳朶に響く。
「うるさい。黙って気絶させるチャンスをうかがっていろ」
リンは霧化している吸血鬼を力業でなぎ払うと、ハリーの元に走り出し、飛び膝蹴りを見舞わせる。
「はぁぁぁぁ」
通常より威力の上げた飛び膝蹴りがハリーに直撃する。
腕の骨、肋骨に罅が入り、ハリーは顔をさらに苦渋に歪めた。
息苦しそうにしているのを見るに、肺に穴が開いているのだろう。
リンは強く歯を噛みしめながらも、判断を下す。
「今だ、気絶させろ」
「お前に言われなくても分かっている」
吸血鬼がハリーの後ろに周り首に向かって手刀を入れる。
「気絶したか」
吸血鬼がハリーの体を片腕で支える。リンはハリーの元に駆けつけた。
「どうして二人が吸血鬼化しているんだ……」
「妖精がこのハリーとやらと契約を結んだらしい。その際にこいつが吸血鬼になることが条件だった。支配下におけるからな。だが今回は何やらアクシデントが起きたらしい」
「妖精、リャナンシーか。どうしてリャナンシーがそんなことを。まさかハリーのことを気に入ったのか」
「我にもそこまでは分からん。妖精に聞いてみればいいだろ。まだ近くにいるだろうからな。我はもう行く」
「どこに行くつもりだ。カイルから身を引いてもらうぞ」
吸血鬼はハリーの身柄をリンに渡すと霧化に入る。
だが、リンはまだ終わっていないと吸血鬼に向かって威圧する。
「今のお前じゃ無理だ。血が足りないんだろ。それによほど弱体化していると見える」
吸血鬼は背後にいるリンを見向きもせず、そう言い残すと完全に霧化し、姿を消した。
姿を消した場所をリンは眉をひそめ、しばし見つめていたが、次の瞬間、苦しみに苛まれ、胸を強く掴んだ。
胸が強く痛むと同時に口から過剰な程に唾液が分泌される。
「リン、全て解けてしまったのね」
そんなとき背後から声をかけられる。
後ろを振り返ると、それは己が吸血鬼にした妖精でもあり、今回の元凶でもある妖精だった。
「ああ、そうだ」
怒るに怒れないリンはぶっきらぼうに言うと、再び背を向けた。
「本当に限界なのね。リン。諦めて私の血を飲みなさい」
リンの肩を掴み、誘惑する妖精を否定するように、リンは胸をおさえながら首を横に振った。
「嫌だ。血は飲まない」
聞き分けのない子供のようなリンにリャナンシーはあきれたように肩をすくめる。
「本当にどこまで意地張るのよ。――だったら一度だけ私の血を吸った後もう一度前と同じようにしてあげる。少しぐらい我慢なさい」
リンの元に近づき吸血させようと肩を出す。
だがそれをリンは突き放した。
「その前に聞きたいことがある。どうしてハリーと契約を結んだんだ?」
「ハリーから契約を持ち込んできたのよ。それが何? 誰と結ぼうが私の勝手でしょ?」
リャナンシーは自分の髪を指に絡ませる。その様はどうでもいいと言わんばかりだった。
「契約破棄してくれないか。とりつくのは俺だけでいいだろ。俺だけでは不十分か」
リャナンシーはリンのそのもの言いに腹を立てた。
何のために動いていると思っているのか。
イラつきをぶつけるようにリャナンシーはリンに近づき首に歯を立て吸血する。
「リン、ひどいわ。私のことをリンが吸血したんだから私の支配権はあなたが持ってる。そして逆らえないことも。だったら私はその支配権をなくすまでよ」
吸血鬼にされた者は吸血鬼した者の支配下に置かれる。その支配下を消す方法は一つ。吸血鬼にされた者が吸血鬼にした者の血を吸うこと。そして今リャナンシーはその支配をなくした。
「これでリンは私に強制することはできない。大人しく人間としてこれからも暮らすことね」
「だったらハリーをせめて仮死休眠にさせてからにしてくれないか。そしたら俺はお前の血を大人しく飲む」
「分かればいいのよ。ハリーに仮死休眠させる時間はあげるわ」
そうしてリンはハリーを仮死休眠させるために気絶しているハリーを起こし、すぐに暗示をかけた。仮死休眠するように。そしてハリーは仮死休眠へと至った。
「兄貴、悪いな。せめて苦しまないように殺すから」
カイルは布団で寝ているハリーの心臓に向かってナイフを突き立てようとしたそのとき――
「何をしているのかしら?」
背後から声をかけられる。カイルは寸でのところでナイフを止めると、背を向けたまま、
「今朝の妖精か。――俺も吸血鬼にするか?」
尋ねる。その声に怒りはなく、やるせなさを背中越しに漂わせていた。
「まだこの男は吸血鬼になっていないわ。あと一度、私が血を吸えば完全に吸血鬼になるけどね」
妖精はほくそ笑む。カイルはそんな愚かな妖精に怒る気にもなれなかった。
「兄貴を吸血鬼にしないでくれないかといっても聞いてくれないんだろ?」
「そうね。これはお互い同意のもとの契約だから」
「どういう契約だったんだ?」
「リンに暗殺をさせないこと、吸血鬼の心臓を渡すこと、そしてリンにとりつくのをやめること、その三つよ」
カイルはくだらないと、それを鼻で笑い、吐き捨てる。
目の前の妖精もハリーも何も分かっていない。リンより弱いくせにリンを守ろうとして失敗した愚か者達。
そう思うのに、目の奥が熱を帯び始めた。
「兄貴は俺よりもリンのこと大切に思っていたんじゃねえか。―― 兄貴は吸血鬼の贄の状態になりつつある。兄貴が目を覚ませばこの里は壊滅だ」
吸血鬼の贄
通常、人は吸血鬼に血を吸われても、一回の吸血で吸血鬼になることは少なく、吸血鬼の贄と呼ばれる吸血鬼に近い人間へと変貌する。
その状態になると、吸血された人間は食べ物の代わりに血を欲するようになる。ここでもう一度吸血され、吸血鬼になれればいい。だが、そこで吸血鬼になったとしても吸血した者の支配下に置かれ、ろくな目に合わない。仮に逃げたとしても明るい未来なんてものは、ありはしない。
血を欲する衝動は日に日に強くなっていく。いくら理性で止めていても、いずれ限界に達し、精神に異常をきたす。そして最後は、近くの者を襲って血を求めるだけの屑鬼と成り果てる。
つまり、吸血鬼の贄とは吸血鬼になるか屑鬼になるかの瀬戸際な状態なのだ。
「妖精さんよ、あんた吸血鬼になって日が浅いだろ。このままじゃあんたの契約もどのみち破棄されるぜ」
「もう一度血を吸えば完全に吸血鬼になるわ。それに吸血鬼の贄になってもすぐに精神に異常をきたす訳じゃない」
「それが間違いなんだよ。もう一度血を吸えば完全に吸血鬼になる? 普通の人だったらそうかもな。でも俺ら、暗殺者は多種多様な毒で体をならしている。どういうことか分かるだろ? 次吸血しても兄貴は完全な吸血鬼にはならないってことだ。完全な吸血金なるのが先か、吸血鬼になる前に精神に異常をきたすのが先か。どっちが早いだろうな」
妖精の目が大きく見開かれる。だが、すぐに妖精はカイルの言い分を否定する。
「そんなことこの男は言っていなかったわよ!」
「それはそうだろうな。兄貴は吸血鬼の心臓の管理をしていただけで研究していたのは俺だ。知らなかったのも無理はない」
「じゃあ、どうすればいいのよ!!」
「どうするも何もすでに遅かったみたいだぜ」
カイルは妖精を抱き寄せ、ハリーの一撃をギリギリのところで躱す。
「どういうことよ、すぐ暴走するわけじゃないって言ってなかった?」
妖精は状況についていけず、カイルの首にしがみついたまま、叫び出す。
だが、今のカイルに構っている余裕などありはしない。
カイルにも予想外の状況。背中に冷や汗がつたう。
どういうことだ。こんなことありえない。
「俺にも分からん。それよりこのままじゃあ里の者は兄貴によって皆殺しだ」
ハリーは吸血鬼化で通常よりも身体能力が上がっている。それを抜きにしても、長になるぐらいだ。己より強いのは当然。カイルだけでハリーは止められない。
「俺も覚悟決めなきゃな。――おい、妖精この里の者全員一カ所に集めろ。そしてこのことは誰にも感づかれるなよ。俺がなんとかする」
「なんとかってどうするのよ。あんたじゃあやられるでしょ!」
「一つだけ方法があるといえなくもない。いいから言うとおりにしろ」
「……分かったわよ」
妖精はしばし黙り込むが、吸血鬼に精通しているカイルよりも良い策が思いつくわけもなかった。
カイルから離れ、妖精は動き出す。
(これでいい。後は俺が吸血鬼の心臓を食べてそいつに俺の体を貸せばおそらくなんとかなるだろう)
「兄貴、こっちだ」
カイルはハリーを自分の方へと誘導し、走り出す。
里の居住区エリアからできるだけ離し、被害を減らす。ハリーが吸血されたことを隠蔽できるように人気のないところに誘い出す。
ハリーの攻撃を躱しながらも誘い出せたカイルはハリーから姿を消し、吸血鬼の心臓がある場所へ潜り込む。
「はあ、はあ」
カイルは扉を閉めると、扉に寄りかかり、座り込んだ。
呼吸を整えるように深呼吸を繰り返す。
そして、息が整うと吸血鬼に心臓に手を伸ばす。
「あとは俺がこれを食べるだけだ。――おい、吸血鬼生きているんだろ。俺の体を貸すから力を貸してくれ」
カイルは勢いよく吸血鬼の心臓を口に入れる。吐きそうになりながらも、手で口を押さえ、無理矢理喉にねじ込んだ。
『いいだろう。力を貸してやる。だが約束を違えるなよ。』
カイルの頭に吸血鬼の声が響く。カイルは苦痛で胸をわしづかみするが、だんだんと意識が遠のいていき、やがて、途絶えた。
「これが人間の体か。なんと惰弱な。まあいい。これで我は晴れて自由の身だ。約束は面倒だが一度した約束だからな。破るのは我のプライドが許さん」
吸血鬼はカイルの頭からあらかた情報を抜き出し現状を把握する。
「面倒なことになっているな。それにハリーとやらが吸血鬼になっているのは腑に落ちん。これは第三者が関わっていると見た」
呟きを残し、カイルの皮を被った吸血鬼は霧化し姿を消した。
◆◇◆◇
「外が騒がしい。何かあったのか?」
リンは騒ぎに気づき、布団から抜け出し、外に出る。そしてハリーとカイルが戦っているのを目の当たりにした。
「なっ!? どういうことだ。どうしてハリーとカイルが戦っているんだ。それにどちらも様子がおかしい」
「ねえ、何でだと思う?」
振り向くと道化師が真横に立っていた。リンはすぐに離れ、戦闘態勢に入る。
「お前誰だ。この里の者じゃないな」
「そんな警戒しないでよ。何も僕はしないよ。それに今この状態になっているのは誰のせいなんだろうね?」
「どういう意味だ」
道化師はどこか不気味に笑みを浮かべるとゆっくりとリンに歩み寄る。
リンはそんな道化師を警戒するように後ずさり、十分な間合いを確保する。
「どういう意味かって? それは一番君が分かっていると思ったんだけどな。でも記憶を失っているみたいだししょうがないか。だったら記憶、無理矢理にでもこじ開けさせれば分かるかな?」
道化師はリンとの間合いを一気につめ、リンの頭をわしづかむ。そして子供のようにはしゃぎ始めた。
「どう? どう? 思い出してきた?」
「っ!!」
リンの顔が歪む。
記憶を無理矢理こじ開けられているせいで相当な負荷がリンを襲う。
耐えきれなくなったリンの体は目が充血し、口と鼻から血を噴き出した。
それを見た道化師はパッとリンの頭を離す。そして――――
「あらら、やりすぎちゃったか。でも大丈夫だよね。吸血鬼なんだから」
全く悪気のない顔で地に膝をついているリンをのぞき込んだ。
「これで分かったでしょ? 誰が悪いのか。君だよ。君が妖精を吸血鬼にしなければ。この里に足を踏み入れなければ、こんな悲劇は生まれなかったんだよ。君のせいで二人とも死ぬんだ。本当にかわいそうな二人だよね。人間だからもともと短い命なのにもっと短くなるなんて。本当に哀れで哀れでしょうがない」
リンは唇を強く噛みしめ、砂を握りしめた。
今のリンには言い返す言葉が見つからなかった。
「もし、死ぬっていうんなら僕にその力貸してよ。僕たちは今困っているんだよね」
道化師のそれは、本当に困っているとは思えないような口ぶりだった。
リンは下を向いたまま、差し出された手を叩き落とす。
「まあいいさ。力を貸してくれる気になったらおいで。僕は歓迎するよ」
道化師はそう言い残すとリンの前から姿を消した。
「俺が二人を止めないと。それがせめてもの――」
ゆっくりと立ち上がったリンは二人の元へと走り出した。
「二人とも吸血鬼になりつつある。どうして二人が……」
「お前、吸血鬼の真祖か。それも生まれたばかりといったところか。動けるならこいつを殺すのを手伝え」
カイルはハリーに岩を投げつける。しかしハリーはそれを真っ正面から打撃で粉砕する。
「カイルじゃないな。吸血鬼か。どうしてお前がカイルの中にいる?」
リンはカイルに向かって威圧を放つ。
カイルからこの吸血鬼を離さないとまずいことになる。今は精神が分離しているようだがいずれ拒絶反応を起こしてどちらの精神も崩壊する。それに器が耐えきれなくなるのは明白だ。
「そんなことどうでもいいだろ。手を貸さないなら邪魔だ。どこかへ行け」
カイルの中にいる吸血鬼は苛立っていった。そしてリンにやり返すように威圧を放つ。
「お前だって分かっているんだろ。カイルの中に今一時的にいたところで長くは持たないと」
「だったら何だ。もともと心臓だけで何もできず、死を待つだけだったんだ。少しの間だけでも最後に自由の身になってもいいだろ」
この吸血鬼にカイルから出てけっていっても出て行くわけない。だったらハリーを止めてからカイルの動きも封じるしかない。
「俺がハリーの動きを止める。だからお前はハリーを気絶させてくれ」
吸血鬼は目を細め、不満げにリンを見ていたが折れそうにないリンを見て、ため息を吐いた。そして、動き出す。
リンも同じように走り出し、ハリーに蹴りを繰り出す。だが、ハリーはなんなくそれを躱す。そしてカウンターとばかりにリンの顔面に向かって打撃を打つ。
リンはそれを、首を傾げ躱す。
ハリーは吸血鬼化し、暴走状態なせいか、いつもより技術の精度がつたなくなっていた。だが、その代わり力が人間のそれではない強さになっていた。
「っ!!」
ハリーの蹴りをリンが腕でガードするが吹き飛ばされる。
いつものナイフじゃないとは言え、ハリーは万能型である。そのため体術も達人の域に達している。そこに吸血鬼の怪力が組み合わせれば吹き飛ばされるのは至極当然のことだった。
「おい、何している。大口叩いといてその程度か」
吸血鬼の怒気のはらんだ、冷たい声がリンの耳朶に響く。
「うるさい。黙って気絶させるチャンスをうかがっていろ」
リンは霧化している吸血鬼を力業でなぎ払うと、ハリーの元に走り出し、飛び膝蹴りを見舞わせる。
「はぁぁぁぁ」
通常より威力の上げた飛び膝蹴りがハリーに直撃する。
腕の骨、肋骨に罅が入り、ハリーは顔をさらに苦渋に歪めた。
息苦しそうにしているのを見るに、肺に穴が開いているのだろう。
リンは強く歯を噛みしめながらも、判断を下す。
「今だ、気絶させろ」
「お前に言われなくても分かっている」
吸血鬼がハリーの後ろに周り首に向かって手刀を入れる。
「気絶したか」
吸血鬼がハリーの体を片腕で支える。リンはハリーの元に駆けつけた。
「どうして二人が吸血鬼化しているんだ……」
「妖精がこのハリーとやらと契約を結んだらしい。その際にこいつが吸血鬼になることが条件だった。支配下におけるからな。だが今回は何やらアクシデントが起きたらしい」
「妖精、リャナンシーか。どうしてリャナンシーがそんなことを。まさかハリーのことを気に入ったのか」
「我にもそこまでは分からん。妖精に聞いてみればいいだろ。まだ近くにいるだろうからな。我はもう行く」
「どこに行くつもりだ。カイルから身を引いてもらうぞ」
吸血鬼はハリーの身柄をリンに渡すと霧化に入る。
だが、リンはまだ終わっていないと吸血鬼に向かって威圧する。
「今のお前じゃ無理だ。血が足りないんだろ。それによほど弱体化していると見える」
吸血鬼は背後にいるリンを見向きもせず、そう言い残すと完全に霧化し、姿を消した。
姿を消した場所をリンは眉をひそめ、しばし見つめていたが、次の瞬間、苦しみに苛まれ、胸を強く掴んだ。
胸が強く痛むと同時に口から過剰な程に唾液が分泌される。
「リン、全て解けてしまったのね」
そんなとき背後から声をかけられる。
後ろを振り返ると、それは己が吸血鬼にした妖精でもあり、今回の元凶でもある妖精だった。
「ああ、そうだ」
怒るに怒れないリンはぶっきらぼうに言うと、再び背を向けた。
「本当に限界なのね。リン。諦めて私の血を飲みなさい」
リンの肩を掴み、誘惑する妖精を否定するように、リンは胸をおさえながら首を横に振った。
「嫌だ。血は飲まない」
聞き分けのない子供のようなリンにリャナンシーはあきれたように肩をすくめる。
「本当にどこまで意地張るのよ。――だったら一度だけ私の血を吸った後もう一度前と同じようにしてあげる。少しぐらい我慢なさい」
リンの元に近づき吸血させようと肩を出す。
だがそれをリンは突き放した。
「その前に聞きたいことがある。どうしてハリーと契約を結んだんだ?」
「ハリーから契約を持ち込んできたのよ。それが何? 誰と結ぼうが私の勝手でしょ?」
リャナンシーは自分の髪を指に絡ませる。その様はどうでもいいと言わんばかりだった。
「契約破棄してくれないか。とりつくのは俺だけでいいだろ。俺だけでは不十分か」
リャナンシーはリンのそのもの言いに腹を立てた。
何のために動いていると思っているのか。
イラつきをぶつけるようにリャナンシーはリンに近づき首に歯を立て吸血する。
「リン、ひどいわ。私のことをリンが吸血したんだから私の支配権はあなたが持ってる。そして逆らえないことも。だったら私はその支配権をなくすまでよ」
吸血鬼にされた者は吸血鬼した者の支配下に置かれる。その支配下を消す方法は一つ。吸血鬼にされた者が吸血鬼にした者の血を吸うこと。そして今リャナンシーはその支配をなくした。
「これでリンは私に強制することはできない。大人しく人間としてこれからも暮らすことね」
「だったらハリーをせめて仮死休眠にさせてからにしてくれないか。そしたら俺はお前の血を大人しく飲む」
「分かればいいのよ。ハリーに仮死休眠させる時間はあげるわ」
そうしてリンはハリーを仮死休眠させるために気絶しているハリーを起こし、すぐに暗示をかけた。仮死休眠するように。そしてハリーは仮死休眠へと至った。
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