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四章 討伐
暗殺者の里 前編
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「来たぜ、兄貴。そのガキどこで拾ってきたんだ?」
たった今、兄貴と呼んだ男カイルは、ハリーの後ろに隠れている子供に気づくと、指を指し、露骨に嫌そうな顔をした。
「里の隣の森で倒れていたんだ。記憶はないようだけど」
ハリーは後ろにいる子供の頭をなでる。
ハリーはここ、暗殺者の里の長だ。まだ二十代と若いが暗殺者としての腕がとてつもなくいい。
「どうするつもりだ? ここに一度入ればそいつは暗殺者になるかここで一生飼い殺しだ」
ここは暗殺者の里。だからこそ、この場所は特例を除き、知られてはならない。
この里を出て行く者は記憶を薬でなくしてから出て行くしか方法はない。それも暗殺者で功績を挙げた報償として長からもらってだ。
それ以外の方法で出て行こうとすると暗殺者を向けられ、殺される。
この子供もこの里で暮らすって言うなら暗殺者になるしか道はない。
「カイルはやさしいな。でも私が拾ったから面倒は見ないとね。どうせ私が拾わなかったら死んでいたと思うし、暗殺者になることは割り切ってもらわなきゃね」
「今なら遅くない。どこかに捨ててこい。このガキには無理だ」
カイルは目を細め、吐き捨てるように告げる。
ハリーは本気で反対されると思っていなかったのか、子供の頭をなでる手を止める。
だが、動きが止まったのは数秒。
ハリーは笑みを浮かべたまま、カイルに目を向ける。
「カイル、これは長としての判断だ。この子には才能がある。私よりもね。こんな逸材逃すわけないよ」
ハリーの瞳は笑ってはいなかった。その笑みのない瞳はカイルの背中をゾワッとさせた。
「……分かったよ。俺からはもう何も言わないさ」
あきれを混ぜながらカイルは肩をすくめた。そして、子供の名を問う。
「そういえば名前は分かるのか?」
「この子記憶は失っているけど、名前だけは忘れてなかったみたいだよ。リンって言うんだって」
ハリーは後ろにいるリンの肩をつかみ、カイルに姿を見せるように前に出す。
「リンって言います。よろしくお願いします」
リンは自分のズボンをつかみながら小さな声で言う。
(記憶もなく知らない人の前にいる。怖いのは当然だ。それに俺はナイフを携帯している。怖くないというのがおかしいのだろう)
「よろしくな。まあ、頑張れよ」
カイルは頭をかきながら苦笑いを浮かべた。
(子供は苦手なんだがな)
「じゃあ、これから私はこの子に暗殺の技術を教えるから。ここの片付け、よろしくねカイル」
「はぁぁぁぁ、マジ勘弁しろし。絶対狙ってここに呼び出しただろ」
ハリーに逆らうとろくな目に合わないことが分かっているカイルは不満を持ちながらも大人しくここの片付けを始めた。
これが後にリンの義父と義叔父になる二人との出会いだった。
◆◇◆◇
あれから三年の月日が経過した。
リンは三年の間で朝の日課となった、ハリーとの稽古をしていた。
「リンはどこか不思議な子だね」
ハリーの投げるナイフは的確であり確実に相手を仕留める一撃。その一撃を倒れているリンに向けて容赦なく投げつける。
リンは焦りもせず、飄々とした顔でナイフを横から叩き、軌道を変える。
横から叩き落とす反射速度とすぐに反撃ができる身体能力。本当に人間離れしているとハリーは常々思っている。
「人殺すことに特化しているけど、人を殺すときに躊躇している。でもその躊躇すらハンデになりえない。それに、躊躇している割には息を吸うことと同じように人を殺すことが当たり前のように思っている節がある」
ハリーに図星をつかれたリンは動揺し、動きを鈍らせる。しかしすぐに平然を装い、飛んできたナイフを掴み、反撃とばかりに投げつけた。
「仕事はきちんとこなしているので見逃してくれませんか?」
ハリーはそんなリンに苦笑する。
「いいよ。仕事をきちんとこなしている内はね。でも一つ、リンに忠告しておくよ。いずれそれは自分を殺すことになる。心が先か本当の死が先かまでは分からないけどね」
「忠告、ありがとうございます。心にとどめておきます」
ここぞとばかりにリンはハリーに上段蹴りをお見舞いする。しかしハリーは腕で蹴りを防御する。
「そういえば、私のせんべいどこにあるのか知りませんか?」
リンはせんべいというワードに反応し、肩をビクッと揺らす。そして、冷や汗を流しながら、黙り込んだ。
心当たりがあったからだ。
そう、それは昨夜のこと。
任務終わりに空腹になったリンはキッチンへと向かい、何か腹を満たすものを探していた。
流石に朝食の食材などを食べるわけにはいかなかったのでおやつで我慢しようと、たまたま机においてあったせんべいに手を伸ばしていると、カイルがキッチンへと入ってきた。
カイルも腹を空かせていたようで一緒にせんべいをかじったのだ。
ハリーの大好物のせんべいだが、こんなに量があるなら数枚食べてもバレないだろうとカイルと笑いながら話していたのだが……。
この様子だとバレている。
「まあ、リンのことだからカイルに進められて断れなく食べてしまったんだろ? 今回は見逃してあげるよ。カイルは後でお仕置きするけどね」
本当はリンが先に食べていたし、カイルを食べようと誘ったのだが、どうやらハリーは勘違いしているようである。
(あとでカイルに詫びの品を持っていこう)
怒ったハリーはかなり怖い。だからこそ怒られないで済むのならリンはその手段を迷うことなく選択する。
「今日の日課はここまでにしとこうか。朝食に行こう」
「はい」
キッチンへ到着すると、美味しそうな匂いが嗅覚を刺激した。
二人より先にキッチンに来ていたカイルが朝食の準備をしていたようである。
「お、リン、稽古終わったのか。いつも大変だな。ハリーと稽古だなんて」
皿を並べていたカイルが二人に気づき、視線を向ける。
「それ、どういう意味ですか? カイル?」
ハリーはカイルに笑みを向け、冷気を放つ。せんべいを食べられた恨みもあるのだろう。いつもより冷気が強い。カイルもそれに気づいたようで、
「何でもないです」
逃げるようにキッチンの奥へと向かう。
リンもカイルの後を追うようにして、
「カイル、俺も手伝う」
駆け込んだ。
「本当に二人とも私をなんだと思っているのか。―――今、誰か見ていましたね。家族の中を覗くなんて無粋な真似を。少しお仕置きが必要ですかね」
そう呟いたハリーはキッチンの外へと向かった。
「本当にリンは料理うまくなったよな。最初の頃なんてまな板まで切ったりして――」
「昔のことはいいだろ!!」
失敗談を出されたリンは羞恥にみまわれ、顔を真っ赤に染め上げた。カイルはそんなリンを微笑ましく思いながら、話題を変える。
「最近、どうだ? 人を殺すことになれたか。――いや、違うか。血はもう大丈夫なのか?」
リンは人を殺すとき血が吹き出すのを最小限に抑えようとしている。だから毒殺するのがリンの暗殺スタイルになっている。リンの身体能力を見ると一撃でやった方が速いのだが……
「今でも血は極力見たくない。怖いって訳じゃないが……。ただ血を見ると頭が痛くなる」
時間をかけて殺すと言うことは自分の命が危険にさらされやすくなる。そんなことはリンも十分承知していた。でも血になれるのは今のリンには無理そうだった。
「食事前にする話じゃなかったな。本当に俺は空気を読むのが下手らしい」
「今に始まったことじゃないだろ」
「こいつ、言うようになったな」
カイルがリンの頭をなでまくり、リンの頭をボサボサへと変える。
キッチンに二人の笑い声が響き渡った。
「君は妖精――いや、吸血鬼ですか。ここに何のようですか?」
ハリーはキッチンから離れて小屋の方へ向かって行く妖精にナイフを投げつけた。ずっと笑みを浮かばしたまま。
妖精はそのナイフを難なくかわすと怒気をぶつけた。
「いきなり、ナイフを投げることないでしょ!!」
「覗き見なんてするからですよ。――もしかしてこれがいわゆる変質者というものですか」
はっとした表情をしながら、ハリーは手をポンと置く。
「妖精に向かって変質者も何もないでしょ!! 妖精は気ままにどこにでも行くんだから! ――そんなことよりも、吸血鬼の心臓私に渡して。あとリンに暗殺業をこれ以上やらせないで」
妖精はそんなハリーにペースを乱されながらもすぐに冷静さを取り戻す。
「吸血鬼風情が何を言っているんですか? そもそも私があなたのお願いを聞く必要もないですよね?」
何を言っているのかこのバカはといった様子でハリーは至極まっとうに答える。
妖精はその態度に体をプルプルと震わせながらも、息を吐くことで、怒りを鎮めた。
「これはお願いではなく命令よ。聞かないっていうなら無理矢理ことを運ぶだけよ」
ハリーは考えていた。この妖精とも吸血鬼とも言えないような半端者。それにリンを知っている。そこから導き出されるのは――
「命令ですか……。それは君がラナンシーでリンにとりつきたいから。そのために命令を遂行させたい、違いますか?」
ラナンシーと呼ばれた妖精は内心驚きながらも、余裕そうな笑みを向ける。
「そうだと言えば? そもそもすでに私はリンにとりついているわよ」
「今、とりついていると言いましたか?」
ハリーは頭を抱えたくなった。
リンは何をしているのか。いや、今のリンからは考えられない。つまり、記憶を失う前か、と結論を出す。
「そう言ってるでしょ?」
「それ、私に代えてくれませんか?」
ハリーと妖精の戦闘力の差はハリーの方が上。でも仲間がいるかもしれない以上、戦いで決着をつけるわけにもいかない。
この里の長として、ハリーは己より若く才能あふれた者を破滅に向かわせる訳にはいかなかった。
本音を言えば家族も同然のリンを見捨てられなかった。
「突然何を言い出すのかと思えばそんなお願い聞くわけないでしょう?」
「命令を無条件で聞くと言っても?」
妖精の目が見開く。
悪い条件ではない。リンにとりつくのはやめられないが一時的なら悪くない。それに暗示をかけ直しやすい。そうなればリンが少しでも長く人間として生きられる確率が上がる。
そう思った妖精は、
「いいわ。その代わりあなたには私と同じ吸血鬼になってもらう。支配下に置いておかないと心配だから」
「いいでしょう」
条件付きで交渉を受け入れる。ハリーもその内容に異を唱えなかった。
「じゃあいくわよ」
妖精はハリーの首元に牙を突き立てた。そして妖精が血を吸い終わるとハリーは胸を強く掴み、苦しみだした。
「後でまた血を吸いにくるわ。それだけでは完全に吸血鬼にはならないから。せいぜいその苦しみに身を任せるのね。早く吸血鬼になりたかったら」
そう言い残すと妖精はどこかへ姿を消してしまった。
それをたまたま途中から見ていた者がいた。ハリーを呼びに来たカイルである。
「兄貴が吸血鬼に……。このままじゃこの里は壊滅だ。そうなる前に……」
カイルはそう呟くと倒れているハリーの元へ走り出した。
たった今、兄貴と呼んだ男カイルは、ハリーの後ろに隠れている子供に気づくと、指を指し、露骨に嫌そうな顔をした。
「里の隣の森で倒れていたんだ。記憶はないようだけど」
ハリーは後ろにいる子供の頭をなでる。
ハリーはここ、暗殺者の里の長だ。まだ二十代と若いが暗殺者としての腕がとてつもなくいい。
「どうするつもりだ? ここに一度入ればそいつは暗殺者になるかここで一生飼い殺しだ」
ここは暗殺者の里。だからこそ、この場所は特例を除き、知られてはならない。
この里を出て行く者は記憶を薬でなくしてから出て行くしか方法はない。それも暗殺者で功績を挙げた報償として長からもらってだ。
それ以外の方法で出て行こうとすると暗殺者を向けられ、殺される。
この子供もこの里で暮らすって言うなら暗殺者になるしか道はない。
「カイルはやさしいな。でも私が拾ったから面倒は見ないとね。どうせ私が拾わなかったら死んでいたと思うし、暗殺者になることは割り切ってもらわなきゃね」
「今なら遅くない。どこかに捨ててこい。このガキには無理だ」
カイルは目を細め、吐き捨てるように告げる。
ハリーは本気で反対されると思っていなかったのか、子供の頭をなでる手を止める。
だが、動きが止まったのは数秒。
ハリーは笑みを浮かべたまま、カイルに目を向ける。
「カイル、これは長としての判断だ。この子には才能がある。私よりもね。こんな逸材逃すわけないよ」
ハリーの瞳は笑ってはいなかった。その笑みのない瞳はカイルの背中をゾワッとさせた。
「……分かったよ。俺からはもう何も言わないさ」
あきれを混ぜながらカイルは肩をすくめた。そして、子供の名を問う。
「そういえば名前は分かるのか?」
「この子記憶は失っているけど、名前だけは忘れてなかったみたいだよ。リンって言うんだって」
ハリーは後ろにいるリンの肩をつかみ、カイルに姿を見せるように前に出す。
「リンって言います。よろしくお願いします」
リンは自分のズボンをつかみながら小さな声で言う。
(記憶もなく知らない人の前にいる。怖いのは当然だ。それに俺はナイフを携帯している。怖くないというのがおかしいのだろう)
「よろしくな。まあ、頑張れよ」
カイルは頭をかきながら苦笑いを浮かべた。
(子供は苦手なんだがな)
「じゃあ、これから私はこの子に暗殺の技術を教えるから。ここの片付け、よろしくねカイル」
「はぁぁぁぁ、マジ勘弁しろし。絶対狙ってここに呼び出しただろ」
ハリーに逆らうとろくな目に合わないことが分かっているカイルは不満を持ちながらも大人しくここの片付けを始めた。
これが後にリンの義父と義叔父になる二人との出会いだった。
◆◇◆◇
あれから三年の月日が経過した。
リンは三年の間で朝の日課となった、ハリーとの稽古をしていた。
「リンはどこか不思議な子だね」
ハリーの投げるナイフは的確であり確実に相手を仕留める一撃。その一撃を倒れているリンに向けて容赦なく投げつける。
リンは焦りもせず、飄々とした顔でナイフを横から叩き、軌道を変える。
横から叩き落とす反射速度とすぐに反撃ができる身体能力。本当に人間離れしているとハリーは常々思っている。
「人殺すことに特化しているけど、人を殺すときに躊躇している。でもその躊躇すらハンデになりえない。それに、躊躇している割には息を吸うことと同じように人を殺すことが当たり前のように思っている節がある」
ハリーに図星をつかれたリンは動揺し、動きを鈍らせる。しかしすぐに平然を装い、飛んできたナイフを掴み、反撃とばかりに投げつけた。
「仕事はきちんとこなしているので見逃してくれませんか?」
ハリーはそんなリンに苦笑する。
「いいよ。仕事をきちんとこなしている内はね。でも一つ、リンに忠告しておくよ。いずれそれは自分を殺すことになる。心が先か本当の死が先かまでは分からないけどね」
「忠告、ありがとうございます。心にとどめておきます」
ここぞとばかりにリンはハリーに上段蹴りをお見舞いする。しかしハリーは腕で蹴りを防御する。
「そういえば、私のせんべいどこにあるのか知りませんか?」
リンはせんべいというワードに反応し、肩をビクッと揺らす。そして、冷や汗を流しながら、黙り込んだ。
心当たりがあったからだ。
そう、それは昨夜のこと。
任務終わりに空腹になったリンはキッチンへと向かい、何か腹を満たすものを探していた。
流石に朝食の食材などを食べるわけにはいかなかったのでおやつで我慢しようと、たまたま机においてあったせんべいに手を伸ばしていると、カイルがキッチンへと入ってきた。
カイルも腹を空かせていたようで一緒にせんべいをかじったのだ。
ハリーの大好物のせんべいだが、こんなに量があるなら数枚食べてもバレないだろうとカイルと笑いながら話していたのだが……。
この様子だとバレている。
「まあ、リンのことだからカイルに進められて断れなく食べてしまったんだろ? 今回は見逃してあげるよ。カイルは後でお仕置きするけどね」
本当はリンが先に食べていたし、カイルを食べようと誘ったのだが、どうやらハリーは勘違いしているようである。
(あとでカイルに詫びの品を持っていこう)
怒ったハリーはかなり怖い。だからこそ怒られないで済むのならリンはその手段を迷うことなく選択する。
「今日の日課はここまでにしとこうか。朝食に行こう」
「はい」
キッチンへ到着すると、美味しそうな匂いが嗅覚を刺激した。
二人より先にキッチンに来ていたカイルが朝食の準備をしていたようである。
「お、リン、稽古終わったのか。いつも大変だな。ハリーと稽古だなんて」
皿を並べていたカイルが二人に気づき、視線を向ける。
「それ、どういう意味ですか? カイル?」
ハリーはカイルに笑みを向け、冷気を放つ。せんべいを食べられた恨みもあるのだろう。いつもより冷気が強い。カイルもそれに気づいたようで、
「何でもないです」
逃げるようにキッチンの奥へと向かう。
リンもカイルの後を追うようにして、
「カイル、俺も手伝う」
駆け込んだ。
「本当に二人とも私をなんだと思っているのか。―――今、誰か見ていましたね。家族の中を覗くなんて無粋な真似を。少しお仕置きが必要ですかね」
そう呟いたハリーはキッチンの外へと向かった。
「本当にリンは料理うまくなったよな。最初の頃なんてまな板まで切ったりして――」
「昔のことはいいだろ!!」
失敗談を出されたリンは羞恥にみまわれ、顔を真っ赤に染め上げた。カイルはそんなリンを微笑ましく思いながら、話題を変える。
「最近、どうだ? 人を殺すことになれたか。――いや、違うか。血はもう大丈夫なのか?」
リンは人を殺すとき血が吹き出すのを最小限に抑えようとしている。だから毒殺するのがリンの暗殺スタイルになっている。リンの身体能力を見ると一撃でやった方が速いのだが……
「今でも血は極力見たくない。怖いって訳じゃないが……。ただ血を見ると頭が痛くなる」
時間をかけて殺すと言うことは自分の命が危険にさらされやすくなる。そんなことはリンも十分承知していた。でも血になれるのは今のリンには無理そうだった。
「食事前にする話じゃなかったな。本当に俺は空気を読むのが下手らしい」
「今に始まったことじゃないだろ」
「こいつ、言うようになったな」
カイルがリンの頭をなでまくり、リンの頭をボサボサへと変える。
キッチンに二人の笑い声が響き渡った。
「君は妖精――いや、吸血鬼ですか。ここに何のようですか?」
ハリーはキッチンから離れて小屋の方へ向かって行く妖精にナイフを投げつけた。ずっと笑みを浮かばしたまま。
妖精はそのナイフを難なくかわすと怒気をぶつけた。
「いきなり、ナイフを投げることないでしょ!!」
「覗き見なんてするからですよ。――もしかしてこれがいわゆる変質者というものですか」
はっとした表情をしながら、ハリーは手をポンと置く。
「妖精に向かって変質者も何もないでしょ!! 妖精は気ままにどこにでも行くんだから! ――そんなことよりも、吸血鬼の心臓私に渡して。あとリンに暗殺業をこれ以上やらせないで」
妖精はそんなハリーにペースを乱されながらもすぐに冷静さを取り戻す。
「吸血鬼風情が何を言っているんですか? そもそも私があなたのお願いを聞く必要もないですよね?」
何を言っているのかこのバカはといった様子でハリーは至極まっとうに答える。
妖精はその態度に体をプルプルと震わせながらも、息を吐くことで、怒りを鎮めた。
「これはお願いではなく命令よ。聞かないっていうなら無理矢理ことを運ぶだけよ」
ハリーは考えていた。この妖精とも吸血鬼とも言えないような半端者。それにリンを知っている。そこから導き出されるのは――
「命令ですか……。それは君がラナンシーでリンにとりつきたいから。そのために命令を遂行させたい、違いますか?」
ラナンシーと呼ばれた妖精は内心驚きながらも、余裕そうな笑みを向ける。
「そうだと言えば? そもそもすでに私はリンにとりついているわよ」
「今、とりついていると言いましたか?」
ハリーは頭を抱えたくなった。
リンは何をしているのか。いや、今のリンからは考えられない。つまり、記憶を失う前か、と結論を出す。
「そう言ってるでしょ?」
「それ、私に代えてくれませんか?」
ハリーと妖精の戦闘力の差はハリーの方が上。でも仲間がいるかもしれない以上、戦いで決着をつけるわけにもいかない。
この里の長として、ハリーは己より若く才能あふれた者を破滅に向かわせる訳にはいかなかった。
本音を言えば家族も同然のリンを見捨てられなかった。
「突然何を言い出すのかと思えばそんなお願い聞くわけないでしょう?」
「命令を無条件で聞くと言っても?」
妖精の目が見開く。
悪い条件ではない。リンにとりつくのはやめられないが一時的なら悪くない。それに暗示をかけ直しやすい。そうなればリンが少しでも長く人間として生きられる確率が上がる。
そう思った妖精は、
「いいわ。その代わりあなたには私と同じ吸血鬼になってもらう。支配下に置いておかないと心配だから」
「いいでしょう」
条件付きで交渉を受け入れる。ハリーもその内容に異を唱えなかった。
「じゃあいくわよ」
妖精はハリーの首元に牙を突き立てた。そして妖精が血を吸い終わるとハリーは胸を強く掴み、苦しみだした。
「後でまた血を吸いにくるわ。それだけでは完全に吸血鬼にはならないから。せいぜいその苦しみに身を任せるのね。早く吸血鬼になりたかったら」
そう言い残すと妖精はどこかへ姿を消してしまった。
それをたまたま途中から見ていた者がいた。ハリーを呼びに来たカイルである。
「兄貴が吸血鬼に……。このままじゃこの里は壊滅だ。そうなる前に……」
カイルはそう呟くと倒れているハリーの元へ走り出した。
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