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3章
第8話 初歩的な勘違い
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やけに重い足と手が逸るが、目の前に来た時、緊張で手を伸ばすことができなかった。
こんな感覚、久しぶりだ。
「……」
ふと感じた視線に振り返れば、アレックスが呆れたように、躊躇なく部屋を区切る布を捲った。
「具合はどうですか?」
「おかゆが恋しいです」
いつもと変わらない様子で、ベッドに座り、液体状の何かをスプーンで掬っては睨みあっている日下部と、その様子を苦笑いで見守るカイニス。
望んでいた光景に胸を撫で下ろせば、カイニスはこちらを見て、少し眉を下げた。
「エリちゃん、起きたんだね」
「何日か寝てたんだってね。びっくり」
「そのまま返すよ。もう脊髄反射みたいな行動やめて。マジで」
逸る足を抑えて、意識的にゆっくり歩き、ベッドに座る。
ブギーマンは倒した。だから、呪いは解ける。だが、日下部が目を覚ますかは、別の話だった。すでに呪いが進行して、目が覚めない可能性もあったし、死んでいる可能性だってあった。
だが、彼女は変わらず目を開け、食事をしている。
「でも、長くならなくてよかったっすよ。まともな設備もない状況で、食事を取れない人間を介抱するのは限界がありますから」
「点滴とかないしね。ここで注射出されても、絶対打ちたくない」
水こそ飲ませることはできても、食事となれば難しい。
3日程度であれば、食事をしなくても生きることはできるし、旅団に比べて飽食とも言える日下部たちは、旅団で暮らす人間に比べてすぐに飢餓状態になることはない。
おかげで、無事に目を覚ますことができた。
今は、久々の食事で消化管に負担をかけないように、消化に良いもので体の調子を戻しているところだった。
「ちょうどアラウネがあってよかったですよ。滋養強壮には、やはりアラウネがいいですから」
「ここって、結構アラウネっているの? 外じゃ、珍しいんでしょ?」
「わりといる方だとは思いますよ。ただ、エリサさんは遭遇し過ぎだと思いますけど」
「え゛っ」
驚いているが、おそらくアレックスが使ったであろうアラウネの顔は、大きく抉れていたことだろう。以前、日下部が遭遇したものを、クレアを経由して医者に渡されただけだ。
アラウネをすりおろしと、ふやかし崩したビスケットを、大量の湯で薄めた粉汁。味など二の次で、決してうまいものではないが、普段はアラウネなんて高級品が入るわけもなく、随分贅沢でまともな味になっていることが想像できるが、当人は微妙な顔でそれを掬って、じっと見つめている。
「元が元なだけに、理解はするよ? 麦そのものがないから麦粥が存在しないことも、炭水化物は空から届く加工品のみで消化しやすく加工するには、こうなることは理解してるんだけどさ」
文句を垂れる日下部に、なにかと目をやれば、動いてはいないが虫がいた。しかも、掬い直してもほぼ確実に顔を出している。
「それ食えたら、普通に飯食えるようになりますよ」
「せめて、もう少し原型が……ゆでな上、他がほぼ存在しないから、結構悪目立ちしていらっしゃいますよ?」
「そうっすね」
見つめ合うひとりと一匹に、カイニスが力業で口に運ばせる。
やはり苦手なのではないかと、微妙な顔をしながら噛み砕いている日下部に、クレアも小さく笑う。
「素直に虫が苦手っていえば、僕が抜いてあげるよ?」
「単純に冷凍してるからアニサキスもミミズも死んでるよって言われて、はい。そうですか。って、大量に口の中に突っ込みたい? って話。しかも原型のまま」
しかし、器を渡してくる日下部に、クレアはへらりと笑うと、スプーンで虫を掬い集めていく。
「はい。あーん」
「ですよねークーちゃん性格わるーい。食べていいよ。一番味がするよ。オススメ」
「オススメならエリちゃん食べなよ」
スプーンを握った手を握り拒否される。
「食べ物で遊ばないでください」
アレックスの圧のある笑みに、示し合わせたようにすぐさま手を引く様子に、アレックスはため息をつくしかなかった。
「――ん。じゃあ、私が行けばいい?」
食事を終え、呪いを掛けられた日下部が目覚めたということは、ブギーマンに何かしらが起きたことを意味することを説明すれば、彼女は即答した。
アレックスも医者も驚いたように目を丸くするが、その様子に慌てだすのは日下部本人だった。
「え、だ、ダメだった? それが一番簡単、だ、よ、ね……?」
助けを求めるようにカイニスへ目をやれば、少し悩んだ後、頷いた。
「エリサさんが起きてるってことは、ブギーマンが何かしらの理由でこの迷宮からいなくなったか、死んだかのどれかだとは思います。一応、ほぼないですけど、呪いが単純に解けただけって可能性もありますが」
最後の場合は、未だにブギーマンが地下にいることになるが、この場にいるメンバーでは解呪ができないため、ありえないと思っていい。
自然に考えれば、ブギーマンがいない可能性が最も高い。そして、それを確実に調べるならば、現状最もブギーマンから怒りを買っている日下部が、ブギーマンのテリトリーへ侵入することだ。もし、未だに3階層に居座っているなら、襲わないことはない。
つまり、自分を餌にした作戦。
「あの別動隊が食われて、倒したって可能性が一番有力だし。もしくは、食べて満足したか。それなら、早く行って倒さないともったいないね」
そう言って、日下部はベッドから降りた。
*****
今回の作戦は、時間が勝負の調査。
餌である日下部を含めて、クレア、カイニスの三人で急ぎ足でブギーマンがいた場所まで向かう。
「……」
入口付近に散乱しているまだ使えそうな松明に、まだ新しい血の跡の残る通路。
ブギーマンがいるなら、すでに襲い掛かってきているであろう深さまで来ても、魔物は襲ってきても、ブギーマンやアンデッドは襲ってこない。
日下部にはブギーマンがいなくなったか、別動隊が食われたかだと伝えたものの、ありえないことだ。アンデッドの執着はその程度ではない。それは、あの場にいたアレックスも気が付いていただろう。
『本当の事、言わなくていいんですか』
乾かしていた日下部の服を持って行った時、かつての同僚を餌にすることは聞いていた。同じ世界の同僚で、歳も近い女。しびれを切らし始めたブギーマンが襲わない理由はなかった。
襲って食らって、その後、本命を狙う。
日下部が目覚めたことで、作戦が成功したことは理解したが、戻って来ない服にひとりで戻ってきたクレアに、石ノ森がどうなったかは、推し量ることしかできなかった。
『別に言ってもいいんだけどな。たぶん、気づくだろうし。でも、俺の背負うものだ』
石ノ森のことで責めることはしないだろう。元々仲もいいわけではなかったようだし。
むしろ、気になるのは、クレアの方だ。案外、日下部は、自分のために誰かが何かをすることに敏感だ。裏を返せば、そこは日下部にとって触れられたくない部分でもあるのだろう。
「……ん? なんすか?」
ふと袖を引かれ振り返れば、日下部が脇道を指さす。
「なんか変な感じするんだけど、照らしていい?」
「あ、はい」
ブギーマンはいない。しかし、脇道の影は確かに通路に飛び出ていて、何かある。大型の魔物にしては気配がない。通路が崩れているか、何かの死体か。警戒しながら、照らされる影を見れば、壁だった。
「壁……?」
地下迷宮の壁とは違う。土が盛り上がったような壁だ。
近づいて叩いてみれば、乾いた粘度のような音が鳴った。
「蛹みたいにくっついてるね」
自分たちよりも背の低い土の蛹を観察していていれば、それは突然ひび割れて、隙間から目が除く。
「ん!? おぉ!! カイニスの坊主じゃねェか!」
「へ……?」
ガラガラと音を立てて、蛹の中から現れたのは、自分よりも小さいながらも逞しい手足を持つドワーフと、月夜のような黒髪と赤い目を持つ少女だった。
「クルップさん!? それにルーチェ!?」
冒険者時代の知り合いだった。
「――って、あ゛、あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛…………」
「うわ……どうした。カイニス。落ち着いて? めっちゃ怖いから」
珍しく目を白黒させている日下部は、突然顔を覆ったカイニスとふたりを交互に見やりながら、クレアに助けを求めるように視線をやった。
「このふたりが、例の調査班? 女の子いるし」
「みたいね」
「男」
「え?」
「男、そいつ」
ようやく聞こえた単語に、日下部がドワーフのクルップを指させば、首を横に振られ、ルーチェの方を指される。
一度、ルーチェの方を頭のてっぺんから足先まで確認し、少し離れたり近づいたりして距離を変えて観察していると、困った顔でルーチェは日下部の腕を引くと、三人から少し離れ、パンツを捲って見せた。
こんな感覚、久しぶりだ。
「……」
ふと感じた視線に振り返れば、アレックスが呆れたように、躊躇なく部屋を区切る布を捲った。
「具合はどうですか?」
「おかゆが恋しいです」
いつもと変わらない様子で、ベッドに座り、液体状の何かをスプーンで掬っては睨みあっている日下部と、その様子を苦笑いで見守るカイニス。
望んでいた光景に胸を撫で下ろせば、カイニスはこちらを見て、少し眉を下げた。
「エリちゃん、起きたんだね」
「何日か寝てたんだってね。びっくり」
「そのまま返すよ。もう脊髄反射みたいな行動やめて。マジで」
逸る足を抑えて、意識的にゆっくり歩き、ベッドに座る。
ブギーマンは倒した。だから、呪いは解ける。だが、日下部が目を覚ますかは、別の話だった。すでに呪いが進行して、目が覚めない可能性もあったし、死んでいる可能性だってあった。
だが、彼女は変わらず目を開け、食事をしている。
「でも、長くならなくてよかったっすよ。まともな設備もない状況で、食事を取れない人間を介抱するのは限界がありますから」
「点滴とかないしね。ここで注射出されても、絶対打ちたくない」
水こそ飲ませることはできても、食事となれば難しい。
3日程度であれば、食事をしなくても生きることはできるし、旅団に比べて飽食とも言える日下部たちは、旅団で暮らす人間に比べてすぐに飢餓状態になることはない。
おかげで、無事に目を覚ますことができた。
今は、久々の食事で消化管に負担をかけないように、消化に良いもので体の調子を戻しているところだった。
「ちょうどアラウネがあってよかったですよ。滋養強壮には、やはりアラウネがいいですから」
「ここって、結構アラウネっているの? 外じゃ、珍しいんでしょ?」
「わりといる方だとは思いますよ。ただ、エリサさんは遭遇し過ぎだと思いますけど」
「え゛っ」
驚いているが、おそらくアレックスが使ったであろうアラウネの顔は、大きく抉れていたことだろう。以前、日下部が遭遇したものを、クレアを経由して医者に渡されただけだ。
アラウネをすりおろしと、ふやかし崩したビスケットを、大量の湯で薄めた粉汁。味など二の次で、決してうまいものではないが、普段はアラウネなんて高級品が入るわけもなく、随分贅沢でまともな味になっていることが想像できるが、当人は微妙な顔でそれを掬って、じっと見つめている。
「元が元なだけに、理解はするよ? 麦そのものがないから麦粥が存在しないことも、炭水化物は空から届く加工品のみで消化しやすく加工するには、こうなることは理解してるんだけどさ」
文句を垂れる日下部に、なにかと目をやれば、動いてはいないが虫がいた。しかも、掬い直してもほぼ確実に顔を出している。
「それ食えたら、普通に飯食えるようになりますよ」
「せめて、もう少し原型が……ゆでな上、他がほぼ存在しないから、結構悪目立ちしていらっしゃいますよ?」
「そうっすね」
見つめ合うひとりと一匹に、カイニスが力業で口に運ばせる。
やはり苦手なのではないかと、微妙な顔をしながら噛み砕いている日下部に、クレアも小さく笑う。
「素直に虫が苦手っていえば、僕が抜いてあげるよ?」
「単純に冷凍してるからアニサキスもミミズも死んでるよって言われて、はい。そうですか。って、大量に口の中に突っ込みたい? って話。しかも原型のまま」
しかし、器を渡してくる日下部に、クレアはへらりと笑うと、スプーンで虫を掬い集めていく。
「はい。あーん」
「ですよねークーちゃん性格わるーい。食べていいよ。一番味がするよ。オススメ」
「オススメならエリちゃん食べなよ」
スプーンを握った手を握り拒否される。
「食べ物で遊ばないでください」
アレックスの圧のある笑みに、示し合わせたようにすぐさま手を引く様子に、アレックスはため息をつくしかなかった。
「――ん。じゃあ、私が行けばいい?」
食事を終え、呪いを掛けられた日下部が目覚めたということは、ブギーマンに何かしらが起きたことを意味することを説明すれば、彼女は即答した。
アレックスも医者も驚いたように目を丸くするが、その様子に慌てだすのは日下部本人だった。
「え、だ、ダメだった? それが一番簡単、だ、よ、ね……?」
助けを求めるようにカイニスへ目をやれば、少し悩んだ後、頷いた。
「エリサさんが起きてるってことは、ブギーマンが何かしらの理由でこの迷宮からいなくなったか、死んだかのどれかだとは思います。一応、ほぼないですけど、呪いが単純に解けただけって可能性もありますが」
最後の場合は、未だにブギーマンが地下にいることになるが、この場にいるメンバーでは解呪ができないため、ありえないと思っていい。
自然に考えれば、ブギーマンがいない可能性が最も高い。そして、それを確実に調べるならば、現状最もブギーマンから怒りを買っている日下部が、ブギーマンのテリトリーへ侵入することだ。もし、未だに3階層に居座っているなら、襲わないことはない。
つまり、自分を餌にした作戦。
「あの別動隊が食われて、倒したって可能性が一番有力だし。もしくは、食べて満足したか。それなら、早く行って倒さないともったいないね」
そう言って、日下部はベッドから降りた。
*****
今回の作戦は、時間が勝負の調査。
餌である日下部を含めて、クレア、カイニスの三人で急ぎ足でブギーマンがいた場所まで向かう。
「……」
入口付近に散乱しているまだ使えそうな松明に、まだ新しい血の跡の残る通路。
ブギーマンがいるなら、すでに襲い掛かってきているであろう深さまで来ても、魔物は襲ってきても、ブギーマンやアンデッドは襲ってこない。
日下部にはブギーマンがいなくなったか、別動隊が食われたかだと伝えたものの、ありえないことだ。アンデッドの執着はその程度ではない。それは、あの場にいたアレックスも気が付いていただろう。
『本当の事、言わなくていいんですか』
乾かしていた日下部の服を持って行った時、かつての同僚を餌にすることは聞いていた。同じ世界の同僚で、歳も近い女。しびれを切らし始めたブギーマンが襲わない理由はなかった。
襲って食らって、その後、本命を狙う。
日下部が目覚めたことで、作戦が成功したことは理解したが、戻って来ない服にひとりで戻ってきたクレアに、石ノ森がどうなったかは、推し量ることしかできなかった。
『別に言ってもいいんだけどな。たぶん、気づくだろうし。でも、俺の背負うものだ』
石ノ森のことで責めることはしないだろう。元々仲もいいわけではなかったようだし。
むしろ、気になるのは、クレアの方だ。案外、日下部は、自分のために誰かが何かをすることに敏感だ。裏を返せば、そこは日下部にとって触れられたくない部分でもあるのだろう。
「……ん? なんすか?」
ふと袖を引かれ振り返れば、日下部が脇道を指さす。
「なんか変な感じするんだけど、照らしていい?」
「あ、はい」
ブギーマンはいない。しかし、脇道の影は確かに通路に飛び出ていて、何かある。大型の魔物にしては気配がない。通路が崩れているか、何かの死体か。警戒しながら、照らされる影を見れば、壁だった。
「壁……?」
地下迷宮の壁とは違う。土が盛り上がったような壁だ。
近づいて叩いてみれば、乾いた粘度のような音が鳴った。
「蛹みたいにくっついてるね」
自分たちよりも背の低い土の蛹を観察していていれば、それは突然ひび割れて、隙間から目が除く。
「ん!? おぉ!! カイニスの坊主じゃねェか!」
「へ……?」
ガラガラと音を立てて、蛹の中から現れたのは、自分よりも小さいながらも逞しい手足を持つドワーフと、月夜のような黒髪と赤い目を持つ少女だった。
「クルップさん!? それにルーチェ!?」
冒険者時代の知り合いだった。
「――って、あ゛、あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛…………」
「うわ……どうした。カイニス。落ち着いて? めっちゃ怖いから」
珍しく目を白黒させている日下部は、突然顔を覆ったカイニスとふたりを交互に見やりながら、クレアに助けを求めるように視線をやった。
「このふたりが、例の調査班? 女の子いるし」
「みたいね」
「男」
「え?」
「男、そいつ」
ようやく聞こえた単語に、日下部がドワーフのクルップを指させば、首を横に振られ、ルーチェの方を指される。
一度、ルーチェの方を頭のてっぺんから足先まで確認し、少し離れたり近づいたりして距離を変えて観察していると、困った顔でルーチェは日下部の腕を引くと、三人から少し離れ、パンツを捲って見せた。
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