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ヴェノリュシオン部隊
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甘い芳香な香りを発する、赤く艶やかな小さな果実。
「これ、いけると思う?」
「お前が食っていけるなら」
「それ、お前でもいいじゃん」
とあるバイオ兵器研究所の事故により、凶悪ウイルスが撒かれたことで、地球上の生態系はたちまち崩れ去った。
動物、植物関係なく、遺伝子を組み替えるそのウイルスの猛威は数十年経った今、衰えることはなく、新種の発見は珍しいことではなくなった。
無害であればいいが、有害なものへの変異も多く、見たことのない動植物はまず触らないのが基本だ。
「うーん……香り、めっちゃ良し」
だが、生きていくためには、誰かが無害か、有害かを確認しなければいけない。
見たことのない動植物が危険かどうかを見極める、それが彼らの仕事であった。
鼻を近づければ、より感じるとても甘い香り。柔らかく張りのある感触。薄い皮は、爪を入れれば簡単に破れてしまいそうだ。
「……そこ、鳥が啄んだ痕がある」
赤い果実のなる木の一部に、鳥が啄んだ痕がある枝があった。
周囲に目をやるが、鳥の死体は見当たらない。
「どっちに賭ける?」
食べられるか、食べられないか。
お互い別のところを見つめながら、出した答えは同じだった。
「「毒」」
お互いの勘が、食べてはいけないと警笛を鳴らしていた。
動物が、無暗に目の前のものを食べて、死滅しないのと同じ。何かが、これには手を出すなと警笛を鳴らしている。
ちょうどその時、草むらをかき分けて出てきた仲間の一人。
「G、ちょうどいいとこに。はい、あーん」
「あー……?」
Gと呼ばれた男は、放り投げられた赤い果実に、躊躇なく口を開き、噛み砕いた。
「甘いし、瑞々しいし、めっちゃうまい! けど、毒だよ。これ。俺でもちょっと痺れる」
「え、マジで? ちょーウケる」
毒に強いGですら、痺れる毒など、中々あるものではない。
珍しいと笑いながら、次々と果実を瓶にいくつも詰めていくT。
「もっと食ってもいいぜ?」
「いらねーよ! ま、まぁ、あとひとつくらい食べたいくらいには、うまいけど……」
からかう言葉に、Gは食い気味に否定するが、そっと視線を逸らし漏らす言葉に、ふたりは少し驚いたように目を丸くして、細めた。
「さすが、悪食野郎」
「はぁ!?」
班の中で、最も毒に耐性があるGは、毒の有無がわからない動植物の毒味役だ。おかげで、ついたあだ名は"悪食"。
この仕事に置いて、毒味が重要な仕事であることを理解した上で、からかってくるのだから、この2人は相当性格が悪い。
子供のような言い争いをしている2人から、Sは少し距離を取りながら、サンプルを瓶に詰めているTの手元を見て、眉を顰めた。
「ところで、どうしてサンプルが2瓶あるんだ?」
サンプルは、1瓶で十分だ。だが、Tの腰につけられた採取用の小瓶の内、2瓶に例の赤い果実が入っている。
Gと共に行動していたSは、一応確認すれば、Tは何でも無さそうに答えた。
「え、僕のコレクションだけど?」
想定通りの答えに、Sは少し長いため息をつくと、考えるのをやめた。
「というか、Pは? 今日、Tの番だよな?」
Oといつものように言い争いをしていたGは、ふと辺りを見渡すと、姿の見えないもうひとりについて尋ねる。
Pは、この特殊な体質ばかりのメンバーの中でも、特に特殊な体質で、常に誰かに文字通り手綱を握られている。今日は、Tの担当だったはずだ。
「Sに渡したよ」
「は? 受け取ってないが」
今日はT・O、G・Sのペアに別れて行動していたため、もし、Tの言葉が本当ならば、探索を始めたところから、誰も手綱を握っていないことになる。
「……あれ?」
死んでいることはないだろうが、大問題だった。
「はぁぁぁああ!?」
Gの絶叫が、周囲の木々に止まっていた鳥を飛び立たせた。
*****
目の前の白く輝くそれに、牧野は固唾を飲み、持ってきた部下へ尋ねる。
「おいおい……これってまさか……」
「原種の米で作ったおにぎりです」
” 原種 ”
この遺伝子が組み変わり続ける時代において、その言葉が持つ意味は大きい。
動物も植物も、ウイルスによって次々と形を変える中、どうにか厳重に管理された農園へ逃がすことができた植物たち。
徹底管理された環境下でしか、育てることのできない原種は、今ではまずお目に掛かれない品だ。
「本当にもらっていいのか?」
要は、とんでもない高級品である。
「少尉から、曹長には是非と。ただ、数は確保できないので、こっそり食べてください」
40歳を過ぎた身でありながら、ついガッツポーズをしてしまう。
炊き立てでないのは残念だが、原種というだけで、温度など些細なことだ。部下の好意に甘え、おにぎりにかぶりつく。
「やっぱ、原種うめぇなぁ……!」
「それはよかった。自分は記憶がありませんが、パンデミックが起きる以前は、普段から食べられていたのでしょう?」
「あの時は当たり前すぎて、質より量だったからな。正直、味わってなかった」
約30年前に起きた、とある国のバイオ兵器研究所の事故。
まだ幼かった子供ゆえに、ニュースなど全く興味を持っていなかったが、例え持っていたとしてもその事故について知ることになるのは、約1年後だった。
国が隠し、異変に気が付いたのは、周辺諸国であり、その時には、既に手遅れとなっていた。
ウイルスは世界中にバラ撒かれ、生態系は崩れ去った。
人間も例外ではなかったが、ウイルスの入ることのできない空間を作り上げ、ワクチンなどの抗ウイルス薬を開発したおかげで、この世界で元の形のまま生き残ることに成功した。
全てが全て、以前と同じというわけにはいかないが、とりわけ食事に関しては大きく変わった。
かつて、当たり前で、ただひたすらにかき込んでいた懐かしい味を、牧田はしっかりと噛みしめる。
「……飯くらい静かに食わせてほしいな……ホント……」
遠くで大量の鳥が飛び立つ。
「まったくです」
居住区に近いこの地区には、食用になり、かつ性格が穏やかな種のみを飼育している。
牧野を始めとした軍人の居住区も存在するため、捕獲や飼育に問題のある狂暴な種はいないはずだが、大量の鳥の飛び立つ様子は異常事態が発生した証拠だ。
巡回しながら警備に当たっている部下に、原因を確認するよう無線で指示する様子に、牧野は最後の一口を飲み込むと、苦笑を浮かべた。
「うちのだったら、すまんな」
「ヴェノリュシオン部隊ですか」
牧野率いるヴェノリュシオン部隊は、軍内部でも特殊な部隊であり、大量の鳥を飛び立たせる程度のいざこざは自らの部隊内で起こしかねない。
というより、その前科は多く、今回もその確率が高い。
「まぁ、彼らが原因であれば…………」
いつものことだと、言いかけた部下の言葉が途切れる。
「え゛、なに? 何かあった?」
不自然に途切れた言葉に、牧野が何かあったかと慌てるが、首を横に振られた。
「いえ、ちょうど新人が配属されたばかりでして、彼らのことを知らない部下が妙なことをしないかと……」
ヴェノリュシオン部隊は、軍内部でも特殊な立場であり、存在を知らない者も多い。
基本的に、居住区の外にいる人間は、自分たちと同じ軍関係者か、壁内で行えない危険な実験を行う研究者たち、各居住区同士の連絡係でもある物流関係者であり、それ以外は違法行為を行っている犯罪者と言っても過言ではない。
特に、ヴェノリュシオン部隊は、居住区の外にいるには全体的に年齢が若く、好戦的な隊員が多い。威圧的な態度で声をかけられたなら、確実に流血沙汰になる程度には、好戦的だ。
「…………まぁ、あいつらにはちゃんと言い聞かせてるから、会話さえしてくれれば…………たぶん、だといいなぁ……」
何度も同じ制服を着ている軍人に攻撃をするなと伝えている。伝えては、いる。
同じ人間だ。会話さえできれば、争いはそうそう起きないと信じたいが、前例が多い。しかも、ほとんど反省していない。
「「……」」
新人たちも、慣れない管理されていない警備で気が立っているだろうし、そこに現れる聞いたこともない異様な部隊。
犯罪者に下から行く軍人はいない。舐められないように、大きな態度を取るだろう。銃も構えるかもしれない。
そうなれば、ヴェノリュシオン部隊は確実に牙を向く。
容易に想像でき過ぎる光景に、ふたりはそっと目を逸らした。
連絡のあったポイントへ向かえば、近づくほどに足に伝わってくる地響きが、先程の連絡が杞憂ではないことを証明していた。
「なんだよ。お前ビビってんのか?」
「セーフ1区だぞ。ヤベー奴がいるわけないだろ」
人が住む居住区は、地面から天井まで全てをコンクリートなどで囲み、空気すらフィルターを通さなければ、中に入ることができない。
それを日本中に作れるならばよかったが、資源は無限にあるわけではなく、人々を守り、突然変異種を排除するためのフィルターは、段階的に減らされていく。
居住区を中心として、段階的にフィルターを減らされた区画が広がっている。
セーフ1区は、居住区のひとつ外の区画であり、空まで囲まれた居住区を除き、最も安全な場所であった。
セーフ1区に放たれる条件は、温厚な変異種であることに加えて、食すことのできる生物であること。
そのため、稀に起きる、今回のように暴れている生物というのは、ほとんどが縄張り争いかメスの取り合いだ。生物としての当たり前の行為であれば、施設などの破壊をしないかだけを見守ることになる。
「でも、小型生物や鳥類は入り込むことはできます。感染源は存在します」
新人の中でも、銃を強く握りしめ、緊張した様子のひとりは、座学で習ったことを口にするが、同期たちは呆れた様子で顔を明後日の方向へ逸らせた。
セーフ区画は壁で囲まれているし、天井には大型生物を避けるためのワイヤーが張られている。だが、鳥類は入ることはできるし、ネズミ程度のサイズであれば、広大な壁の崩れた穴から潜り込むことはできる。
変異種が入り込むスペースがあれば、そこから感染は広がり、容易に生物は変異していく。
「どうせ、メスの取り合いだよ」
「そうそう」
緊張している新人に、上官たちも安心させるように話すが、新人は周囲を警戒するように視線を逸らせば、木々の間から見えた飛んでいく人の姿。
「ひ、と……?」
「「は?」」
一瞬だったが、確かに人だった。何かに吹き飛ばされたように、空を飛んでいた。
「人が! 人が空に……!!」
「お前、冗談でもそういうのはやめとけって。さすがに――」
多少の冗談は構わないが、必要以上に周りを困惑させ、恐怖させる発言に、注意しようとすれば、前方の木々が薙ぎ倒される音。
まだ遠いが、確かに巨大な何かが暴れている。
本来、この区画にいるような生物ではない、巨大な何か。
「変異種だ! 総員、構え――」
折れた木が横を掠めていく。
セーフ区画ではまず感じない恐怖に、新人たちはすでにパニック状態に陥りかけていた。
「落ち着け!! まだ距離がある! 向こうもこちらを認識したわけではない! 距離を保ちつつ、変異種の確認及び迎撃を行う!」
いくら変異種とはいえ、遠目に見える姿からして、銃の射程には勝てない。
遮蔽物の多い森であることは、銃火器を使う自分たちにもデメリットではあるが、肉体の性能が大きく違う変異種との距離を保つには、メリットになる。
変異種と交戦している部隊の無線を聞きながら、バイクを走らせる。
どうやら、ヴェノリュシオン部隊が暴れているわけではなく、突然変異種が現れたようだ。
セーフ区画でも、時々起きることではあるが、1区のため、対処が遅れれば居住区への危険が及ぶ。
『居住区から離すように誘導しろ!』
『無理です!! こちらを認識はしていますが、追ってくる様子はありません!』
幸い居住区に向かっているわけでもなければ、至近距離というわけでもない。銃火器を使っても、居住区の壁が巻き込まれることはない。爆弾などは使えないが、それでも近づけば近づくほど、銃が使えるのは助かる。
変異種と直接殴り合えるなど、ヴェノリュシオン部隊くらいなものだ。
そのヴェノリュシオン部隊にも、急いで向かうように伝えているが、いくら彼らの足とはいえ、少し時間はかかる。
「アレか」
木々の隙間から、暴れているという変異種が見えた。
「……デカいな」
原型は猿だろうか。体全体が大きく膨らみ、いくつかはこぶのように出ている。
威嚇なのか、絶叫のような叫びを上げながら、がむしゃらに暴れている様子に、先に駆けつけていた部隊も手を出せていないようだ。確かにアレでは誘導などできそうにない。
双眼鏡を下しながら、どうしたものかと考える牧野の視界に現れた細い腕。
「――――」
「牧野」
その腕は、牧野の首に巻き付くと、背中に微かに感じた体重。
「P!?」
ヴェノリュシオン部隊のひとりであるPだった。
手首についているリードは垂れており、疲れたように牧野に寄り掛かっていた。その足は、地面についておらず、宙に浮いていた。
「やっと追いついたぁ……」
能力の問題で、地面に足をつけることが難しいPは、暴れる変異種に吹き飛ばされることが多い。
そのため、必ず部隊の誰かがPの腕に繋がっているリードを握ることになっているのだが、今、そのリードの先を持つ相手はいない。
「もしかして、追いかけてた?」
頷くPに、謝り、怪我をしていないか聞けば、首を横に振られた。
「ってことは、他の連中はもう向こうにいるのか?」
ヴェノリュシオン部隊がいるなら、銃を使う人間は少ないため、銃声は減るはずだ。
だが、向こうから聞こえる銃声が少なくなった様子はない。
「ううん。みんなとは逸れてたし」
逸れて、ひとりで不貞腐れている時に、あの変異種が突然空から降ってきては、吹き飛ばされたのだ。
その途中で、バイクで走る牧野の姿が見えたため、ちょうどいいと追いかけてきていた。
「逸れた? アレのせいではなく?」
「うん」
戦闘能力が他に比べて低いことや他があまりにも好戦的なことから、他者に友好的なPのリードは、色々な意味で大切なものだ。
再三、そのことは彼らとも話してきたが、正直、打率は全く変わらない。
「今日の担当って……」
一応、確認だけはしておこうと口にするが、半ば予想はついている。
「T」
「常習犯かぁ……」
想像通りの相手に、少し頭痛がした。
注意したところで『ごめ~ん☆』の一言だろう。想像がつく。
「……はぁ。ところで、アレ、なんとかできる?」
解決しない問題は諦めて、Pに改めて変異種の対応できるか聞けば、なんとも微妙な表情で変異種を見つめる。
「う、うーん……なんとか? なんとか……」
「何かあるのか?」
「ある、というか、ない、というか……ものすごく、ノイズだらけ」
「ノイズ?」
ヴェノリュシオン部隊。構成される隊員に共通するのは、”遺伝子操作をされている人間”であること。
Pは、その中でも特異な大脳を操作することにより、生物の精神に触れることができる。簡単に言えば、超能力者だ。
精神に触れる、つまり精神に干渉するということは、言葉の通じない生物であっても、半ば強制的な会話や命令ができるということである。
今の状況で、最も穏便に、かつ効果的に事態を収束させることのできる可能性がある能力だが、Pの反応からして難しいようだ。
「オラァッッ!!!」
雄たけびと共に、暴れていた変異種が地面に叩きつけられる。
「なんか、ブヨブヨしてる! キモい!!」
変異種を直接殴ったその人物は、嫌そうな表情で変異種の上で、変異種を見下ろすが、変異種だけではなく、自分にも向けられている銃口に目をやる。
獣のような鋭い目と殺気の含まれた視線に、新人の短い悲鳴と共に、銃声が響く。
「うわっ!?」
飛んできた銃弾に慌てて飛び退くと、木の枝に足をかけ、こちらに銃を向ける隊員たちを睨みつける。
倒れた変異種は、何度か痙攣を繰り返していて、死んではいないようだが、こちらにすぐに危害を加えてくることはなさそうだ。
ならば、一番危険なのは、銃口を向けている隊員たちの方。
排除すべき敵の優先順位を決め、枝にかけた足へ力を入れた時だ。
「バカ! 撃つな!!」
慌てて止めに入る隊長の言葉に、新人たちだけではなく、Gもあと一歩のところで動きを止め、彼らの中で最も偉そうな男へ目をやった。
殺気はそのままに動きを止めたGに、隊長も背中に冷たいものを感じながら、銃を構えたまま怯えたような目をしている新人たちに、言葉を続ける。
「ヴェノリュシオン部隊だ!!」
その言葉に、新人たちはようやく獣のような人間をもう一度見つめ、今にでも襲い掛かってきそうな殺気に後退れば、また響く大きな音。
変異種が地面に倒れたまま、再び跳び回るように、四肢を地面に叩きつけていた。
「死んでないのか……?」
理性の欠片もなく、暴れ続ける変異種に足が竦みそうになるが、あとはヴェノリュシオン部隊に任せ、後退しろという命令にゆっくりと後退る。
大人しく隊員たちが下がっていく様子に、Gも視線を変異種の方へ向ける。
先程の攻撃で触れた時、妙に弾力がある感触だった。
風船のように、ダメージを受け流されるような。しかし、その先に確かに感じた肉の感覚を殴りつけた。
「だったら、動けなくなるまでぶん殴る!!」
思いっきり殴れば届くのなら、殴り続ければいい。
単純すぎる答えに至ると、Gは変異種に向かって跳んだ。
「牧野さん、P」
変異種とGの戦闘に巻き込まれないよう、少し離れたところで様子を伺っていた牧野とPの元へ現れたS。
Gだけが先走り辿り着いたわけではないらしい。
「Sか。TとOは」
「狙撃位置についています」
「…………なんで、地面に叩きつけちゃったの。アイツ」
「さぁ」
ただでさえ、遮蔽物が多いというのに、地面に叩きつけては、背の低い草木まで出てきて、狙撃どころではなくなる。
「そもそも、Gの一発を頭にもろに食らって、あれだけ動いてるんですから、相当な耐久性か、もしくはあの柔らかな体が力を吸収してしまっているのか」
「効いてないとは思えないが……とりあえず、Sも足止めに入ってくれ。トドメがさせるなら、構わない」
「了解」
Gへの誤射を警戒し、他部隊が距離を取る中、Sは変異種に近づき、その臭いに眉をしかめた。
あのGがどうして噛みつかないのかと疑問だったが、この腐敗臭では、確かに噛みつきたくもなくなる。嗅覚を鋭く遺伝子操作されているTが、いの一番にOの護衛に付いた理由もよくわかった。
「コブみたいなのは割れる! めっちゃ臭いけど!」
鼻につく臭いのする液体を全身に被ったGに、Sは静かに一歩離れると尋ねた。
「毒は?」
「毒っつーか、怪我した後の水の入った腫れみたいな感じ。多分、飲んだら腹壊す」
変異種の謎の液体なんて、口に入れたくもないが、直接的な毒でないのは助かる。
Sは、地面に伏したまま暴れる変異種の妙に柔らかい腕を掴むと、捻り折った。
「骨はあるな」
ならば、四肢の骨さえ折ってしまえば、死なないにしろ動けなくなる。その後、首を落とすなり、ゆっくり処理していけばいい。
だが、予想に反し、折ったはずの腕を振り回し、暴れ続ける変異種に、Sも一度距離を取った。
「ひでェ臭いだな……」
まだ距離があるというのに、牧野やPの鼻にも、変異種からしているであろう腐敗臭が届いていた。その上、骨を折られても、折られた腕で暴れ続ける変異種に、眉をしかめた。
確かに、生物としての常識を覆した変異種は、多く存在する。故に、その変異種をまた”生物の常識”と落とし込むため、牧野たちは変異種について知らなければいけない。
「あ゛ーーッ!! もうめんどくせェッ!!」
Gに頭を殴られてから立ち上がれず、Sに四肢の骨を砕かれても叫びひとつ上げず、暴れ続ける変異種について。
「―――― P! ノイズはまだするか!?」
「うん? さっきより、だいぶクリアな気がするけど」
殴っても、折られても、暴れ続ける変異種に、ついにGが痺れを切らし、噛みついた。
水の溜まったコブに噛みつき、全身が腐敗臭に塗れながら変異種を蹴り飛ばし、一層目の肉を噛み千切る。
「あれ……? あの辺、から?」
水が弾けた向こう側、もう一層見える柔らかそうな筋肉の層。
Pが指を指したのは、Gが噛みついている首筋部分であり、感情を感じる脳とは別の部分だ。
「……ッッ! 狙撃待て!」
その可能性に気がついた牧野が、無線に叫ぶが、すでにOの指は引き金を引いていた。
直後、寸分の狂いなく命中した弾丸は、Gが噛み千切った向こうの柔らかい皮膚を突き破り、爆発した。
******
辺り一面、吐き気を催す腐敗臭と臓物が飛び散り、緑豊かな森は、一瞬にして赤黒く染まった。
「あークソ……この臭い、しばらく取れねぇぞ……」
咄嗟に庇ったPには、臓物はほとんど被っていないが、臭いは別だ。
組み替えられていない人間ですら、むせ返るような臭いに吐き気を催す。
実際、離れたところにいる部隊の数人が吐いているようだ。
「新手の、自爆ですか……?」
牧野と同じどころか、もっとひどく赤黒く染まったSも驚いたように目を瞬かせていた。
「いや、自爆じゃなくて、腐敗によるガス爆発だ。P、さっき指してた奴はいるか?」
首を横に振るPに、安心したように息を吐き出す牧野。
おそらく、侵入したのは小さな寄生生物だったのだろう。そして、先程の変異種に寄生し、宿主を殺さないよう、しかし体内だけは蝕み続けた。
結果、体内だけが腐り、ガスの溜まった体は膨張。辛うじて、意識があった変異種は、生きたまま体が腐る痛みに耐えかね、大暴れ。
Gによる攻撃で絶命したが、寄生生物だけが生き残り、抵抗していた。
「つーか、Tは気づいてやがったな……」
鼻の利くTが、あの腐敗臭に気が付かないわけがない。
臭いから近づきたくないというのは本音だろうが、ガス爆発の可能性にも気が付いていたはずだ。
「T、O、ふたり共、解体、清掃作業手伝いに来い」
無線で、OとTに連絡すると、無線からしばらくノイズだけが響くと、
『嫌ですよ。臭いもん』
悪びれない返事が返ってきた。
「お、まぇ、なぁ……!!」
「牧野さん牧野さん! この肉、食えるよ! うまい!」
無線の向こうのクソガキに言いたい言葉がある中、赤黒く染まりながら眩しいほどの笑顔で差し出される生肉に、体が足りなさすぎる。
「焼けばいけるし、結構うまい」
「G、とりあえず、今回のは毒味しないで破棄でいい。マジで」
「えっ、でも、食料にできる肉は貴重って……」
「貴重だけど、普通に臭くて無理」
ただうまいというなら、少しだけ持って帰って、Tへ嫌がらせをしてやろうかと思った牧野だった。
「これ、いけると思う?」
「お前が食っていけるなら」
「それ、お前でもいいじゃん」
とあるバイオ兵器研究所の事故により、凶悪ウイルスが撒かれたことで、地球上の生態系はたちまち崩れ去った。
動物、植物関係なく、遺伝子を組み替えるそのウイルスの猛威は数十年経った今、衰えることはなく、新種の発見は珍しいことではなくなった。
無害であればいいが、有害なものへの変異も多く、見たことのない動植物はまず触らないのが基本だ。
「うーん……香り、めっちゃ良し」
だが、生きていくためには、誰かが無害か、有害かを確認しなければいけない。
見たことのない動植物が危険かどうかを見極める、それが彼らの仕事であった。
鼻を近づければ、より感じるとても甘い香り。柔らかく張りのある感触。薄い皮は、爪を入れれば簡単に破れてしまいそうだ。
「……そこ、鳥が啄んだ痕がある」
赤い果実のなる木の一部に、鳥が啄んだ痕がある枝があった。
周囲に目をやるが、鳥の死体は見当たらない。
「どっちに賭ける?」
食べられるか、食べられないか。
お互い別のところを見つめながら、出した答えは同じだった。
「「毒」」
お互いの勘が、食べてはいけないと警笛を鳴らしていた。
動物が、無暗に目の前のものを食べて、死滅しないのと同じ。何かが、これには手を出すなと警笛を鳴らしている。
ちょうどその時、草むらをかき分けて出てきた仲間の一人。
「G、ちょうどいいとこに。はい、あーん」
「あー……?」
Gと呼ばれた男は、放り投げられた赤い果実に、躊躇なく口を開き、噛み砕いた。
「甘いし、瑞々しいし、めっちゃうまい! けど、毒だよ。これ。俺でもちょっと痺れる」
「え、マジで? ちょーウケる」
毒に強いGですら、痺れる毒など、中々あるものではない。
珍しいと笑いながら、次々と果実を瓶にいくつも詰めていくT。
「もっと食ってもいいぜ?」
「いらねーよ! ま、まぁ、あとひとつくらい食べたいくらいには、うまいけど……」
からかう言葉に、Gは食い気味に否定するが、そっと視線を逸らし漏らす言葉に、ふたりは少し驚いたように目を丸くして、細めた。
「さすが、悪食野郎」
「はぁ!?」
班の中で、最も毒に耐性があるGは、毒の有無がわからない動植物の毒味役だ。おかげで、ついたあだ名は"悪食"。
この仕事に置いて、毒味が重要な仕事であることを理解した上で、からかってくるのだから、この2人は相当性格が悪い。
子供のような言い争いをしている2人から、Sは少し距離を取りながら、サンプルを瓶に詰めているTの手元を見て、眉を顰めた。
「ところで、どうしてサンプルが2瓶あるんだ?」
サンプルは、1瓶で十分だ。だが、Tの腰につけられた採取用の小瓶の内、2瓶に例の赤い果実が入っている。
Gと共に行動していたSは、一応確認すれば、Tは何でも無さそうに答えた。
「え、僕のコレクションだけど?」
想定通りの答えに、Sは少し長いため息をつくと、考えるのをやめた。
「というか、Pは? 今日、Tの番だよな?」
Oといつものように言い争いをしていたGは、ふと辺りを見渡すと、姿の見えないもうひとりについて尋ねる。
Pは、この特殊な体質ばかりのメンバーの中でも、特に特殊な体質で、常に誰かに文字通り手綱を握られている。今日は、Tの担当だったはずだ。
「Sに渡したよ」
「は? 受け取ってないが」
今日はT・O、G・Sのペアに別れて行動していたため、もし、Tの言葉が本当ならば、探索を始めたところから、誰も手綱を握っていないことになる。
「……あれ?」
死んでいることはないだろうが、大問題だった。
「はぁぁぁああ!?」
Gの絶叫が、周囲の木々に止まっていた鳥を飛び立たせた。
*****
目の前の白く輝くそれに、牧野は固唾を飲み、持ってきた部下へ尋ねる。
「おいおい……これってまさか……」
「原種の米で作ったおにぎりです」
” 原種 ”
この遺伝子が組み変わり続ける時代において、その言葉が持つ意味は大きい。
動物も植物も、ウイルスによって次々と形を変える中、どうにか厳重に管理された農園へ逃がすことができた植物たち。
徹底管理された環境下でしか、育てることのできない原種は、今ではまずお目に掛かれない品だ。
「本当にもらっていいのか?」
要は、とんでもない高級品である。
「少尉から、曹長には是非と。ただ、数は確保できないので、こっそり食べてください」
40歳を過ぎた身でありながら、ついガッツポーズをしてしまう。
炊き立てでないのは残念だが、原種というだけで、温度など些細なことだ。部下の好意に甘え、おにぎりにかぶりつく。
「やっぱ、原種うめぇなぁ……!」
「それはよかった。自分は記憶がありませんが、パンデミックが起きる以前は、普段から食べられていたのでしょう?」
「あの時は当たり前すぎて、質より量だったからな。正直、味わってなかった」
約30年前に起きた、とある国のバイオ兵器研究所の事故。
まだ幼かった子供ゆえに、ニュースなど全く興味を持っていなかったが、例え持っていたとしてもその事故について知ることになるのは、約1年後だった。
国が隠し、異変に気が付いたのは、周辺諸国であり、その時には、既に手遅れとなっていた。
ウイルスは世界中にバラ撒かれ、生態系は崩れ去った。
人間も例外ではなかったが、ウイルスの入ることのできない空間を作り上げ、ワクチンなどの抗ウイルス薬を開発したおかげで、この世界で元の形のまま生き残ることに成功した。
全てが全て、以前と同じというわけにはいかないが、とりわけ食事に関しては大きく変わった。
かつて、当たり前で、ただひたすらにかき込んでいた懐かしい味を、牧田はしっかりと噛みしめる。
「……飯くらい静かに食わせてほしいな……ホント……」
遠くで大量の鳥が飛び立つ。
「まったくです」
居住区に近いこの地区には、食用になり、かつ性格が穏やかな種のみを飼育している。
牧野を始めとした軍人の居住区も存在するため、捕獲や飼育に問題のある狂暴な種はいないはずだが、大量の鳥の飛び立つ様子は異常事態が発生した証拠だ。
巡回しながら警備に当たっている部下に、原因を確認するよう無線で指示する様子に、牧野は最後の一口を飲み込むと、苦笑を浮かべた。
「うちのだったら、すまんな」
「ヴェノリュシオン部隊ですか」
牧野率いるヴェノリュシオン部隊は、軍内部でも特殊な部隊であり、大量の鳥を飛び立たせる程度のいざこざは自らの部隊内で起こしかねない。
というより、その前科は多く、今回もその確率が高い。
「まぁ、彼らが原因であれば…………」
いつものことだと、言いかけた部下の言葉が途切れる。
「え゛、なに? 何かあった?」
不自然に途切れた言葉に、牧野が何かあったかと慌てるが、首を横に振られた。
「いえ、ちょうど新人が配属されたばかりでして、彼らのことを知らない部下が妙なことをしないかと……」
ヴェノリュシオン部隊は、軍内部でも特殊な立場であり、存在を知らない者も多い。
基本的に、居住区の外にいる人間は、自分たちと同じ軍関係者か、壁内で行えない危険な実験を行う研究者たち、各居住区同士の連絡係でもある物流関係者であり、それ以外は違法行為を行っている犯罪者と言っても過言ではない。
特に、ヴェノリュシオン部隊は、居住区の外にいるには全体的に年齢が若く、好戦的な隊員が多い。威圧的な態度で声をかけられたなら、確実に流血沙汰になる程度には、好戦的だ。
「…………まぁ、あいつらにはちゃんと言い聞かせてるから、会話さえしてくれれば…………たぶん、だといいなぁ……」
何度も同じ制服を着ている軍人に攻撃をするなと伝えている。伝えては、いる。
同じ人間だ。会話さえできれば、争いはそうそう起きないと信じたいが、前例が多い。しかも、ほとんど反省していない。
「「……」」
新人たちも、慣れない管理されていない警備で気が立っているだろうし、そこに現れる聞いたこともない異様な部隊。
犯罪者に下から行く軍人はいない。舐められないように、大きな態度を取るだろう。銃も構えるかもしれない。
そうなれば、ヴェノリュシオン部隊は確実に牙を向く。
容易に想像でき過ぎる光景に、ふたりはそっと目を逸らした。
連絡のあったポイントへ向かえば、近づくほどに足に伝わってくる地響きが、先程の連絡が杞憂ではないことを証明していた。
「なんだよ。お前ビビってんのか?」
「セーフ1区だぞ。ヤベー奴がいるわけないだろ」
人が住む居住区は、地面から天井まで全てをコンクリートなどで囲み、空気すらフィルターを通さなければ、中に入ることができない。
それを日本中に作れるならばよかったが、資源は無限にあるわけではなく、人々を守り、突然変異種を排除するためのフィルターは、段階的に減らされていく。
居住区を中心として、段階的にフィルターを減らされた区画が広がっている。
セーフ1区は、居住区のひとつ外の区画であり、空まで囲まれた居住区を除き、最も安全な場所であった。
セーフ1区に放たれる条件は、温厚な変異種であることに加えて、食すことのできる生物であること。
そのため、稀に起きる、今回のように暴れている生物というのは、ほとんどが縄張り争いかメスの取り合いだ。生物としての当たり前の行為であれば、施設などの破壊をしないかだけを見守ることになる。
「でも、小型生物や鳥類は入り込むことはできます。感染源は存在します」
新人の中でも、銃を強く握りしめ、緊張した様子のひとりは、座学で習ったことを口にするが、同期たちは呆れた様子で顔を明後日の方向へ逸らせた。
セーフ区画は壁で囲まれているし、天井には大型生物を避けるためのワイヤーが張られている。だが、鳥類は入ることはできるし、ネズミ程度のサイズであれば、広大な壁の崩れた穴から潜り込むことはできる。
変異種が入り込むスペースがあれば、そこから感染は広がり、容易に生物は変異していく。
「どうせ、メスの取り合いだよ」
「そうそう」
緊張している新人に、上官たちも安心させるように話すが、新人は周囲を警戒するように視線を逸らせば、木々の間から見えた飛んでいく人の姿。
「ひ、と……?」
「「は?」」
一瞬だったが、確かに人だった。何かに吹き飛ばされたように、空を飛んでいた。
「人が! 人が空に……!!」
「お前、冗談でもそういうのはやめとけって。さすがに――」
多少の冗談は構わないが、必要以上に周りを困惑させ、恐怖させる発言に、注意しようとすれば、前方の木々が薙ぎ倒される音。
まだ遠いが、確かに巨大な何かが暴れている。
本来、この区画にいるような生物ではない、巨大な何か。
「変異種だ! 総員、構え――」
折れた木が横を掠めていく。
セーフ区画ではまず感じない恐怖に、新人たちはすでにパニック状態に陥りかけていた。
「落ち着け!! まだ距離がある! 向こうもこちらを認識したわけではない! 距離を保ちつつ、変異種の確認及び迎撃を行う!」
いくら変異種とはいえ、遠目に見える姿からして、銃の射程には勝てない。
遮蔽物の多い森であることは、銃火器を使う自分たちにもデメリットではあるが、肉体の性能が大きく違う変異種との距離を保つには、メリットになる。
変異種と交戦している部隊の無線を聞きながら、バイクを走らせる。
どうやら、ヴェノリュシオン部隊が暴れているわけではなく、突然変異種が現れたようだ。
セーフ区画でも、時々起きることではあるが、1区のため、対処が遅れれば居住区への危険が及ぶ。
『居住区から離すように誘導しろ!』
『無理です!! こちらを認識はしていますが、追ってくる様子はありません!』
幸い居住区に向かっているわけでもなければ、至近距離というわけでもない。銃火器を使っても、居住区の壁が巻き込まれることはない。爆弾などは使えないが、それでも近づけば近づくほど、銃が使えるのは助かる。
変異種と直接殴り合えるなど、ヴェノリュシオン部隊くらいなものだ。
そのヴェノリュシオン部隊にも、急いで向かうように伝えているが、いくら彼らの足とはいえ、少し時間はかかる。
「アレか」
木々の隙間から、暴れているという変異種が見えた。
「……デカいな」
原型は猿だろうか。体全体が大きく膨らみ、いくつかはこぶのように出ている。
威嚇なのか、絶叫のような叫びを上げながら、がむしゃらに暴れている様子に、先に駆けつけていた部隊も手を出せていないようだ。確かにアレでは誘導などできそうにない。
双眼鏡を下しながら、どうしたものかと考える牧野の視界に現れた細い腕。
「――――」
「牧野」
その腕は、牧野の首に巻き付くと、背中に微かに感じた体重。
「P!?」
ヴェノリュシオン部隊のひとりであるPだった。
手首についているリードは垂れており、疲れたように牧野に寄り掛かっていた。その足は、地面についておらず、宙に浮いていた。
「やっと追いついたぁ……」
能力の問題で、地面に足をつけることが難しいPは、暴れる変異種に吹き飛ばされることが多い。
そのため、必ず部隊の誰かがPの腕に繋がっているリードを握ることになっているのだが、今、そのリードの先を持つ相手はいない。
「もしかして、追いかけてた?」
頷くPに、謝り、怪我をしていないか聞けば、首を横に振られた。
「ってことは、他の連中はもう向こうにいるのか?」
ヴェノリュシオン部隊がいるなら、銃を使う人間は少ないため、銃声は減るはずだ。
だが、向こうから聞こえる銃声が少なくなった様子はない。
「ううん。みんなとは逸れてたし」
逸れて、ひとりで不貞腐れている時に、あの変異種が突然空から降ってきては、吹き飛ばされたのだ。
その途中で、バイクで走る牧野の姿が見えたため、ちょうどいいと追いかけてきていた。
「逸れた? アレのせいではなく?」
「うん」
戦闘能力が他に比べて低いことや他があまりにも好戦的なことから、他者に友好的なPのリードは、色々な意味で大切なものだ。
再三、そのことは彼らとも話してきたが、正直、打率は全く変わらない。
「今日の担当って……」
一応、確認だけはしておこうと口にするが、半ば予想はついている。
「T」
「常習犯かぁ……」
想像通りの相手に、少し頭痛がした。
注意したところで『ごめ~ん☆』の一言だろう。想像がつく。
「……はぁ。ところで、アレ、なんとかできる?」
解決しない問題は諦めて、Pに改めて変異種の対応できるか聞けば、なんとも微妙な表情で変異種を見つめる。
「う、うーん……なんとか? なんとか……」
「何かあるのか?」
「ある、というか、ない、というか……ものすごく、ノイズだらけ」
「ノイズ?」
ヴェノリュシオン部隊。構成される隊員に共通するのは、”遺伝子操作をされている人間”であること。
Pは、その中でも特異な大脳を操作することにより、生物の精神に触れることができる。簡単に言えば、超能力者だ。
精神に触れる、つまり精神に干渉するということは、言葉の通じない生物であっても、半ば強制的な会話や命令ができるということである。
今の状況で、最も穏便に、かつ効果的に事態を収束させることのできる可能性がある能力だが、Pの反応からして難しいようだ。
「オラァッッ!!!」
雄たけびと共に、暴れていた変異種が地面に叩きつけられる。
「なんか、ブヨブヨしてる! キモい!!」
変異種を直接殴ったその人物は、嫌そうな表情で変異種の上で、変異種を見下ろすが、変異種だけではなく、自分にも向けられている銃口に目をやる。
獣のような鋭い目と殺気の含まれた視線に、新人の短い悲鳴と共に、銃声が響く。
「うわっ!?」
飛んできた銃弾に慌てて飛び退くと、木の枝に足をかけ、こちらに銃を向ける隊員たちを睨みつける。
倒れた変異種は、何度か痙攣を繰り返していて、死んではいないようだが、こちらにすぐに危害を加えてくることはなさそうだ。
ならば、一番危険なのは、銃口を向けている隊員たちの方。
排除すべき敵の優先順位を決め、枝にかけた足へ力を入れた時だ。
「バカ! 撃つな!!」
慌てて止めに入る隊長の言葉に、新人たちだけではなく、Gもあと一歩のところで動きを止め、彼らの中で最も偉そうな男へ目をやった。
殺気はそのままに動きを止めたGに、隊長も背中に冷たいものを感じながら、銃を構えたまま怯えたような目をしている新人たちに、言葉を続ける。
「ヴェノリュシオン部隊だ!!」
その言葉に、新人たちはようやく獣のような人間をもう一度見つめ、今にでも襲い掛かってきそうな殺気に後退れば、また響く大きな音。
変異種が地面に倒れたまま、再び跳び回るように、四肢を地面に叩きつけていた。
「死んでないのか……?」
理性の欠片もなく、暴れ続ける変異種に足が竦みそうになるが、あとはヴェノリュシオン部隊に任せ、後退しろという命令にゆっくりと後退る。
大人しく隊員たちが下がっていく様子に、Gも視線を変異種の方へ向ける。
先程の攻撃で触れた時、妙に弾力がある感触だった。
風船のように、ダメージを受け流されるような。しかし、その先に確かに感じた肉の感覚を殴りつけた。
「だったら、動けなくなるまでぶん殴る!!」
思いっきり殴れば届くのなら、殴り続ければいい。
単純すぎる答えに至ると、Gは変異種に向かって跳んだ。
「牧野さん、P」
変異種とGの戦闘に巻き込まれないよう、少し離れたところで様子を伺っていた牧野とPの元へ現れたS。
Gだけが先走り辿り着いたわけではないらしい。
「Sか。TとOは」
「狙撃位置についています」
「…………なんで、地面に叩きつけちゃったの。アイツ」
「さぁ」
ただでさえ、遮蔽物が多いというのに、地面に叩きつけては、背の低い草木まで出てきて、狙撃どころではなくなる。
「そもそも、Gの一発を頭にもろに食らって、あれだけ動いてるんですから、相当な耐久性か、もしくはあの柔らかな体が力を吸収してしまっているのか」
「効いてないとは思えないが……とりあえず、Sも足止めに入ってくれ。トドメがさせるなら、構わない」
「了解」
Gへの誤射を警戒し、他部隊が距離を取る中、Sは変異種に近づき、その臭いに眉をしかめた。
あのGがどうして噛みつかないのかと疑問だったが、この腐敗臭では、確かに噛みつきたくもなくなる。嗅覚を鋭く遺伝子操作されているTが、いの一番にOの護衛に付いた理由もよくわかった。
「コブみたいなのは割れる! めっちゃ臭いけど!」
鼻につく臭いのする液体を全身に被ったGに、Sは静かに一歩離れると尋ねた。
「毒は?」
「毒っつーか、怪我した後の水の入った腫れみたいな感じ。多分、飲んだら腹壊す」
変異種の謎の液体なんて、口に入れたくもないが、直接的な毒でないのは助かる。
Sは、地面に伏したまま暴れる変異種の妙に柔らかい腕を掴むと、捻り折った。
「骨はあるな」
ならば、四肢の骨さえ折ってしまえば、死なないにしろ動けなくなる。その後、首を落とすなり、ゆっくり処理していけばいい。
だが、予想に反し、折ったはずの腕を振り回し、暴れ続ける変異種に、Sも一度距離を取った。
「ひでェ臭いだな……」
まだ距離があるというのに、牧野やPの鼻にも、変異種からしているであろう腐敗臭が届いていた。その上、骨を折られても、折られた腕で暴れ続ける変異種に、眉をしかめた。
確かに、生物としての常識を覆した変異種は、多く存在する。故に、その変異種をまた”生物の常識”と落とし込むため、牧野たちは変異種について知らなければいけない。
「あ゛ーーッ!! もうめんどくせェッ!!」
Gに頭を殴られてから立ち上がれず、Sに四肢の骨を砕かれても叫びひとつ上げず、暴れ続ける変異種について。
「―――― P! ノイズはまだするか!?」
「うん? さっきより、だいぶクリアな気がするけど」
殴っても、折られても、暴れ続ける変異種に、ついにGが痺れを切らし、噛みついた。
水の溜まったコブに噛みつき、全身が腐敗臭に塗れながら変異種を蹴り飛ばし、一層目の肉を噛み千切る。
「あれ……? あの辺、から?」
水が弾けた向こう側、もう一層見える柔らかそうな筋肉の層。
Pが指を指したのは、Gが噛みついている首筋部分であり、感情を感じる脳とは別の部分だ。
「……ッッ! 狙撃待て!」
その可能性に気がついた牧野が、無線に叫ぶが、すでにOの指は引き金を引いていた。
直後、寸分の狂いなく命中した弾丸は、Gが噛み千切った向こうの柔らかい皮膚を突き破り、爆発した。
******
辺り一面、吐き気を催す腐敗臭と臓物が飛び散り、緑豊かな森は、一瞬にして赤黒く染まった。
「あークソ……この臭い、しばらく取れねぇぞ……」
咄嗟に庇ったPには、臓物はほとんど被っていないが、臭いは別だ。
組み替えられていない人間ですら、むせ返るような臭いに吐き気を催す。
実際、離れたところにいる部隊の数人が吐いているようだ。
「新手の、自爆ですか……?」
牧野と同じどころか、もっとひどく赤黒く染まったSも驚いたように目を瞬かせていた。
「いや、自爆じゃなくて、腐敗によるガス爆発だ。P、さっき指してた奴はいるか?」
首を横に振るPに、安心したように息を吐き出す牧野。
おそらく、侵入したのは小さな寄生生物だったのだろう。そして、先程の変異種に寄生し、宿主を殺さないよう、しかし体内だけは蝕み続けた。
結果、体内だけが腐り、ガスの溜まった体は膨張。辛うじて、意識があった変異種は、生きたまま体が腐る痛みに耐えかね、大暴れ。
Gによる攻撃で絶命したが、寄生生物だけが生き残り、抵抗していた。
「つーか、Tは気づいてやがったな……」
鼻の利くTが、あの腐敗臭に気が付かないわけがない。
臭いから近づきたくないというのは本音だろうが、ガス爆発の可能性にも気が付いていたはずだ。
「T、O、ふたり共、解体、清掃作業手伝いに来い」
無線で、OとTに連絡すると、無線からしばらくノイズだけが響くと、
『嫌ですよ。臭いもん』
悪びれない返事が返ってきた。
「お、まぇ、なぁ……!!」
「牧野さん牧野さん! この肉、食えるよ! うまい!」
無線の向こうのクソガキに言いたい言葉がある中、赤黒く染まりながら眩しいほどの笑顔で差し出される生肉に、体が足りなさすぎる。
「焼けばいけるし、結構うまい」
「G、とりあえず、今回のは毒味しないで破棄でいい。マジで」
「えっ、でも、食料にできる肉は貴重って……」
「貴重だけど、普通に臭くて無理」
ただうまいというなら、少しだけ持って帰って、Tへ嫌がらせをしてやろうかと思った牧野だった。
応援ありがとうございます!
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