時間のない恋

東雲 周

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第七話

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 無条さんはなぜかC組の教室の前を通り過ぎて、B組の教室の扉の前で立ち止まった。
 「何してるの……」
 僕も、彼女が見ている紙をのぞき込む。
 彼女もそれに気づいて、僕の方へ向き直す。
 「これは、『座標』。つまり、他の学校でいう座席表みたいなものなの。日曜日に『試』を行う。次の日にその結果が出る。そして、新しいクラスが決まる。でもここで『座標』替えをしなければ、同じクラスにとどまり続けて、仲の良いグループが形成される。そうすると、『試』にも不都合が出るでしょ?だから、一週間ごとにそうやって『座標』替えをするの」
 確かに、彼女の言わんとすることはわかる。でも、「座標」替えをしなければ「試」に生じる不都合とは何なのか、それはこの時の僕にはわからなかった。
 「その不都合って何なの……?」
 「今はなすと長くなるから、また今度でもいい?」
 彼女はそういって、僕の返事を待たずに、さっさと教室に入っていってしまった。
 廊下に残された僕は、自分の座標を確認して教室に入る。



 ここの空気はC組とは全く違う。
 それは教室に入った時点ですぐにわかった。何が違うのか、と言われれば、うまく言葉で表せるようなものではないが、何かそういう雰囲気が流れていた。
 ひとまず、自分の席へと向かう。
 木目がきれいな机の端で、僕の目がはたと止まった。
 木目のそれとは正反対のメッセージがあった。
 鉛筆で書かれたであろうそのメッセージは、筆跡からして恐らく、男子のものであろうと推測できた。
 しかし。
 「なんだこれ……。字が読めない……」
 判別できなかった。
 意図的なものなのか、それとももともとなのかはわからないが、いずれにせよ、どれもこれも字が潰れていて、その記述から何かのメッセージを読み取ることは不可能だった。
 僕が筆箱から消しゴムを取り出したところで、後ろから声をかけられた。
 「ちょっと待って。俺、それ読んでみてもいい?」
 僕はその声の方をゆっくりとした動作で振り向いて、彼にも「貧弱な光地之」を植え付け───
 「あっ、光地之君じゃん。同じクラスなんだね。お互い頑張ろうね」
 「……、……」
 その必要はなかったみたいだ。
 彼から感じられる「何か」と同じようなものを僕は以前にも感じ取ったことがあった。
 髪型こそ変わっていたが、どう考えても彼は「生徒A」に違いなかった。
 「……、その反応もしかして俺のこと忘れた?」
 「無条さんの友達、だよね……?髪型一つで、人って別人に見えるんだね」
 「髪型……?あっ、確かに変えたよ。あはははっ!光地之君って、面白いこというんだね」
 よし、いける。つかみは悪くない。B組に知り合いはほとんどいないから、少しでも多くの生徒と良好なつながりを持たなければ、「試」にも支障が出てしまうだろう。
 それを踏まえたうえで、思い切った言葉で攻めてみる。
 「あのさ……。正直、無条さんのことどう思ってるの?」
 「えっ?」
 想定通りの反応。僕は無条さんの方をチラリと見るが、彼女はカバンをゴソゴソして、何かを探しているようだった。
 「無条さんとは幼馴染なんでしょ?」
 「うん」
 「ということは、僕がやてくるまでは、無条さんとペアを組んでいた……?」
 「そうだけど?」
 「じゃあ、急に出てきた僕にペアを取られた君は寂しくないの……?」
 「寂しいよ」
 「じゃあ、なんで君は……」
 僕はそこで言葉を失った。
 理由は単純。彼が笑っていたからだ。
 「君はどうして寂しいのに笑えるの……?」
 そんな僕の意地悪な言葉に、彼はさらに笑う。
 「光地之君。もしかして、僕の名前知らない?」
 「えっ……?」
 緊迫していた場が一瞬にして和む。彼の言葉にはそんな「力」があった。
 「確かに、俺、まだ名前言ってなかったよね?」
 「うん」
 「俺、西極 星護(さいごく せいご)っていうんだ。ジョーとは、仲のいい友達ってくらいの関係かな」
 「さいごく……、せいご……」
 「星護って呼んでくれたらいいよ。俺、自分の苗字、あんまり好きじゃないんだ」
 「そう……、なんだ……」
 「光地之」と違って、「西極」ってカッコいいよな、と思いながら、彼の名前をもう一度自分の中で反芻してみる。
 西極、星護。
 「これからよろしくね」
 「よろしく……」
 僕が彼の「力」の余韻に浸っている間に、彼は僕の机の横に立っていた。
 「え~っと。これは……。あぁ、わかった」
 「えぇ……、ホントに……?」
 「うん。これを書いたのは恐らく、アイツじゃないかな。意図がまるわかりすぎて……。まったく、可愛いヤツだ」
 僕は彼の人差し指が向いている方に視線をやる。その先にいたのは───
 「あははっ!そうだよね!やっぱ演技演技~だよねっ!」
 「えっ?あれって……、さっきの人だ」
 僕は思わず独り言をこぼす。
 僕たちが見ていたのは、教室に入ってすぐのところで、無条さんを見つけて飛びつくように話しかけていた「アレ」だった。
 「えっ?光地之君、「アレ」のこと知ってるの?」
 「知ってるというか、さっき廊下で急に告られたんだけど……」
 「お、おい。ウソだろ?お前、『アレ』に告られたのか?」
 「うん。大衆の前でね」
 僕は一応、というか全力でありのままの真実を伝える。
 教室で、急に大声があがる。
 まだ人がほとんどいないこの教室でそんなことが起こる元凶といったら、僕には「アレ」しか思いつかなかった。
 「も~っ!さっきから私のこと物扱いしているヤツは誰なの!ほんと信じらんない!」
 予想的中。などと喜んでいる暇なんて僕には与えられなかった。彼女は星護の方、すなわち僕がいるところをめがけて、ずんずん歩いてくる。
 「もうほんっとに!それだから星護はモテモテないんだよ!あんたも少しはえんせいを見習……」
 空間がピタリと止まる。
 彼女と目が合った僕は、そんな錯覚に陥る。
 そして、束の間の静寂の後、彼女は顔を真っ青にして、視線を宙に泳がせる。
 「えっとぉ……。い、今のはなかったことね?」
 僕と星護の頭の中の疑問符が一致する。
 一体、何が言いたいんだ、こいつ。僕たちに可愛らしいウインクまでくれて、何がしたいんだ?
 しかし、星護の「力」は絶大な威力を発揮する。
 「でもまぁ、可愛らしいウインクまでくれたことだし、今回は見逃してあげようよ」
 「うん……?」
何を見逃すのかはさっぱりわからないまま、とりあえず彼の意見に賛成しておく。
彼女は僕の反応を受け取って、自分の「座標」へと歩いていって、ストンと座る。僕のところから机四つ分くらい離れたところに彼女のはあった。
「いったい、あの子何なの……?」
朝一番から僕の頭に疑問符を作り続ける彼女に対する率直な思いを、星護に尋ねてみる。
「あぁ、あの子の名前は、西園 幸乃(にしぞの ゆきの)。あの子は常日ごろからえん……円熟した関係にある友達をつくりたくて、その努力を惜しまない、ある意味真面目な子なんだ」
「ふーん……」
このとき、僕は何も知らないフリをしていたが、本当はわかっていた。



「ウソ」の極意は、「省略」。



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