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だからヒロシは……

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「アテンションプリーズ。皆さん、おはよーございます。艦長の未亜ちゃんでーす。当艦は現在光速の約三%、減速しながら航行中」
 未亜の声で目が覚めた。どうやら気を失っていたらしい。人生初めての失神だ。重力は普通に戻っている。榊田さんも今起きたようだ。ルカ姉はメモ帳に何か書き込んでいた。岩倉はまだ寝ている。幡枝さんの姿はブリッジにない。
「現在日本時間で朝の四時。ロリコントカゲとのランデブー予定は五時」
 十一時間も寝ていたのか!
「船内時間では十時間弱。さすがに十二Gはしんどかったみたいだね。瞬間最大速度が光速の七十パーセントに達したから」
 船内時間? 相対性理論のことか。あんまり変わらないんだな。
「光速の九十九%に加速して、船内時間はやっと外の十分の一ぐらいになる。この位だとウラシマ効果が実感できてSFっぽいけど、この距離で実行するとみんな潰れて死んじゃうし」とケラケラ笑った。
 無断外泊してしまった。家族が心配しているに違いない。さすがに今回は大ごとになっているだろう。UFO出現の現場から行方不明になったのだから! ケータイを見たが圏外になっていた。当たり前か。
「みんなの家には発進前にメールを入れておいたから安心して。城崎先生のマンションでお泊まりのミーティングをしていることになっている」
 UFO出現の大事件が起きた日に、お泊まりのミーティング? 誰がそんなメール信じるんだ! 余計心配するだろう。
「シュピーゲル号の件は報道管制が敷かれている。公にはなっていないよ。とにかく無事だって言っておいたし」
 ブリッジの扉が開き幡枝さんが現れた。シャワーを浴びてきたのだろう。三つ編みが解かれ、まだ乾ききっていないロングヘアーが肩に掛かっていた。まるでシャンプーか何かのCMの様。美しすぎます。
「榊田君、篠原君、おはよう」
 お、おはようございます。
「先生、シャワーお先でした」
「ああ。先に岩倉さんに使わせてあげて。私はあとでいい」
「何を書いているんですか」
「記録よ、報告書を作るための。大人って色々面倒くさいのよ」
 ルカ姉が幡枝さんをちらっと見て微笑んだ。
「トモミン、起きて。朝だよ。シャワー浴びてスッキリしよう」
 幡枝さんが岩倉の肩を揺さぶる。
 岩倉はかすかに目を開けると、頭が痛いと言って再び目を閉じた。
「二日酔いか。よし、荒療治だ」
 ルカ姉は立ち上がると意識朦朧としている岩倉の腕をつかみ、引きずりながらブリッジの外へ出て行った。
「教師と教え子が一緒にシャワー! 百合相関図がどんどん複雑になっていくぞ」
 榊田さんが俺に耳打ちする。この人余裕だなぁ。非常時に対する耐性が半端ない。
「未亜、俺たちもあとでシャワー借りていいか?」
「ダメ!」と幡枝さんが即答した。
「どうしてです?」
「シャワールームの中にハックさんのお風呂があるから」
 ハックさんのお風呂? ああ、培養槽のことか。
「ゴリョウさん。トイレ借りるよ」
 榊田さんが立ち上がる。トイレはたしかシャワールームの隣。
「榊田君。邪(よこしま)なことを考えているでしょう?」
「何のことだい、シオン先生」
「その名前で呼ばない! 私もついて行く。外で見張らしてもらうわ。今の私、ヒクソン・グレイシー並に強いのよ」
「信用ないんだなぁ。ご自由にどうぞ」
 ブリッジから出て行く二人を見送りながら未亜が言った。
「ハックのボディは女のボクが見てもグッと来るものがあるよ。おっぱいはもちろん、肋骨から腹筋、恥丘にかけてのラインは絶品だね。可愛さはボクの方が上だけど」
 恥丘って……。

 全員が揃い朝食タイムとなった。俺は電子レンジで暖めた三つ星シェフのカレーパンとチーズビザまんを、三十品目の野菜ジュースで流し込む。食ってから晩飯抜きだったことに気付いた。空腹がこれほど食い物を美味くするとは! 岩倉は頭が痛いと言いながらポカリスエットを貪るように飲んでいた。「腐れエロタヌキって覚えているか」と聞くと、なんですかそれ? と答えた。
 天井のスクリーンに映っていた星空が、テレビのニュース番組に切り替わった。
「二時間遅れ。深夜のニュースだよ」
 代わり映えのしないニュースが延々と続く。結局シュピーゲル号に関する話題はひとつも上がることなく番組が終わった。あれだけの目撃者がいながら一切ニュースにならないなんて。榊田さんも同じことを思ったようだ。
「先生……じゃなくて御陵博士。これってアメリカが日本に圧力をかけているんですか」
「月並みな言い方をするなら『同盟国としてご協力いただいている』ってところかな」
「国民の知る権利は? 言論の自由は?」
「安全保障に対する日本人の意識は低すぎる。とても任せることができないというのが本音。日本政府には新聞発表に毛が生えた程度の情報しか渡していない。一国の首相が沖縄基地の存在理由を知りませんでしたと言ってのける厚顔無恥さは、海外で暮らす日本人にとって恥辱としか言いようがないわ。そんな政党を選び、真実に背を向け、義務を果たそうとしない国民に、知る権利なんてあるのかしら?」
 これが海外における日本の評価なのか。
「今の言葉が少しでも悔しいと思うのなら、あなたたちがこの日本を変えてみせる事ね」
 俺たちがこの日本を? 変えるってどこから何を変えればいいんだろう。榊田さんをチラリと見ると、何か真剣に考え込んでいる様子だった。
「あ、でもヒロシちゃんには何も期待していないから安心して。未亜のお守りだけしてくれたらそれで充分」
 何でいつも俺にはつれないのですか、ルカ姉。
 突然スクリーンがアニメに切り替わった。どう見ても萌え系の美少女アニメ。
「なんだ、これは」
「撮り溜めていた深夜アニメ。時間があるから観ておこうと思って」と未亜。
「今こんなものを観ている場合なのか!」
「こんなものとは酷いなぁ。深夜アニメは録画が溜まると不良債権化してゆくから、毎週きっちり観ないとしんどいんだぞ」
 また訳のわからないことを。
「魔装戦隊マジカルチェイサーズ、か。これって萌え描写があざとくない?」
「榊田先輩、それは誤解だ。主人公が男の娘(おとこのこ)のところとか、変身シーンが毎回描き起こしのところとか、結構見所が多いよ。作画も丁寧だし」
「僕は男の娘(おとこのこ)、生理的に苦手なんだよなぁ。どんなに可愛くても所詮は男じゃないか」
「ふーん。これは見たことがないな。CS?」とルカ姉。
「オトコノコって女装少年の? ちょっと興味あるかも」
 幡枝さんまで……。
 仕方がないので視聴に付き合う。この設定はどうのこうのと未亜の解説がやたらうるさい。しかし解説がなければストーリーが把握できないほど内容が複雑だった。
 こんなもの、子どもが観てわかるのか。
「だからヒロシは馬鹿だというんだよ」
 どうやら深夜アニメは子どもが観るものではないらしい。魔法少女ものなのに? 意味がわからない! ちなみに観察者であるシュピーゲル号には、二億五千万年に渡る地球の姿と生命進化の歴史が記録されているという。人類が過去に発信したすべての電波情報も含まれ、戦時中の暗号通信からフィルムやビデオを消失してしまった記録映像まで、全て保存されているのだ。
「文字通りの宝の山ね。これを公開すれば、すべての学会がひっくり返るに違いないわ。全否定される著名論文も数え切れないはず」とルカ姉が笑う。
「まぁーねー。でもシュピーゲル号が持ついかなる情報も技術も、今は一切公開するつもりはないよ。人類があと一千年、現在の文明を継続して発展させることができたら考えてあげてもいいけど」
 シュピーゲル号を作った連中って、どんなヤツらだったんだ?
「今の地球に該当する種はいない。種の系列ごと滅んでしまったから。あえて言うなら……円口類っぽいかな? 社会性はグンタイアリに似ている。バーチェルグンタイアリって知ってる?」
 バーチェル?
「アマゾンに生息するグンタイアリ。彼らの行軍に遭遇したら最後、どんな生命も生き残ることはできない。ありとあらゆる生命を食い尽くす、黒い死の絨毯」
 そんな連中が文明を持ってしまったのか。
「そう。ある意味悲劇と言えるかも知れない。シュピーゲル号が軌道上で飛行実験している最中に、地上の重力崩壊炉施設が事故を起こしペルム紀文明は滅んでしまった。人工知能を有していたシュピーゲル号は自らを観測者として定義し、今日まで生き延びてきたんだ」
「その連中の画像って残っているの」
 ルカ姉の質問に、未亜がホラー映画のセリフのように答える。
「見・た・い?」
「当然だ。私は科学者よ。自慢だけど分子生物学の学位も持っている」
「見ない方が良いよ」
「どうして?」
「このブリッジがゲロまみれになるから。今さっき食べた朝食が全部無駄になる」
「そんなにグロいの?」
「グロいなんてもんじゃない。一生のトラウマになる。ボクも何回も吐いた。あのブツブツとグニョグニョとワサワサを、思い出すだけで気を失いそう」
 未亜が、おえっと嘔吐(えず)く真似をする。ゴキブリを素手で叩きつぶす未亜が言うのだから、相当エグいのだろう。
「そう。それならまたの機会にする。ディノサウロイドや恐竜の画像は?」
「うん。それなら大丈夫。恐竜の画像は何回見ても面白い。ロリコントカゲも六千五百万年前の画像ならある。今とは姿形が違うのだろうけど。あ、ちょっと待った」
 天井のスクリーン一杯に映っていたアニメが、宇宙の画像に切り替わる。
「見えた」
 画面中央が段階的にズームアップする。例の円錐形宇宙船が三つ、昨日とは違う角度で画面に映っていた。円錐の先端をこちらに向け青く滲んで見える。
「減速する。シートベルトをして! 恐竜の動画はあとのお楽しみだ」
 重力が掛かった。かなりきついが会話ができる程度の重力。円錐形宇宙船の横を追い越し、少し斜め前に出たところで止まった。もちろん本当に止まったわけではない。円錐形宇宙船との相対速度がゼロになったという意味で、実際には秒速何百キロメートルかで飛行している。モニターを見ている限り近くに見えるが、一万キロメートルほど離れているらしい。円錐形宇宙船は進行方向に底面を向け、その底面から白い核融合の光りを放っていた。未亜が宇宙船に呼びかける。
「あー、そこの宇宙船、左に寄せなさい!」
 どこまでもふざけたヤツだ。左ってどっちなんだよ。
「こちら地球防衛軍、宇宙艦隊旗艦シュピーゲル号。貴艦は当太陽系圏を侵害している。当方はこれ以上の侵入を良しとしない。第四惑星公転軌道上にて待機することを命じる。従わなければ実力行使に訴えちゃうぞ」
 艦隊って一隻しかないじゃん。
 しばらく待つが応答がない。
「威嚇射撃をしてみよう」
「馬鹿、岩倉の精神感応が先よ」
「お姉ちゃん、馬鹿って言う人が馬鹿なんだぞ」
 お前、俺に向かって四六時中馬鹿って言っていないか?
「岩倉さん、いける?」
 もう少し近づけてくださいと岩倉が言う。
「ぬう。あまり近づくと攻撃を受けたときに回避できない」
「ディノサウロイド船に武器はないって言っているでしょ? 万が一、相手が光線兵器を持っていたら、どのみちこの距離では回避できないわ。回避迎撃できるのは速度が遅い実体弾ぐらいなもの。違う?」
「違わない」
「だったら早く近づけて」
「なんだよ。艦長はボクだぞ」
 ブツブツ言いながらもシュピーゲル号を近づける。
 円錐形宇宙船のディティールがハッキリしてきた。遠くからは単純な円錐形に見えたが、間近に見る船体表面は結構デコボコしている。文字の類は見えない。円錐形の底面にはお椀状の構造物が複数あり、白い光りはそこから発せられていた。
「大きいねぇ! シンプルな形状の船首部と、入り組んだ船尾部との対比が美しい。実用に特化したデザインであることが見て取れるよ。勉強になるなぁ」
 榊田さんの美学はよくわからないが、鋭角なデザインは格好良いと言えば格好良い。円錐の縁に奇妙な形をした突起が見えた。装飾のようなアンテナのような、見たことのない不思議なデザイン。我々人類とは異なる、エイリアン独特の感性をちょっとだけ垣間見たような気がした。
 岩倉があっと叫んだ。
「どうしたの岩倉さん」
 ヤバイです、この人たちと身震いをする。
「何がヤバイの?」
 コミマに群がるオタクの様だと岩倉は例えた。
 何だそりゃ? 
 会場の熱気に煽られ、普段は買わない物まで買ってしまう「あの感覚」なのだそうだ。現在地球との精神感応通信が途切れ、相当苛立っているらしい。話し合いはおろか、精神感応さえままならないという。
「なるほど。相当ヤバイわね」
 ルカ姉納得しているし。みんなも頷いているし! 俺にはさっぱりわからないぞ! 
「どうやったらそれを抑えることができる?」
 物欲を満たすこと。すなわちハックもしくはハックに代わる物を、ディノサウロイドに渡すことですと岩倉は答えた。
「ハックはアンドロイドだけど自我を持った個人だ。無愛想だけど優しくて、甘い物が大好きな女の子なんだ。ハックは渡せないし、ハックに代わるものはない。何よりもハックはボクの命の恩人だ」
「私も助けてもらった」
 幡枝さんが未亜を援護する。
「わかった。ハックは渡さない。違う方法を考えよう」
 ルカ姉はしばらく考えると未亜に尋ねた。
「シュピーゲル号の武器は?」
「この距離なら電磁投射砲、レールガンが有効的」
「威嚇射撃できる?」
「初めっからそうすればよかったんだよ」と言った瞬間、二つの光弾が円錐形宇宙船に吸い込まれるように飛んでいった。
「まだ撃てとは言っていないわ!」
「威嚇だよ。当たりはしないよ」
 しばらくして光弾が見えなくなった。三隻の宇宙船に変化はない。
「まさかとは思うけど、考えるだけで発射できるの?」
「今頃気がついた? シュピーゲル号はボクの手足だよ」
「手足って! 安全装置はないの? 感情の赴くまま使用されたら歯止めが利かない。兵器としてのシステムが間違っている!」
「ボクの理性が安全装置。ボクはいつだって沈着冷静」
 いきなり不良の顔面にコブシを食らわすお前が言うのか。
「それにしても反応が全くない。そもそも我々に気が付いているかしら?」
「じゃ、ここはやっぱり一発当ててみようよ」
「待って。もう一度呼びかけと威嚇射撃を……」
 今度は光弾がひとつだけ飛んでいく。
「馬鹿! 物事はもっとよく考えてから実行に移しなさい!」
「かする程度だよ! 馬鹿って言うな。馬鹿!」
 画面が明るく光った。
「命中?」
 未亜が画面を見つめる。
「違う! ディフレクターだ。ディフレクターにはじかれた。弾体が気化した!」
 亜光速で飛行する宇宙船は、微小隕石の衝突で致命的な損害を被る可能性があるらしい。そのため進行方向にそれら微小隕石を排除する「偏向器(ディフレクター)」を設ける必要がある。ディノサウロイド船は円錐形の分厚い傾斜装甲で、微小隕石を弾いていると未亜は推測したのだと言う。減速時は核パルスそのものをディフレクターとして機能させるのだ。
「ぽかったんだよ、あの円錐形が。いかにもそんな感じでしょ?」
 どういう形が「ぽい」のかは知らないが、船体の斜め後ろからなら核パルスエンジンを攻撃できると考えたようだ。ところが実際には全方位に張り巡らせた何かしらの障壁が船体を覆っており、レールガンの攻撃をはね除けたという。
「こうなったら連射だ! 撃て撃て撃て!」
「だから待て待て待て!」
 無数の光弾が三隻の宇宙船に吸い込まれて行く。しばらくしてスクリーンが真っ白になった。しかし再びスクリーンに現れたディノサウロイド船に何の変化もなかった。
 パン。
 ルカ姉の平手が未亜の頬を打つ。
「いい加減にしなさい! あれには二百人を超えるディノサウロイドが乗っているのよ! ビデオゲームで遊んでいるんじゃないないのよ!」
「ぶったな! 喧嘩でボクに敵うと思うなよ。小学生の時とは違うぞ! 雷電為右衛門より強いんだぞ!」
「ほう。どうするつもり? その強化された腕力で私を殴るの? それとも宇宙に放り出す? やってみせなさい!」
「ぬう……」
 二人ともやめろって! 喧嘩している場合じゃないだろ!
「銀河最強が聞いて呆れるわ!」
「うるさい! うるさい! シュピーゲル号の実力はこんなものじゃない!」
 再び重力がかかった。スクリーンに映るディノサウロイド船がさらに大きくなる。
「レーザー砲を至近距離からぶち込んでやる! 試作の荷電粒子砲もだ!」
「馬鹿! 一度引きなさい! 別の策を考えるのよ!」
「また馬鹿って言った! 馬鹿じゃないもん! 今はお姉ちゃんより頭良いもん!」
「ゴリョウさん! 前見て!」
 榊田さんの声にスクリーンを見上げると、ディノサウロイド船の一隻が船団を離れこちらに近づいてくるのが見えた。船体がみるみる大きくなる。このままでは衝突する?
 ルカ姉が叫ぶ。
「未亜! 回避!」
「しまった、間に合わな……」
 スクリーン一杯にディノサウロイド船が広がった。
 衝撃が走り、シートベルトが肩に食い込んだ。振動が激しさを増していく。
「ロリコントカゲの舷側に衝突した! 重力アブソーバー出力最大! ダメだ、衝突エネルギーを相殺しきれない。今横滑りしている。バニシングスタビライザー破損、ドップラーレーダー破損、どんどん壊れていく! 船体が裂ける!」
 船体が裂ける? 学生服のまま宇宙に放り出されるのか。
 即死するのだろうか。苦しむのだろうか。こんなことなら机に隠しておいたエロ本、始末しておくんだった。ハードディスクを物理フォーマットしておくよう、黒田に頼んでおけば良かった。そして幡枝さんに一言……。
「止まった! なんとか耐えた!」
 振動が止まった。ブリッジから空気が漏れている様子もない。助かったのか?
「未亜! 状況報告!」
「ロリコントカゲの舷側にめり込んだ。衝突時、ロリコントカゲのディフレクターが一時的に停止したようだ。衝突角度が浅かったのも幸いした。現在はロリコントカゲのディフレクターと思われる正体不明のパワーフィールドに捕らわれている」
「ブラックホールエンジンは?」
「重力崩壊炉は超頑丈。この程度では壊れない。壊れたのは後付けした外装のみ。幸い居住区に被害はない」
 全員が安堵のため息をついた。
「大航海時代の海戦じゃあるまいし、ぶつけてどうするの。白兵戦でもするつもり?」
 ルカ姉が耐G座席に身体を預けながら言った。
「これからどうするの、艦長さん。無事故無違反記録が途絶えたわよ」
「ぬう。ロリコントカゲはお姉ちゃんと同じことを考えたようだ。ディフレクターを停止してワザと船をぶつけたんだ」
「どういう意味?」
「船内に侵入された」
 ディノサウロイドが攻めてきているのか!
「岩倉さん、侵入してきたディノサウロイドとの精神感応はできる?」
 聞く耳持たずです。この船にハックがいることを知り、パニック状態ですと言った。
「どうしてハックがこの船に乗っていることを知っているの?」
 私から情報が流れましたと岩倉が答えた。
 ダメじゃん! 精神感応!
「未亜、ブリッジの封鎖を。安全確保を最優先に……未亜?」
 未亜は正面を見据え、しばらく考えたあと小さく呟いた。
「総員退艦」
 床から半球状の透明カプセルがせり上がり、俺と未亜以外の耐G座席をひとつひとつ覆い密閉していく。
「未亜、これは何!」
 ルカ姉が内側からカプセルを叩く。
「脱出カプセル。重力ディフレクターをピンポイントに集中させれば、ロリコントカゲのディフレクターにカプセルを射出させるぐらいの穴なら開けられると思う」
「何をするつもり?」
「本艦とハックをロリコントカゲに渡すことはできない。またロリコントカゲをこのまま地球に行かせはしない。シュピーゲル号の自沈をもってこれを阻止する」
 ルカ姉が目を見開く。自沈? 
「この船は張りぼてだ。観測船にオモチャの鉄砲を付けただけの張りぼてなんだ。たった半年で実戦に耐える武器など作れるはずもない。そんなの初めからわかっていたことなんだ。初めからロリコントカゲを止める方法はひとつしかなかったんだよ」
 ロリコントカゲを止める唯一の方法?
「カプセルは地球に一週間ぐらいで到着すると思う。その間冷蔵庫の食料をうまく配分して食べてね。女子には申し訳ないけどトイレは座席下に格納してある簡易トイレを使って。カプセル内は無重力になるから取り扱いには充分気をつけること。失敗するとマジ悲惨だよ。あと地球のどこに落ちるかはわからないけど、流星号が必ず二十四時間以内に救出に行く。だからカプセルの中で待っていて。カプセルの中なら海でも南極でも絶対安全」
「未亜! あなたはどうするの!」
 ルカ姉の問いを無視して未亜は続ける。
「榊田先輩。せっかく格好いいデザインをしてもらったのに、それに見合う性能を発揮させることができなかった。ごめんなさい。ボクの部屋に飾ってある七百分の一の模型、あげるよ。著作権も返す。あとでヒロシに聞いてね」
 榊田さんのカプセルが床下に消えていく。消え際に「培養槽を見せてくれ」と聞こえた。
「幡枝先輩。ナノマシンは一ヶ月ぐらいで寿命が尽き自然分解する。オシッコと一緒に体外に排出されるから健康被害の心配は一切ないよ。それ以降は普通の女の子だ。くれぐれも言っておくけど女子は数のうちに入らないから」
 幡枝さんが「トイレの使い方を教えて」と叫びながら床下へ消える。
「トモミン。地球に残されたロリコントカゲを守ってやれるのはトモミンしかいない。お姉ちゃんと一緒に助けてやってね。あ、杏仁プリンの賞味期限は明日中だから」
 岩倉のカプセルも下がっていく。「腐れエロタヌキ、偉そう!」と叫ぶのが聞こえた。
 最後に未亜はルカ姉に言った。
「お姉ちゃん。一年に一回ぐらいは家に帰ってあげて。喧嘩ばかりしてきたけど、本当は大好きだよ。お姉ちゃんは必ず世界を変える存在になる」
 繰り返し「未亜!」と叫びながらルカ姉も床下に消えた。
 二人きりになったブリッジで未亜が俺を見た。俺はシートベルトを外し耐G座席から逃れた。放り出されてたまるか! 
 未亜が言った。
「ホライゾンモーターのリミッターを解除し、全力運転をもって重力隔壁を破壊する。これにより半径六千三百キロメートルのシュヴァルツシルト面が○・三秒間出現し、領域内に存在するすべての物質が事象の地平へと消えさる」
 まさかディノサウロイド船破壊のため、自爆させると言っているのか! 
「そんなことが許されるわけがないだろう! 恐竜人も地球人なんだぞ! 人殺しだぞ! わかっているのか?」
「残念ながら人類とロリコントカゲ、双方を守る唯一の手段がこれだ。多数の命を奪うのだから、それなりの代償は払う。ボク一人の命とシュピーゲル号がロリコントカゲ二百数十人の命に匹敵するとは思わないけどね」
 視野がグラリと傾くのを感じた。
「……お前、何を言っているんだ?」
「どの道ボクはシュピーゲル号のAI(人工知能)がなければ生きていけない。シュピーゲル号が失われる時はボクも死ぬ時だ」
 お前はディノサウロイドを道連れに死ぬと言っているのか。
 それがディノサウロイドを止める唯一の方法だというのか。
「ヒロシはボクに記憶を与えてくれた。ヒロシがいなければボクは今頃、発狂して病院に隔離されていただろう。シュピーゲル号も機能不全を起こし暴走していたかもしれない。だからヒロシが望む限り、ボクはどんな手段を使ってでも地球を守る。そう決めたんだ」
 俺が望む限り? 
 俺が一体何を望んだ?
 俺のためにこの船を自爆させると言っているのか?  
 未亜が立ち上がり俺の前に立った。スカートのポケットから腕時計のようなもの取りだすと俺の左腕にはめた。
「これは何だ」
「流星号専用ニュートリノ通信機。ヒロシの命令なら何でも聞くように言い含めておいた。あれはボクの分身だ。馬鹿でワガママなところがボクにそっくりだ。かわいがってやってくれ。シュピーゲル号には劣るけど、無茶な扱いをしない限り半永久的に動く。地球に落ちた脱出カプセルの回収をよろしく頼むよ」
「何がよろしくだ。自爆なんて認めないぞ。それが格好いいとでも思っているのか。俺がこのままおとなしく流星号に乗るとでも思っているのか!」
「思ってないよ」
 後ろでブリッジの扉が開く音がした。振り向くとハックが立っていた。俺は思わず「うわっ」と声を上げハックから顔を背ける。なぜならハックは一糸まとわぬ姿だったからだ。培養槽から出てきたばかりなのだろう、髪と身体がまだ濡れていたが、手足はきれいに治っていた。
「ふざけるのも大概に……」と言いかけたところで、ハックが俺を羽交い締めにした。背中に柔らかい物が押しつけられる感触がハッキリと伝わってくる。全裸の女に抱きつかれている? どういう状況だ、これは!
「こんなシチュエーションでもハックのおっぱいが気になる? 全く男の子という生き物はどうしようもないね。ヒロシはハックと一緒に流星号で地球に下りてもらうよ」
 未亜は苦笑いを浮かべると、ハックの耳もとで囁いた。
「これからはハックがシュピーゲル号に代わり地球の歴史を見届けてね。ついでにヒロシと幡枝先輩の行く末も見届けて欲しいな。また一人の女の子としてボクの分も生きて欲しい。美味しい物をいっぱい食べてくれ。じゃあハック、あとはお願い」
 未亜は再び耐G座席に腰掛けるとスクリーンを仰いだ。
「安全装置全解除。冷却装置全停止。ホライゾンモーター全力運転。重力ディフレクター収束、カプセル射出準備」
 ハックが俺を羽交い締めにしたままブリッジの扉へと移動を開始する。逃れようと藻掻いたが、細くしなやかな身体からは想像もできない、重機のようなパワーが俺を捉えて離さない。苦し紛れに流星号で効果があった言葉を試す。
「そうだ、絶交するぞ、絶交!」
「うん、そうだね。そうしよう。その方がボクも気が楽だ。今までありがとう」
 未亜が寂しく笑った。
 ヤバイ。こいつ、本当に……。
 だが俺が何を望んだというのだ。俺が一体何を言った?
 鬱状態から躁状態への転換。その切っ掛けとなった会話。それは……。

『ヒロシが望むことって何?』
『平穏な日常が変わりなく続くことかな』

 変わりなく続く平穏な日常。そうだ、たしかにそう言った。
 この言葉をまともに受け、未亜は今まで行動してきたというのか。このためにシュピーゲル号を自爆させ、死のうというのか。俺が何の気なしに言ったこの言葉のために? 
「聞け! 未亜」
 ハックに強制退出されつつあった俺は、辛うじてブリッジの入口にしがみついた。
「ロリコントカゲは二十光年離れた星に三億人もいるんだろ? 今回接触を回避しても、きっとまた次が来るはずだ。お互いの存在を知ってしまった時点で、接触は不可避なものになったんだ。そうなったらお前の命も、ロリコントカゲの命も、二億五千万年の英知も、すべて無駄になってしまうんだぞ!」
 ハックの動きが止まる。未亜がゆっくりと俺を見た。
「次の来訪まで少なくとも四十年の猶予ができるよ。四十年あればお姉ちゃんが必ず何とかする。御陵琉花は将来世界を変える存在になる。今回の経験を糧にね」
 こいつ、計算づくだったのか。ここまで考えた上での行動だったのか。たしかにルカ姉ならなんとかするのかも知れない。しかし所詮は先送りじゃないか!
「お前は『高い精神性は与えられるものではない、獲得するものだ』と言った。平穏な日常も同じじゃないのか。勝ち取らなければ意味がないんだ! 人類も馬鹿じゃない。必ずこの試練を乗り越える。逆にこの程度の試練を乗り越えずして、人類の未来はないんじゃないか?」
 今日までの平穏も、幾つもの大戦を乗り越えた先人たちが獲得したもののはずなのに、俺たちはそれを忘れている。
「俺が言った一言なんて、なんの意味もない。ましてやお前が人類に対して責任を負う必要もない。これは人類自身の問題なんだ!」
「ヒロシ」
 未亜が穏やかな笑みを浮かべる。
「ボクは実のところ、そんなに難しいことは考えていないんだ。人類とか文明とか、正直どうでも良いんだ。ヒロシに恩返しをしたい。ただそれだけなんだよ」
「何だよ、それ」
「ボクは事故の際、左脳と同時に脳下垂体や海馬も失った。現在はナノマシンがこれら器官を擬似的に再構成し、生命維持に必要な最低限の機能を果たしているに過ぎない。結果ボクは成長が止まり、女としての機能も失った。ナノマシンが供給され続ける限り、ボクは歳をとることなく今の姿のまま永遠に生き続ける。たとえ体細胞がその分裂回数の限界を超え死滅しても、ナノマシンがその細胞に取って代わり永遠に朽ちることはない。ボクは人外の存在なんだ」
 これか。これが「だってボクは」に続く言葉なのか。
「去年の七月二十四日、御陵未亜は死んだ。ボクは御陵未亜を演じ、御陵未亜になりすますことで今日まで生きてきた。ボクは御陵未亜の偽物なんだ。こんなゾンビみたいな女をヒロシは助けてくれた。本当に感謝しているんだ。でもボクは、人として女としてヒロシに返してやれるものが何ひとつない。これはせめてもの恩返しなんだ」
「それで愛人でいいとか言っていたのか」 
「……」
「思い上がるな、この馬鹿!」
 悔しかった。
「ば、馬鹿?」
 情けなかった。
「子どもを産むことができなければ、女は価値がないのか?」
「そんなことは言っていないよ」
 未亜は自身を価値のないものだと考えているのだ。それどころか自身の存在そのものに確信が持てずにいるのだ。それに気付くことができなかった俺自身が歯がゆかった。
「世の中には色んな障害を抱え生きている人たちが沢山いる。お前はその人たちを否定するのか?」
「だからそんなこと言ってない!」
「俺に返してやれるものが何もないって言ったな?」
「……うん」
「この十ヶ月間、俺がお前にどれだけ楽しませてもらったと思っているんだ。地球防衛軍設立に、謎のパーカー男と流星号。アメリカ軍襲撃の次は、宇宙に飛び出して宇宙人との対決。インディアナ・ジョーンズも裸足で逃げ出す大冒険じゃないか!」
「でもそれは……」
「なのにオチがこれか? 明日から四十年、何事もなかったように平穏に暮らせと言うのか? それで自分だけハイさよなら? ふざけんな。平穏な日常なんかに今さら戻れるかって話なんだよ。ここまで来たんだ。最後まで付き合え」
「付き合う?」
「人類がこれにどう対処するのか、見物してやろうじゃないか。どんな結末が待っているのか、一緒に見届けようぜ」
「ボクも実のところ、人類が滅びるとまでは思っていない。でもこれを期に世界の構造は大きく変わっていく。大きな戦争が起きるかもしれない。日本という国がなくなるかもしれない。人類は今、それぐらいの岐路に立っているんだよ。一度転がりだしたら後戻りできないんだよ」
「その時は俺たちが何とかしてみせる。大人になった俺たちがなんとかする! ルカ姉だって言ったじゃないか、あなたたちが変えてみせなさいって」
「……ヒロシは本当にそれで良いの?」 
「そうだ。これが俺の望むことだ!」
 ハックが手を離した。俺は未亜に駈け寄ると両肩をつかんで言った。
「アニメや特撮が好きでフィギュア好き。がさつで喧嘩っ早い男のような精神構造。七月二十四日の前とあとで、お前のどこが変わったっていうんだ。何も変わっちゃいないんだよ。人の本質なんてそう簡単に変わる物じゃないんだ。おまえは記憶をなくして少しナーバスになっているだけなんだ」
 俺は未亜の両のほっぺたを思いっきりつねった。
「痛ひ」
「この痛みは偽物か? 痛いって事は生きているって事だろ? 今重要なのは、お前が生きているという事実なんだよ。それで充分じゃないか。俺にとっては充分だよ。それでも不安だっていうなら、一緒に秋葉原へなくした記憶を探しに行こう。俺が見つけてやる。見つからなければ記憶なんていくらでも作ればいい! 俺が手伝ってやるから! 俺が一生付き合ってやるから! 未亜、だから俺と一緒に地球に帰ろう! 未亜、だから死ぬなんて言うなよ!」
「だからヒロシは……」
 耐G座席の上で未亜が声を上げて泣いた。大玉転がしで転んだあの日のように。
 通路の向こうに近づく無数の足音を聞きながら、俺は未亜を力一杯抱きしめた。




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