(完結) わたし

水無月あん

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やっと、くるまれていたものから出された瞬間、知らない匂いがした。
臭くはないが、山にはない匂いだ。

「わが屋敷へ、ようこそおいでくださいました。今日より、ここが地蔵菩薩様のお部屋にございます。どうぞ、これから、わが家だけをお守りください」
庄屋と呼ばれた男が、嬉しそうにそう言った。

注意深く、まわりを見る。
今までいたほこらとは違って、高い天井に、足元はつやつやとした木の板だ。

どこを見まわしても、天は見えない。ずっと苦しめられてきた天から完全に逃れられたのか…。

つまり、ここは、どこよりも安全なところということ。

願いは叶った。なのに、なぜだか、心がざわついた。



屋敷の日々は、ほこらにいる時以上に静かだ。

毎朝、庄屋とその家族が拝みにくる。
昼になると、女が掃除にくる。
夜は、庄屋だけが、色々と願いをのべにくる。

その繰り返しだ。

静かすぎるせいか、だんだん、まわりのことがぼんやりしてきた。

気がつくと、どうやら、季節が変わっていたようだ。

このまえ、ウグイスの鳴き声が聞こえてきたと思ったのに、今は、寒い時に山で聞いた、ジョウビタキの声が聞こえてきている。

(ちょっとぼんやりしていたら、もう、冬か…)

これほど、のんびりできるということは、ここはどこよりも安全だということ。

(やっぱり、自分は運が良かった…)

安心すると、また、うつらうつらと、意識が遠のいていった。


しかし、突然、嵐はやってきた。

天が見えていたころは、天のかわっていく色だったり、音だったりで、心構えもできていた。
だが、天が見えないだけに、完全に不意打ちだった。

ある日、静かな部屋に、庄屋が飛びこんできた。

目は落ち着きなく動き、息が乱れ、全身が震えている。
そして、床にくずれおちるようにして、頭をすりつけた。

(何があった?)

問いかけても、庄屋に声は届かない。

「お助けください、地蔵菩薩様。お助けください、お助けください…」
庄屋は、ぶつぶつと繰り返すばかりだ。

初めて、人間の言葉に必死で耳をすませた。
つぶやく言葉をかき集め、気長く、つなぎあわせていく。

そして、やっと、わかった。

恐ろしいはやり病というものが、このあたりに広がっているということが。

が、わかったところで、どうすることもできはしない。

自分は地蔵菩薩ではない。ニセモノなのだから。

とたんに、体が、ずしりと重くなった。ニセモノの体が、重くて重くてたまらない。

(入れかわるんじゃなかった…)

悔やんだところで、これまた、どうすることもできなかった。
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