(完結) わたし

水無月あん

文字の大きさ
上 下
3 / 11

まさか

しおりを挟む
「では、目を閉じろ」
声が言った。

「目を? なんでだ?」

「すぐにすむ。開けて良いと言うまで、閉じておけ」

「…わかったよ」

言われるがままに目を閉じる。
体にたたきつける雨の感覚と雨の音が、いっそう強くなった。

そのとたん、ふいに、心の臓がひゅっとつかまれた気がした。
そして、体がぐいっと上にうきあがる。
と、思ったら、今度は体がひゅっと落ちた。そして、雨があたる感覚が消えた。

一体、何がおきてるんだ…。

怖くなった俺に、
「目を開けてよいぞ」
と、声が聞こえた。おそるおそる目をあける。

暗い…。
とっさに、わずかだが、明るいほうへと目をむけた。
すると、格子越しに、雨がふっている山の景色が見えた。

さっきまで、俺がたっていたところだ…。

え? まさか? 俺は、ほこらの中にいるのか?!
本当に、ほこらの中にあった、あの木の置物と入れ替わったのか?!

「うそだろ…」

すると、格子のむこうに、大きなしっぽが、ふわりと動いた。
見慣れたしっぽ。そう、俺のしっぽだ。というか、しっぽだったはず…。
しかも、ぬれそぼっているのに、楽しそうにゆれている。

あっけにとられている俺の耳に、格子の向こうから声が届いた。

「ああ、心地よい雨だ! また、自由になる日がこようとは! 私は本当に運がいい。おろかな狐よ、礼を言うぞ」
そう言って、自分の一部だったしっぽが、雨の中へと消えていった。



ほこらに入って、一体、どれくらいたったんだ?

もう、ずいぶんたったような気もするが、よくわからねえ。

なにせ、木の置物に入った体は、ぴくりとも動けないからな。

もちろん、動けないってことは暇だ。お日様がのぼって、お日様が沈むのも、やたらと長い。
だが、雨風をしのげ、敵に狙われることもない。安全なすみかがあるのは、それだけで極楽だ。

ただ、入れかわってすぐの頃は、ここにやってくる人間にびくびくした。
しかし、あの声の言ったとおり、入れかわったことに気づく者なんて、いやしねえ。
人間たちは、自分の願いをべらべらしゃべって帰るだけだ。

人間は、恐ろしくて、あなどれない奴らだと思っていたが、たいしたことないじゃねえか。
自分しか見ちゃいないから、俺に気づきもしないしな。

山であれじゃあ命はないが、人間は、よほど、のんきなところに住んでるんだろうよ。
まったく、恵まれすぎだ。

なのに、だ。奴らときたら、いったい、どれだけ願いがあるんだ?
ほこらの中で、人間たちが願うことを聞いていると、驚かされっぱなしだ。

たとえば、腹がすいたから、食べ物が欲しい。安全な寝床が欲しい。そんなわかりやすいもんばかりが願いだと思っていた。

だが、人間たちは違う。
よくわからねえもんをやたらと欲しがったり、他の者の不幸を願ったり。
しかも、そこなし沼みたいにつきることがねえ。

次は何かとあきれるが、暇をつぶすにはちょうどいい。

ああ、それにしても、惜しいのは、奴ら人間がもってくる供えもんだ。
うまそうなのに、どうやっても食べられねえ。

かわりに、山に住むものたちが食べるのを、ほこらの中から見るだけだ。

まあ、ほこらに入ってから、不思議と腹はすかなくなったがな。

つまり、雨にぬれることもなく、飢えて死ぬこともなくなったってことだ。俺もいい身分になったもんだ。

しかし、あの声は、なんで、こんないい暮らしを取りかえたくなったのかね?
よくわからないが、俺は運が良かった。それだけは、間違いねえな。
しおりを挟む

処理中です...