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第二部
6.遠い人 フィオナ視点
しおりを挟む「ほら、あの子よ。フィオナ・ローレンスさん……」
「公爵家のリディア様を陥れてアデルバート殿下の気を引こうとしたっていう?」
「母親は平民出身でしたっけ? 育ちって出るのかしらねぇ」
廊下を歩く度、ひそひそ声が耳に刺さる。私は唇を噛んで、うつむいたまま早足でその場を通り過ぎた。
悔しい。どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの?
悪いのはすべて、リディア・クロフォードだというのに。
***
半年前、私はこの貴族の子女たちが通うレフィオル王立学園に特待生として入学することになった。
私は男爵家の令嬢といっても、女優をしていた母が亡くなってから親戚の家を転々とした後、実父であるローレンス男爵の家に引き取られたばかり。
貴族の人間ばかりが通う学園なんて未知の世界で、入学式の日は緊張し通しだった。
気を張り過ぎて疲れきった私は、肝心の先生の指示を聞き逃して、大ホールから教室に戻る途中で迷ってしまった。
そんなとき、うろうろと校舎を彷徨っていた私に声をかけてくれたのがアデルバート様だった。
「新入生だよな。道に迷ったのか?」
「はい、教室がどこかわからなくて……」
「わかった。一年生の教室まで案内しよう」
アデルバート様はそう言うと、背を向けて私が歩いてきたのと反対方向に歩きだした。彼の後を歩きながら、私の心臓はばくばくと音を立てていた。
つい最近、貴族の仲間入りをしたばかりの私でも知っている。彼はレフィオル王国の王太子だ。
この学園に通っているのは知っていたけれど、まさか初日にお会いするなんて……。
校舎内を彷徨っていたときとは別の意味で落ち着かなくて、私は斜め前を歩く彼の横顔をちらちらと盗み見る。
輝くような銀色の髪に神秘的な紫の瞳。式典などで遠目から見たことはあったけれど、近くで見ると神々しいまでに綺麗な顔をしている。
思わず見惚れてしまってから、慌てて頭を横に振った。
一体、何を見惚れているの。この人は本来私が近づくこともできない高みにいる方なのに。
私がそんなことを考えているうちに、一年生の教室のある場所についたようでアデルバート様は足を止めた。
「この辺りが一年生の教室だ。クラス名はわかるか?」
「は、はい。C組です」
「なら、この隣の教室だ。まだ先生も来ていないみたいでよかったな」
「ありがとうございます。ご親切に案内していただいて」
私はぺこりと頭を下げる。王太子様に道案内をしてもらうなんて、なんとも恐れ多い体験をしてしまった。
アデルバート様が誠実で誰に対しても分け隔てなくお優しいという噂はよく耳にしていたが、本当だったらしい。
「気にすることはない。……ん?」
「どうかしましたか?」
「いや、君は特待生なのか」
「あ、これですか? そうなんです。運が良かったみたいで」
アデルバート様の視線が私の制服の肩口にあるのに気づき、言った。私の制服には、特待生を示す金色の薔薇の刺繍がしてある。
「今年の特待生は、確か女子は一人だったな。ということは、君はローレンス男爵家の令嬢か」
「えっ? その、はい」
まさか知られているとは思わず、動揺してしまう。アデルバート様はどこまで知っているのだろうか。
私が正妻の子ではないことも、母が平民出身であることも知っているのであろうか。
私が引き取られた男爵家で奥様から嫌われ、追い出されるようにこの学園の寮に入れられたことも知っているんじゃ──……なんて、あるはずもない妄想が頭をかすめる。
私にとってローレンス男爵家とは、名前を出されるだけで体がこわばる場所だった。
男爵家からの借りを少しでも減らすため、私は必死で勉強して授業料が免除される特待生になったのだ。
「ああ、すまない。見ず知らずの人間がそんなことを知っていたら気持ち悪いよな」
私の様子がおかしいのを感じ取ったのか、アデルバート様は申し訳なさそうな顔で言う。私は慌てて首を横に振った。
「いいえ! 気持ち悪いなんてそんなこと。それに、平民として生きて来た私でも、アデルバート殿下のお姿くらい知っています」
「そうか、知っていたのか。気味悪がられていなくてよかったよ」
アデルバート様はそう言って笑った。
「すべての特待生の名前を憶えているわけではないんだが、君の経歴を見て感心したんだ。最近貴族になったばかりだというのに、入学試験で高得点を取って、その上特待生になるなんてなかなかできることではない」
「いえ、そんなことは」
「なにか困ったことがあれば、いつでも言ってくれ。この学園は少々特殊だから、戸惑うこともあるだろう」
「……ありがとうございます」
アデルバート様に邪気のない顔で笑いかけられ、思わず胸が高鳴った。駄目駄目、この人は王太子様なんだから。何をときめいてるの。自分にそう言い聞かせる。
「それじゃあ、また」
アデルバート様はそう言うと背を向けて去って行く。
アデルバート様に会う前に抱いていた不安な思いがどこかへ消えていくようだった。
あの方は王太子という高い地位にありながら、決して正統とは言えない私の生まれを平等に見てくれた。
その上、私の努力も認めてくれた。
「アデルバート様、素敵な人だったなぁ……」
思わず口からそんな言葉がこぼれ落ちて、慌てて手で覆う。
けれど、笑いかけてくれたアデルバート様の優しげな顔は、振り払おうとしても頭から離れなかった。
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