噂好きのローレッタ

水谷繭

文字の大きさ
上 下
22 / 58
第二部

6.遠い人 フィオナ視点

しおりを挟む

「ほら、あの子よ。フィオナ・ローレンスさん……」

「公爵家のリディア様を陥れてアデルバート殿下の気を引こうとしたっていう?」

「母親は平民出身でしたっけ? 育ちって出るのかしらねぇ」

 廊下を歩く度、ひそひそ声が耳に刺さる。私は唇を噛んで、うつむいたまま早足でその場を通り過ぎた。

 悔しい。どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの?

 悪いのはすべて、リディア・クロフォードだというのに。


***


 半年前、私はこの貴族の子女たちが通うレフィオル王立学園に特待生として入学することになった。

 私は男爵家の令嬢といっても、女優をしていた母が亡くなってから親戚の家を転々とした後、実父であるローレンス男爵の家に引き取られたばかり。

 貴族の人間ばかりが通う学園なんて未知の世界で、入学式の日は緊張し通しだった。

 気を張り過ぎて疲れきった私は、肝心の先生の指示を聞き逃して、大ホールから教室に戻る途中で迷ってしまった。

 そんなとき、うろうろと校舎を彷徨っていた私に声をかけてくれたのがアデルバート様だった。

「新入生だよな。道に迷ったのか?」

「はい、教室がどこかわからなくて……」

「わかった。一年生の教室まで案内しよう」

 アデルバート様はそう言うと、背を向けて私が歩いてきたのと反対方向に歩きだした。彼の後を歩きながら、私の心臓はばくばくと音を立てていた。

 つい最近、貴族の仲間入りをしたばかりの私でも知っている。彼はレフィオル王国の王太子だ。

 この学園に通っているのは知っていたけれど、まさか初日にお会いするなんて……。

 校舎内を彷徨っていたときとは別の意味で落ち着かなくて、私は斜め前を歩く彼の横顔をちらちらと盗み見る。

 輝くような銀色の髪に神秘的な紫の瞳。式典などで遠目から見たことはあったけれど、近くで見ると神々しいまでに綺麗な顔をしている。

 思わず見惚れてしまってから、慌てて頭を横に振った。

 一体、何を見惚れているの。この人は本来私が近づくこともできない高みにいる方なのに。


 私がそんなことを考えているうちに、一年生の教室のある場所についたようでアデルバート様は足を止めた。

「この辺りが一年生の教室だ。クラス名はわかるか?」

「は、はい。C組です」

「なら、この隣の教室だ。まだ先生も来ていないみたいでよかったな」

「ありがとうございます。ご親切に案内していただいて」

 私はぺこりと頭を下げる。王太子様に道案内をしてもらうなんて、なんとも恐れ多い体験をしてしまった。

 アデルバート様が誠実で誰に対しても分け隔てなくお優しいという噂はよく耳にしていたが、本当だったらしい。

「気にすることはない。……ん?」

「どうかしましたか?」

「いや、君は特待生なのか」

「あ、これですか? そうなんです。運が良かったみたいで」

 アデルバート様の視線が私の制服の肩口にあるのに気づき、言った。私の制服には、特待生を示す金色の薔薇の刺繍がしてある。

「今年の特待生は、確か女子は一人だったな。ということは、君はローレンス男爵家の令嬢か」

「えっ? その、はい」

 まさか知られているとは思わず、動揺してしまう。アデルバート様はどこまで知っているのだろうか。

 私が正妻の子ではないことも、母が平民出身であることも知っているのであろうか。

 私が引き取られた男爵家で奥様から嫌われ、追い出されるようにこの学園の寮に入れられたことも知っているんじゃ──……なんて、あるはずもない妄想が頭をかすめる。

 私にとってローレンス男爵家とは、名前を出されるだけで体がこわばる場所だった。

 男爵家からの借りを少しでも減らすため、私は必死で勉強して授業料が免除される特待生になったのだ。


「ああ、すまない。見ず知らずの人間がそんなことを知っていたら気持ち悪いよな」

 私の様子がおかしいのを感じ取ったのか、アデルバート様は申し訳なさそうな顔で言う。私は慌てて首を横に振った。

「いいえ! 気持ち悪いなんてそんなこと。それに、平民として生きて来た私でも、アデルバート殿下のお姿くらい知っています」

「そうか、知っていたのか。気味悪がられていなくてよかったよ」

 アデルバート様はそう言って笑った。

「すべての特待生の名前を憶えているわけではないんだが、君の経歴を見て感心したんだ。最近貴族になったばかりだというのに、入学試験で高得点を取って、その上特待生になるなんてなかなかできることではない」

「いえ、そんなことは」

「なにか困ったことがあれば、いつでも言ってくれ。この学園は少々特殊だから、戸惑うこともあるだろう」

「……ありがとうございます」

 アデルバート様に邪気のない顔で笑いかけられ、思わず胸が高鳴った。駄目駄目、この人は王太子様なんだから。何をときめいてるの。自分にそう言い聞かせる。

「それじゃあ、また」

 アデルバート様はそう言うと背を向けて去って行く。


 アデルバート様に会う前に抱いていた不安な思いがどこかへ消えていくようだった。

 あの方は王太子という高い地位にありながら、決して正統とは言えない私の生まれを平等に見てくれた。

 その上、私の努力も認めてくれた。

「アデルバート様、素敵な人だったなぁ……」

 思わず口からそんな言葉がこぼれ落ちて、慌てて手で覆う。

 けれど、笑いかけてくれたアデルバート様の優しげな顔は、振り払おうとしても頭から離れなかった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

女神様の使い、5歳からやってます

めのめむし
ファンタジー
小桜美羽は5歳の幼女。辛い境遇の中でも、最愛の母親と妹と共に明るく生きていたが、ある日母を事故で失い、父親に放置されてしまう。絶望の淵で餓死寸前だった美羽は、異世界の女神レスフィーナに救われる。 「あなたには私の世界で生きる力を身につけやすくするから、それを使って楽しく生きなさい。それで……私のお友達になってちょうだい」 女神から神気の力を授かった美羽は、女神と同じ色の桜色の髪と瞳を手に入れ、魔法生物のきんちゃんと共に新たな世界での冒険に旅立つ。しかし、転移先で男性が襲われているのを目の当たりにし、街がゴブリンの集団に襲われていることに気づく。「大人の男……怖い」と呟きながらも、ゴブリンと戦うか、逃げるか——。いきなり厳しい世界に送られた美羽の運命はいかに? 優しさと試練が待ち受ける、幼い少女の異世界ファンタジー、開幕! 基本、ほのぼの系ですので進行は遅いですが、着実に進んでいきます。 戦闘描写ばかり望む方はご注意ください。

悪役令嬢は永眠しました

詩海猫
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」 長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。 だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。 ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」 *思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

さよなら、皆さん。今宵、私はここを出ていきます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【復讐の為、今夜私は偽の家族と婚約者に別れを告げる―】 私は伯爵令嬢フィーネ・アドラー。優しい両親と18歳になったら結婚する予定の婚約者がいた。しかし、幸せな生活は両親の突然の死により、もろくも崩れ去る。私の後見人になると言って城に上がり込んできた叔父夫婦とその娘。私は彼らによって全てを奪われてしまった。愛する婚約者までも。 もうこれ以上は限界だった。復讐する為、私は今夜皆に別れを告げる決意をした―。 ※マークは残酷シーン有り ※(他サイトでも投稿中)

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

だから聖女はいなくなった

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」 レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。 彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。 だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。 キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。 ※7万字程度の中編です。

乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?

シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。 ……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。

処理中です...