妹の身代わりに隣国の王子に嫁ぎました。が、婚約破棄されそうなので、好きにやらせてもらいます

水谷繭

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1巻

1-1

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   第一章 エラ王女


 シルフィス王国の王妃には、男児がついに生まれなかった。
 国王夫妻の子供は女児が二人。そのため、姉のエラ姫が婿むこを取って国を継ぐことになっていた。
 二人の王女は、見た目も性格もまるきり反対だった。姉のエラが銀色の長い髪に深い赤紫色の瞳をした、氷のような少女であるのに対し、妹のリリアンは桃色がかった淡い金色の巻き毛に柔らかなラベンダー色の瞳をした、花のような少女だった。
 エラは頭の良い子供だった。努力家でもあり、自分が国を継ぐことが決まると、良き女王になれるよう、今まで以上に勉強に励んだ。エラの子供時代は、政治や魔法学の勉強にマナー教育と、遊ぶ暇などまるでなかった。
 一方、自由奔放で甘え上手な妹のリリアンは、国王夫妻からも使用人達からもよく愛され、甘やかされて育った。
 同じ姉妹でも、二人は対照的な行動を取ることが多かった。例えば、ある晩餐会が開かれた日のこと。エラとリリアンには同じデザインのドレスが用意されていた。伝統的で冒険しない、悪く言えば古めかしいドレスだ。
 エラは流行から外れたそのドレスをあまり嬉しいプレゼントだとは思わなかったが、新しいものをねだるなんて考えもせず、用意されたものを受け取った。しかし、リリアンはドレスを見るとすぐさま不満を口にし、可愛らしい声で国王に新しいものをねだりに行った。国王はそんなリリアンの頼みを、頬を緩めて聞いていた。
 無邪気なリリアンの様子を、エラは驚き半分、うらやましさ半分で眺めた。エラはリリアンに比べて器用さはなかったが、自分に与えられた役割をこなし続けた。すべては将来女王となってよく国を治めるためだ。どんなに勉強が辛くても、どんなに自由な時間がなくても、エラはただ努力し続けた。


 十八歳になると、エラは王族らしい気品を備えた立派な女性に成長した。他国の王子にも負けない教養を持ち、臣下達からも慕われている。特に魔法学の知識に大変優れていたため、エラの存在は他国にも知られるようになった。
 エラが勉学でもマナーでも努力したのは、女王になった時に馬鹿にされないためだった。シルフィスの女王にふさわしい人間になるために、エラは必死で努力した。
 しかし、そんなエラの努力は、ある日あっさり裏切られる。


   ❖ ❖ ❖


「私がレミア王国の王子と婚約? お父様、それはどういうことですか?」

 十八歳の誕生日、エラは国王に呼び出された。
 これからの国のことについて話されるのだと疑っていなかった。婚約の話が出ることも予想していた。しかし、国王の口から出たのは、婚約の話ではあっても、エラの予想とはまったく違ったものだった。

「つまり、エラ。お前には以前からユーティア王国のカイル王子と結婚するように言ってきたが、それを取りやめてレミア王国に嫁いでほしいのだ」

 国王の表情には若干の後ろめたさがある。カイル王子はユーティア王国の第四王子だ。エラとは子供の頃から交流があり、おおやけにこそしていないが、いずれ婚約し、婿むことしてシルフィス王国に来ることは決定しているようなものだった。
 しかし、国王はそれを取りやめると言う。そして、さらにエラの耳についたのは「嫁ぐ」という言葉だ。

「お父様。私がレミアに嫁ぐとはどういうことでしょう。私はこの国の女王となるべく育てられたのではなかったのですか」

 エラがはっきりした声で尋ねると、国王は気まずそうに目を逸らし、もったいぶった口調で話し始めた。

「お前も我が国とレミア王国の関係は知っているな? 我が国はレミア王国よりもずっと小さく、あの国との取引がなくなれば存続できない。しかし、度重なる事件の影響で、レミア王国との関係は悪化している」

 エラは難しい顔のままうなずいた。
 国王の言う通り、シルフィス王国にとってレミア王国はなくてはならない国だ。貿易も他国との関係調整も、かの国に頼り切っている。その後ろ盾がなくなれば今のシルフィス王国は存続すら厳しい。
 しかし、最近は困ったことに、シルフィスの国民とレミアの国民の衝突が続いていた。きっかけは、レミアがシルフィスに対して不平等な貿易をいたこと。もともとレミア国民には、小国であるシルフィスを見下しているところがあったため、その件を機にシルフィスの民の不満が表面化し始めた。
 結果、シルフィス国民がレミア国民につっかかり、それに怒ったレミア国民が報復をするといった事件が相次いだのだ。両国民の仲はどんどん険悪になっていった。
 エラもそのことに対しては危機感を覚えていたし、国王が解決に頭を悩ませているのは知っていた。しかし。

「レミアとの問題は承知しています。しかし、それでなぜ私が嫁ぐことになるのですか」
「レミア国王が調停を持ちかけてきたのだ。あちらにとっても我が国は重要な取引相手だ。関係が悪化するのは避けたいのだろう。あちらの王子とこちらの王女を結婚させることで、関係悪化に歯止めをかけるべきだという結論に至った」
「それならば、リリアンのほうが適任なのではないですか?」

 エラは迷いのない口調で尋ねる。
 女王になるべく教育されてきたエラと違い、妹のリリアンはほとんど専門の教育を受けていない。突然女王になれと言われたって無理なはずだ。

「それがな、リリアンはレミア王国に行きたくないと言うのだ」
「え?」

 エラはあっけに取られて国王を見た。
 リリアンが行きたくないと言うのはわからないでもない。妹は先月十六歳になったばかりで、つい最近まで婚約の話すらなかったのだ。突然結婚話が舞いこんで戸惑うのはわかる。
 しかし、問題は国王がそれを当然のように受け入れていることだ。さらに、その解決策としてエラを代わりに差し出そうとしていることも。

「それは、つまり、リリアンが嫌だと言うから私に代わりに行け、ということですか?」

 努めて冷静にエラが尋ねると、国王はうなるようにああ、とうなずいた。エラは信じられない思いでその顔を見る。
 エラとて突然レミアに嫁がされるなんてごめんだった。あの国はシルフィス王国を見下しているのだ。その上、度重なる事件のせいでシルフィスへの反感が高まっている。行けば、どんな風に扱われるのかわからない。
 この呼び出しがせめて相談という形であれば良かった。それならば、ほかに方法はないのか考えることができる。しかし、国王はリリアンが嫌がったので、あっさりとエラを代わりにすることに決めたのだ。

「お言葉ですが、リリアンは女王になるための教育を十分に受けていません。私が行けば、この国の将来に関わります」

 それでも、エラは嫌だとは言えなかった。
 ただ、祈りを込めて冷静に問題点を指摘した。

「それは、なんとかしよう。何もすぐにリリアンに後を継がせるわけではないのだ。優秀な部下もいる。それは心配しなくていい」

 しかし、その祈りは簡単に退けられた。それでは私が今まで受けてきた教育や我慢はなんだったのだ、という言葉を、エラはかろうじて呑みこむ。国王が決めたことだ。エラにはどうすることもできない。


 その日からエラの日常は一変した。
 政治の勉強からマナーレッスンに比重が移り、外見を整えることに長い時間が費やされるようになった。授業で教わる内容は、生まれ育ったシルフィスの歴史ではなく、レミアの歴史に変わった。
 エラは教わることのすべてに嫌悪感を覚えた。まるで自分が貢物にでもなったような気がした。より良い品物になるために価値を高められているような心地。そうして否応なくそんな立場に立たされていることをみじめに思った。
 女王になるべく育てられた自分が、妹のわがままと国王の浅慮せんりょによってあっさりと代えのきく立場に追いやられている。
 他国の王女のように誰にも嫁ぐことなく、自らが国を継ぐ立場にあることにひそかにプライドを持っていたエラは、打ちのめされる思いだった。

「お姉様」
「リリアン?」

 授業の合間に自室でぼんやりと窓の外を眺めていると、扉の陰からリリアンが顔を出した。リリアンは申し訳なさそうな顔でエラに近づく。

「ごめんなさい、お姉様。私のわがままでお姉様がよその国に行くことになってしまって」

 エラは声に苛立ちがにじみそうになるのを抑え、できるだけ冷静に言った。

「お父様がお決めになったのだから仕方ないわ。与えられた役割に従うだけよ」
「お姉様って強いのね! 私なんて、よく知らない国にお嫁に行かされるって聞いただけで恐ろしくなって、お父様に泣きついてしまったのに……。そんなに平然としていられるなんて」
「怯えていたってどうしようもないから普通にしているだけよ」
「でも、レミアって嫌な噂があるでしょう? ほら、シルフィス国民を嫌っているとか、国境付近の学校ではレミアの子供がシルフィスの子供をいじめるとか……」

 エラはじっとリリアンの顔を見た。申し訳なさそうな顔を作ってはいるけれど、面白がるような響きが隠しきれていない。

(リリアンは私がよその国に嫁がされるのが愉快でならないんだ)

 エラはなんとも言えない不快感に襲われた。
 昔からそうだった。表面上は無邪気に可愛らしく振る舞うリリアンだが、内心では姉のエラを毛嫌いしている。エラが失敗するとおかしくて仕方ないという顔をしながら、しかしそれを周囲には悟らせず、「お姉様元気を出して」としらじらしく励ますのだ。
 周りの人はリリアンを優しいいい子だと言うが、エラには小賢こざかしい悪魔にしか見えなかった。

「あなたは何も気にしなくていいわ。それより、女王になるのだからきちんと勉強しなさいね」

 冷静な顔を崩さずにエラが言うと、リリアンは一瞬つまらなそうな顔をした。しかし、すぐに笑顔を見せて「ありがとうお姉様」とだけ残し、去っていく。
 扉が閉まると、エラはスカートをぎゅっと握りしめて、乱れた感情が収まるのを待った。


   ❖ ❖ ❖


 あっという間にレミアへ旅立つ日がやってきた。
 半年後の結婚に備えて、婚約者という立場でレミアの城で暮らすことになったのだ。国王に命令されてからまだ一ヶ月しか経っていない。エラは心の準備も十分でないまま、これまで数回しか訪れたことのない国に旅立つことになった。
 使用人もなく、少ない荷物と共に数日間馬車に揺られ、レミアの城に到着する。
 馬車を降ろされて城内へ入ると、一人のメイドが歩み寄ってきた。

「エラ様、私はエラ様のお世話をすることになりましたジリアンでございます。お見知りおきを」
「ええ。よろしく」

 ジリアンと名乗ったメイドは、品定めするようにエラを見る。口調こそ丁寧だが、歓迎していないのは明らかだった。

「こちらがエラ様のお部屋でございます。必要なものはすべて中に揃っていますので、ここからは出ないようお願いします」
「え? 部屋の外に出てはいけないの?」

 エラは驚いてジリアンを振り返る。

「ご用がある時はお呼びします」
「ご用がある時って……。廊下を歩いたり、庭に出たりするのもだめってこと?」
「王子からそう申しつけられていますから」
「それじゃあまるで閉じこめられているみたいじゃない」
「こちらの国ではまだシルフィスに対する警戒心が強く、エラ様のためにもお部屋にいるのが賢明でございます。ご理解ください」
「……わかったわ」

 エラは納得できないながらもうなずいた。慣れないうちは従うしかないと思ったからだ。
 この国に来て数時間で、エラは拭い去りがたい違和感にさいなまれた。一応は婚約者としてやってきたというのに、ジリアン以外の城の人間は姿さえ見せない。もちろん婚約者である王子本人もだ。
 荷物を運んできたジリアンに、王子や国王夫妻にはいつ挨拶に行けばいいかと聞いてみたが、「それは後々お伝えしますのでエラ様はお気になさらず」とつっけんどんに言われてしまった。
 不審に思いながらも、エラは時が来るまで待つことにした。


 しかし、その時は一向にやってこなかった。
 城に来てから一週間が経つというのに、いまだにエラはメイドのジリアン以外の人物と口をきいていない。
 食事や着替えはジリアンが運んでくる。お風呂やトイレは与えられた部屋の隅にある専用のものを使う。生きていく上で支障はないが、ただ生かされているだけという扱いで、エラは大いに戸惑っていた。
 このまま私は軟禁状態で置いておかれるのではないか。エラはそう考えて身震いした。
 ――城に来て十日目、ようやくエラは王子と顔を合わせることになった。
 その日の朝、エラの部屋を訪れたジリアンは、本日の午後に王子と会っていただきます、と抑揚よくようのない声で告げた。

「今まで何度聞いても王子の都合が合えばとしか言ってくれなかったのに、随分ずいぶん急ね」
「申し訳ありません。王子が公務で忙しかったものですから」
「婚約者になる人間に、わずかでも時間を作って挨拶できないほど?」

 エラは冷たい声で聞き返したが、ジリアンは少しの動揺も見せず、申し訳ありませんと無表情に言って去ってしまった。
 エラはため息を吐く。見知らぬ土地にやってきた婚約者を十日も放っておく王子だ。歓迎してくれるとは思わないほうがいいだろう。エラは憂鬱ゆううつな気持ちで午後を待った。


 午後になると、エラは明らかに上等とわかるドレスを着せられ、城の奥の部屋に案内された。
 中にはすでに人影がある。使用人を一人そばに置き、じっと窓の外を眺めていたその人は、ジリアンが声をかけるとゆっくり振り向いた。
 後ろで一つに結った金色の髪に、美しい青緑色の瞳。レミア王国の第一王子であるカーティスは、絵物語に出てくるようなうるわしい姿をしていた。
 しかし王子は整った顔をゆがめて、不快そうにエラを眺めている。

「君がシルフィス王国の第一王女、エラか」

 カーティスはつまらなそうにエラを呼んだ。不機嫌な態度を隠そうともしない。エラは戸惑うと同時に「やはり」と思いながら、頭を下げた。

「はい。シルフィス王国のエラでございます。カーティス様、これからよろしくお願いします」

 エラは顔を上げて王子に微笑んだが、カーティスはにこりともしない。

「聞いていると思うが、俺達の結婚は半年後、レミアの年に一度の祭典と合わせて行われる。それまで君の名前は公表しない。シルフィスの王女が城にいると知られると不都合だから、君は部屋から出ないでくれ」
「……え? あの、お言葉ですが、殿下。私達の婚約は両国の平和を取り持つためのものです。一刻も早く婚約を公表したほうがいいのでは?」
「そんなことはわかっている。こちらにも都合があるのだ。どうしても避けられないと父上が言うから仕方なく婚約を受け入れたが、代わりに半年間の猶予ゆうよが欲しいと俺が頼んだ」

 エラは唖然として、不機嫌に語るカーティスを見た。
 本人を目の前にして「仕方なく婚約した」とはっきり口に出すとは、カーティスにはエラを気遣うつもりはまったくないらしい。それに、準備期間だとばかり思っていた半年の時間が、王子が猶予ゆうよとして要求したものだったとは。
 エラは戸惑いながらもなんとか口を開いた。

猶予ゆうよとはどういう意味でしょうか。私との結婚は、半年も時間がなければ受け入れられないほどお嫌なのですか?」

 エラの言葉にトゲが混じる。十日も放っておかれた上に、謝罪もなくそちらの都合とやらを聞かされて、苛立ちが抑えきれなくなったのだ。

「それもあるがな。半年あれば、こんなふざけた婚約を解消する道を探れるのではないかと思ったんだ」

 非難を込めたエラの言葉を気にも留めず、カーティスは平然と答える。
 エラはさすがに驚いた。歓迎されていないことは承知していたが、まさか婚約自体をなかったことにしようとしているなんて。しかもそれを隠そうともせず本人に伝えてくるとは。
 エラは動揺しながらも言葉を継いだ。

「殿下が戸惑われるのももっともですが、これは両国の平和のために決まったこと。従うのが筋ではありませんか?」
「よそからやってきた君に筋を説かれてもな。俺だって、王族として生まれたからには国のために身を捧げるのは仕方ないと思っているさ。しかし、こうも急に予定を変えられたのではやり切れない」
「……自分ばかり困っているかのような口ぶりですが、私がこの決定に戸惑っていないとでも? 私だってやり切れない思いをしながら、なんとか受け入れようとしているんです。肝心のあなたに歩み寄る意思がないのでは、どうにもできません」

 エラが厳しい口調で言うのを、カーティスは鼻で笑う。

「確かに俺には君に歩み寄る意思なんてないが。そちらこそ、その攻撃的な態度。まったく歩み寄ってくる様子がないじゃないか」
「それは、あなたの態度が……」
「シルフィス王国の王女、エラ。噂には聞いていたよ。愛想がなくて、勉強ばかりで、可愛げのない姫。君は女王になる予定だったから人にびる必要なんてないと思っていたのかもしれないが、こんな風に売り飛ばされるように嫁がされるとは残念だったな」

 カーティスは馬鹿にしたような笑みを浮かべて言った。エラは怒りに顔が熱くなるのを感じながら、抑えた口調で言う。

「女王になるならないにかかわらず、必要以上にへりくだって人にびる必要はありますか? あなたこそ、初対面の人間にするものとは思えないその態度を改めたほうがいいのでは」
「本当に嫌味ったらしい姫だな。落ちこむ素振りでも見せればまだ可愛げがあるものを。アリシアだったらこんな態度しないのに……」

 自らの態度を棚上げしてカーティスは言う。エラはその言葉に怒るよりも、彼が呟くように言った名前が気になった。

「殿下、アリシアとは?」
「君には関係ない。とにかく、顔合わせの義務は果たしたぞ。君はできるかぎり大人しく過ごしていてくれ。問題は起こすなよ」
「ちょっと。なんなんです、その言い方は……」

 エラの言葉が終わらないうちに、カーティスは使用人を従えて行ってしまった。部屋にぽつんと残されたエラには、屈辱感だけがわだかまる。
 まさかこんな扱いをされるなんて。カーティスの態度があれでは、友好な関係など望めそうもない。
 気持ちが沈んで動けないでいるエラに、ジリアンはいつもと変わらぬ無表情で言った。

「お部屋に戻りましょう、エラ様。部屋に長く残っては王子にお叱りを受けます」

 エラは力なくうなずいた。



   第二章 赤い髪の少年


 それからまた捨て置かれる日々が始まった。あの部屋で会って以来、王子は一度もエラの前に姿を見せない。
 することのない時間、エラはとにかくレミアのことを学んだ。歴史、政治、文化。あらゆる書物を読んで、レミアのことを知っていった。しかし、王子が半年の間に婚約を解消したいと言っていたことを思い出すと、今やっていることに意味があるのかとむなしくなってくる。それでも、閉じこめられているエラにはそうすることしかできなかった。
 しかし、エラにも限界が来た。城に来てそろそろ一ヶ月が経つというのに、あの不愉快な顔合わせ以降ほとんど誰とも会うことがない。メイドのジリアンは役割こそ果たすけれど、無駄口は一切きかない。
 見知らぬ土地で、ろくに事情も聞かされないまま部屋に閉じこめられるのは、もううんざりだった。


 エラはある日の昼下がり、自室から出るなという言いつけを破った。歩き回るなと言われて軟禁状態ではあるものの、部屋の前に見張りが立っているわけではない。あっさりと城の中庭まで出てこられた。
 久しぶりの日差しが心地いい。風に混じる花の香りがひどく懐かしかった。
 ここまで、すれ違う使用人の何人かがちらちらとエラを見ていた。王子に伝わるだろうか。それでも構わないとエラは思った。存在自体無視されるよりは、文句でも言われるほうがましだ。
 中庭を進んでいくと噴水が見えた。水しぶきが眩しい。エラはそこに近づいていって、噴水のふちに腰掛ける。
 春の暖かい日差しに包まれて水しぶきの音を聞いていると、木の陰から金属がぶつかるような音がするのに気がついた。なんの音だろうかと気になったエラは、忍び足で木のほうに近づく。
 そこには、ひどく真剣な顔で剣を眺める、赤い髪の少年がいた。
 年齢はエラと同じか、少し下くらいだろうか。彼は必死な様子で剣を凝視しながら、そばに置いてある金属製の道具で何か細工をしている。服装を見るに、王宮騎士団の一人だろう。こちらに気づく様子はない。
 少年が何をしているのか気になったが、この国での自分の歓迎されていない立場を思い出し、エラは引き返そうと背を向けた。しかし、足を踏み出した瞬間、落ちていた木の枝を踏みつけてしまった。パキリ、と乾いた音が辺りに響く。

「うわっ」

 その声に振り返ると、少年が驚いた顔でこちらを見ていた。

「ここで何を……? ここは王城の敷地内です。無関係の者の立ち入りは許されていません」

 少年は不審そうにエラを見つめながら、硬い声で言った。
 無関係の者、と聞いてエラは自嘲気味に笑う。一応は王子の婚約者として来た自分だが、この騎士には忍びこんできた平民か何かに見えたらしい。正式な挨拶の場など一度も設けられていないのだから無理もないことだ。しかし、自分はそんなに王族らしい威厳がないのだろうかと呆れる思いだった。


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