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10.広まる噂
④
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「お呼びでしょうか、お嬢様」
「サイラス、よく来てくれたわね。私、ちょっと反省したの。今まで婚約者を探そうと強引過ぎたんじゃないかって」
「いえ、お嬢様のお心遣いには感謝しております。ただ結婚は特に考えていないというだけで」
私の言葉に、サイラスはほっとした顔になって言う。私は笑顔で続けた。
「そうよね。すぐに結婚なんて言われても困るわよね。だから、こうしましょう! 結婚相手とか大仰なものじゃなくて、会う機会だけ用意してあげる。理想の人を教えて。サイラスのためならどんな人でも見つけてくるから!」
そう提案してみたら、微笑んでいたサイラスの顔が悲しげに歪んだ。予想外の反応に私はうろたえる。
サイラスは無理に作ったような笑顔で言った。
「お嬢様には、私の理想の人など連れてこられませんよ」
「ど、どうして? 私は公爵令嬢なのよ? いくらでも……」
言いかけたところで、サイラスにぐいっと腕を掴まれた。サイラスは私の顔を、悲しみと苛立ちの混じったような目で見つめる。
サイラスにいつも柔らかい眼差ししか向けられてこなかった私は、思わずたじろいでしまった。いいと言っているのにしつこくし過ぎたかもしれない。
「あ、あの、サイラス。ごめんなさい。しつこかったかしら……」
「……どんな人でもいいと言うなら、お嬢様が私と結婚してくれますか?」
サイラスはじっと私の目を見つめて、どこか試すような口調で言った。思わず呼吸が止まりそうになる。
「お嬢様以外なら誰であろうと同じです。どうかもう、そのような残酷なことをおっしゃらないでください……」
サイラスは苦しげに息を吐いて言う。
驚いて言葉を返せなかった私は、しばらくの沈黙の後やっと口を開いた。
「……公爵令嬢と結婚したいってこと? サイラスは公爵家の婿になりたいの?」
「そんな理由ではありません……! 私はお嬢様がいいのです。お嬢様でなければ、どんな美しい方であろうと、どんなに家柄のいい方であろうと、何の意味もありません」
サイラスはすぐさまそう言う。
「そうよね。ごめんなさい。わかってるわ」
嘘ではないことはわかった。サイラスは一回目の人生で私のために地位どころか命まで投げ出してくれたのだ。打算からの言葉であるはずがない。
「わかってるの、それは……」
サイラスが私を好いてくれているのは知っている。そうでなければ命がけで助けてくれるはずがない。
けれど私は、彼は幼い頃から一緒だった私が処刑されることになり、兄のような慈愛で身代わりになってくれたのだと思っていた。
エノーラをはじめとしたご令嬢たちにサイラスは私が好きなのではないかと言われても、そんなはずないと端から否定した。
サイラスがいつも当たり前のように私を尊重して大切にしてくれるから、そこに「お嬢様」に対する以上の感情があるなんて考えもしなかったのだ。
なかなか言葉を継げない私を見て、サイラスは我に返ったように言う。
「お嬢様、すみません。執事の分際で困らせるようなことを……。少し頭を冷やしてきます」
「あ……! 待って! その、サイラスは私のこと好きなの?」
背を向けて出ていこうとするサイラスの腕を、今度は私がつかんで引き止める。サイラスはすっかり動揺して、目を泳がせている。
それから観念したように言った。
「ずっと……お慕いしておりました」
その一言で一気に顔が熱くなるのを感じた。すごく驚いて、信じられなくて、けれど心の奥から喜びが込み上げてくる。
なんでだろう。すごく嬉しい。
まだ王子の婚約者だった頃、気まぐれに甘い言葉をかけられた時よりも、ずっとずっと嬉しい。
「身の程知らずの想いだとわかっています。お嬢様にどうこうして欲しいなんて思っていません。ただ、お嬢様にだけは結婚相手を探すなんて言って欲しくないんです」
サイラスは悲しそうにそう言う。
「公爵家の婿になりたいわけじゃないのよね? 私、身分がなくなるとちょっと綺麗で気品があるだけの凡人になっちゃうけどいいかしら? 生活力もないから、最初はサイラスに頼りきりになっちゃうと思うけど、そこはなんとか慣れるようにするわ」
「お嬢様? 何をおっしゃっているんですか?」
「私と結婚しましょう! お父様にお願いしてみるわ! 却下される可能性が高いだろうけど、そうしたら私が平民になる! それなら問題ないでしょう?」
笑顔でそう答えたら、サイラスは目を見開いた。
「い、いけません! なんてことをおっしゃるんですか! 私は本気でお嬢様に結婚していただけるなどと思っているわけではありません!」
「だって私サイラスの望みは全て叶えてあげたいのよ」
「そんなつもりで言ったわけではないのです。お嬢様ならあの馬鹿王子との縁談がだめになろうと、良縁がいくらでも望めます。私などではいけません」
サイラスは動揺しきって、なんとも不敬なことを口走っている。
「いいわよ、そんなものどうでも」
私はもともと元の世界で殺人未遂の罪で投獄されていた身だ。良縁も何もあったものではない。
それに今まで考えたことがなかったけれど、考えれば考えるほどサイラスと結婚するのは理想的な気がしてくる。
私は命がけで助けてくれるような人を伴侶にできるし、サイラスはどうしてだか知らないけれど、あまたの美しいご令嬢たちよりも私がいいらしいのだ。
私がサイラスと結婚すれば、これからだってずっとサイラスへの恩返しを続けられる。
そうだ、もうサイラスに恋人ができたら連れ回すのは控えないと、なんて寂しく思う必要もない。
何より、サイラスと一緒ならきっと楽しいだろう。だって私は巻き戻ってからの数ヶ月、人生で一番っていうくらい楽しかった。
「私、あなたを幸せにしてあげたいの。それにあなたと一緒なら、私も幸せになれる気がするの。だめかしら?」
「お嬢様……」
サイラスは迷うように私を見て、それからおそるおそるといったように抱き寄せる。
「夢みたいです。お嬢様」
涙声でそう言われ、なんだかとても嬉しくなった。
私はもしかしたら、サイラスが自分を犠牲にしてまで助けてくれたと知ったあの日から、ずっとサイラスのことが好きだったのかもしれない。
それに気づかなったのは、きっとあの時私の心を埋め尽くした後悔と罪悪感が、今でも心に残っていたから。
一度目の人生でサイラスを死なせた私は、今回の人生では決して彼を縛るようなことはしたくなかった。
サイラスには私の想いなんて気にせず、ただ自由に、幸せになって欲しかったのだ。
見上げると、心底幸せそうにこちらを見つめるサイラスと視線が合う。私はもう感情に気づかないふりをしなくていいのだと思ったら、自然に笑みがこぼれた。
「サイラス、よく来てくれたわね。私、ちょっと反省したの。今まで婚約者を探そうと強引過ぎたんじゃないかって」
「いえ、お嬢様のお心遣いには感謝しております。ただ結婚は特に考えていないというだけで」
私の言葉に、サイラスはほっとした顔になって言う。私は笑顔で続けた。
「そうよね。すぐに結婚なんて言われても困るわよね。だから、こうしましょう! 結婚相手とか大仰なものじゃなくて、会う機会だけ用意してあげる。理想の人を教えて。サイラスのためならどんな人でも見つけてくるから!」
そう提案してみたら、微笑んでいたサイラスの顔が悲しげに歪んだ。予想外の反応に私はうろたえる。
サイラスは無理に作ったような笑顔で言った。
「お嬢様には、私の理想の人など連れてこられませんよ」
「ど、どうして? 私は公爵令嬢なのよ? いくらでも……」
言いかけたところで、サイラスにぐいっと腕を掴まれた。サイラスは私の顔を、悲しみと苛立ちの混じったような目で見つめる。
サイラスにいつも柔らかい眼差ししか向けられてこなかった私は、思わずたじろいでしまった。いいと言っているのにしつこくし過ぎたかもしれない。
「あ、あの、サイラス。ごめんなさい。しつこかったかしら……」
「……どんな人でもいいと言うなら、お嬢様が私と結婚してくれますか?」
サイラスはじっと私の目を見つめて、どこか試すような口調で言った。思わず呼吸が止まりそうになる。
「お嬢様以外なら誰であろうと同じです。どうかもう、そのような残酷なことをおっしゃらないでください……」
サイラスは苦しげに息を吐いて言う。
驚いて言葉を返せなかった私は、しばらくの沈黙の後やっと口を開いた。
「……公爵令嬢と結婚したいってこと? サイラスは公爵家の婿になりたいの?」
「そんな理由ではありません……! 私はお嬢様がいいのです。お嬢様でなければ、どんな美しい方であろうと、どんなに家柄のいい方であろうと、何の意味もありません」
サイラスはすぐさまそう言う。
「そうよね。ごめんなさい。わかってるわ」
嘘ではないことはわかった。サイラスは一回目の人生で私のために地位どころか命まで投げ出してくれたのだ。打算からの言葉であるはずがない。
「わかってるの、それは……」
サイラスが私を好いてくれているのは知っている。そうでなければ命がけで助けてくれるはずがない。
けれど私は、彼は幼い頃から一緒だった私が処刑されることになり、兄のような慈愛で身代わりになってくれたのだと思っていた。
エノーラをはじめとしたご令嬢たちにサイラスは私が好きなのではないかと言われても、そんなはずないと端から否定した。
サイラスがいつも当たり前のように私を尊重して大切にしてくれるから、そこに「お嬢様」に対する以上の感情があるなんて考えもしなかったのだ。
なかなか言葉を継げない私を見て、サイラスは我に返ったように言う。
「お嬢様、すみません。執事の分際で困らせるようなことを……。少し頭を冷やしてきます」
「あ……! 待って! その、サイラスは私のこと好きなの?」
背を向けて出ていこうとするサイラスの腕を、今度は私がつかんで引き止める。サイラスはすっかり動揺して、目を泳がせている。
それから観念したように言った。
「ずっと……お慕いしておりました」
その一言で一気に顔が熱くなるのを感じた。すごく驚いて、信じられなくて、けれど心の奥から喜びが込み上げてくる。
なんでだろう。すごく嬉しい。
まだ王子の婚約者だった頃、気まぐれに甘い言葉をかけられた時よりも、ずっとずっと嬉しい。
「身の程知らずの想いだとわかっています。お嬢様にどうこうして欲しいなんて思っていません。ただ、お嬢様にだけは結婚相手を探すなんて言って欲しくないんです」
サイラスは悲しそうにそう言う。
「公爵家の婿になりたいわけじゃないのよね? 私、身分がなくなるとちょっと綺麗で気品があるだけの凡人になっちゃうけどいいかしら? 生活力もないから、最初はサイラスに頼りきりになっちゃうと思うけど、そこはなんとか慣れるようにするわ」
「お嬢様? 何をおっしゃっているんですか?」
「私と結婚しましょう! お父様にお願いしてみるわ! 却下される可能性が高いだろうけど、そうしたら私が平民になる! それなら問題ないでしょう?」
笑顔でそう答えたら、サイラスは目を見開いた。
「い、いけません! なんてことをおっしゃるんですか! 私は本気でお嬢様に結婚していただけるなどと思っているわけではありません!」
「だって私サイラスの望みは全て叶えてあげたいのよ」
「そんなつもりで言ったわけではないのです。お嬢様ならあの馬鹿王子との縁談がだめになろうと、良縁がいくらでも望めます。私などではいけません」
サイラスは動揺しきって、なんとも不敬なことを口走っている。
「いいわよ、そんなものどうでも」
私はもともと元の世界で殺人未遂の罪で投獄されていた身だ。良縁も何もあったものではない。
それに今まで考えたことがなかったけれど、考えれば考えるほどサイラスと結婚するのは理想的な気がしてくる。
私は命がけで助けてくれるような人を伴侶にできるし、サイラスはどうしてだか知らないけれど、あまたの美しいご令嬢たちよりも私がいいらしいのだ。
私がサイラスと結婚すれば、これからだってずっとサイラスへの恩返しを続けられる。
そうだ、もうサイラスに恋人ができたら連れ回すのは控えないと、なんて寂しく思う必要もない。
何より、サイラスと一緒ならきっと楽しいだろう。だって私は巻き戻ってからの数ヶ月、人生で一番っていうくらい楽しかった。
「私、あなたを幸せにしてあげたいの。それにあなたと一緒なら、私も幸せになれる気がするの。だめかしら?」
「お嬢様……」
サイラスは迷うように私を見て、それからおそるおそるといったように抱き寄せる。
「夢みたいです。お嬢様」
涙声でそう言われ、なんだかとても嬉しくなった。
私はもしかしたら、サイラスが自分を犠牲にしてまで助けてくれたと知ったあの日から、ずっとサイラスのことが好きだったのかもしれない。
それに気づかなったのは、きっとあの時私の心を埋め尽くした後悔と罪悪感が、今でも心に残っていたから。
一度目の人生でサイラスを死なせた私は、今回の人生では決して彼を縛るようなことはしたくなかった。
サイラスには私の想いなんて気にせず、ただ自由に、幸せになって欲しかったのだ。
見上げると、心底幸せそうにこちらを見つめるサイラスと視線が合う。私はもう感情に気づかないふりをしなくていいのだと思ったら、自然に笑みがこぼれた。
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