堕ちる

はる

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予兆

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春は公立高校へと進学した。家族と共に『死の街』から引越し、春は女子高生らしい、普通の感覚と日常を手にしていた。幼い頃の記憶もどこか霞んで思い出す事はほとんど無かった。
春は平凡な容姿の少女であったが、多感な時期に異性からのアプローチを受ける事は少なくなかった。そのせいで中学時代に一部の女子達から嫌がらせを受ける事もあったが、凄惨なものではなく陰口を言われる程度、春の周りにはその陰口に翻弄されることの無い友人がいたので、大抵その陰口はどこかで誤解だと知れ渡り風化する事を繰り返していた。
それでも春はなるべく目立たぬように振舞っていたが、スポーツや手先の器用さ、特にその歌声は人の心を惹きつけるものがあった。

高校に入ると、春は合唱部に入り図書委員会に所属した。図書委員会では、細々とした作業から棚の整理までを好んで行った。元々読書が好きだった春は、書棚を漁るように本を読んだ。部活は大会なども無く、のんびりと活動していた。放課後にピアノが得意な友人が部室でピアノを弾き、春は窓辺に座って外を眺めながら様々な歌を口ずさんだ。春にとって部室は争いのない平和な鳥籠だった。外を歩くキラキラとした同級生達は青春を謳歌しているように見えた。しかし、春にとってそれらは恋や友情と共に妬みや憎悪が取り巻く世界に思えた。
他の生徒たちが恋で沸き立つ中、春は1人安全な所から眺めているようだった。

しかし、春は異色だった。
文化部で図書委員の春がひとたび外に出ると異質な賑わいを見せた。グラウンドでは風の如く運動部を外周から抜き去り、球技では抜群のポジショニングと狙い抜きを魅せ、水の中では更に自由を得たように泳ぎ水と戯れた。
放課後は司書室か部室に籠り、誰かと多く言葉を交わす事はない。それでも、時折風に乗って中庭とグラウンドに春の陶器のような歌声が微かに響く。
一部の男子生徒たちは、夏の虫が街灯に集まるように春の異色さに惹かれた。特別可愛いわけでもなく、朗らかなわけでもない。群れずに自分の世界に棲んでいる。まるで珍しい金魚を手に入れようとするかのように少年達は手を水の中に入れるが、春はするりと指の間をすり抜けていく。あの手この手で春を誘い出し、放課後を一緒に過ごしても、どれだけ春に熱いメールを送っても、春はするりと抜け出てしまう。

ある日、1人の少年がどうしたら春を手に入れられるかと、1人の教師に相談した。教師はふっと笑い、少年に言った。
「お前には無理だろうな。」
少年は首を傾げた。しかし、その教師の言葉の意味をすぐに理解した。
教師は春に音楽の世界を見せた。春は美術を専攻していたが、教師の見せる音楽の世界は授業とは違い、音楽の本質、音の本質に近かった。春の耳は、わずかな音の揺らぎを捉えることが出来た。春はすぐに音楽の世界で泳ぎ始めた。教師は春を常に身近に置くようになった。春は音楽を教えてもらう代わりとして、楽譜の整理や教材作り、その他細々とした事を手伝った。春にとって、それは手伝いではなく、学びだった。
しかしその事により、春の異色さは一層際立った。春は教師というガラスの器の中で誰にも触れられる事なく、泳いでいる金魚の様だった。
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