堕ちる

はる

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はじまり

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春は典型的なアダルトチルドレンだった。本人はそう思っていなかったが、彼女は幼い頃から手のかからない、それでいてつまらない子どもだった。

春は欲しい物をねだった事が無かった。誕生日でも、欲しい物を口にしなかった。祖父母が買ってあげると言っても『大丈夫』と答えた。
春は愚図ることが無かった。幼児の頃から様々なコンサートに連れていかれ、自分が全く興味が無かったとしても、数時間ずっと椅子に座ってじっとしていることが出来た。親の職場に連れていかれ、仕事が終わるまでずっと一角で待っている事が出来た。
春は忠実だった。テレビを見るなと言われたら、親が外出中でも見なかった。ただひたすら文句も言わずにテープに録音された日本昔ばなしを毎日聞いていた。漫画も恋愛小説も読まなかった。ゲームもしなかった。
春は妙にしっかりとしていた。小学生になってすぐに一人で上野から特急電車に乗り、東北にある祖父母の家に行った。包丁さばきは小学生になる前にはりんごの皮を剥けるほどで、両親が仕事で遅い日は一人で調理をして待っていた。

春の家は裕福ではなく、両親は休みなく働いていた。保育園で一人で最後まで保育され、それでも間に合わないと近所のおばさんが迎えに来た。日曜日はあちこちの家庭に転々と預けられた。心地よい家庭だけではなかった。意地悪な家族もいた。ある家の子どもは、何かあるたびに泣いて母親に春のせいだと訴えた。
春は、自分の意思を通さない事が最善である事を学んだ。自分の存在を消す事が最善である事を学んだ。
春は人の本音に敏感な子どもだった。大人たちは自分に笑顔を向けていても、心の中ではつまらない子どもだと、子どもらしくない子どもだと思っている事を悟っていた。両親のほかに唯一信頼した大人が、父の伯母だった。春の父は母を失い父が再婚をし、この伯母が母親代わりだった。伯母は他の大人とは違い、春を1人の人間として扱った。1人でも生きていけるように料理や器具の使い方を春に教えた。甘やかすことは無く、寧ろ厳しかった。しかし、春はそこに確かな愛情を感じていた。伯母が亡くなった時、春は珍しく涙を流した。伯母は春のために学資保険をかけていた事を後から知るが、伯母の保険や遺品は全て他の親戚に奪われてしまい、春の家族に渡されたのは、たった一つのネックレスだけだった。
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