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夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手

34 抱擁

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 パリン、と薄いガラスが割れたような音が幾重にも重なる。耳をつんざくようなその音は、ビエントの言葉の続きをフェリクスに届けることはしなかった。
 しかし、会う度に向けられてきた嘲笑はそこにはない。期待の片鱗を見せた青漆の瞳が細められ、そして離れていく。

「さ、最初の大仕事だぜ? 王子サマ」


***


 戦っていた中で突然消えたフェリクスとビエント。残されてしまったミセリアとベアトリクスは無理に動くこと無くその場で待っていた。

「……大丈夫なのかしら」
「今は信じるしかないだろうな。……っ!! 伏せろ!!」
「え……きゃあ!!」

 悪寒が背中に走り、咄嗟にベアトリクスの肩を掴んで引き寄せながら屈み込む。次の瞬間、先ほど収まったはずの瘴気が展望室に溢れていく。静寂に包まれていた空間から一転、再び怨嗟の声が響き渡る。豪風のごときそれはミセリアたちを吹き飛ばさん、と勢いを増していた。

「どうして、さっき消えたはずなのに」
「!! あそこに誰かがいる!」

 冷静に辺りを見回したミセリアが指した先に、二つの影がある。そのどちらもがミセリア達に向かって這い寄ってくるような動きを見せていた。暗い中でも目立つ金赤の髪が、二人分。どうやらそれこそ瘴気の出所のようだった。

「あれは――ラックとソルテだわ」
「フェリクスの兄たちか。何故こんな所に……」
「私の支配からも解放されているはずよ、だとしたら」

 思い当たる節はある。ベアトリクスは一瞬迷った後に口を開いた。

「彼等自身の憎悪が、この国が今まで蓄積してきた瘴気と共鳴してしまったのかもしれないわ。……彼等はフェリクスを酷く妬んでいたそうだから。暗殺未遂を繰り返すくらいには」
「あいつにはそんなに憎まれる要素があるのか?」

 ミセリアがフェリクスと出会ったのも暗殺計画に乗ったからだ。暗殺組織の思惑もあるとは言え、あれは二番目の兄ソルテが企てたものだ。ベアトリクスの口ぶりからすると、フェリクスはこれまでに何度も兄王子達からの憎悪を向けられていたことになる。そんな境遇に眉をひそめ、ミセリアは唇を噛む。

「いいえ。私の知る限りだとあの子は本当に純粋な良い子よ。問題は父ね。あの人は神子の血に囚われているから、力を受け継ぐことができなかったラックとソルテには王としても父親としても何もしてやらなかったみたいなの。だからでしょうね、彼等はフェリクスに対して嫉妬し続けていたんだわ。私よりももっともっと強くね」
「それがここで爆発してしまった、と」

 何故彼等がここまで来たのかは定かではないが、このままにはしておけない。ただ。ミセリアやベアトリクスで二人の王子を鎮めることができるかと問われれば、完全に肯定することはできない。なぜなら、ミセリアもベアトリクスも赤の他人と言っても差し支えはないからだ。そんな二人に何を言われても心に響かない可能性の方が大きい。
 歯がみをしつつミセリアはベアトリクスを庇うようにしてナイフを持つ。

「神子……神子……」

 神子の力を持たなかった者が求めるのはやはり神子の力か。王子達の狙いはベアトリクスであるらしい。側にフェリクスがいない今、瘴気は毒であるかのように吐き気を誘い、肌がチリチリと痛む。身体もずっしりと重く感じる。

「来るな、離れろ!」

 だんだんと動かしにくくなっていく身体をなんとか動かして、ミセリアは手を伸ばしてくるラックの腕を払いのけた。彼等もまた犠牲者といえば犠牲者だ。それにフェリクスが悲しんでしまうような気がして、ナイフで刺すこともできやしない。

「落ち着きなさい、貴方たち! このままでは貴方たちも死んでしまうわ……きゃっ」

 長い髪を掴まれてベアトリクスが小さく悲鳴を上げた。ぐい、と力任せに引っ張ってくるソルテを押しのけようにも力が強くて引き剥がすことができない。

「寄こせ、神子の力を……生まれた意味を!」
「やめて、お願いだから落ち着いて! ――助けて、フェリクス!」

 その叫びに反応したかのように、ガラスが割れる甲高い音が響き渡った。暗い中で輝く黄金の光。――フェリクスだ。
 フェリクスは目を丸くして驚いた様子だった。突然兄が現れたのだ、無理もない。
 目映い光につられて二人の王子が弟の存在に気がつく。その途端、瘴気が爆発的に濃くなって強くなる。そして二人の憎悪に引きずられて瘴気はフェリクスの方へと流れゆく。輝かしい弟を溶かし殺そうとする瘴気を、淡い水色の膜が覆って守っている。
 フェリクスの隣からビエントが現れ、彼の肩をそっとつついた。

「見ろよ、これがシアルワに溜まっていた瘴気だ。あの王子たちに引きずられてここまで暴走したようだ」
「……」
「お前ができること、分かっているな?」
「あぁ」

 フェリクスは頷いて、歩みを進める。脚を踏み出すごとに、足跡のように光の粒子が舞う。どこか幻想的な姿にミセリアとベアトリクスは思わず息を呑んで黙り込んだ。

「フェリクス……お前が生まれなければ俺は愛されただろうに。存在を否定されなかっただろうに」
「父上からの愛も従者たちからの愛も何もかも!」
「兄さん」

 悲しそうな顔をして、立ち止まった。目の前には膝をついて蹲った体勢の二人の兄。フェリクスもしゃがみ込み、しっかりと目を合わせる。

「俺は、兄さんたちの存在を否定はしないよ。させないよ」
「お前がそれを言うのか、お前が!」

 ラックが激高してフェリクスの胸ぐらを掴んだ。ぐいと引っ張られて互いの距離が縮まる。ソルテもまた、フェリクスが持つ旗を奪おうと腕を彷徨わせるが、実体を持たないそれを掴むことはできない。持ち主であるフェリクスが望まない限り旗が実体化することはない。
 兄弟であるのに大した関わりを持つこともなかったな、とフェリクスは思い返す。ミセリアとケセラ、セルペンスとノア、セラフィとシャルロット、そしてルシオラ。これまで何組かの兄弟姉妹を見てきた。どんな形であれ、彼等の中には絆が見えた。それが自分たち兄弟にはなかった。
 物理的な距離が縮まったことを利用してフェリクスは両腕を伸ばし、兄王子達の背へと回した。ぎゅ、と抱きしめる。

「「――」」

 拒絶されると思っていたのか、ラックもソルテも目を見開いて固まった。驚いたせいかソルテは胸ぐらを掴む力を緩める。

「兄さんたち……今まで何もしてあげられなくてごめんなさい。俺、城にいる間はずっと国民のことばかりを考えてた。確かに血が繋がった兄さんたちのことをあまり考えたことはなかった。兄さん達は俺よりも年上で、頭も良くて、ずっと先を見ている人だと思っていたから」
「それは、俺たちを侮辱しているのか? ――お前とは違って父上からも用済みだと言われ、従者や騎士どもからも邪魔扱いをされてきた俺たちを」

 ソルテが怒りに震える声で問えば、フェリクスは兄の肩に頭を押しつけるように首を振った。

「違う、違うよ。確かに兄さん達に殺されかけたことを悲しく思ったことはある。俺は愛されてなかったんだと思ったこともある。でも、それはお互いに歩み寄ろうとしなかったからなんだよ。俺も兄さん達も、お互い知ろうとしなかった」

 シアルワ王国の王子、王女は力だけを求められた。個が真の意味で愛されることはなかった。それは恐らく国王であるゼーリッヒも同じように生きてきたのだろう。その前の王も、さらにその前の王も。力を持たずに生まれてきた王家の人間は、置物のように存在価値を認められてこなかったに違いない。

「――俺は兄さん達のこと、嫌いじゃないよ」

 神子の力が影響したのだろうか、ラックがガタガタと震えだした。吐き出す息に震えが混じる。それは伝染していったのかソルテも同じように嗚咽を零し始めた。
 フェリクスは本当に兄王子を嫌ったことはなかった。父王に愛されていないことも知らなかった。知ろうとしたこともなかった。それを知った今、心境に変化が訪れている。

「家族として新しくやり直そう。俺とラック兄さん、ソルテ兄さん、姉さんの四人は血を分けた兄弟なんだから。父さんもきっと分かってくれる」

 あまりにも真っ直ぐで純粋すぎる言葉に、二人はしばらく反応を返すことができなかった。
 弟の背に腕を回すことはしないまま、長男ラックは漸く口を開いた。

「俺はまだしばらくお前のこと、好きになれそうにないよ、フェリクス」

 その言葉に若干の毒はあれど、憎悪も妬みもすっかり薄れていた。
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