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夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手
14 逃亡
しおりを挟むエルダーの攻撃を避けることができなかった男は大きく咳き込みながら階段に倒れ伏した。エルダーは男の上にまたがり、その両手を後ろで掴み挙げる。
男は息を整えた後に可笑しそうに笑った。もう本性を隠す気はないらしい。
「お前は誰なんだ」
フェリクスが問うと男はに口元を歪めて小さく息をため息をついた。
すると男の輪郭がぼやけた――ように見えた後、男はエルダーそっくりの容姿から一瞬にして姿を変えた。フェリクスとエルダーは揃って目を見開く。人間にはできない、まるで魔法のような光景に驚きを隠せない。男の見た目はマグナロアで最後に見た怪しい少年のものへと変貌した。
「お前、マグナロアの」
「俺の仕事はここまでだ。……そこのジジイ、俺に長く触らない方が良い。その手が溶けても知らないぞ」
「ぬっ」
青年の腕を掴んでいたエルダーの手から煙が上がる。同時に焼け焦げたようなニオイがしてフェリクスは顔をしかめた。それが皮膚の焦げる匂いである事にすぐには気がつかず、エルダーがパッと手を離した時に漸く悟る。手を離してもなお膝で青年の胴を押さえつけてはいるが、火傷を負ってしまったようだ。
「エルダー!」
「この程度、大した問題ではありません。しかし、この男――」
「俺、マグナロアでも見たんだ。名前は、えっと」
「教えるギリはないね。そろそろお暇する時間だ」
「!!」
青年は橙色の瞳を細め、自由になった腕を思い切り伸ばした。その先にはフェリクス。
「殿下!」
青年を止めようとエルダーの体勢が崩れる。その瞬間を狙って青年は拘束から抜け出し、転がるようにして数段降りる。そして素早く立ち上がると不気味な笑みを浮かべながら身を躍らせるようにして階下へと逃げていった。
追いかけなくてはと二人が一歩踏み出した時、新たな声が上の方から降り注いだ。
「フェリクス」
階段の上を見上げると、そこにはフェリクスと同じ色彩を持つ二人の青年が並んで立っていた。一人は長く伸びた髪を黄金で作られた豪奢な髪留めでまとめている。一人は短い髪を丁寧になでつけている。二人とも唇に薄い笑みを貼り付けており、石榴石の瞳に生気はない。
「ラック兄さん、ソルテ兄さん」
二人はフェリクスの腹違いの兄達だった。かつてはフェリクスをあからさまに疎み、命すら奪おうとした傲慢な性格の持ち主だったはず。こんな感情の読めない顔をするような人間ではなかったはずだ。先ほどの青年は階下へ逃げたばかり。何人も擬態できるような能力をもつ存在がいるとは考えにくい。フェリクスは寒気を感じて身構える。
するりと差し出される手に、その寒気は悪化する。
何かがおかしい。
「お前を待っている人がいる」
「さぁ、行こう」
「……」
エルダーに擬態した青年も、ラックもソルテもフェリクスをどこかへ誘導しようとしている。それを感じ取ったのかエルダーが前に出た。
「ラック様、ソルテ様。ここは危険です。避難しましょう。殿下はあのお方の元へ」
そう言いつつフェリクスに目配せをする。エルダーの言う“あの方”とは姉ベアトリクスのことだろう。隠されたあの場がもしかしたら一番安全なのかもしれないが、念のためベアトリクスの安全を確かめる必要もある。フェリクスは小さく頷いて、元来た道を引き返した。
心臓のドクドクと激しい音を気にしないようにしながら。
***
「う、うぅ~~」
シャルロットは若干涙目になりながらレイの肩にしがみつく。しばらく走っていたレイだが、そう長く走れるワケではない。体つきが華奢なシャルロットであるとは言え、人を一人抱えて走るのは難しい。城までの距離はまだある。そして彼等の背後には増えに増えた獣たち。
「増えすぎだよー!!」
必死になって獣を撃退してきたシャルロットだが減る様子が一向にない現状に心が萎んできてしまっている。
周りには共に逃げる民達が併走している。はじめこそ見たこともない黄金の花に驚いていた民達だが、自分たちに害をなす存在でないと知るや否やなるべく離れないように走り出したのだ。恐怖を抱かれない分マシなのかもしれない。
周囲の建物は獣の尾や脚によって傷つき、倒壊しているものや火が上がっているものもある。美しい町並みにはほど遠い光景となってしまった。
「ごめんシャルロット、もう少し頑張れる……?」
「……うん!!追いつかせはしないから」
レイが息を切らしながら発した問いにシャルロットは気合いを入れ直す。どうにか増援が来るまで持ちこたえねばならない。自分にはそれが出来る力があるのだから。
そうしてしばらく攻防を続けていると、噴水広場までどうにか辿り着くことができた。しかし、場が広くなった分、獣が動ける範囲も広がる。そうなるとシャルロットが注意するべき範囲も広がる。城に近くなったとはいえ、厳しい状況だった。
「っ!!レイ!!」
黄金の花弁全てが獣を貫く。再び花弁を生成する前に別の獣がレイ達の前に飛び出た。慌てて立ち止まるが、その隙に囲まれてしまった。
シャルロットは疲労が溜まりつつも大急ぎで意識を集中させる。
「あ――だめ、間に合わな――」
道を開く前に獣が動き出す。レイがシャルロットを庇うように抱きしめ、シャルロットが恐怖に目を閉じ、民の叫びが響いたその時だった。
「よく頑張ったね」
獣の巨体が宙を舞った。真っ赤な血を散らしながら。
長い黒髪と赤い服、銀の槍。
セラフィは一体を屠ったと確認すると止まることなく他の獣へ槍を突き出す。肉を抉るように突き刺したそれをぐいっと上に向けた。重さは相当あるはずだ。それを苦にせず槍に刺さったままの獣を背後に迫っていた別の獣に叩きつけた。
「セラフィお兄ちゃん!」
「さぁ、早く城へ」
セラフィだけではない。無傷な民家の屋根に登っていたシェキナが弓を構え、次々と矢を放っている。矢は的確に獣の頭を貫き、見事に動きを止めている。
ナイフを持ったミセリアも民を城へ誘導し始めていた。
騎士達も続々と広場へ集まってきている。
「お二人は殿下の元へ。どうか殿下を守ってやってください」
「分かった。レイ、行こう。私もう走れるから」
「あぁ。セラフィさん、ありがとうございます」
「えぇ。ここは僕たちに任せて」
レイとシャルロット、そして民たちが逃げていく。
けほ、と小さく咳き込む。体調は万全ではない。
フェリクスがどうしているかだけが心配だったが、今は主君が愛する国を守るべきだ。
セラフィは訪れた災厄を睨み付けた。
「セラフィ!!ミセリア!!みんな!!工業区の方からも来てるっぽいよ!一応対処しておくけど気をつけて!!」
「了解」
「あ、あぁ」
「シェキナさんは今日も素敵だなぁ」
「そこ、敵に集中してください」
こっそり頬を染めた騎士がいることを見逃さずツッコミを入れつつセラフィは二体同時に片付ける。一体一体が強いわけではない。ただ数が多いのだ。
「こんな生物、見たことがない――」
精霊による襲撃なのだとしたら人間にもかろうじて倒せるような獣をわざわざ生み出すのだろうか、と考えてありえないと断ずる。精霊一体で人間を殺すなど造作もないこと。これは人災なのかもしれない。だとしたら、と獣の腹に蹴りを入れて思考する。
(兄さん)
過ぎった兄の顔にセラフィは顔を曇らせる。
確信はないものの、花畑での態度から可能性はあるのだ。
(後で考えよう。今は早くこいつらを片付けて殿下達の元へ)
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