上 下
71 / 115
夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手

9 不吉な予告

しおりを挟む


 マグナロアでの修行を始めて一月が経とうとしていた。
 フェリクスは槍をある程度使えるようになった。流石にレオナやセラフィまでとは言わないが、始めたころと比べれば随分と上達したとフェリクスは思っている。多少の暴漢程度であれば対処できるかもしれない。まだまだ安心するにはほど遠いのだが。
 その日はレオナに稽古を付けて貰う最後の日だった。

「よし、頑張ろう」

 ペシペシと頬を叩いて気合いを入れる。訓練用の槍を手に石畳の道を進む。辺りはすっかり明るくなり、マグナロアの人々が活気を取り戻していた。あちこちで剣戟や気合いを入れるための雄叫びが聞こえる。もうすっかり慣れた光景だ。
 すれ違う人々に挨拶を交わしつつフェリクスは広場へ向かった。

「おはよう、殿下」
「おはようございます、レオナさん。今日もよろしくお願いします」
「あいよ。……今日で最後とは寂しいねぇ」
「そうですねぇ……。俺はもう準備は済ませました。いつでもいけます」
「了解。それじゃあ、最後の仕上げといこうか」

 レオナは懐から小瓶を取り出した。中には赤い液体が入っている。
 フェリクスが待っていると、レオナはフェリクスの槍にその赤い液体を塗りつけた。

「レオナさん、これは?」
「ただの塗料だよ。殿下はその槍についた塗料が乾ききる前にアタシに攻撃を当てるんだ。アタシのどこかにその塗料を付けたら殿下の勝ち。乾いてしまったらアタシの勝ち。それでいいかい?」
「はい、分かりました!」

 そうこうしているうちに周りの席には街の人々やセラフィとミセリアが集まっていた。他の仲間達は別の場所にいるらしい。

「セラ坊、合図頼むよ」
「はーい了解です。それではお二人とも構えて……」

 フェリクスは息を呑む。訓練とは言え、緊張はするものだ。

「はじめ!!」

 フェリクスは槍を握りしめて走った。塗料が乾くまでの時間は、恐らく少ない。ぐずぐずしていても駄目だ。こうなったら一気に行くしかない。

「やぁ!!」

 教えて貰ったように突きを繰り出す。センスが良いとは言われたものの、まだ精度は低い。
 レオナはフェリクスに追撃することなくひらりと避けた。フェリクスは急いで体勢を立て直そうとして前につんのめりそうになる。なんとか踏みとどまり、愉快そうに笑っているレオナを再び視界に入れる。

(頑張れフェリクス、強くなれ)

 自分を鼓舞して深呼吸をする。手汗で湿る槍をもう一度握りしめて、動くべき軌跡を脳内で確かめる。
 そして恐れることなく突っ込んでいく。

(頑張れ俺!)

 この一撃が避けられるであろう事は容易に想像ができる。案の定レオナは真っ直ぐな攻撃をひらりと躱していく。フェリクスは素早く身体を捻って追撃をした。

「おおっと」

 レオナは一瞬だけ驚いて自身が持っていた槍をフェリクスの槍に当てた。ガッ、と鈍い振動と共に槍の軌道が逸れる。レオナの脇腹をかすめるはずだった槍は右に大きくずれ、フェリクスは「うわっ」と思わず口にした。それでもなんとか無様に転がることはしない。地面に手をつくものの、とっさに判断をして脚で蹴り上げた。それはレオナにとって予想外のことのようだった。レオナは地面に転がることでフェリクスの蹴りを避けた。予定外の攻撃をして王子に大怪我を負わせることは流石にためらわれたらしい。

「そこだ!」

 フェリクスは一瞬の隙を見逃さなかった。レオナが身体を起こすまでのほんの僅かな瞬間を狙って槍を横一線に振った。

「……っ」

 レオナは持ち前の反射神経で上に飛び上がる。しかし間に合わず、木製の槍が脚を掠めていった。皮のブーツに赤い液体が付着する。僅かな量だったが、確かに赤色がそこについていた。

「むぎゅ」

 槍の勢いに飲まれて体勢を崩し、地面に倒れ込んだフェリクスにかっこよさの欠片はなかったが。

「そこまで!」

 セラフィのかけ声と共にその試合は終わった。
 腰に手を当てて立ち上がったレオナは笑った。気持ちが良いほどに清々しく。

「あっはっは!まだまだ未熟だけど、随分と動けるようになったねぇ。いいよ。合格だ、合格。よく頑張ったね、殿下」
「ふぁ、ふぁい」

 差し出された手を取り、フェリクスも立ち上がる。

「レオナさんのおかげでなんとかここまで来ることが出来ました。ありがとうございます」
「いいや、かわいい殿下の頼みだ。聞くしかないじゃないか。まぁ、城に戻ったら仕事で大変かもしれないけどセラフィにでも稽古つけてもらいな。あとはエルダーのじじいでもいいから」
「はい。そうすることにしますぐはっ」

 背中をバシバシ叩かれてむせかえる。
 フェリクスが咳き込んでいる間、レオナは観客席にいたセラフィとミセリアの元へ歩み寄ろうとする。その瞬間だった。

「誰だ!」

 隠し持っていた投擲用ナイフを民家の上に向かって投げる。フェリクスは気付かなかったが、屋根の上に人影があった。どうやらフェリクスよりも少し年上の少年らしい。濃い紫のマフラーが翻る。
 黄色がかった薄緑の髪に橙色の瞳。くすんだ黄緑の衣装を身に纏っていた。怪我でもしているのか、左腕には包帯を巻いている。そして前髪には金のヘアピン。

「……まさか」

 セラフィが怪訝そうに眉をひそめた。

「セラフィ、知っているのか?」
「……会うのは随分と久しぶりなので。確信は持てないのですが」

 レオナがナイフを投げた際にフェリクスの元へ駆け寄っていたセラフィは目を眇めて少年を見ていた。

「それって、まさか」
「合っていれば、ですがね」

 少年は身軽に屋根から地面へと飛び降りた。きょろきょろと辺りを見回し、そしてがっかりしたように肩をすくめた。そのまま何事もなかったかのように立ち去ろうとする少年の背中へセラフィが呼びかける。

「ヴェレーノ!!」

 少年はゆっくりと振り向いた。

「やっぱりセラフィか。……聞きたいことがあるんだけど」
「……」
「兄さんはどこにいる?」

 まるで周りの人間など見えていないかのような態度だ。セラフィはゆるゆると首を横に振る。

「彼はあちこち旅をしているから、場所までは。そんなことよりも、今まで何を」
「ならいいや。……ああそうだ。昔馴染みのよしみで教えてやるよ」

 ヴェレーノと呼ばれた少年はセラフィの問いには答える気はないようだった。ただ一方的に口を開く。少し気怠そうに。

「しばらくシャーンスには近づかないほうがいい。あそこ、近々壊滅すると思うから」
「今、なんて」

 シャーンスという単語にいち早く反応したのはフェリクスだ。
 シャーンスが壊滅。詳しく聞こうと詰め寄ろうとした所を、首根っこを掴まれて引き留められる。セラフィでもミセリアでもない。フェリクスを引き留めたのは、いつの間にか来ていたらしいクロウだった。眉間に皺を寄せたクロウはフェリクスを離してヴェレーノへ歩み寄っていく。

「おいお前。何を企んでいる?」
「あぁ、クロウか。あそこにいるのはソフィア?懐かしい顔ぶれが多いな」
「質問に答えろ。お前――」
「俺の中身、そう易々と見られると困るんだけど。俺は兄さんに会いたいだけなんだから……あぁ、お前にはもう一つ言っておこうか。つい昨日、リコに会ったよ。元気そうだった」
「……」

 クロウは一瞬押し黙り、長い脚を大きく踏み出して駆けだした。ヴェレーノは愉快そうに笑って逃げ出す。フェリクスはぽかんとしていたが、セラフィはクロウと一緒に来ていたらしいソフィアを見て頼み込む。言葉はなくとも、伝わりはする。

「ソフィア」
「……仕方ないわね」

 クロウを追ってソフィアも駆けだした。身長の差もあってか走って追いつけるワケがない。しかしソフィアはそのまま駆けていった。

「……セラフィ」
「殿下、お怪我はございませんか」
「いや、特にない。でも、今あの人が言った言葉……本当なのかな」
「すみません殿下。僕には分からなくて」
「帰らなきゃ」

 試合が終わったあとの明るい表情はすでにない。フェリクスは不安に揺れる瞳をシャーンスがある方角へ向けた。

「守らなきゃ、シャーンスを」

 ぐっと拳を握りしめて歩み出したフェリクスを、セラフィとミセリアは何も言うことができないままに着いていく。フェリクスが国を思う気持ちは本物だ。それを知っているからこそ、この王子の決意を止めることはできないと本能的に感じ取ったのだ。
 「もしも本当だったら危険だ。ここに留まったほうが良い」そんなことを口にするべきなのだろうが、何も言い出せない。着いていくしかないと身体は訴える。もしかしたらこれが神子の力なのか、とミセリアは心のどこかで感じ取った。

 良くも悪くも恐ろしい力だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

装備製作系チートで異世界を自由に生きていきます

tera
ファンタジー
※まだまだまだまだ更新継続中! ※書籍の詳細はteraのツイッターまで!@tera_father ※第1巻〜7巻まで好評発売中!コミックス1巻も発売中! ※書影など、公開中! ある日、秋野冬至は異世界召喚に巻き込まれてしまった。 勇者召喚に巻き込まれた結果、チートの恩恵は無しだった。 スキルも何もない秋野冬至は一般人として生きていくことになる。 途方に暮れていた秋野冬至だが、手に持っていたアイテムの詳細が見えたり、インベントリが使えたりすることに気づく。 なんと、召喚前にやっていたゲームシステムをそっくりそのまま持っていたのだった。 その世界で秋野冬至にだけドロップアイテムとして誰かが倒した魔物の素材が拾え、お金も拾え、さらに秋野冬至だけが自由に装備を強化したり、錬金したり、ゲームのいいとこ取りみたいな事をできてしまう。

六花の陰陽師

神無月 花
ファンタジー
主人公・六花は、安倍晴明の直系の末裔で、東京に居を構える東京分家の当主の娘。そして実は、六花の家系は、900年前に関東に逃げ延びた九尾の金狐を封印する役目を担っている家系であった。 ーー安倍 六花(あべ りっか)、今日も元気に女子高生陰陽師頑張ります! ⭐️いとこ同士の恋愛要素があります。苦手な方はご注意ください。

私の事を調べないで!

さつき
BL
生徒会の副会長としての姿と 桜華の白龍としての姿をもつ 咲夜 バレないように過ごすが 転校生が来てから騒がしくなり みんなが私の事を調べだして… 表紙イラストは みそかさんの「みそかのメーカー2」で作成してお借りしています↓ https://picrew.me/image_maker/625951

世界に差別されたソロ冒険者、女魔導士に取り憑かれる 〜実質俺以外が戦ってます〜

なかの豹吏
ファンタジー
   世界は少数民族である亜人に冷たかった。 ノエルはその亜人と人間のハーフという更に珍しい存在。 故に人間からも亜人からも敬遠されてしまう。  辺境暮しから飛び出し冒険者になったものの、世界の法は亜人に厳しく、パーティ登録が亜人の場合ソロでしか活動出来ないという悪法が定められていた。  しかし、サポートとして唯一許されているのが派遣冒険者。 ノエルは一人では厳しいと感じるクエストに初めて派遣を頼る。  だがそれが、彼の今後を大きく変えてしまう出会いの始まりだったのだ。  シリアス無縁の(ちょっとはあるけど)ギャグラブコメファンタジーの世界で、ふんわりしてみませんかぁ? ※この作品は他サイトでも掲載されています。

白銀のケンタウロス

のの(まゆたん)
ファンタジー
オルゴールの中の骨の欠片は私の骨 お前はこれから過去の時間に旅をする・・ そこで出会う過去の私はお前の敵・・ケンタウロスの女はそう言った

"死神"と呼ばれた私が、"バケモノ"と呼ばれた彼らに溺愛されました

夢風 月
ファンタジー
とある王国の伯爵家令嬢として幸せに暮らしていたはずの少女は、訳あって奴隷へと身を落とした。 奴隷商人の元から何とか逃げ出そうとしたところ、真っ黒なマントに身を包んだ男に出会う。 美醜への目が厳しいその国でとても"醜い"見た目をしている彼は『バケモノ』と呼ばれていた。 "醜い"彼に連れられやって来た小さな家には、男の他にも数人の"醜い"男達が肩を寄せ合って暮らしていた。 彼らはどうやら醜さ故に様々な問題を抱えているようで……? これは、心に傷をおった4人が贈る、ちょっぴり切ない恋物語──。 ※溺愛に至るまでそこそこ時間がかかりますがどうぞご容赦を※

もふもふ相棒と異世界で新生活!! 神の愛し子? そんなことは知りません!!

ありぽん
ファンタジー
[第3回次世代ファンタジーカップエントリー] 特別賞受賞 書籍化決定!! 応援くださった皆様、ありがとうございます!! 望月奏(中学1年生)は、ある日車に撥ねられそうになっていた子犬を庇い、命を落としてしまう。 そして気づけば奏の前には白く輝く玉がふわふわと浮いていて。光り輝く玉は何と神様。 神様によれば、今回奏が死んだのは、神様のせいだったらしく。 そこで奏は神様のお詫びとして、新しい世界で生きることに。 これは自分では規格外ではないと思っている奏が、規格外の力でもふもふ相棒と、 たくさんのもふもふ達と楽しく幸せに暮らす物語。

異世界二度目のおっさん、どう考えても高校生勇者より強い

八神 凪
ファンタジー
   旧題:久しぶりに異世界召喚に巻き込まれたおっさんの俺は、どう考えても一緒に召喚された勇者候補よりも強い  【第二回ファンタジーカップ大賞 編集部賞受賞! 書籍化します!】  高柳 陸はどこにでもいるサラリーマン。    満員電車に揺られて上司にどやされ、取引先には愛想笑い。  彼女も居ないごく普通の男である。  そんな彼が定時で帰宅しているある日、どこかの飲み屋で一杯飲むかと考えていた。  繁華街へ繰り出す陸。  まだ時間が早いので学生が賑わっているなと懐かしさに目を細めている時、それは起きた。  陸の前を歩いていた男女の高校生の足元に紫色の魔法陣が出現した。  まずい、と思ったが少し足が入っていた陸は魔法陣に吸い込まれるように引きずられていく。  魔法陣の中心で困惑する男女の高校生と陸。そして眼鏡をかけた女子高生が中心へ近づいた瞬間、目の前が真っ白に包まれる。  次に目が覚めた時、男女の高校生と眼鏡の女子高生、そして陸の目の前には中世のお姫様のような恰好をした女性が両手を組んで声を上げる。  「異世界の勇者様、どうかこの国を助けてください」と。  困惑する高校生に自分はこの国の姫でここが剣と魔法の世界であること、魔王と呼ばれる存在が世界を闇に包もうとしていて隣国がそれに乗じて我が国に攻めてこようとしていると説明をする。    元の世界に戻る方法は魔王を倒すしかないといい、高校生二人は渋々了承。  なにがなんだか分からない眼鏡の女子高生と陸を見た姫はにこやかに口を開く。  『あなた達はなんですか? 自分が召喚したのは二人だけなのに』  そう言い放つと城から追い出そうとする姫。    そこで男女の高校生は残った女生徒は幼馴染だと言い、自分と一緒に行こうと提案。  残された陸は慣れた感じで城を出て行くことに決めた。  「さて、久しぶりの異世界だが……前と違う世界みたいだな」  陸はしがないただのサラリーマン。  しかしその実態は過去に異世界へ旅立ったことのある経歴を持つ男だった。  今度も魔王がいるのかとため息を吐きながら、陸は以前手に入れた力を駆使し異世界へと足を踏み出す――

処理中です...