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外伝

ケセラ編 星のない夜に 6(完)

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「んじゃ、あとで様子見に来るからな」

 精霊はそう言うと、軽い足取りで部屋から出て行った。
 しんと静まりかえった部屋に耐えきれず、ケセラはカーテンの中から出た。「お、おい」アングの制止も聞かずに真っすぐにセルペンスのもとに駆け寄る。

「どう、して」
「今出してあげるからね」

 ケセラはそう言うと、セルペンスを引っ張り出すために赤い液体に手を突っ込んだ。ぬるりとべたつく液体に顔をしかめ、刹那、悲鳴をあげた。

「きゃああ!」

 思わず手を振り回す。
 液体に触れた瞬間、何かが身体の中を突き進んで心臓を食い破ろうとしているかのような、そんな痛みが走った。視界が真っ白になって、息ができなくなる痛み。無我夢中で手をスカートにこすりつけて、手から液体を落とそうとする。じんわりと痛みが引いていくが、ケセラの鼓動は激しいままだ。

「はぁ、はぁ・・・・・・」
「だ、め。はや、くにげ、て」

 セルペンスが消えそうな声でそう忠告する。
 ――彼はきっと、この痛みを受け入れ続けているんだ――
 ケセラは、きゅっと唇をかみしめて赤い液体を睨み付けた。
 ――負けるもんですか――
 もう一度、赤い液体に手を突っ込む。セルペンスの胴体を抱え込むように腕を回す。気持ちの悪い痛みはやっぱりケセラを襲ってきた。液体を吸った衣服のせいかとても重いが、きっと大丈夫。そう思いながらケセラがセルペンスの身体を持ち上げようとしたその時だった。

「あれ、おちびちゃん一人?二人いると思ったんだが」

 大扉を開けて、精霊が部屋に戻ってきた。

「あ・・・・・・」
「健気だねぇ、この俺が関わっているって知りながら俺の人形に手をだすなんてな。ま、一瞬でもそいつに触れて正気を保っているって時点で賞賛に値する。褒めてやるよ、おちびちゃん」

 精霊はケセラに歩み寄り、目線の高さを合わせるようにしゃがむ。そしてセルペンスが浸かっている液体を指さしてニヤリと笑う。

「これ、俺の貴重な血を使った特製・・・・・・苗床?みたいなやつ。ここに種を放りこんでじっくり育ててやればいつか綺麗なお花が咲くってワケ。楽しみだろう?」

 回らない頭でケセラは精霊の言っていることを飲み込もうとする。髪と同じ色の瞳が細められる。鏡のような瞳に自分が映っている。恐怖からか、なかなか話が理解できない。いつもならば勉強したことはちゃんと頭に入ってくるのに。

「おちびちゃんもきっと資格持ちだな。ん~どうしようかね。ここを誰にも見られてはいけないって契約も破られたことだし。って、待てよ?」

 精霊は何かを思い出したのかポンと両手を叩いた。

「おちびちゃんさ、新参だろ?なら約束してたイケニエってアンタのことだよな」
「え?」

 突然のことに再び頭が真っ白になってしまう。

「こいつはもうじき連れてくつもりだからさー、次のイケニエが必要なんだ」
「まって」

 楽しそうに話す精霊を遮って、セルペンスが弱々しく声をあげた。
 それを聞いた精霊は眉をひそめ、唇をとがらせる。

「なんだ。まだ壊れてないのか」
「おねが、い。そのこ、みのがし、てあげ、て」

 今にも消えてしまいそうなほど小さな声で、少年は訴える。握りしめた手が震えている。

「おね、がいします」
「んん。どうすっかね」

 精霊は考え込む仕草を見せて、下品な笑顔を見せた。

「決めた。こぉんな相思相愛っぷりを見せつけられちゃ、引き離すのも興が冷めるってもんよ。お前ら二人仲良くお人形になればいいんだな」

 決定決定、と精霊は液体に手を入れて少年の身体を引き上げる。引き上げられたセルペンスの足にはあの錆びた枷が取り付けられており、いくらケセラが引っ張ろうがセルペンスは逃げ出すことが出来なかったであろうことが容易に想像できた。精霊はひとにらみしただけで枷を破壊し、セルペンスを小脇に抱える。ぽたぽた、とぐったりと力の抜けた身体から液体が滴る。

「ビエント様、これは」
「あー、お前か」

 そこへ村長がやってきた。村長は息子たちと同じ紫紺の目を見開いてケセラを見る。

「なんと、いつの間に侵入していたのか!?」
「残念だなぁ、見られちまったなぁ」
「ひ、ひぃ!!お許しを!!そこの娘は例のイケニエでございます!!ビエント様に捧げます故、何卒村をお見逃しください!!」

 村長はケセラを見た途端顔面を蒼白に染めて、勢いよく頭を床に擦り付けて懇願する。
 それでケセラはなんとなく分かってしまった。

「わたし、このために村につれてこられたの?」
「そういうこった」
「でも、お母様は何も!!」
「お前の母親には何も言っていないのだ。あの女はうるさかったからな、だましでもしなければ暴れる可能性も高かったのだ。この村から子供を一人差し出すには、よそ者同然のお前しかいないだろう」
「そんな・・・・・・」

 村長が少し顔をあげて、冷ややかな目でケセラを見た。村のひとははじめから、ケセラのことを保身のためのイケニエだと思っていたのだ。
 その様子を見て精霊――ビエントは大笑いをする。

「ははは!いいねぇ、いい見世物だ。それじゃ、今回の契約の件だがな?」
「は、はい」

 ビエントは動けないケセラをもう片方の小脇に抱え、片足のかかとを鳴らした。こん、と小さな音が響き、一拍の間を置いて爆発音が鳴った。それと同時に床が鈍い音とともに揺れた。
 村長は悲鳴交じりの声で叫んだ。

「い、一体何を!?」
「外に出てからのお楽しみ」

 実に楽しそうに言い放ち、ビエントは歩き出す。
 扉を抜けたとき、村長の悲鳴が聞こえてきた。そして、床をのたうつ音も。
 呆然としたまま揺られるケセラに、セルペンスの手が伸ばされる。懸命に手を伸ばして、ケセラの手に何かを握らせようとする。その様子をビエントはチラリと一瞥しただけで、邪魔はしてこない。
 ケセラはぼんやりとしながらそれを受け取った。
 金色に輝くヘアピン。ケセラがセルペンスに渡したものだった。
 ケセラがセルペンスを見ると、力を使い果たしたのか腕はだらりと下がって顔も見えなかった。。

(もしかして、守ってくれていた?)

 全身が赤黒く染まったセルペンスが守ってくれていたのか、ヘアピンに汚れは見当たらない。もしかしなくとも、セルペンスが握っていたものがこのヘアピンなのだろう。

「ごめんなさい――」

 外は赤の海だった。
 豊かな木々も、家々も、すべてが燃えている。倒れたままピクリとも動かない大人たち。泣き叫ぶのは子供だけ。

「どうして、イケニエがちゃんといたはずなのに――」

 そんな幻聴さえも分からぬ声が聞こえてくる気がして、ケセラは泣いた。

 私が勝手なことをしなければ、村は焼かれずに済んだのだろうか。アングの言うことをしっかりと守って精霊にばれなければ、こんなことにならなかったのかもしれない。

「きみのせいじゃない」

 ふいに声が聞こえて、セルペンスの方を見る。髪に隠れて口元しか見えないが、青ざめた唇は確かに言葉を紡いでいた。

「きみのせいじゃない」

 ふわりと浮かぶ感覚。ビエントの足が地面から離れる。赤い海と化した村がどんどん遠ざかっていく様を黙って見つめるしかない。

「助けてくれて、ありがとう」

 セルペンスの小さな声に、ケセラは首を振った。

「ちがう、ちがうの。わたしは、わたしは――」

 なんとなく助けたいと思っただけで、ただの好奇心で、村一つを消してしまった。透明な雫が空をこぼれていく。幼き少女の後悔と絶望と、ほんの少しの安堵が混ざった雫が赤い海へと落ちていく。


 懐かしい夢を観た。
 ケセラはぐるりと寝返りを打ち、隣のベッドで眠る緑色の髪の少年を見つめる。ここでの生活は酷く痛くて苦しい。けれど、少年の瞳にはいつしか光が宿っていた。
(これで、良かったのかな)
 時折そんなことを思ってしまう。そんな思考はあの日犠牲となった村人にとってどんな意味を持つのか分かりきっているけれど。
 いつしか夜が更けて、空が白んできた。
 星のない夜は、もうじき終わる。



 緑色の髪を持つ少年は、焼け焦げた村の真ん中で立っていた。
 ――どうしてあのとき、勇気を出して飛び出せなかったんだろう。少しの勇気で、兄もあの少女も、父親も村も何かが変わっていたかもしれないのに。
 ――まだ、間に合うのかな。
 少年の瞳は、まだ死んでいない。
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