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夜明けの幻想曲 1章 黄金蝶の予言者

8 夜の人災

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 ノアはセルペンスたちが逃げだした様子をチラリと確認して、改めて謎の機械を睨んだ。
 この機械は人間たちを傷つけることはしないようで、ただ連れ去ることを目的としているらしい。標的の具体性は特になし。ということは、だ。

(これは、きっと)

 まだ若いが、壮絶な過去をもつノアには分かる。これはきっと、今人々が思っている存在が元凶ではない。

「ミセリア、あのデカブツ見たことあるか?」
「いや。ない」
「そう」
「何か分かったのか?」
「いんや。これは人災だってことくらいかな!」

 人間たちが最も恐れる存在は精霊だ。精霊は人間に罰と称した厄災をもたらす。しかし、今回はそうではないというのがノアの考えだった。セルペンスもきっとそう思っているに違いない、と確信まである。

「人災……? これがか?」
「精霊がこんな機械作ってまどろっこしいことすると思うか? あいつらには魔法が使えるんだぜ? それに」

 大剣を大きく振り回して触手を退け、ノアは続ける。

「あいつらは成人の儀を迎える前までの人間しか連れ去ることはしない。それ以外は――」

 ノアは、どこか冷めた瞳でミセリアを見た。

「皆殺しだよ」

 逃げ遅れた老人が引きずりこまれていくのが遠くに見える。
 ミセリアは視線をそらした。

「そうか。でも、何故、誰が……」
「そこまでは知らない。これから突き止めなきゃってやつ」
「突き止める必要はあるのか?」
「あるんじゃないか? 君の組織が関わってる可能性もばっちりあるわけだし」

 ミセリアは怪訝そうにノアを見る。それと同時にナイフで触手を一本退ける。

「……なぜそんなことが言える」
「俺たちの知り合いに、凄腕の情報屋がいるんだよ。そいつの仕入れる情報は嘘偽りひとつない。そいつがチラッと言ってたんだ、暗殺者組織の挙動が怪しいってさ」
「……根拠になるかは微妙だが、組織を知って生きている情報屋がいるという話だけでも凄いことだな……。それに、拠点とアズ湖は繋がっていると聞いたことがある」
「ふうん、じゃあ可能性大だな」

 少なくとも、今やるべきことはフェリクスの安全の確保だ。あの機械が落ち着いて退散するまでなんとかこの場をしのがなければならない。
 ミセリアはため息をついた。
 あの黒一色の機体は夜である今、少々見にくい。露店からの明かりは煌々と照っているが、それでも素早い動きを捉えるには心もとない。
 そんな暗い中、明かりに照らされて輝く白金の髪がミセリアの視界を横切った。
 触手に巻き付かれて、あっという間に引っ張られていく華奢な少女。悲鳴をあげながら湖の中へ消えていった。

(あの少女は―――)

 先ほどミセリアがぶつかってしまった少女だった。
 次に視界に入ったのは少女を追いかける青年だ。少女の連れだった。

「シャルロット!!」

 青年は迷うことなく少女が引きずり込まれていった湖へ走っていく。
 そんな青年をも触手は捕らえようと狙いを定める。
 ミセリアは小さく舌打ちをして、青年を背後から捕えようとした触手へ切りかかった。やはり切れない。しかし、触手は大きく軌道をずらし、青年の真横へ突き刺さった。

「……っ」

 青年は息を飲むが、歯を食いしばって前を向く。
 湖の淵で立ち止ると、機械の本体へ狙いを定めて、その身を――飛び込もうとした青年の右手を、ミセリアが掴んだ。
 思いっきり引っ張ると、青年は「わ、わ、わっ……」と声をもらして後ろへ倒れこんだ。青年がいた場所を別の触手が通り抜ける。

「な、なにを……」
「考えなしに飛び込むんじゃない! あの少女を助けたいのなら、なおさらだ」

(ああ、また人助けなんて)

 ミセリアにとってどうでもいいはずの少女と青年。本来なら助ける義理などないはずなのに。
 ミセリアは青年の腰に一振りの剣が括り付けてあるのを確認して、何か言いたげな青年を黙らせる。

「戦えるのなら協力しろ! そうでなければ逃げろ! 話はそれからだ!!」

 焦りの感情が見え見えな目の光が揺れる。青年は立ち上がると、黙って抜刀する。綺麗に手入れをされている細身の片手剣を見るに、この青年は几帳面なのだろう。
 次々と襲い来る触手たちを相手しながら、青年の様子を窺えば問題なく触手を退けているようだ。実践慣れしているノアと異なり表情は強張り、緊張に満ちているが、戦えるには戦えるらしい。
 ミセリアは青年から意識をそらし、自分を捕えようと動く触手を睨みつけた。
 睨みあうこと5秒ほどだろうか。
 ふいに、戦意を失ってしまったかのように(機械に戦意、というのもおかしな話だが)触手は力を抜き、ふよふよと湖の本体へ引き上げていく。
 本体も再び水に沈み始める。

「逃げる気か!」

 青年がまたもや湖に飛び込もうとする姿勢を見せたので、ミセリアはもう一度首根っこを掴んで引き留めた。

「お前、水中戦はできるのか。あんな刃物で切れないような機械相手に」
「……」

 尻もちをついた青年に冷ややかに問いかければ、青年は口を開こうとして、閉じた。視線は下を向いている。

「無謀な突撃はやめろ。飛び込んだとしても、アレに捕まって終わりだ」
「貴女は、シャルロットを見捨てろというのですか」

 少し落ち着きを取り戻したらしい青年が、立ち上がりながら言った。今度は真っすぐにミセリアを見つめながら。

「そうは言っていない。あの少女を助けたいと思うのなら、少しは考えて動けと言っているんだ」

 大剣を背中に背負いなおしたノアは、(依頼失敗した暗殺者が説教かあ)と思っていることはもちろん言わない。ミセリアが言っていること自体は間違っていないとも思っている。ここは黙っておくのが吉、と判断し黙っていることにした。

「考えって……。あの機械が逃げた先を知っているのなら教えてください。俺は、彼女を助けに行きたいんです」
「行先は分からないが、アズ湖から行ける場所とくればある程度絞れるはずだ。それはこれから検証する……その前に」

 ミセリアはノアを見る。視線に気づいたノアが首を傾げた。

「この男を、彼らに引き合わせてもいいか。戦力にはなりそうだ」
「あー……、いいんじゃないか? なんとなくだけど、悪い人じゃなさそうだし。戦い方見てても、多少危なっかしいけど大丈夫そうだし。むしろ誰かに特訓してもらってそう」
「……知り合いに、見てもらっています。実戦はしたことないですけど」

 明らかに年下であるノアにも、礼儀正しく接するあたり育ちは良さそうだ。貴族なのだろうか、とミセリアは一瞬思ったがそれも違う。服装は庶民が来ているような安物だ。
 予想が当たり誇らしげなノアは、ミセリアの服を軽く引っ張った。青年について考えていたミセリアは我に返った。

「とりあえずさ、兄ちゃんたちのところに行こう。そんなに遠くまではいってないと思うし」
「ああ。……お前も来い。話がある」

 足早に歩きだした二人に、青年は不安そうな表情をしながらも着いていく。ミセリアとノアの数歩後ろを警戒しながら歩く様を確認して、ミセリアは安心した。この男は、しっかりしていそうだし、何よりお姉ちゃんを助け出すのに役に立つかもしれない。
 歩いて三分ほどの場所に、夜華祭りの主催者用休憩スペースがある。難を逃れた人々はその周辺に集まり、恐怖に震えているらしい。
 ミセリア、ノア、青年の三人が湖の方から歩いてくる姿をみて、何人かが安堵のため息をもらした。

「大丈夫だったか!?」

 外套のフードを深く被ったフェリクスが、ミセリア達の前に飛び出してきた。後ろからセルペンスもついて来る。

「あのデカブツ、また湖に沈んでどっかいったよ」
「そうか……。怪我は?」
「無傷だ。それは敵も同じだが」
「随分と攫っていったんだね?」
「祭りに着ていた人間の四分の一くらいは捕まったんじゃないか」

 青年は状況確認をしている四人の後ろで立っていた。視線は揺れているし、思いつめた表情のまま、話に入っていけない。
 それに気づいたフェリクスが、ミセリアに尋ねる。

「あの人は……」
「ああ、恋人をあの機械に――」
「こ、恋人!?」

 ミセリアが説明しようとしたところ、青年は悲鳴のような声をあげて更に表情を崩した。心なしか頬が染まっている。
 ミセリアは話を切られた苛立ちよりも、困惑の方を感じながら僅かに首を傾げた。仲睦まじい様子をミセリアは確かに見ていた。

「違うのか?」
「ええと、彼女とは三日前に会ったばかりで、ここに来たのもまあ何というか……」

 突然しどろもどろになりだした青年を落ち着かせようと、セルペンスが割って入った。

「はいはい、ちょっと待ってね。ええとだね、君は一緒に来ていた子を連れていかれた、ということでいいね?」
「は、はい。その通りです」

 セルペンスの介入で、パニック状態になっていた青年は落ち着いたらしく、すぐさま沈鬱そうな表情を浮かべた。

「君の名前は?」
「俺はレイと言います。さっき、一緒に夜華祭りに来た子――シャルロットっていうんですけど――があのよく分からないモノに攫われてしまい。どうしようと思っていたらそこにいるお二人について来いと言われたんです」

 青年レイの主張に間違いがない、とミセリアとノアは頷いた。レイの言葉を聞いてセルペンスがピクリと反応したことには、誰も気が付かなかった。

「今回の件が組織と関わりがあるというのなら、戦力になると思って連れてきた。彼は見たところ、戦えそうだ」
「……組織?」
「ああ、なるほどね……ノアも認めるなら大丈夫そうだね。ごめんねレイ君。説明は今日の寝床が決まってからでいいかい?」

 セルペンスはレイに向かって微笑んだ。

「貴方たちは、あの機械を追うのですか」
「こっちも少し訳アリなんだ。そのつもりだよ」
「なら、いいです。彼女を助けられるなら」

 助けるという方向性が合っているならばそれでいいらしい。
 レイの潔さに感服する。全く、話が早いのはいいことだ。セルペンスはそう思いながら今晩の宿について考え始めた。
 王子様もいることだし、野宿という選択肢はない。

「君にとって俺たちはとても怪しいと思うけれど、自己紹介は後にさせてもらうよ。君にも聞きたいことがあるし、体力は回復させた方がいい。……シャルロットかぁ。どこかで聞いたような……」

 年長者の落ち着きを見せつつ、セルペンスは地図を取り出す。最後の方に小さく呟かれた疑問は誰にも届くことはなかったが。レイも異論はないようだ。かなり疲れているのだろう。

「今日は一応お祭りだったからね。宿は予約でいっぱいかもしれないけれど」
「この状況じゃあ、空き部屋続出だなぁ」

 ノアがぼそりと言う。

「ハハハ……。まあ、利用できるものは利用しようってことで。近くの宿を探しに行こう」

 宿に行くという方針が固まり、五人になったフェリクス達は歩き出す。やはりと言うべきか、レイは数歩後ろを歩いていた。
 周囲の人々もざわめきながらも、自分たちはどうするべきか考え始めていた。流石に湖に近づく者はいなかった。難を逃れたとある恋人たちはくっつきながら宿へ向かい、とある家族は子を抱きしめながら帰路についた。警備担当の役員は王都シャーンスへ連絡をいれるべく夜にも関わらず馬を出した。
 日が昇る頃には王都から騎士団がやってきて調査に乗り出すだろう。そうなる前に、フェリクスは湖から退散するべきか、と息をついた。
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