上 下
6 / 115
夜明けの幻想曲 1章 黄金蝶の予言者

3 王子の午後

しおりを挟む
 頬を撫でる優しい風が心地よい午後のこと。
 西の大国シアルワの王が住まう巨大城に幾重にもそびえたつ塔のひとつ、その最上階の一室には紅茶と菓子の甘い香りが漂っていた。
 窓際に置かれたテーブルにはティーセットと皿に盛られたクッキーやマフィンなどの焼き菓子、そして書類が散らばっている。
 ふたつ用意されたティーカップのうち、ひとつは全く手を付けられておらず湯気が弱まりつつあった。もうひとつに注がれた紅茶は既に半分ほど飲み干されており、飲んだ本人が繊細な文様が描かれたソーサーへとカップを置いた。
 この部屋にいる人物は二人。一人は紅茶を飲んでは菓子をつまみ、一枚の紙をのんびりと読んでいる。一人は散らばった書類に噛り付くようにして何かを書き込んでいる。
 いくらか時間が過ぎたあと、ポットに並々とあったはずの紅茶をいつの間にか飲み干してしまったことに気づいた黒髪の青年の一筋だけはねた髪ががっかりしたようにへなる。この銘柄の紅茶はとても好みなのだが、高級故に値段が高い。飲みすぎると知り合いのメイドに小言を言われてしまうだろう。正直言ってそれは面倒くさいのでおかわりは諦めることにした。王宮勤めなのだから、いつかまた飲めるだろう。
 今度は残ったクッキーに手を出して小麦とバターの風味を感じながら食べていると、もう一人の青年が唸り声をあげながら金赤色の髪に覆われた頭を掻きむしった。

「だああああ終わらない!!」
「ファイトですよ~殿下~」
「お前はのん気だなあセラフィ!!」

 シアルワ王国第三王子フェリクス。それがこの部屋の主の名だ。明日十七歳になる若き王子である。若くして王の補佐を務め、民のため公共事業にも力を入れており民からの信頼も厚い。
 そんな王子に対して座っているのはフェリクスおつきの執事兼護衛役のこれまた若い青年である。名はセラフィ。普段は高く結い上げている黒髪は今は背に流れている。服もゆったりとした私服であり、王直属の堅苦しい大臣が見たら卒倒しそうなほどラフな姿である。それでも国の象徴である赤銅色の生地を使用した服である辺りは、シアルワに従順な騎士であることが窺える。

「まあまあ、このお仕事が終わって寝てみればもう殿下の誕生祭ですよ。美味しいもの食べ放題、きれいな女性とダンスし放題。街で買い物し放題」
「いや、そこまでは流石に……」
「ふふ、好奇心旺盛な割に堅実な殿下はそんなことしないでしょうけど。あ、誕生日ケーキは僕にも分けてくださいね! 約束ですよ!」
「はいはい……。明日は誕生祭、三日後は夜華祭り。シアルワの民は忙しいなあ」
「殿下も行っちゃいます? 夜華祭り」
「馬鹿言え、王族はそんな簡単に遊びには行けないんだぞ。もちろん、お前もな」
「ぐぬぬ……」

 フェリクスは手にしていた書類を置いてようやく紅茶に口をつけた。冷めてしまってはいるが美味しい。集中力も切れてしまったことだし、しばらく文字は見たくない。すっかりセラフィに食べられてしまった焼き菓子の残りにも噛り付きながら、フェリクスは頬杖をつく。
 窓から外を覗けば下の広場では騎士見習いたちがそろって訓練をしている。まだ少し動きにばらつきがあるが、彼らはきっと良い騎士として王国騎士団に貢献することだろう。巨大城は城下町から橋を渡った先にある離島に建てられている。故にここから街を見下ろすことは難しい。家々の赤い屋根や時計塔は何とか見えるのだが……街と城を隔てる門が邪魔でそのくらいしか見えないのだ。
 小さい頃はよく脱走して街で遊んだりしたものだ、とひとりごちる。
 午前中から昼食を抜かしてペンを握り続けた手がひりひりと痛む。それを誤魔化すようにして手を振っていると、セラフィが何かを思いついたかのようにポンと両手を合わせた。

「あ、そうだ殿下。明日、午後の6の鐘が鳴るころに展望室に来てください」
「いいけど……展望室?」
「ええ。シェキナと用意した誕生日サプライズがあるので、それを見せたいと思いまして。三人でプチお誕生日パーティーをしましょう」
「シェキナさんがいるなら安心だな。分かった、ありがとう。そのころに展望室に向かうよ」
「安心ってどういうことですか」

 む、と口を尖らせたセラフィに噴き出しながらフェリクスは最後のクッキーをつまみ上げた。
 主人が一口でクッキーを平らげた様を見届けて、セラフィは立ち上がる。部屋の隅に立てかけていた白銀の意匠が凝らされた槍を手に取る。セラフィ自慢の獲物だ。

「殿下、そろそろお時間です。もう少ししたらシェキナが迎えに来るでしょう」
「ん、分かった」

 紅茶を飲み干してカップをソーサーに置き、濃い赤地に黄色の縁取りのジャケットを羽織る。シルクのタイを整えて王族の証である文様が刻まれたブローチをつける間に、槍を背負ったセラフィがフェリクスの乱れた髪を櫛で梳く。
 こうしてフェリクスが少しは王子様らしい格好になって数十秒後、扉がノックされてメイド……シェキナが入ってくる。
 肩あたりで切りそろえられた栗色の髪に鋭いトパーズの瞳が印象的な美女である。豊かな胸は露出度の低いメイド服を纏ってもなお存在を主張している。低いヒールの靴を脱いでも彼女の背丈はスラリと高い。この城に勤める男衆の中にはシェキナのファンクラブを結成している者もいると聞く。

「失礼します、殿下。お時間です」
「ああ、準備はできているよ」
「いってらっしゃい殿下。僕はしばし休憩をいただきます。夕食の時にまた会いましょう」
「さっきまで菓子を食ってただけだろ」

 気の抜けた笑顔を浮かべてひらひらと手を振るセラフィに背を向けてシェキナの方を向く。

「それじゃあシェキナ、頼むよ」


 窓もなく、光源もない暗い螺旋階段を上る。シェキナの持つランタンのか弱い光だけが白いレンガがむき出しの壁を照らしていた。
 壁には時折額縁がかかっている箇所がある。そのどれもが黄金で作られた豪奢なものだったが、長年手入れされていないためか埃を被っている。中に飾られているのは歴代の王族だ。
 二人のいる場所は歴代の王族たちの墓の役割を果たす塔だ。現王ゼーリッヒの命令で何人たりとも立ち入れないようになっている。この塔の管理責任者にはフェリクスが任命されており、シェキナは彼に塔の見回り・報告をするよう命じられたメイドということになっている。……表向きには。
 この塔には、別の役割がある。
 しばらく黙々と階段を上っていき、やがて最上階へとたどりつく。最上階にあるのは一部屋だけ。たったひとつの扉は鋼鉄で作られている。
 シェキナはフェリクスに目配せした後、扉を叩く。余談だが、鋼鉄の扉を素手で叩いてもシェキナは痛くないらしい。

「姫様、シェキナです。……フェリクス様もいらしています」

 部屋の主からの返事はない。

「失礼します」

 シェキナは腰に括り付けていた鍵束のうちひとつを鍵穴に差し込み、開かぬ扉を解放する。
 促されるままに部屋へと入るフェリクス。表情はどこか硬く、発した声は少し震えていた。

「姉さん、調子はどう……かな」

 またもや返事はない。いつも通り寝台に腰かけて同じ本を読んでいた。
 フェリクスと同じ金赤色の長い髪は今朝シェキナが整えてから少しの乱れもないまま豊かに背中を流れている。彼は随分とみていないが、瞳の色も同じ石榴石なのだろう。
 彼女はフェリクスの姉。第一王女だ。
 しかし、その存在は秘匿されたものだった。公式ではゼーリッヒ王の血を引く子供たちは三人の息子とされている。
 なぜ王女が存在をないことにされて幽閉されているのかと言えば、それはゼーリッヒ王にしかわからない。王に信頼されているフェリクスですら語られたことはない。王はただ、娘を死なせないでくれ、とだけ懇願した。フェリクスは訳の分からぬまま命令を受け、王女の幽閉に加担している。
 彼女を逃がそうと思えば逃がすことはできるのだろう。
 ……王女自身から発せられた言葉さえなければ。

『貴方は国を滅ぼしたいのね』

 今でも脳に残る暗く淀んだ声が蘇る。
 意味は分からなかったが、今は姉を解放する時ではないのだと理解した。

「姉さん、明日俺の誕生日なんだ。美味しいもの、何か貰ってくるよ。そうしたら食べてほしいなあ」

 フェリクスもシェキナも、いつもと同じく返事はないのだろうと思っていた。
 しかし、その日は違った。

「誕生祭、楽しんできてね」

 フェリクスは目を見開く。
 何日、何か月、何年振りか。あの日に向けられた言葉以来だったかもしれない。王女の声はそれほど久しいものだ。

「あ、ああ! ありがとう姉さん!」

 声が少し上ずってしまったかもしれない。でもそれでも良かった。
 いつかは助けたいと願うフェリクスは、少なからず姉を慕っている。返事をしてもらえただけでも嬉しいことだ。

(ほんの少しでも心を開いてくれたのか?良かった、嬉しい……)
「……殿下、お時間です」

 ごくわずかな時間だが、得られたものは大きく感じた。
 フェリクスを呼ぶシェキナの声も心なしかホッとしたように聞こえる。
 こうして姉弟が会える時は限られているので、もうこの部屋から去らねばならないこと、夕食が終わればまた仕事の続きをしなければならないことに憂鬱な気分になるが、これで頑張れそうだ。

「姫様、後ほど夕食をお持ちいたします。殿下、どうぞ」

 シェキナは鋼鉄の扉をゆっくりと開けて、退室を促す。

「それじゃあ姉さん、明日また来るから」

 それに対しての返事はなかったが、気にせずにフェリクスは空気の淀んだ部屋から出る。ある意味牢獄とも言える最上階の部屋。今はただの姉の自室に見えた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

辺境伯家次男は転生チートライフを楽しみたい

ベルピー
ファンタジー
☆8月23日単行本販売☆ 気づいたら異世界に転生していたミツヤ。ファンタジーの世界は小説でよく読んでいたのでお手のもの。 チートを使って楽しみつくすミツヤあらためクリフ・ボールド。ざまぁあり、ハーレムありの王道異世界冒険記です。 第一章 テンプレの異世界転生 第二章 高等学校入学編 チート&ハーレムの準備はできた!? 第三章 高等学校編 さあチート&ハーレムのはじまりだ! 第四章 魔族襲来!?王国を守れ 第五章 勇者の称号とは~勇者は不幸の塊!? 第六章 聖国へ ~ 聖女をたすけよ ~ 第七章 帝国へ~ 史上最恐のダンジョンを攻略せよ~ 第八章 クリフ一家と領地改革!? 第九章 魔国へ〜魔族大決戦!? 第十章 自分探しと家族サービス

追放されたボク、もう怒りました…

猫いちご
BL
頑張って働いた。 5歳の時、聖女とか言われて神殿に無理矢理入れられて…早8年。虐められても、たくさんの暴力・暴言に耐えて大人しく従っていた。 でもある日…突然追放された。 いつも通り祈っていたボクに、 「新しい聖女を我々は手に入れた!」 「無能なお前はもう要らん! 今すぐ出ていけ!!」 と言ってきた。もう嫌だ。 そんなボク、リオが追放されてタラシスキルで周り(主にレオナード)を翻弄しながら冒険して行く話です。 世界観は魔法あり、魔物あり、精霊ありな感じです! 主人公は最初不遇です。 更新は不定期です。(*- -)(*_ _)ペコリ 誤字・脱字報告お願いします!

転生受験生の教科書チート生活 ~その知識、学校で習いましたよ?~

hisa
ファンタジー
 受験生の少年が、大学受験前にいきなり異世界に転生してしまった。  自称天使に与えられたチートは、社会に出たら役に立たないことで定評のある、学校の教科書。  戦争で下級貴族に成り上がった脳筋親父の英才教育をくぐり抜けて、少年は知識チートで生きていけるのか?  教科書の力で、目指せ異世界成り上がり!! ※なろうとカクヨムにそれぞれ別のスピンオフがあるのでそちらもよろしく! ※第5章に突入しました。 ※小説家になろう96万PV突破! ※カクヨム68万PV突破! ※令和4年10月2日タイトルを『転生した受験生の異世界成り上がり 〜生まれは脳筋な下級貴族家ですが、教科書の知識だけで成り上がってやります〜』から変更しました

のほほん異世界暮らし

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。 それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。

酔っぱらった神のせいで美醜が逆転している異世界へ転生させられた!

よっしぃ
ファンタジー
僕は平高 章介(ひらたか しょうすけ)20歳。 山奥にある工場に勤めています。 仕事が終わって車で帰宅途中、突然地震が起こって、気が付けば見知らぬ場所、目の前に何やら机を囲んでいる4人の人・・・・? 僕を見つけて手招きしてきます。 う、酒臭い。 「おうおうあんちゃんすまんな!一寸床に酒こぼしちまってよ!取ろうとしたらよ、一寸こけちまってさ。」 「こけた?!父上は豪快にすっころんでおった!うはははは!」 何でしょう?酒盛りしながらマージャンを? 「ちょっとその男の子面くらってるでしょ?第一その子あんたのミスでここにいるの!何とかしなさいね!」 髪の毛短いし男の姿だけど、この人女性ですね。 「そういう訳であんちゃん、さっき揺れただろ?」 「え?地震かと。」 「あれな、そっちに酒瓶落としてよ、その時にあんちゃん死んだんだよ。」 え?何それ?え?思い出すと確かに道に何か岩みたいのがどかどか落ちてきてたけれど・・・・ 「ごめんなさい。私も見たけど、もうぐちゃぐちゃで生き返れないの。」 「あの言ってる意味が分かりません。」 「なあ、こいつ俺の世界に貰っていい?」 「ちょっと待て、こいつはワシの管轄じゃ!勝手は駄目じゃ!」 「おまえ負け越してるだろ?こいつ連れてくから少し負け減らしてやるよ。」 「まじか!いやでもなあ。」 「ねえ、じゃあさ、もうこの子死んでるんだしあっちの世界でさ、体再構築してどれだけ生きるか賭けしない?」 え?死んでる?僕が? 「何!賭けじゃと!よっしゃ乗った!こいつは譲ろう。」 「じゃあさレートは?賭けって年単位でいい?最初の1年持たないか、5年、10年?それとも3日持たない?」 「あの、僕に色々な選択肢はないのでしょうか?」 「あ、そうね、あいつのミスだからねえ。何か希望ある?」 「希望も何も僕は何処へ行くのですか?」 「そうねえ、所謂異世界よ?一寸あいつの管理してる世界の魔素が不安定でね。魔法の元と言ったら分かる?」 「色々突っ込みどころはありますが、僕はこの姿ですか?」 「一応はね。それとね、向こうで生まれ育ったのと同じように、あっちの常識や言葉は分かるから。」 「その僕、その人のミスでこうなったんですよね?なら何か物とか・・・・異世界ならスキル?能力ですか?何か貰えませんか?」 「あんた生き返るのに何贅沢をってそうねえ・・・・あれのミスだからね・・・・いいわ、何とかしてあげるわ!」 「一寸待て!良い考えがある!ダイスで向こうへ転生する時の年齢や渡すアイテムの数を決めようではないか!」 何ですかそれ?どうやら僕は異世界で生まれ変わるようです。しかもダイス?意味不明です。

青の姫と海の女神

桧山 紗綺
恋愛
女神を奉る神殿で穏やかに暮らしていたセシリア。 ある日突然何者かに海に投げ込まれて意識を失う。 目を覚ましたのは遠い異国だった。 *** 突然居場所と視力を奪われた少女と彼女を支える青年のお話です。 「小説を読もう」にも投稿しています。

[鑑定]スキルしかない俺を追放したのはいいが、貴様らにはもう関わるのはイヤだから、さがさないでくれ!

どら焼き
ファンタジー
ついに!第5章突入! 舐めた奴らに、真実が牙を剥く! 何も説明無く、いきなり異世界転移!らしいのだが、この王冠つけたオッサン何を言っているのだ? しかも、ステータスが文字化けしていて、スキルも「鑑定??」だけって酷くない? 訳のわからない言葉?を発声している王女?と、勇者らしい同級生達がオレを城から捨てやがったので、 なんとか、苦労して宿代とパン代を稼ぐ主人公カザト! そして…わかってくる、この異世界の異常性。 出会いを重ねて、なんとか元の世界に戻る方法を切り開いて行く物語。 主人公の直接復讐する要素は、あまりありません。 相手方の、あまりにも酷い自堕落さから出てくる、ざまぁ要素は、少しづつ出てくる予定です。 ハーレム要素は、不明とします。 復讐での強制ハーレム要素は、無しの予定です。 追記  2023/07/21 表紙絵を戦闘モードになったあるヤツの参考絵にしました。 8月近くでなにが、変形するのかわかる予定です。 2024/02/23 アルファポリスオンリーを解除しました。

空間魔法って実は凄いんです

真理亜
ファンタジー
伯爵令嬢のカリナは10歳の誕生日に実の父親から勘当される。後継者には浮気相手の継母の娘ダリヤが指名された。そして家に置いて欲しければ使用人として働けと言われ、屋根裏部屋に押し込まれた。普通のご令嬢ならここで絶望に打ちひしがれるところだが、カリナは違った。「その言葉を待ってました!」実の母マリナから託された伯爵家の財産。その金庫の鍵はカリナの身に不幸が訪れた時。まさに今がその瞬間。虐待される前にスタコラサッサと逃げ出します。あとは野となれ山となれ。空間魔法を駆使して冒険者として生きていくので何も問題ありません。婚約者のイアンのことだけが気掛かりだけど、私の事は死んだ者と思って忘れて下さい。しばらくは恋愛してる暇なんかないと思ってたら、成り行きで隣国の王子様を助けちゃったら、なぜか懐かれました。しかも元婚約者のイアンがまだ私の事を探してるって? いやこれどーなっちゃうの!?

処理中です...