76 / 89
3章 紅炎の巫覡
12.5 代償は内密に
しおりを挟む
コンコンコン、と軽いノックの音が聞こえたと同時にセラフィは瞼を開く。
ベッドに横たえていた身体を慎重に起こし、倦怠感を堪えつつ「どうぞ」と部屋の外にいる友人に向けて声を発した。
その瞬間、こみ上げてきた咳を飲み込むことが出来ずに片手で口を覆う。
「失礼しま――」
部屋に入ってきた青年――セルペンスは聞こえてきた咳の音と僅かな鉄の臭いに顔をしかめ、後ろ手に扉を閉めてセラフィに駆け寄る。
口に宛がわれた手から覗く鮮血に視線を向ける余裕もなく、セルペンスはセラフィの背に手をかざした。淡く発せられる緑色の光が神秘的な光景を生み出していた。
しばらく無言の時間が続き、それが終わったのは光が消えたのと同時だ。
「……とりあえず、応急処置は終わったよ。いつも通りね」
「ありがとう。――ごめん、辛かっただろう?」
「いや、俺は慣れているから別になんとも。辛いのは君だ」
まだふらつく肩を支え、洗面台の前までセラフィを連れていく。少し前まで自分がこうなっていたことを思うと、なんだが複雑な気分だ。その時は――いや、その時も今もシェキナには随分と世話になっている。
手と口元についた血を洗い落とし、セラフィは顔を上げた。壁に据え付けられた鏡に映った顔は酷く青白い。
「肺とか内臓は治したけど、まだ痛みは引いていないだろう? 早く寝て、ほら」
「わ、分かってるってば」
セルペンスは治癒の能力を持っているが、その代償に治療した相手の負担を全て感じ取ってしまう不便な身体を持っている。セラフィが感じた激痛もそっくりそのまま味わっているはずなのだが、その顔には冷や汗一つない。
そのことに苦笑しつつベッドに横になれば、セルペンスは近くにあった椅子を引っ張って持ってくる。
「何度でも言うけど、俺の力はただの気休めにしかならないよ。上辺の傷だけ治せても、その体質までは治せない」
「分かってる。でも、随分と時間を稼がせてもらってるよ。君がいなかったらとっくに死んでたに違いないね」
「軽く言うね……」
シャーンスがビエントと魔獣に襲撃された際、セラフィは自分の身体が徐々に衰弱していることに気がついた。そこで初めて喀血してしまったのだが――それから定期的に発作が訪れるようになった。
セルペンス曰く、最初は肺だけだったのが他の内臓もやられていることが増えてきたらしい。いよいよ限界が近づいてきている証だ。今のところなんとか隠し通せているようだが、いつ不調に気がつかれてもおかしくはない状態が続いている。
あの日から、発作が起きる前にセルペンスに診て貰うようになった。内部の傷があれば治療してもらい、発作を遅らせてきたのだ。
セルペンスがセラフィの血を取り込むことを拒んだ理由のひとつにはこの現象が含まれている。
「まだ死ねない。大雑把だけど、僕がやらなきゃいけないことが見つかったんだ」
「それは?」
「セルペンスはさ、レガリアを知っているだろう?」
「あぁ。なんか凄い奴だってことくらいは」
「イミタシアの中でレガリアに一番近い存在なのは君らしいけどね――いいや、そんなことは。それよりも、そのレガリアがソフィアを苦しめてる元凶らしいんだ。僕はそいつから彼女を解放する」
「え、どういうこと?」
先日、女神シュミネから聞いたことを簡潔に説明する。
神妙な面持ちで聞いていたセルペンスは、やがて呆れたように肩をすくめる。
「難しいことやろうとしているね」
「分かってる。どうやって彼女を救えるか、そこも考えないと……」
「それもそうだけど。まずは君の体調第一だ。フェリクスには話さなくてもいいのかい? いずれは知られることになる。早くに言ってしまった方が良いと思うけど」
セラフィはしばらく黙った後、気まずそうに顔を背ける。
「今は殿下とミセリアの結婚が近いんだ。僕のことなんかで惑わせるわけにはいかない。意地でも全部終わるまで耐えるから、その後でもいいかなぁって」
「やっぱりセラフィって楽観的過ぎる」
「僕から言うから、このことは内緒で。多分ソフィアと君……あ、クロウもか……しか知らないからさ」
「はいはい。それじゃ、俺は少しだけここにいるから寝てて。城に来る回数も増やすよ」
「了解。助かる」
それだけ言うとセラフィは掛け布団を被り、瞼を閉じて自分の意識が落ちるのを待った。
もうすぐ大親友である主と頼れる仲間のめでたい日が訪れる。
その日まではどうか何もありませんように。
無言の祈りが、昼間の空気の中に溶けていった。
ベッドに横たえていた身体を慎重に起こし、倦怠感を堪えつつ「どうぞ」と部屋の外にいる友人に向けて声を発した。
その瞬間、こみ上げてきた咳を飲み込むことが出来ずに片手で口を覆う。
「失礼しま――」
部屋に入ってきた青年――セルペンスは聞こえてきた咳の音と僅かな鉄の臭いに顔をしかめ、後ろ手に扉を閉めてセラフィに駆け寄る。
口に宛がわれた手から覗く鮮血に視線を向ける余裕もなく、セルペンスはセラフィの背に手をかざした。淡く発せられる緑色の光が神秘的な光景を生み出していた。
しばらく無言の時間が続き、それが終わったのは光が消えたのと同時だ。
「……とりあえず、応急処置は終わったよ。いつも通りね」
「ありがとう。――ごめん、辛かっただろう?」
「いや、俺は慣れているから別になんとも。辛いのは君だ」
まだふらつく肩を支え、洗面台の前までセラフィを連れていく。少し前まで自分がこうなっていたことを思うと、なんだが複雑な気分だ。その時は――いや、その時も今もシェキナには随分と世話になっている。
手と口元についた血を洗い落とし、セラフィは顔を上げた。壁に据え付けられた鏡に映った顔は酷く青白い。
「肺とか内臓は治したけど、まだ痛みは引いていないだろう? 早く寝て、ほら」
「わ、分かってるってば」
セルペンスは治癒の能力を持っているが、その代償に治療した相手の負担を全て感じ取ってしまう不便な身体を持っている。セラフィが感じた激痛もそっくりそのまま味わっているはずなのだが、その顔には冷や汗一つない。
そのことに苦笑しつつベッドに横になれば、セルペンスは近くにあった椅子を引っ張って持ってくる。
「何度でも言うけど、俺の力はただの気休めにしかならないよ。上辺の傷だけ治せても、その体質までは治せない」
「分かってる。でも、随分と時間を稼がせてもらってるよ。君がいなかったらとっくに死んでたに違いないね」
「軽く言うね……」
シャーンスがビエントと魔獣に襲撃された際、セラフィは自分の身体が徐々に衰弱していることに気がついた。そこで初めて喀血してしまったのだが――それから定期的に発作が訪れるようになった。
セルペンス曰く、最初は肺だけだったのが他の内臓もやられていることが増えてきたらしい。いよいよ限界が近づいてきている証だ。今のところなんとか隠し通せているようだが、いつ不調に気がつかれてもおかしくはない状態が続いている。
あの日から、発作が起きる前にセルペンスに診て貰うようになった。内部の傷があれば治療してもらい、発作を遅らせてきたのだ。
セルペンスがセラフィの血を取り込むことを拒んだ理由のひとつにはこの現象が含まれている。
「まだ死ねない。大雑把だけど、僕がやらなきゃいけないことが見つかったんだ」
「それは?」
「セルペンスはさ、レガリアを知っているだろう?」
「あぁ。なんか凄い奴だってことくらいは」
「イミタシアの中でレガリアに一番近い存在なのは君らしいけどね――いいや、そんなことは。それよりも、そのレガリアがソフィアを苦しめてる元凶らしいんだ。僕はそいつから彼女を解放する」
「え、どういうこと?」
先日、女神シュミネから聞いたことを簡潔に説明する。
神妙な面持ちで聞いていたセルペンスは、やがて呆れたように肩をすくめる。
「難しいことやろうとしているね」
「分かってる。どうやって彼女を救えるか、そこも考えないと……」
「それもそうだけど。まずは君の体調第一だ。フェリクスには話さなくてもいいのかい? いずれは知られることになる。早くに言ってしまった方が良いと思うけど」
セラフィはしばらく黙った後、気まずそうに顔を背ける。
「今は殿下とミセリアの結婚が近いんだ。僕のことなんかで惑わせるわけにはいかない。意地でも全部終わるまで耐えるから、その後でもいいかなぁって」
「やっぱりセラフィって楽観的過ぎる」
「僕から言うから、このことは内緒で。多分ソフィアと君……あ、クロウもか……しか知らないからさ」
「はいはい。それじゃ、俺は少しだけここにいるから寝てて。城に来る回数も増やすよ」
「了解。助かる」
それだけ言うとセラフィは掛け布団を被り、瞼を閉じて自分の意識が落ちるのを待った。
もうすぐ大親友である主と頼れる仲間のめでたい日が訪れる。
その日まではどうか何もありませんように。
無言の祈りが、昼間の空気の中に溶けていった。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
名も無き星達は今日も輝く
内藤晴人
ファンタジー
エトルリア大陸の二大強国、ルウツとエドナ。
双方の間では長年に渡り、無為の争いが続いていた。
そんな中偶然にも時を同じくして、両国に稀代の名将が生まれる。
両者の共通点は、類稀な戦上手であるにもかかわらず上層部からは煙たがれていること、そして数奇な運命をたどっていることだった。
世界の片隅で精一杯に生きる人々の物語。
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる