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3章 紅炎の巫覡

12.5 代償は内密に

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 コンコンコン、と軽いノックの音が聞こえたと同時にセラフィは瞼を開く。
 ベッドに横たえていた身体を慎重に起こし、倦怠感を堪えつつ「どうぞ」と部屋の外にいる友人に向けて声を発した。
 その瞬間、こみ上げてきた咳を飲み込むことが出来ずに片手で口を覆う。

「失礼しま――」

 部屋に入ってきた青年――セルペンスは聞こえてきた咳の音と僅かな鉄の臭いに顔をしかめ、後ろ手に扉を閉めてセラフィに駆け寄る。
 口に宛がわれた手から覗く鮮血に視線を向ける余裕もなく、セルペンスはセラフィの背に手をかざした。淡く発せられる緑色の光が神秘的な光景を生み出していた。
 しばらく無言の時間が続き、それが終わったのは光が消えたのと同時だ。

「……とりあえず、応急処置は終わったよ。いつも通りね」
「ありがとう。――ごめん、辛かっただろう?」
「いや、俺は慣れているから別になんとも。辛いのは君だ」

 まだふらつく肩を支え、洗面台の前までセラフィを連れていく。少し前まで自分がこうなっていたことを思うと、なんだが複雑な気分だ。その時は――いや、その時も今もシェキナには随分と世話になっている。
 手と口元についた血を洗い落とし、セラフィは顔を上げた。壁に据え付けられた鏡に映った顔は酷く青白い。

「肺とか内臓は治したけど、まだ痛みは引いていないだろう? 早く寝て、ほら」
「わ、分かってるってば」

 セルペンスは治癒の能力を持っているが、その代償に治療した相手の負担を全て感じ取ってしまう不便な身体を持っている。セラフィが感じた激痛もそっくりそのまま味わっているはずなのだが、その顔には冷や汗一つない。
 そのことに苦笑しつつベッドに横になれば、セルペンスは近くにあった椅子を引っ張って持ってくる。

「何度でも言うけど、俺の力はただの気休めにしかならないよ。上辺の傷だけ治せても、その体質までは治せない」
「分かってる。でも、随分と時間を稼がせてもらってるよ。君がいなかったらとっくに死んでたに違いないね」
「軽く言うね……」

 シャーンスがビエントと魔獣に襲撃された際、セラフィは自分の身体が徐々に衰弱していることに気がついた。そこで初めて喀血してしまったのだが――それから定期的に発作が訪れるようになった。
 セルペンス曰く、最初は肺だけだったのが他の内臓もやられていることが増えてきたらしい。いよいよ限界が近づいてきている証だ。今のところなんとか隠し通せているようだが、いつ不調に気がつかれてもおかしくはない状態が続いている。
 あの日から、発作が起きる前にセルペンスに診て貰うようになった。内部の傷があれば治療してもらい、発作を遅らせてきたのだ。
 セルペンスがセラフィの血を取り込むことを拒んだ理由のひとつにはこの現象が含まれている。

「まだ死ねない。大雑把だけど、僕がやらなきゃいけないことが見つかったんだ」
「それは?」
「セルペンスはさ、レガリアを知っているだろう?」
「あぁ。なんか凄い奴だってことくらいは」
「イミタシアの中でレガリアに一番近い存在なのは君らしいけどね――いいや、そんなことは。それよりも、そのレガリアがソフィアを苦しめてる元凶らしいんだ。僕はそいつから彼女を解放する」
「え、どういうこと?」

 先日、女神シュミネから聞いたことを簡潔に説明する。
 神妙な面持ちで聞いていたセルペンスは、やがて呆れたように肩をすくめる。

「難しいことやろうとしているね」
「分かってる。どうやって彼女を救えるか、そこも考えないと……」
「それもそうだけど。まずは君の体調第一だ。フェリクスには話さなくてもいいのかい? いずれは知られることになる。早くに言ってしまった方が良いと思うけど」

 セラフィはしばらく黙った後、気まずそうに顔を背ける。

「今は殿下とミセリアの結婚が近いんだ。僕のことなんかで惑わせるわけにはいかない。意地でも全部終わるまで耐えるから、その後でもいいかなぁって」
「やっぱりセラフィって楽観的過ぎる」
「僕から言うから、このことは内緒で。多分ソフィアと君……あ、クロウもか……しか知らないからさ」
「はいはい。それじゃ、俺は少しだけここにいるから寝てて。城に来る回数も増やすよ」
「了解。助かる」

 それだけ言うとセラフィは掛け布団を被り、瞼を閉じて自分の意識が落ちるのを待った。
 もうすぐ大親友である主と頼れる仲間のめでたい日が訪れる。
 その日まではどうか何もありませんように。
 無言の祈りが、昼間の空気の中に溶けていった。
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