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33 知らなくて済んだこと。
しおりを挟む「それを食べさせられたあなたは? どうなるんでしょうか?」
「わたし、ですか? ああ、それは大丈夫です。なんとかなるんで」
「失礼ですが、恋人がいらっしゃるという回答でいいですか? 」
こういうのちゃんと言葉にして言うところが櫟の偉い所だなあ。なんて思う。サリアノアは言葉にされるとダメージが大きいのでなるべく曖昧にぼかしてきた。
「あ、ははは」
だから笑ってごまかしてみたら櫟が目を細める。
「恋人がいらっしゃるなら、私は通訳を頼むのをやめたほうがいいでしょうね?」
両手を出し、反射で首を振るう。
「オメガでまだ番ってもいない相手をアルファの前に置いておくなんて不安でしょうから、やめておいた方がいいです。私だったら、番っていてもそんな状況に耐えられませんよ」
だめだ、こりゃ。何を言ってもどう言っても、詰む感じがする。
将樹改めサリアノアは嘘が苦手だ。楽しい奴でも気まずい奴でもなんでも。顔に出るらしい。
特に親しい人に対しては嘘が壊滅的につけない。
櫟は軽蔑するだろうか。
櫟は気付いていたのだろうか。
でも、どうやっても婉曲に伝えられそうにないことだから、俺は口を開けたり閉めたりするだけで何も出ない。
「では、恋人は?」
「い、ません。あ、でも。本当、その、そのあんまり……外で口に出すこと、でもない、ので……。ふつうのことだから」
どんどん目を見ていられなくなって下を向く。
恋人はいないので、お気になさらずと何とかテレパシーで伝える。
櫟の胸の中にほぼ抱えられるように固まったサリアノアは顔を上げられないまま、手は繋いだまま。
指先から血が落ちていくように冷たくなっていった。
櫟は溜息を一つ零すと、藤代を呼んで二人で話し始めた。
と同時に声が聞こえた。
――そういうことする相手はいるってことでいい?――
思わず顔を見上げると藤代にサリアノアが用意した非常食の説明を伝えている。また声が聞こえた。
――それは君にとって負担ではないの?――
なんて器用なことをするのだろうか。テレパシーを出しながら、違う人と意味のある会話をするなんて。
限界突破した櫟は、サリアノアの想定を超えてくる。
――サリアノアさん。それでも俺はやっぱり、そんな形であなたに毒見をさせたくはないよ。俺は、もう誰の犠牲の上でも生きていたくないんです――
ちらりとサリアノアを見た櫟は悲しそうな眼をしていた。
――どうしてあなたがそんな顔をするの?――
困ったように俺に笑いかける。
どうして俺は考えなしの大馬鹿野郎だったんだろう。
どうして今も、君の隣にいられなかったんだろう。
どうして遮二無二に動いて、君を助けたいって言えないんだろう。
サリアノアと将樹は似ている。
いっそ似ていなければよかったのに。
俺が死んだあと、人はこんな顔をするんだって知らなくて済んだのに。
馬車に揺られて帰ると、疲れがどっと押し寄せてきた。
昨夜寝ていなかったのも相まって、馬車の中で舟を漕いでしまったほどだ。
これから櫟をもとの場所に帰すために、俺にできることを考えないといけない。
それほど時間をかけたくはない。
あちらとこちらの世界がどうつながっているか知らないが、行方不明の時間が長ければ長いほど帰っても辛い日々が待っているだろう。
それにどこにいたのかと聞かれて、こんなこと話したところで信じてくれる人はいるのだろうか。
下手したら薬物使用を疑われるかもしれない。
俺には圧倒的に情報がない。
こんな事ならちゃんともっと、意欲的に学ぶんだったと思って後悔しても遅い。
知らなくてはいけないことは、今回の召喚は一体誰が主導でどのように行ったのかということだろう。
元に戻る道はあるだろうとは思う。
無かった場合は作るしかない。それは最悪のパターンだ。
俺にそんな才能があったらとは思うものの、あったのならセレットリクが教育しないわけがない。
使えるものは使う主義なので、教育を施されていないということはそういうことだろう。
帰る方法を知るために魔術のことを知らなくてはいけない。
そして恐らく、櫟が帰ることを良しとする者はいないのではないかと思う。
あの祈りの間での人々の反応を見ればわかる。
歓喜でわく広間に、利用しようとする熱気がこもっていた。
それが一番怖い。人の悪意のない強引な意思は憎悪に変わってしまったとき、俺に止められる気がしない。
だから、誰にも知られずに遂行しなくてはいけない。
が、俺にそれだけの力がない。
いつか協力者がいるだろう。
そのために俺のできることを。
湯あみもせず、着替えもそのままにベッドに寝転がる。
ラーノはまた来ますと一人にしてくれた。
セレットリクが帰ってくるまでには起きるから、と言い訳してあっという間に眠りについてしまった。
頭の芯が重くて、息が苦しい。胸が押しつぶされそうで誰かが上にのっている気がした。
離して欲しいのに、離してもらえなくて。
気持ち悪いのに、気持ちよさが昇ってきて吐き気がする。
俺の体は俺のものなのに。
この首輪のせいだ。
このくびわがおれを。
「起きろ」
「はっ」
上から覗き込む青が頬を手の甲でぺちぺちと叩く。
「手をどけろ」
「て?」
セレットリクの手が首元に伸びてきて、首がすくむ。
その手が俺が自分の首に掴みかかっていた手に重なって、剥がされる。
ぱたり。
さっきまで全身に力が入っていたのか、がちがちだった体から急速に力が抜けていった。
すりっと手の甲をひと撫でされて、その手が首に回る。
まだ息が苦しくて胸が大きく上下するのを、止められない。
首の後ろまでセレットリクの手が回り、かちりと音がした。
ああ、こいつのせいで苦しかったんだな。
セレットリクが隷属の輪を寝台の隅にポイッと投げた。俺はふと他に気がかりになっていたことを口にした。
「なあ、ラーノには……」
「ラーノがどうかしたか?」
「あの子には、ひどいことしてない、よな?」
寝台に置かれたセレットリクの腕越しに、投げられた隷属の輪の金属のぬめっとした反射した光を見ながら聞いてしまった。
「お前の言う、ひどい事、とはなんだ?」
「俺は今更、どうなってもいいんだけどさ。耐えられると思うし。でもさ、あの子の意思を奪うようなことはしないで欲しい」
「ラーノから何か奪ったことはあるかもしれないが、意思を無視して何かを奪ったことはない」
二人ともそのまま動かず、視線も合うことない。
「本当か?……あの子に関係を、性的な事を、強要していないか?」
「していない」
「……じゃあ、これからもそういうことはしないで、ほしい。俺は何だってや、」
「はあ、お前は学ばないな。……お前が気にせずとも。いや、何でもない。安心できるように断言しておいてやろう。私は未来永劫ラーノにその食指が動かん。食いたいものは決まっている」
ベッドから立ち上がり、自分で投げた隷属の輪を拾ってセレットリクが扉の方へ歩いていった。
「そのラーノがそろそろしびれを切らしてくるぞ。食事だ」
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