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20 さっきのは何だ。
しおりを挟むその手を引いて、近くの長椅子に横並びに座る。
出来るだけ正面からは見られたくなかったから。
話を続けようとしたら、彼が口を開く。
「俺は瀬古野 櫟と言います。俺の言葉がわかりますか?」
驚いて、思わず目の前の彼の顔を凝視してしまう。
凛とした目に、
背が大きいから黙ってしまうと怖がられると言っていた彼の言葉を思い出す。威圧的な態度に見えてしまうから、穏やかな俺が羨ましいとか言っていた。
俺、お前のこと一度も威圧的だと思ったことないけどと不思議そうに言えば、そうだったっけと二人で笑った。
その時は惚れた欲目だなと思っていたっけ。だって俺には櫟の顔は全然怖くない。
止まった俺にちょっとだけ首を動かし、ん? とか言う。
やっぱ、可愛いんだけど。
この間のお怒りモードが片鱗も見えないし、聞いていた話とも少し違う気がする。
俺は少し首を振って集中集中と唱える。
――はい、言葉はこうやって手を繋いでいるとわかりますよ。――
櫟ははにかんでフフっと笑った。
――説明するより前に何かご入り用のものなどはありませんか?――
「あー、いや、とくに」
はて、怪我人がいるのではないのだろうか。
目を何回かぱちぱちすると、櫟はその大きな手で顔を隠して、またこちらを向いた。
「一人、怪我人がいる。最低限の処置はしたんだが、熱があるようで。何かしら処置が必要かもしれない。医者などはいるかな?」
サリアノアは容体を聞き取り、急いでエテルノの方へ振り向く。
「王弟殿下。彼と一緒に連れてこられた方がお医者様を必要とされているそうです。今すぐ連れてこられますか?」
「ああ、すぐ用意しよう」
「出来れば、ご内密に。費用は私が払いますので」
「いいや、それくらいは出すよ。彼は国賓だしね」
「いいえ。彼にまだなにも説明していない以上、誘拐犯も同然の方たちに借りを作らせるのはフェアではありません。説明した上で彼が納得したときは、そちらから私の方へお支払いただければと思います。彼にかかる費用はすべて」
そして、すぐにセレットリクの方へ向く。
「アフェット伯爵、そう言うわけですので資金をお借りしてもよろしいでしょうか。大変情けない話ではあるのですが、私は自分の財産と言うものを持ちません。もしお貸しいただければ、今まで以上に貴方の力になりましょう」
セレットリクはこちらを見ずにティーカップを持ち上げ、お茶を一口飲んだ。
「そもそも、お前が働くのは当たり前だ。今以上に、と言うと何をどうするつもりか」
「はい、今まで以上に健康に気を遣いましょう。この体が持てば持つほど、生きれば生きるほど使える期間がありましょう。今まではいつ死んでもいいと思って生きてきました。明日、目が覚めなければいいのにと。しかし、お貸しいただければそれが私のものにならなくとも、積極的に死ぬことも、消極的に死ぬことも致しません」
それでもセレットリクには足りないだろうと、俺は微笑んだ。
「使う方がより楽しめるように、繁殖用にも観賞用にも性処理用にも如何様にも使っていただける方を楽しませましょう。笑えと言うなら笑います。泣けと言うならいくらでも泣きます。怒れと言われたら少しばかり難しいですが、オメガらしく誘えと言うのならそれも。どのように使われようとも貴方の命令をお聞きしましょう」
また無言の圧だ。でも、ここで引くわけにはいかない。
立ち上がり、セレットリクのもとにゆっくり近づく。そして膝をついた。
両手を額につけ、その場に跪く。
手元の無駄な布をきれいに広げ、土下座をする。
そして、顔をあげずに近づき、セレットリクの足先に近づいた。
ガタンッ。
前後で大きな音がしたが、頭をあげずに自分から遠退いてしまったセレットリクの足先を目だけで探す。
サリアノア以外の全員が立ち上がっていたが、サリアノアは真剣に許しをこうていたためそれには気づかない。
やったことのない許しを乞う姿は知識としては知っていた。
家庭教師が教えた。その時も絵と文字だけだった。
それくらい自分を下にする行為。
いいと言われるまで辞めてはいけない。
「もういい」
ぐいっと腕を捕まれ、無理矢理立ち上がらせられ、たたらを踏んだ。
そして、抱え込まれるようにセレットリクの腕の中の引っ張られる。頭の上で舌打ちした音が聞こえた。
「金は貸す。交渉成立だ。あの男が金遣いが荒くないことを祈っておけ。出せる金額は決まっているからな」
サリアノアはそこから抜け出そうとしたが、動かないので締まりがないがお礼を伝えた。
セレットリクは嘘をつく人ではないので、ほっと安心すると。
背中の方がざわざわとし始めた。
「さっきのは何だ」
まずい。櫟が怒っている。
サリアノアは両腕でセレットリクの胸を叩いて抜け出し、急いで伝える。
櫟はきっとよく思わないのに。もっと隠れてやるんだった。
自分の迂闊さに思わず舌打ちをしかけて、止める。
こう見えてもサリアノアは貴族の端くれオメガなもんでマナーなり、なんなりを一応は習得しているのであって。
舌打ちなんてしたら、びっくり仰天てなものだろう。
セレットリクは余裕でするけど。
俺以外の前では、エテルノ王弟殿下の前くらいでしか舌打ちしない。
人を選んでいるのだろう。
櫟は納得はしていなさそうだったが、あれがオメガの礼の一つだと教えた。
身分制のある世の中だから、仕方のないことなんだと伝える。頼み事をしたことは伝えないことにした。
それを言ったら台無しだ。
怒りながらも、櫟はサリアノアの服の埃を払った。
そうして呟く。
「この世界のことが少しわかったよ」
次に手を取って、サリアノアに尋ねた。
「君はオメガだというが、俺のことは怖くはないか」
可笑しくて笑ってしまった。
全然、まったく、これっぽっちも。
頭にまだ乾いた血がついていても、全然気にならなかった。
急いで治療ができる者が呼ばれた。
その者はサリアノアもよく知る医者で、セレットリクが呼んだ者らしかった。
ちらりと見えた使いの人は、腫れた頬と目、息も少し荒い。
「熱が出ているのは疲労もあるでしょう。恐らく召喚に体が付いて来れなかったのも影響があると思います」
それを櫟に伝えると、ホッとした顔をしていたからサリアノアも安堵した。
喧嘩していたようだけれど、心配するぐらいの関係性ではあったのだろう。
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