16 / 37
16 困った顔に弱いんだ。
しおりを挟むこの世界とあちらの世界はどこかでつながりがあるのだろうか。
もう二度と会うこともないと思っていた。
前世で置いてきたけど、連れてきてしまったたくさんの未練が彼を連れてきてしまったのなら申し訳ないと思う。でもそうではないのだろう。
そんなことはない。だって、俺はこの世界の神様に彼のことを祈らないから。
王がようやく彼の前に到着し、声をかける。
それを一瞥するだけで何も声を出さない。連れてこられた彼は周囲を見やった。
「俺にそれ以上近づくな」
夫君の言葉は日本のものなので誰一人解らず、周囲も言葉をかけるが混乱の極みの中。
自分にはわかる。だって俺、日本人の心をもってこっちに転生してきちゃってるからね。
「お前らはなんだ。ここは、どこなんだ」
周囲の人が彼に口々に欲望を唱える。
「この国の導き手となってほしい」
「我が領地を救ってくれ」
「この中の人々と契りを交わし、子をたくさんなしてもらいたい」
「その能力を我が国の繁栄のために」
「勝手に触れるな!」
ああ、櫟だ!
すごく怒っているけれど、あれは櫟だ。
頬を、先ほどと同じく流れるものを、後ろから抱えるようにしていたセレットリクが拭う。
セレットリクは強くなるサリアノアの匂いに気付き、さらに腕の中に閉じ込めようとした。
花が開く。
少しだけ声を荒らげた櫟の前に、王弟が頭を垂れた。
王族のめったにしないしぐさに周囲がざわめく。
「申し訳ない。言葉が通じていないのですね。皆のもの武器を下げよ」
王族の護衛についていた騎士たちが武器を外し、鎧兜もはいで地面に置く。
そうして騎士たちが跪いて頭を垂れた。
「櫟だ」
俺がそう呟いたと同時に、彼の目の前に一人飛び出す。
あの女性は確か、王族の一人でバース性がオメガの。
種馬として召喚って俺なら申し訳なくって言えるわけない。先ほどまで俺の隣で話していた王弟が困ったように眉を下げた。
自分だったら吐き気するわと、下を向いてげーげーしているとあたりがシンと静かになる。
そして自分の視界につま先が見える。
血ついてるけど。ピカピカの革靴の先に乾いた血が見える。
俺も今朝はそんなのがいっぱいついていたなと、ぺりぺり剥がした自分の血を思い出す。
「きみ」
声が耳をくすぐる。
「もし、良ければ顔を見せてくれないか」
震えた声で俺にそう聞くのは、あの時と同じで。
職場で大事そうに俺の文房具を持って、俺に声をかけてきたときと同じで。
顔を上げると櫟は驚いた顔をする。
まあ、似ているとは思うけど中身も一緒だとは思うまい。
俺は人工的に生み出されたこの世界で言うと、人間ではない。
道具のオメガ。
本当だったら、触れてほしくない。
この手は昨日まで、違う誰かの背に。
背の高いお前が俺の瞳をのぞき込み、俺を待っている。
でも、櫟。俺、お前の困った顔に弱いんだ。
俺は何も声を出すこともできなくて、とりあえず微笑む。
サリアノアは気付かなかったが、櫟の頬が赤くなるのをセレットリクは見た。
大勢の前で殺気を放っていたアルファが目の前のオメガにしか視線がいかなくなるくらいの強い視線。
サリアノアは櫟の手のひらを包んでポンポンと叩く。
目と目を合わせて呼吸を深くゆっくりとする。
櫟の拳についていた血をハンカチで拭って、こういう時は笑えばいいのか、真面目な顔をすればいいのかわからないから、多分変な表情になったと思う。
俺はその手からテレパシーを送る。
俺の能力の一つに微弱なテレパシーがある。
相手にどう伝わるのかはいまいちわからないが、魔力の検査を受けているのでわかった能力だ。
肌と肌を触れ合わせて、念じると通じるらしい。
普通に話す感じだ。相手の言葉も触れていたら声に出しても、出さなくても、伝えようとしたら伝わる。
だから、勝手に心を読むなんてことはできない。
大事なのは伝えると言う意思。それさえあれば通じる。
俺の一人語りが増えたのは確実にこの能力のせいもあると思っている。
そう言う性質をサリアノアが持っていたのだろう。
手をつないで送りたい気持ちを送る。
落ち着いて。
ここはお城。王様がいる世界。
神様もいるらしいよ。見たことないけれど
君は呼び出された。違う世界から。
利用したい人がいるんだろうね。
ごめんね。俺にもよくわからないことが多くて。
こんな事ならもっと、勉強しておくんだった。
ああ、ごめん、いらない話を。
確かに理不尽なところに呼び出されたけれど。
今のところはおとなしくしておいた方が得策かも。
言葉がわかればいいのに。
冷静に判断して。
言葉はわからなくても、見ていたらわかることもあるよ。
気を付けて。
君ならできるよ。
出来る。
「俺は何をすれば」
俺はあちらの神官と王族を指し示す。
「話を聞けというのか」
彼にしてはひどく冷たい言い方におかしくなる。
年月は人をこういう風に変えてしまうのか、それとももう自分が番ではないからだろうか。
少し目を見張った彼は周囲が止めるが聞かずに、むんずと腰を掴んできた、軽く脚が浮く。
まるで踊るときのように。
「なら、言葉がわからないのだから君が通訳してくれ。名前を教えてくれ」
そう言われて、近くなった彼の首元から肌の匂いがした。
耳もとで囁かれた懐かしい響きに背筋がぞくぞくとした。
君の名前は――ではないか?
それはフェロモンでは決してなかったけれど、彼の味だったからか。
後ろからセレットリクが同時に名前を呼んだ。
ブワッと自分の体温が上昇する。
まずい。
発情だ。
咄嗟に櫟を突き放し、離れる。
櫟が表情を変えた。
そんな俺を違う腕が囲った。
「息子が発情してしまった。今日は下がらせてもらう。失礼」
追いすがる櫟を置き去りにセレットリクが珍しく魔法を使う。
魔力消費が激しいからめったに使わない彼の魔法。
転移だ。
一瞬にして自室に転移してどさりとベッドの上に落とされる。
ふかふかしているから痛くはないけれど、涙がぽろぽろ零れ落ちる。
痛いよ。いたい。
うわごとのように櫟の名前を呼ぶ俺の下着ごと下の衣服をはぎ、何も言わずに後ろに触れる。
「会っただけであれか。匂いもわからない欠陥なのに。それほど至高のアルファの腕はよかったか?」
「い、ちい」
目の前が涙の膜でぼやけて、見えない。だから一生懸命に手を伸ばす。
92
お気に入りに追加
265
あなたにおすすめの小説
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
側妃は捨てられましたので
なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」
現王、ランドルフが呟いた言葉。
周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。
ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。
別の女性を正妃として迎え入れた。
裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。
あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。
だが、彼を止める事は誰にも出来ず。
廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。
王妃として教育を受けて、側妃にされ
廃妃となった彼女。
その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。
実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。
それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。
屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。
ただコソコソと身を隠すつもりはない。
私を軽んじて。
捨てた彼らに自身の価値を示すため。
捨てられたのは、どちらか……。
後悔するのはどちらかを示すために。
三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します
冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」
結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。
私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。
そうして毎回同じように言われてきた。
逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。
だから今回は。

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる