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9 もうチョコレートの匂いはしない。
しおりを挟む俺が好きだった指くらいの長さのサクサクしたクッキーをチョコで包んだお菓子。周りが銀紙でくるんである。
小さいころから好きで、一袋丸々食べて全部戻してしまったこともある。やめられないお菓子である。
「違わないって」
「ぜっんぜん違うって」
「いやいや、包み紙の色で味が違うなんてないって」
「じゃあ、試してみろよ。俺、目、つぶってるから。金色は銀色よりちょっと甘い気がするの。銀色は少しビターで」
目を瞑って、口をパカリと開ける。
「じゃあピンクは」
「ピンクはフルーティーだろーがよ―!」
「ふうーん、どれが一番好き?」
「銀色」
それから銀色ばっかり俺に渡すようになって、ほかの味もたまには食べたいんだよと言ったら、やっぱり味は一緒な気がするけどって振り出しに戻った。
それの銀紙をくるくるねじって輪っかにした指輪。編み込んであるから結構頑丈。
しかもそれを劣化しないようにコーティングしてある凝りよう。
先には同じ銀紙で作った丸い飾りをつけて。
「けっこんしよう」
お付き合いも何もかんもすっ飛ばして、そう、言った。
それを指につけて、太陽の光に照らす。
もうチョコレートのにおいはしないけれど、彼の甘い香りがした気がしてそれにそっと口付ける。
ばかだなあ。どれだけ好きだったんだ。
涙がまた出る。
あいつに書いた手紙は結局どこにいるかわからないので、もし渡せるのなら渡してくださいと使いの人に渡したっきり。
何十年後でもいいから、中身も読んで確認してくださって構いません。
夫が私のことを完全に忘れた後でもいいのでお願いします。
それで、全部忘れますから
使いの人は困っていたけど、結局受け取ってくれた。
誰も訪れるはずのないシェルターの扉が開いて、風が通った気がした。
もしかしてあいつが、ふと、尋ねてきてくれたかもしれない。
目も見えないし、最近は鼻も効かなくなってアルファかどうかもわからないから、外にも出なくなったけど。
君だと嬉しいから。
久しぶりに呼んでみたくなった。
最後に呼んでみたくなった。
発情期で狂おしいほど呼んだあいつの名前を。
隣で飽きるほど呼ぶはずだったあいつの名前を。
初めて胸のときめきとともに呼んだあいつの名前を。
嫌いだと言った自分の名前を好きになるくらい俺が塗り替えてやると約束した。
あいつの名前を。
「いちい」
そしてそこからは何も見えなくなった。
もう目覚めることはなかった。
そして俺は次の命へと向かった。
いったいなぁ。うなじがじくじく痛む。
今回のお客様は、もう帰られた。
大変怒っていらっしゃったから、父から怒られるかもしれない。
どっちが? どっちも?
商品が傷ついたら怒るだろうし、そこまで怒らせた俺も怒られるかもしれない。
まぁ、子どもさえ産めばあの人は気にはしないだろう。
俺はあの人の子どもの範疇じゃないのだろうから。
道具。
セックスができて子どもを産む。
一石二鳥。
おおっと、やめやめ。
暗い考えをしていたら、鬱になってしまいそう。
疲れた体を寝転がしたまま、目を閉じる。
血が出ているあちこちが気にはならないくらい、自分の体がどうでもいいとは思っている。
前世が懐かしくて、幸せだったと、戻りたいと思うくらいには今回の人生は最初っからきつい。
何で生きているのかと言われたら、生きているからなあとしか言えない。
あまり深く考えないようにしている。
そこには闇しかない気配がプンプンとするから。
俺が今世、生きている世界はアルファが少なくなった世界だという。
こちらの世界でも、前の世界のようにアルファに異常が起きていた。
優秀なアルファの獲得はそのまま勢力図を変えることにもなる。
最早、兵器扱い。
疲れない、強い、賢い。
前世はもっと科学が進歩した世界だったから、そこまでではなかったかもしれないけれど。
前世の世界もそういうことは往々にしてあったのだろうとは思う。
そんなアルファが減っているため、この世界のこの国では減っていくアルファを生み出すための実験がなされていた。
だが、ただの人間をつくるのですら難しいのに、さらにアルファを作りだすのはかなり難しかったらしい。
そこで生まれたのが人工オメガ。
副産物的な感じで生み出されたのだそうだ。
お、話がちょっとは見えてきただろう。
アルファを多く産むオメガができただけでも御の字だったのだろう。
どうやって作っているかは知らない。
機密情報だから、そう簡単に教えられはしない。たとえ作られた張本人だとしても。
魔法があるらしいから、魔法とかで何とかするんだと思うという結論でそこはあまり深く考えるのはやめた。
聞いてもわからなさそうだし、父親である俺の所有者はそういう話を聞くとすこぶる嫌な顔をする。
一度、尋ねてしまってからもう二度と聞いていないから、もしかしたら教えてくれることもあったのかもしれないけれどそこまで興味が持てなかった。
アルファの魔法はそりゃすごいらしい。
俺の血縁上の? 父親? もそうらしい。めったに使わないけれど、気が昂るのが苦手なのだろう。
あの人はアルファをひけらかさないから、そこはちょっと楽だったりする。
前世でも結構いたからね。人のバース性を探ってこようとしたり、ひけらかしたり。
疲れるんだよね。俺は確かに男でオメガで、見た目からしてオメガっぽいらしいけれど。
それは俺を構成する一つでしかないわけで。
仲良くもない人に、どうしてそういう話をしないといけないのかなと思うわけで。
もし俺がオメガでも、男でも、何でも。俺は俺なわけで。
お前ザリガニに、君は雌? 雄? 性的指向は? とかって聞くわけ? と思うと話したところ元夫とか友人には、相手のことザリガニだと思ってるってこと? と聞き直された。
そうじゃないけど、ザリガニはザリガニでかっこいいじゃん。 まあアメリカの方のザリガニですか? くらいなら聞くかもしれないけれど。 だから、要は。聞いたところで変わんないってことで。
俺はこちらでは聞かれたこともない。
聞くまでもないのだろう。
この世界のオメガももちろんそれほど多くいるわけじゃない。
だから、アルファが少なくなった世界でオメガは同じく貴重だった。
生まれたオメガはそれはそれは丁重に扱われるらしい。
蝶よ花よとお箸を持ったことがあるのかどうかは知らないが、それより重たいものは持たされない生活らしい。
伝聞なので確証はないけれど。それはそれはお上品に育てられると聞いた。オメガにとって必要な教養をそれはたっぷりと施される。オメガという存在かどんなものか、理解しておけということだろう。
どうあがいても、意味がないのだからおとなしくしておけ。
というメッセージを勝手に受け取ってそれなりに大人しく生きている。
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