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第5章
前途多難なことが多すぎるが、それでもやるつもりです14
しおりを挟む「と言っても一代限りの名誉職みたいなものだから、本当に王城内で動くのが楽になるくらいだから、どこかの家とか派閥とかは気にしなくてもいいものだ」
「そうなの、セイリオスダンシャークになたの」
「男爵な、ダンシャークだと別人になってしまう」
「だんしゃく……おけおけ。練習しておきます!」
練習しているヒカリの目の前でセイリオスが人差し指を一本出し、まだ続きがあるんだと先ほどの文章を指さす。
「一代限りの名誉男爵の位を授ける。また、そのたゆまぬ努力と真摯な姿勢に対し、その栄誉として……」
セイリオスが指さす先には見慣れた文字。
「名誉名として、ヒノを授ける」
「ひ、の?」
爵位を貰うときに名誉名が与えられる。
それはセイリオス・サダルスウドを名乗ることを許されながら、もう一つ与えられる名で大抵は王が考え与えるものである。
が、セイリオスはその名前が欲しかった。
だから爵位がセイリオスが考えうる中で比較的簡単にかつ、自然な方法として一級職員の試験を受けたのだ。
仕事の管轄以外で上の貴族や王族とも会うことも増えるだろう。
そして会える間柄になるには、やはりただの庶民では注目を浴びてしまう。
しかも移民で、元難民で。
セイリオスとスピカもどこかの家に入るのが妥当だとは思っていた。そして、今現在ヒカリの身柄を確実に保護してくれるのはデルタミラ公爵かヴィルギニス侯爵か。
だが、どこかの家に入ったとなるとヒカリはまた失ってしまうのだ。日野光という名前を。
たかが名前、呼びたければヒノと呼べばいいかもしれない。
しかし、高位貴族に入るうえでそれはそうそう許されることでもない。
やはり目立つだろう。
だとしたら自分が手に入れればいいだけのことだと思った。そのうえでセイリオスの後ろ盾としてどちらからかの庇護を受ければいい。そうすれば目線はセイリオスに向き、直接的にはヒカリには目が向かない。
しかし、そこには簡単に手を出せなくなる。それが一番いいだろうと判断した。
セイリオスとて簡単に通るとは思っていなかったため、ヒカリには伝えずに久しぶりに仕事に関係ない勉強もした。
ヒカリが日野を名乗っていられる方法を。
それでいて身分が保証される方法を。
どこでもない場所で自分を保っていられたのはきっと、ひのひかりという名前のおかげだとセイリオスは思うから。たかが名前、されど名前なのだ。
それはセイリオスにも覚えがあった。
自分がダーナーやカシオやケーティの養子に入らなかったのは偏に兄とのつながりがそれだけしかなかったからだ。
サダルスウド。
それがついて回ることは嫌なこともあった。家のことをどうしても思い出さずにはいられないものだった。いわば戒めのようでもあり、一つのよすがでもあった。
兄が帰る場所はもうどこにもないのだ。でも、セイリオスがサダルスウドのままここで約束通り生きていたら、兄は帰って来られるかもしれない。自分の隣に。
そう思うとどうしてもその名を捨てられず、みすぼらしく縋っていた。
だからヒカリの気持ちが少しわかる。何にも伝えられない場所で日野でなくなることは怖いだろう。
変わることは怖いものだ。それがいい事であれ悪いことであれ。
今のヒカリにとってそこが変わることはきっといい事ではないとセイリオスは考えた。そしてスピカも同意した。音というものは人に影響を与えるものだ。
だから、人は名前に意味を込めてしまうのだろう。
それにセイリオスも思うのだ。ヒカリの故郷の文字を学んでいるときに、ヒカリの名前の意味を自分なりに考えた。その時に思ったのだ。
「ヒカリにはヒノが一番似合ってると思うんだ。ヒノには太陽って意味があるだろう? 後は野原とか自然の中に光が降り注いでいるような、それが俺の好きなヒカリをあらわしているようで俺はすごくいいと思ったんだ。だから、ヒカリ?」
文字をなぞったヒカリが、セイリオスを呆然と見ているのにそれに呼びかける。
「あ、え、なに? セイリオス?」
「君の一生を俺の隣で過ごしてくれないか? 君の心のそばにいてもいい誓いが欲しい。『日野光』のままであいつと三人で」
あいつと言われたスピカが笑ってヒカリの背後から手を伸ばしてそっと触れる。その触れ方が違う触れ方で。
吐息が漏れる。
「俺があいつのところに入るのはちょっと癪に障るけど、でも、俺はヒカリと同じ『日野』になれるのは嬉しい。俺に仲間がいるって、大切な人がいるって思い出させてくれたのはヒカリだった。そんなヒカリと未来永劫同じ『日野』でいられるならそんなに素敵な事ってないだろう。俺は君が辛いときに一番先に隣で戦える権利が欲しい。君に無償の愛で味方でいられる俺でいたい」
ヒカリの背中に触れた手のひらからジワリと温度が移る。セイリオスの手が文字をなぞっていたヒカリの腕から指先をなぞり、手を摑まえる。
少しの沈黙に、ヒカリの吐息。
射貫くようなセイリオスの瞳から目を逸らすと、頤にそっと手を当てられスピカが射貫く。
「ヒカリ? 返事が聞きたい」
「あ、えと……、あれ? わ、まてまて。なんで、ぼく」
ヒカリの目からポロリと一粒こぼれた涙を、すぐにセイリオスの指先が拭う。
「ぼく、『日野光』のまま、で、いていい、の?」
「ああ、俺たちと誓い合ってくれたら、貴族になるからな。どこの家の子にならなくてもいい。俺たちの愛する人でいてくれ」
「さんにんで?」
「そうだよ。もうこれで誰にも文句は言わせないよ。また選択肢が増えたな? ヒカリ……、愛している」
「大好きだ、愛してる」
ヒカリの背中の右半分だけがソファの背につく。二人が明かりからヒカリを隠すようにヒカリの視界を覆った。二人の腕が入り乱れて檻になったみたいに思う。
返事ってどういえばいいのかわからなくて、震える唇が思いを伝える。
「ぼくもあいしてるから、ぼくと家族になってください」
少しだけ嬉しそうに笑った二人が喜んでと返してくれる。それからセイリオスがヒカリの唇に触れるくらいまで近づいて。
「だから?」
「だ、から?」
セイリオスが笑っているけれど、それがなんとも心臓に悪い。いい意味で悪い。
気付けば二人の檻の中、逃げ出そうと思えば見逃してくれる甘い檻。
体温が感じられるくらいの近い距離。まだ鎖はつなげられていない。首にかかっているだけで鍵はかかっていない。たぶん、その鍵は自分でかけなくてはいけないのだろう。
その最後の判断を迫られている。
「言いたいことはないか?」
目線が逸らせない。
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