確かに俺は文官だが

パチェル

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第4章

それ以上でも、それ以下でもない33

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 セイリオスが扉を開けると、床にしゃがんだヒカリと働く人形たちが見えた。


 次に何かを発しようとする前にヒカリが働く人形の間を縫って、逃げるように立ち上がろうとして、失敗してその勢いのまま廊下をどたどたと進む。



 ヒカリの足が、腕が、首が視力がよすぎるセイリオスの目に映る。


 セイリオスから見えたヒカリの肌に、傷が見えた。
 咄嗟に一歩踏み出し、どたどた進むヒカリの手を掴んだ。



 ヒカリが息をのむ音が聞こえる。
 セイリオスの心臓も嫌な音を立ててうるさい。何をどう聞けばいいのか、ヒカリの逃げるような態度と傷を見て口が重い。ヒカリの肌に触れる指先に驚く。

 驚くほど冷たい肌を離さないまま、声をかける。ピンと張り詰めた空気の中、働く人形たちも動かない。





「ヒカリ、どうした? 何かあったのか?」
「な、んいも。何にもない」


 首を小さく振ったヒカリの首筋から背中の奴隷印の傷跡がちらりと見えて、そこに誰か他人の痕を見つける。
 ヒカリは咄嗟にローブを空いている手で握って、セイリオスから肌を見えないようにした。


 気付かないでという言葉が聞こえるようで、もう遅いよとセイリオスは言いそうになる。セイリオスのどこか冷静な一部がパズルのピースを当てはめていく。





 そもそも、そんな部分が見えるということは、服装が乱れているということ。ちらりと見ると足の擦り傷、半ズボンから見える膝にあざ。
 靴下も履いていないから足首が見える。
 足首にはご丁寧に拘束の痕が見られた。


 そしてセイリオスが今握っている手の爪には、土が詰まっている。爪の先がぼろぼろで、拳は赤くなっている。何かを殴ったのか。あのヒカリが、何かを、殴った。





 セイリオスはゆっくり膝をついて、ヒカリを怖がらせないように尋ねる。これ以上追い詰めないように、ヒカリの声にならない音に耳を傾けた。
 ヒカリの胸が激しく上下している。呼吸も荒い。



 何を使われたかわからない。


 いち早く落ち着かせて、ヒカリの体を診察させたいがこちらが興奮してはいけない。
 交渉とは空気を作ることでもある。いつもの俺、いつものヒカリ。頑張れ、俺の大頬骨筋。
 はやる気持ちを抑えてセイリオスは声をかけた。


「ヒカリ? こっち向けるか?」
「っ、ぼく、へやにかえりたいから」


 少し近づく。
 見えるのはどこでつけたかわからない葉っぱが絡まった髪の毛。それを取ろうと手を伸ばすが、ヒカリが少し前に体を引っ張るので手を途中で降ろす。


 後ろから触れるのはきっと怖いかもしれない。
 この手だって、でも。


「ヒカリ、痛くないか?」


 首を振って痛くないと伝える。その時に見えた頬にもあざがある。幸せしか詰まっていなさそうなほっぺたに赤い線のような痣がある。



「スピ」
「よ、よばないで。痛くないから」


 セイリオスは何て聞けばいいのか、何を言えばいいのかわからず。でも、手を離さなかった。


「ごめん、なさい。やくそくやぶて。でも、何でもないから。すぴかよばないで。お願い」
「怒らないから、俺には話せるか? 」
「別に何にもなかったから」



 泣くな。一人で泣かないでくれ。そう伝えたいが、泣き顔も見ていないのにそうも言えない。


「じゃあ、俺が代わりに怪我がないか見てもいいか」
「い、いや!」
「俺が今見ただけでも5か所も傷があった。さすがにそれは無視できない」
「みないでっ! おねがい、見ないで!」


 強情なヒカリにゆっくり、決して上からの姿勢にならないように近づいて、もっとその頬の傷を見ようと距離を縮めた。




「や、やめて、いたいっ、いたいから、離してっ」




 痛いと言われて咄嗟に手を離しそうになった。が、今度は両手で優しくその握り拳を包む。



「すまん。俺の力加減が悪かったな。痛くさせたな。大丈夫か?」



 ヒカリが深く呼吸する音が聞こえる。


「…うん、大丈夫だから。ごめん、セイリオス。離して?」
「あぁ、すまん。離せない」




 ヒカリが息をのむ。
 そしてもう一度、震える声でお願いしてくる。


「セイリオス、お願い」
「ん、何だ、ヒカリ?」
「離して」












 ヒカリは、セイリオスの方を向けないからどんな表情をしているのかがわからない。もう、どうしてこんなことになるんだろう。セイリオスが掴んでくる手に何かが伝わりそうで、さっさと離して欲しかった。
 だから、お願いした。こんな事をセイリオスにはお願いしたことがなくて、恐る恐る伝えた。



 のに。


「そうだな。離さない」


 はい? 




 手の力が緩むことなく、ヒカリに体温を伝えてくる。
 やめて、そんなことされたら。


「お願い…だから」
「ん? ヒカリ?」

「離して、はなしてよ」
「……離さない」


 ヒカリの背中にも体温が伝わってくる。
 心が急く。

「おね、がいっ!」
「ヒカリ、何だ?」

「ねえ、セイリオス!」
「ん、ヒカリ、何でも言ってみて」


 そんな優しい声、どうやって出してるの。
 どんな顔して言っているの?
 どうして何度も名前を呼ぶの?
 振り向きたくなってしまうでしょ?


「はな、してっ!」
「うん、離さない。離さないよ」


 その後も何度も何度も離してと言うのに、セイリオスは離さなかった。二人は気付かないけれどいつの間にか廊下には二人っきりで、落ちてきた日が今日最後の明かりで見つけた二人を照らす。



「セイリオスの、こと、なんか、大っきらいだから、離して!」

 そう言っても。


「そうか、それは気付かなかった。すまない。俺は嫌われても仕方がないな」


 って言って離してくれない。
 今すぐ涙が出そうで我慢しているのに、セイリオスは傍でも、遠くでもない距離でヒカリを離さない。


 暴れて無理やり離したっていいけど、暴れたら泣いちゃいそうだし。それでセイリオスが傷ついてしまうと思うとこれ以上のことはできない。お願いするしかできない。


 震える脚をどうにか叱咤して、家に帰って来たのに脚が我慢の限界だよと力が入らなくなって、お腹の底がうにうにするような気持ち悪さがあってついにしゃがみこんでしまった。お尻が冷たい床にペタンとくっついた。
 その位置に合わせるようにセイリオスが掴んで離さない手も、ヒカリが疲れない位置に降りてくる。
 きっと振り向いたら、セイリオスの表情がよくわかる位置にセイリオスがいる。



 手が離れない。セイリオスが僕を離さない。




 目の前が歪んで、床に水が落ちていく。鳴き声を漏らしたくなくて我慢する。
 どんどん我慢が効かなくなってくる自分がもどかしい。
 どうやったらこんなに我慢強く、優しくいられるのだろう。
 そこには兄としてのヒカリでも、弟としてのヒカリでも無くて、ただただ、セイリオスのもとに帰りたいヒカリだけがいた。
 ただただ、セイリオスに同じものを返したいヒカリだけがいた。




 ねえ、どうしてぼくのことなんでも知ってるの? わかってしまうの?
 ずるいよ。羨ましいよ。




「ごめんな、わがままで」


 そんなこと言われたら、ヒカリは嬉しくなってしまうのに。セイリオスのわがままなんて一度もわがままだったことなんてなくて、それを言われたら叶えたくなってしまうのに。
 だって、それは全部ヒカリだってしたいことだから。



 セイリオスのわがままはヒカリにとっての幸福だった。辛かったことなんてないのだから。




「ねえ、おね、がい。セイリオス……」
「ん? なんだ、ヒカリ?」





 僕の願いは。






 とても小さな声で発せられたお願いは、夏の終わりの風が攫ってセイリオスの耳に届けて、また流れていってしまった。








 僕を離さないで。







「そうだな。離したくないから、離せないな」

 少しずつ近づいた二人の距離が小さくなって、セイリオスがその腕の中にヒカリを閉じ込めた。






 もう冷えてしまったセイリオスの汗がヒカリに伝える。

 冷たくてびしゃびしゃのシャツ。でも、大好きなセイリオスの匂い。



 心配かけて、ごめんなさい。



 言葉を出そうとするとしゃくりあげてしまって言えなかったけど、セイリオスが存在を確かめるようにヒカリをぎゅっと抱きしめるものだから、ヒカリもどさくさに紛れてぎゅっと背中に手を回して抱きしめる。




 今更になってやってきた安堵にヒカリはぼろぼろ涙が止まらない。でもそれを全部セイリオスの胸が包み隠さず吸い取ってくれて、セイリオスの汗と一緒になってヒカリのものじゃなくなってしまうので、安心してヒカリは涙をこぼし続けた。






「おかえり、ヒカリ」











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