確かに俺は文官だが

パチェル

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第4章

それ以上でも、それ以下でもない18

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 その日の朝は、本当はスピカと二人の休みの日で、セイリオスは仕事のはずだったのに何故か今日は休みになったと言ってゆっくりしていた。




 どうかしたのだろうかと思いながらもいつも通り朝ご飯を食べて、みんなに今日の予定を聞こうと思ったらスピカが言った。






 聞いて欲しい話があるんだ。いいかな。



 なんとなく背中がむずっとしたけど、大人しく三人で座るソファに座った。
 セイリオスが後ろの暖炉の近くの椅子に座って、スピカは前に座った。



 いつもと違う席に、あ、大事な話なんだなと思った。





「俺、家に戻ろうかと思ってるんだ」


「えっ」
「もともと俺の家はあっちだし、ヒカリの体調もかなりいいだろう?」
「うん、そうだけど。突然どうして?」



 声を出すのが少し苦しくて、知らず胸を押さえる。スピカはそれを見て目を細めた。



「んー、こういうのヒカリに言うのはずるいと思ってるし、辛い思いさせるかもと思ってちょっと悩んだんだ。だから、話聞くのが嫌になったら言ってな?」



 ヒカリはコクリと首を縦に振った。
 それを見て、スピカが一つ息を吐いた。


「ヒカリ、ヒカリは人が人と愛し合うのをどう思う? いいと思う?」
「ん? えと、いいもわるいも、そのひとのじんせいだから、したい人はすればいいし、したくないひとはしなかたらいいとおもう」


 スピカは軽く頷く。


「そうだよね。じゃあ、ヒカリは? ヒカリは家族以外に愛したいと思う事ある?」
「うん、あるよ」
「それは恋人としてでも?」
「コイビト」


 コイビトと十回くらい唱えてようやく「恋人」とつながった。何だかむずむずが倍になって、座り直す。


「えとぅ、しょうじきにいうと、あんまりかんがえたことない、です」
「そうかなと思った。今、考えてみてって言ったら考えてみてくれる?」
「考えるって?」



 今からいうことを想像してみてほしいんだ。隣に行ってもいい? と聞くのでどうぞどうぞと両手の平を返して隣を指し示した。
 スピカが隣に座って、ヒカリの耳の近くでヒカリにだけ聞こえるように囁く。


 ヒカリはずっと一緒にいたいと思う人と出会いました。
 会うと嬉しくて楽しくて、会えない時でもその人のことを考えて、心配して、喜んで、その人がいるとたくさんの喜怒哀楽があなたに訪れます。


 目を瞑って考える。たくさん瞼の裏に浮かぶ人々。思わず頬が緩む。



 その人の色んな心を知りたいと思う人です。

 ふんふんと頷く。



 その人がもっと触れたいと、ヒカリの肩に触れます。
 ヒカリも触れられても構わないと思って、肩に触れた、手の温度を感じます。



 肩が少し温かく感じる。



 その人はヒカリに、愛していると言って、キスをします。唇と唇が触れて、熱くなって。
 もっと、触れたくなったと、言います。



 息が熱くなる。


 着ているものも邪魔になるくらいくっつきたくなって、お互いの手で、お互いに、触れ合います。人には勝手に触れてほしくないところも、触れて欲しいとお互いが思います。



 息を吐く音が気になって、呼吸が震える。



 その人が、ヒカリに聞きます。もっと触れてもいいかと。



 その人の瞳を見上げて。








「その人はセイリオス。セイリオスが気持ちいいかと聞いてきます。ヒカリは?」







 頬がポポポと真っ赤になった。
 うつむいて目を瞑っているヒカリは、耳まで真っ赤になっているのを知らない。
 それを愛おしそうにスピカが見ているのも。



「手が優しくヒカリの頭に触れて、もう一度、キスをします。……そのキスはどこに?」



 ヒカリの指が自分の唇に触れる。
 触れるか触れないかくらいの距離で。





 やっぱりそうだよな。思えば最初から、ヒカリはセイリオスに触れられるのに躊躇いがなかった。手を伸ばして求めていた。


「ヒカリそのままで聞いて、その相手が俺だったら? ……俺がヒカリにキスしたいって言ったら? 君を愛していて、その肌に触れたい、ただ自分の愛したい欲求のために触れたい、触れて欲しいって言ったら? ヒカリはどう思うかな」



 真っ赤になったヒカリが、声にならない声で、スピカが、と呟いた。
 少しの間、息もしていないようで、スピカもそれを見ているだけで、時計の音だけが聞こえた。


 そして、サァッと音が聞こえるくらいヒカリの血の気が一気に引いた。真っ赤な顔が白くなって、触れそうで触れていなかったスピカとの距離が離れた。



「あ、ぼく、ぼく……っ」
「セイリオス、来てくれ」


 スピカは立ち上がってセイリオスを呼び、すぐさま隣の席を譲る。真っ青なヒカリは目を開けて、乾いた瞳でスピカを見上げた。


 スピカは笑いかけられた自分に安堵した。ヒカリの恋を目の当たりにしても笑っていられることが本当に嬉しかった。
 振られる時でもかっこつけていたいって、何度目かの馬鹿じゃないのが頭に浮かんだ。


「いいんだよ。ヒカリ。気にしないで。ヒカリが誰かと情を交わしたいって思えたことが俺は嬉しいよ」

 見つめてくる漆黒の瞳がゆるりと揺れる。どうか、思いを告げる俺のことを許して欲しい。



「でも言うだけ言わせて。俺はヒカリのことが大好き、愛している。だから、傷つけたくないから、この家にはもういられない。ごめんな、ヒカリ。でも、ヒカリの主治医で、友達で、とっても好きなのは変わらないからな」




 また遊んでくれるか? と言った言葉にうまく返事ができていたかヒカリにはもうわからなかった。
 気付けば、机の上に手紙が一通と冷めたマグカップが置いてあったから。



 立ち上がってスピカを探したけれど、もう家にはいなくて、セイリオスが行ったよと言って、彷徨うようにスピカの部屋にたどり着いた。
 物が少なくなった部屋にスピカの残り香だけを置いて、スピカは家を出て行ってしまった。


 最後の挨拶ができなかったなとぼんやり思う。
 でも、行ってらっしゃいが言えない代わりに何を言えばいいのかわからないので、それはそれでよかったのかもと天井にキラキラ光る星を見上げた。










 スピカは手紙を残してくれた。
 色々書いてあって、最後に主治医の言うことは絶対です。守ってくださいねと締めくくられていた。

 定期的に診察してくれると言ったのだが、その機会はまだ訪れていない。セイリオスが家にいる日に診察するということだから、二人の休みが被らない限りこの家には来ないということだ。


 被って欲しいのか、被ってほしくないのかヒカリにはちょっとわからない。

 手紙にはスピカがヒカリのことが好きだと言うこと、だから、好きな人が自分じゃない、違う人と愛を育むのを隣で見ているのは辛い。優しくしたいのに奪いたくなる。
 だから、距離を置きたい。ヒカリの恋人になれないからって大人げなく拗ねたりしたくない。傷つけたくない。かっこいいって思われたいということまで書いてあった。


 そしてヒカリを傷つけてしまうのが怖かったこと、医者としての矜持は曲げたことがないこと、これからも安心して診察を受けて欲しいこと、今まで約束したことは一つも破る気がないということ。



 沢山、沢山の思いが書いてあった。



 人が一人いなくなっただけで、家の明るさが暗くなった気がする。
 毎日毎日、考えている。



 好きということ。


 僕なんかのどこを好きになったのだろうか。
 あんなに素敵な人が、自分のことをと思うだけでヒカリの胸は熱くなった。


 胸がぎゅうっとなって、どんどん内側から何かが出てきそうになってそれを押しとどめる。
 苦しいのに、ワクワクする。



 スピカが耳元でささやいた言葉はヒカリの想像を掻き立てた。
 セイリオスが触れる、口と口がくっつく。
 スピカが触れる、口と口がくっつく。




 それなりにそういったことの経験は豊富だと自分では思うのだが、その想像以上にもっとすごいことをしてはきたのだが。





 二人がそうすると思った瞬間、体の奥から熱が湧き出てくるみたいになって、体中に電気が走ったみたいになった。





 あぁ、どうしよう。僕って最低最悪だ。諸悪の根源だ。




 沢山の言葉が頭の中をぐるぐるする。
 沢山の他人の声が耳の中で聞こえる。


 僕は、二人に傷一つだってつけたくはないのに、どうして僕は。
 一体いつからなのかわからない。ドキドキと悲しみが二つ同時に襲ってくる。
 楽しいのに苦しい。



 燈兄ちゃん、僕、どうしたらいいのかわからないよ。


 そういえば、初恋は実らないものなんだったっけ。
 そうか、そうか。それなら仕方ないか。





 この恋は実らない。花が咲く前に枯れさせなければならないのだろう。




 その結論に至って、自覚した途端破れてしまったヒカリの初恋は、拗れに拗れて、泣くこともできないのであった。












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