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第1章
自己紹介しよう2
しおりを挟む「はい、じゃあ、口開けられる? 口、あー、そうそう、そのまま待っててー」
ひんやりした器具が口のなかに当たり、その冷たさにヒカリはつい、口を閉じそうになった。
「あっ、冷たかった? ごめんねー」
「らいりょーふてふ」
ヒカリは今、スピカと丸型の人形と共に大人しく一階のリビングで大きな口を開けながら診察を受けている。降りてきて怖くないよーと言いながらスピカは大きな黒い革の鞄のがま口をパカリと開いた。
怖くないよーと言うとちょっと怖い気がするのは何でなんだろう。
鞄の中から次々に学校の健康診断の時に使うようなステンレスのような素材のテロンとした器具を取り出した。漏斗のようなものやアイスを買ったらついてくる木のスプーンみたいな形のもの。
細長いガラスを口に入れて熱も測られた。
セイリオスはヒカリを抱えてここまで連れてきた後、スピカに怒られ部屋を掃除することになったのだ。そのため、この状況にイマイチついていけていないヒカリはわかる言葉を断片的に聞き取って大人しくされるがままとなっている。
多分この目の前にいる人は医者で、名前はスピカさん。目と髪が赤い。燃えるような瞳なのに涼しげな目元で、短めの髪をさっと撫でた。
背は大きいので、ヒカリを診察するときは窮屈そうだなと思った。
さっきの花柄エプロンの緑の髪の人がセイリオスさん。深い緑の髪の毛を束ねていた。月の瞳は丸く、目の下の隈がすごくて、笑ってないとちょっと怖かったけれど、真面目そうな顔で心配していただけだったみたいだ。
で、ここは、セイリオスさんの家のよう。ロボットも彼のだろうか。怖い人達じゃないとは思うんだけど。
と、ヒカリは自分の現状を分からないなりに受け入れようとしていた。目の検査を受けているときにセイリオスが戻ってきたようで、背後から「わりぃ、待たせた」と聞こえた。
大分時間がかかったのだなと思っていたら、髪が濡れたセイリオスとびしょ濡れの動物型が目の前までやって来た。何故動物型が濡れているのかと言えば彼も頭に花を咲かせて部屋へとやって来てスピカによって強制退場させられたからだ。
「おまえらなー、乾かせ! しっかり! 基本中の基本だぞ? 」
スピカが注意するとセイリオスはムッとした顔をして、動物型をタオルでごしごし擦る。
「あのな、俺はお前らと違って便利な魔法とやらを便利に使える部類のやつじゃないの。そういう奴はね、髪の毛乾かすのも一苦労なんだけど、わかるか?」
そういえばそうだったかとスピカは掌をセイリオスと動物型に翳し始めた。すると、風が通ったかのように一人と一匹の毛がさわさわさわと動き始め、みるみるうちに乾いていくではないか。
それに驚くのはヒカリ一人。ますます、この世界がわからなくなってしまった。髪や目の色が多様で、聞いたことのない言葉を話し、見たことのない力を普通に使用して誰も驚かない。
そもそも、この世界に来てから、どれくらいの時間がたったのかすらわからない。ほとんど外に出ることなく昼夜のわからない生活をしていた。食べ物だって最初の頃は定期的に与えられていたから何となく時間がわかったが、どんどんそれも無くなっていき、自分が起きているのか寝ているのか、これは誰であれは誰で。把握しようにも自由のない生活だったのだ。誰も言葉を通じさせようとしない生活だったのだ。
そんな中でヒカリができることと言えば、数少ない。誘拐犯達には日本語で話そうとは思わなかった。話せばレグルスでないとばれてしまうし、ばれた後はただただ殴られるからだ。
だから、今もわからないけど大人しくしておく。存在感を消す。不穏な言葉や気配がないか、何か命令されてないかそれだけを意識する。
スピカの熱風はヒカリの顔にもかかって目が乾くし、オコジョの毛がファッサファサして、顔をくすぐるのだが、如何せん動いていいのかわからないので必死に我慢していた。
我慢していたのだが、つい、咳き込んでしまった。
「けほっ、げっ、こほっ」
喉が乾いていて熱風を浴びたから余計喉がカピカピになったのだ。
スピカがすまんすまんと言って水を持ってきた。
「アリガト」
「ごめんな? ちょっと大人がわちゃわちゃしちゃって」
わからないのでヒカリは首をかしげる。
「ん、と、とりあえず、俺達とヒカリくんが何でここにいるか、説明するな?」
「説明するって、どうする? 彼がどれくらいの言語がわかるかイマイチ、俺達にはわかんないよ?」
そこからセイリオスは頑張った。ヒカリが知っている言葉を探しながら、時には小芝居も挟み、辛くなりすぎるような事は上手く省きつつ、簡潔に、簡単にまとめて伝えた。
ようやく、セイリオスとスピカが知っている内容を伝え終えた頃には一時間ほどかかってしまっていた。
大人二人は軽く汗をかいている。ヒカリもうんうん唸りつつもなんとか終わってほっとした。
「ヒカリくん、わかったか?」
「僕、法じゃない、どれーだった。違うだった。悪いことする人。たくさん。二人、仕事。僕、60日、寝てた。傷あったから。クスリ、一杯、体なか、入って、うごかなかた」
「そうだ。偉いな。よくわかったな。……何か聞きたいことないか?」
「僕、わからない。……悪い人、もう、いない?」
セイリオスは悪い人の範囲がどこまでか、自分の過ちも含めるといない訳じゃないと思い答えを躊躇してしまった。それなのにスピカはとてもいい笑顔でもちろんと伝えた。
「悪い人、ボッコボコ、の、けちょんけちょん。ごめんなさいー。いない、いない。怖くない。安心安全!」
ヒカリは少し考えているようで、『ボコボコ? 牢屋にいるのかな』と呟く。そのあとにセイリオスの方をちらりと見るので、スピカが見えない背中側を殴って小声で安心させてやれと呟く。
「あ、うん、もういない。ヒカリくんは痛くならない。大丈夫」
伝えるとヒカリはほっとしたのか空気が和らぐ。そしてまた二人を伺う。
「なぁに? 何でも言ってごらん?」
ヒカリは少し口をモゴモゴしていた。
「セイリオス、スピカ、助けてくれた? えと、長い、時、お世話してくれた?」
背の高い二人を見上げながら問う。全くもって覚えていないけど、今までで一番人間の生活をさせてもらっているようだし、まだ、どういった人たちなのかわからないけど。
今、確実に伝えておきたいことがあった。
「僕、覚えてない、けど、よかった、嬉しい? えと、あの……アリガトー」
セイリオスの腕は自然とヒカリの頭を撫でていた。スピカもしゃがみこんでにっこりと笑う。
「こっちこそ、生きてくれてありがとう」
「助けさせてくれてありがとう」
ヒカリは自分の辞書を開いて恐らく、今、生きていることを感謝されていることに驚いた。二人の顔は優しくて、久しぶりに見たその表情に自然と口の端がクニャッと上がった。
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