花住み人

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手の届かない宝石

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俺たちは付き合って3年経っても、誰にもこのことを言っていなかった。
もちろん、スキャンダルとして世間に取り上げられることもなかった。

3年の間に、何度か花蘭で仕事をしたこともあったが、その時も久々に会った風を装った。
彼女は、俺と付き合っている間に、2番手に昇格し、益々人気が出た。
彼女はトップスターになる、劇団内外の誰もがそう言っていた。俺もそう思った。
今のトップスターが、花蘭を辞めたら、次にその座を担うのはおそらく彼女だ。


そんな彼女が地方公演で主演を務めるというので、俺はいそいそと観劇に行った。
物語の舞台は、中世ヨーロッパということで、コスチュームが似合う彼女にとって、当たり役になるだろうと言われていた。先行で出たポスターもファンの間で話題になっていた。
いざ、コスチューム姿の彼女が登場すると、待っていましたと言わんばかりに、一斉にオペラグラスが上がり、観客の視線が彼女に集中する。
スポットライトを浴びて静かに佇む彼女は、人間では無いように繊細で儚い美しさを纏っていた。

しかし、ひとたびセリフを発すれば、ファンを虜にするハスキーな声が劇場に響き渡る。
更にヒロインを大きく包み込む、計算し尽された仕草や表情を、客席中が息をのむように見つめている。
そして、演者全員がコーラスする中、一人別パートを圧巻の歌唱力で歌い上げる。
見た目の儚げな美しさからは想像がつかないほど、迫力のある歌唱力とダンスに、魂を揺さぶられる。
あの華奢な体から発せられるエネルギーは、信じられないほどに大きい。
そうだ、これが彼女の本当の凄さなのだ。
初めて彼女を観たときに感じた、彼女にしか出せない、魅力なのだ。

終演後には、拍手が鳴りやまなくて、何度も幕が開いた。
主演である彼女は感動で目を潤ませながら、「ありがとうございます。」と軽い挨拶をした。
何度目かのカーテンコールで、いよいよ話すことがなくなった彼女は、「えっと…みなさん、終電大丈夫ですか?」とコミカルにコメントして、客席中が笑った。
彼女の挨拶は気取っていなくて、楓柊花というよりほとんど茉由花に近い。
その親しみやすさにファンはまた虜になるようで、挨拶の間、何度も温かい笑いが起こった。
俺も最大の敬意をこめて拍手を送り続けた。

「あの、MASA先生ですか?」

帰り際に、女性二人組に声を掛けられた。

「はい。」
「やっぱり!あの私、楓さんのファンなんですけど、MASA先生振付の場面の楓さんが大好きで。またいつか楓さんに振付して欲しいです。」

目を輝かせながら言われて俺も嬉しくなる。

「僕もまた彼女に振りを付けたいです。」
「今回は振付に入っていないのに、観劇されたんですか?」
「ええ、僕も彼女のファンなので。」

その言葉に二人はとても嬉しそうに笑った。
それから「応援しています。」と有難い言葉も貰った。

彼女の舞台を観る度に、こうやって声を掛けられる。
以前は、俺のことを認知している人自体少なかったが、彼女と仕事をしたことで、声を掛けられる頻度が増えた。
最近は、彼女のファンが更に増えたせいか、声を掛けられる頻度も非常に高い。
その度に、俺は彼女のそばにいて良い人間なのだろかと自問自答する。
舞台で喝采を浴びる彼女を観る度に、彼女は俺の知っている茉由花なのだろうか、とふと考えてしまう。
舞台を終えて俺のもとに戻った茉由花は、紛れもなく俺の知っている茉由花なのだが、舞台に立つたびに彼女は手の届かない宝石のように、その輝きを増していくのだ。





地方公演を終えた彼女と、3ヶ月ぶりに会うことになっていた。
公演中は、各地を飛び回っていてなかなか会えなかったのだ。

「今、新幹線乗った。もう少しだけ待っててね。」

昼公演で千秋楽を終えた彼女が、夕方に電話をかけてきた。
彼女は案外、“寂しがりや”で、地方公演中は何度か電話をくれる。

「公演中は役作りに集中する為に、電話なんかしない!役と向き合い続ける!」なんて言われるかと思っていたが、彼女は息抜きを欲するタイプだった。

特段、彼女が「声が聞きたくなって…」と電話を掛けてくるときは、たいてい切羽詰まっているときだと、この3年間で学んだ。
とはいえ、茉由花が俺に何か具体的な要求をしてきたり、八つ当たりしてくることはない。
ハードな公演を毎日続け、世間から注目される存在である以上、弱音を吐くという発想はないらしい。
恋人に頼ることが苦手なのも、彼女の立場がそうさせているのかもしれない。
だが、電話越しに彼女が放つ空気感で、なんとなくその心境を察することは出来た。

そんな彼女の意外な一面は、俺に対する態度だった。
物理的には甘えてこないのだが、言葉で甘えるのが上手だった。
“会えないと充電切れちゃう”なんて、可愛いことを言ったりする。
発言は強気なのに、いざとなると一人で立てなくなる人間はいくらでもいるが、彼女はそうではなかった。
いつでも必死で自分を奮い立たせていた。
だからこそ、何とかして彼女を支えたい、甘えさせてやりたいといつも思うのだった。

“なにか素敵なものに出会うと、真っ先にまさくんに見せたくなる”
彼女の口癖だった。
舞台で誰よりも格好良く、客席の女性を虜にしている彼女は、オフでも本当にしっかりしていて、大人な女性だ。
だが、心根は誰よりも繊細で、ロマンチストな面が沢山ある。
そのことを、誰が想像出来るだろう。これは俺だけが知る秘密だ。そう思うだけで、より愛おしくなる。

「おつかれ。茉由花の食べたい物作ってあるよ。」
「あぁ~早く会いたい!」
「ばか、外でその発言はNGだろ?」
「大丈夫、トイレの中だから。」
「え、トイレで電話してんの?」
「だって早く声聞きたかったんだもん。でも、外で話したらきっとニヤけちゃうから。トイレならバレないかなと思って。」
「3ヶ月ぶりか。俺も早く会いたいよ。」

気持ちの半分も伝わっていないと思うが、俺は俺なりの言葉で、気持ちを伝えるようにしている。
ハードスケジュールの茉由花と言葉を交わすことのできる時間は限られているからこそ、彼女への思いは嘘偽らないと決めていた。

俺の家に帰ってきた茉由花は、会って開口一番「ふふ。まさくん、イケメン度増した?」と笑った。

「それはこっちのセリフ。」
「え、まさくんの前では可愛いつもりなんだけど。」

茉由花の膨れ面も久々だ。

「ごめんごめん、可愛いよ。」

そう言って抱きしめると、茉由花は照れたのか大人しくなった。

「かわいい。」と、もう一回言ったら「取って付けた言い方だぁ~。」と拗ねたように笑って、「とりあえず手、洗わせて?」と俺の背中を叩いた。

リビングに戻って来た茉由花に俺は舞台の感想を伝える。

「茉由花は白馬の王子様のような格好が本当に似合うよな。」
「電話でもその話ばっかり。そんなに良かった?」
「俺、女子でもないのに、うっかりときめいたよ、茉由花に。」
「でもね、マント裁きがなかなか様にならなくて、実はすっごく苦戦してたんだよ。」
「そうは見えないなあ。俺の周りのお客さんも、楓さん素敵って口々に言ってて、俺まで誇らしかったよ。」

そう言ったら、茉由花は恐縮したように肩をすくめた。華も実力も申し分ない彼女だが、あまりそれを自覚していないようで、誉めるといつも小さくなってしまう。

「三カ月待っていてくれてありがとね。」
「今回は長かったなあ。お疲れ様。で、ほら、お土産は?」
「ほんとにこんなので良いの?」

茉由花は眉を下げて、パンフレットを差し出す。

「有難く頂戴します。いや~、これが一番のお土産だよ。」

観劇に行ったら、あまりの人気で完売していたパンフレット。だがどうしても欲しくて、茉由花に貰ってきてもらった。

「これこれ、この衣装がほんとに良く似合ってた。」

いくつか載っている舞台写真の中で、特に好きだったのは、紺色のマントに白いロングブーツを履いた楓柊花だ。

「…ありがと。」
「いや、でもこっちの格好も最高だった。」

観劇したときの、手の届かないような麗しさが、また蘇る。

「私の一番のファンだね、まさくんは。」

茉由花が笑う。

「その自信はある。」
「例えば、会えなくなってもずっとファンでいてくれるかな。」

俺たちの将来が描きづらい、ちょっと不安定な関係について、今まで言及したことがほとんどなかったのだが、珍しく茉由花がそんな発言をする。

「うん、ファンだよ。」

茉由花が「それは正真正銘のファンだね」と小さく笑う。
笑った目尻に無理が見える。
微笑みの裏側に何かを隠している気がした。
胸がざわつく。

「なんか、言いたいことがありそうじゃない?」

俺の発言に、茉由花が一瞬たじろぐ。相変わらず、隠し事がとことん下手だ。

「…私」

茉由花が言葉を選んで、妙に慎重になっている。
俺は何を言われるのかと、身構える。

「次期トップ就任って内示が出た。今日言われたの。」
「…え!」

茉由花が困ったように眉を下げて、えへへと笑う。

「えええ!すごいじゃないか!おめでとう!」

予想していたものとは違う、おめでたい発言に思わず茉由花を抱きしめる。

「すごいよ。すっごいよ。おめでとう。」

抱きしめながら耳元で大声で叫ぶ。
抱きしめすぎて、茉由花の足はきっと宙に浮いてる。
それでも抱きしめ足りなくて、もっと強く茉由花を抱きしめる。
華奢な体が壊れてしまうくらいに。

「ま、まさくん、くるしい…!」

茉由花が俺の肩をバシバシ叩くから、慌てて腕を緩める。
それから茉由花の目を見て、深呼吸をして気持ちを整え、それからもう一度改めて「おめでとう。」と伝える。
そうしたら、茉由花は少し目を潤ませながら、目尻を下げた。

「うん。ありがとう。責任持って、全うする。」

トップスターという立場は、劇団の顔になる。責任は並大抵のものじゃない。
プレッシャーも不安も相当のはずだ。
それでも俺に最初に言った言葉が「責任を全うする」だったことが、彼女の強さの表れだ。
俺が彼女に惚れた要因の一つだ。
俺は能天気で、この朗報が俺たちの終わりを示唆していることには気が付かなかった。
彼女が、なぜこの話を切り出しにくそうにしていたのか、もっと深く考えていれば良かったのに。

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