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昔話

昔話 ※前編

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山々が茜色に染まる中
村の離れの広場で、私は彼を待っていた。

大勢の者たちがいた。
地にも。そして、空にも。

空を旋回している者たちは次々に広場に降り立ち、竜から人の形となっていく。


今日は男性たちが鉱山から宝石を採ってくる日だった。
彼も村の男性たちと一緒に行った。

だが仕事を終え村に戻ってきた男性たちの中に彼はいなかった。
空を飛んでいる者たちの中にも、広場にいる者たちの中にも。


―――どこにいるのかしら。


私は目を閉じて彼の《竜気》を探す。
けれど……近くにいない、ということしかわからなかった。


こういう時《番》は良いな、と思う。


《竜気》は竜が持つ香りのようなものだ。
姿は見えていなくとも《竜気》で近くに竜がいるとわかる。

個々に異なるものなので、知っている《竜気》ならば誰かもわかる。
便利なものだ。

だが何にせよ、わかるのは《近づけば》の話。

《竜気》を感じられる範囲は広い者もいれば、狭い者もいる。
しかし、とにかく近づかなければ《竜気》は感じない。


けれど
《番の竜気》だけは別だ。


《番の竜気》だけは
世界中のどこにいても《わかる》。


しばらくして
彼の《竜気》を探すのを諦めた私は、父さんを見つけて声をかけた。


「父さん、◆◆◆は?まだ仕事?」


父さんは私の方を振り向くと言った。

「いや、◆◆◆なら東の湖まで行ったぞ。
なんでも珍しい花がそろそろ咲く頃だからと」

「ああ、じゃあ絵を描きに行ったんだ。私も行ってくる」

彼――◆◆◆は、絵を描く。衣服や宝飾品の意匠に使う絵だ。
花が好きな彼は空から咲いている花を見つけては、よくふらりと寄り道をする。

私はすぐに村へ帰る皆とは反対方向へ歩き出した。


「おい!もう日が暮れるぞ。◆◆◆が帰ってくるのを待ってりゃいいだろう」

父さんが引き止めたが、私は止まらなかった。

「ううん、行ってくる。私も花、見たいもん」

「花なんて興味もないくせに、お前は……」

父さんの小言。
そして呟き。

「……本当に《番》ならいいんだけどなあ……」

いつものやりとり。

私も、いつも通り笑って言った。

「大丈夫。《番》だよ。絶対」

走り出し、他の者との距離を見極めてから大きく地を蹴る。

一瞬で人の形から生来の竜へと変わる。
翼を広げ羽ばたき、風に乗る。

目指すは東の湖。
彼のもとへ。


空を行きながら彼の《竜気》を探す。
村からは結構、飛んだ。
けれどまだ彼の《竜気》を感じられないのがもどかしい。


――「本当に《番》ならいいんだけどなあ」――


あの父さんの言葉。
父さんの心配もわかる。

私と◆◆◆は、まだ《番》がわかっていないのだ。


私たちが暮らすのは小さな村だ。
王宮の高貴な方々の纏う衣服や宝飾品を作り暮らす、小さな村。

対して、竜がいるのは世界中だ。

王宮で竜王に仕え暮らす者、はぐれ竜としてひっそり野山で暮らす者。
中には人間に混ざって生きる者もいる。

いろんな場所で、実にさまざまな生活をしている。

なのに、こんなに近くに《番》がいるなんて信じられないと父さんは言う。

確かに、村の中にそんな身近に《番》がいた者はいない。
父さんの《番》――母さんも遠く大陸の果ての町で暮らしていたらしい。


それでも私の《番》は◆◆◆しかあり得ない。



どうしようもなく惹かれ合い、生涯、愛し合う者。

それが私たち竜の《番》だ。



父さんによると、ある日突然《番》がわかるようになるらしい。
竜にとっては、まさに《天啓》。

《番》がわかるようになる年齢は基本、身体が成熟してからなのだが皆、違う。
いつわかるようになるかは、誰にも分からない。

《番》に惹かれる強さも違う。

番う相手をちょっと良いな、と思う程度のものから
番う相手にのみ、その心を捧げるもの。

相手を想っていれば離れていても平気なもの。
相手と四六時中、触れ合っていなければたえられないもの。

惹かれ合う強さが弱く、《番》以外の者に《も》惹かれる者もいる。
一方で惹かれ合う強さが強く、《番》を片時も離せない者もいる。

その強さは様々。
《番》にも色々ある。


それでも竜である限り誰にでも必ずいる、唯一の愛しい伴侶。

それが―――《番》。


確かに私と◆◆◆は、まだ《番》がわかっていない。

でも私には……ううん。私たちにはちゃんとわかってる。
◆◆◆と私は《番》だ。

そうでしょう?

互いの《竜気》が混ざりあう
《番》である証拠。

それを感じる前からこんなに惹かれ合うなんて。


―――彼が彼であるだけで、愛しくてたまらないなんて
他にどんな理由があるというの?



彼は東の湖にいた。

でも絵は描いていなかった。

少し前から《竜気》で私が来ることがわかっていたのだろう。
彼はいつものように笑顔で両手を広げて私を迎えてくれた。


「◆◆◆!」

――来たわ。貴方のもとに――


◆◆◆は広げていた両手で胸に飛び込んだ私を受け止めて、言った。

「ごめん。すぐ帰るつもりだったんだが空からこの花が咲いているのが見えて。
明日まで我慢できなかった。綺麗だろう?君の好きな色だ」

「ええ。本当ね」

――大好きよ。貴方が――


花が好きで、
絵を描くことが好きで、
争いが嫌いで、少し弱虫で、けれど優しくて。

私は◆◆◆を愛していた。

そして◆◆◆も。

描きたいものを見かけたら、いつでもすぐに描けるように
◆◆◆はいつも小さな手帳を持っている。

その手帳には彼の好きな花ではなく
私の絵が一番多いのを私は知っている。

何より、彼のその目を見ればわかる。
どれほど自分が愛されているかなんて。


―――疑いようもない。


彼の胸に顔を埋める。

彼の《竜気》に包まれる。

彼の《竜気》は心地いい。

感じているだけで。
ただそれだけで、蕩けそうなほど幸せな気分になれる。

けれど、何故?

これほど想いあっているのに、
何故、まだ私たちの《竜気》は混ざりあわないのだろう。

……でも、いいわ。

その時が来たら。
父さんに
皆に、思いっきり自慢してやろう。


ほらね?
私たちは《竜気》が混ざりあう前から互いを《番》だとわかっていたのよ、と。


◇◇◇◇◇


「もうすぐ降りそうね……」と、言ったのは誰だったのか。

その日は朝から曇り空だった。
雨の多い年だった。

私はどんよりとした灰色の空を見上げてため息を吐いた。

雨は嫌いだ。
彼の《竜気》がまっすぐに届いてこないから。

両親にも、他の皆に言っても笑われた。
「確かに《竜気》の感じ方が少し変わるが。面白いことをいう」と。

……面白くない。

私は晴れた日が好きだ。

抜けるような青空の日の、
彼の《竜気》が

一番好き。

だから
晴れないかしら。

私はもう一度、曇り空を見上げた。


と。



――― それは本当に突然だった。 ―――


全身が粟立った。
自分の身体から《竜気》がぱあっと広がり、世界中に染み渡った気がした。


世界が色鮮やかに変わる。


そして―――私は、ひとつの《竜気》を見つけた。
甘く甘く香り、私の《竜気》と混ざり合う。

間違いなく《番の竜気》だった。

そして、それは、思っていた通り―――


「◆◆◆!」


喜びで震える声。
どうしようもなく高鳴る胸の音。

私は家を飛び出し、走り出した。
誰かに呼び止められた気がしたが気のせいだったかもしれない。
そんなことはどうでも良かった。


《わかった》。


彼は今、あの東の湖にいる。


「◆◆◆!」


私は呼ぶ。
愛しくてたまらない《番》の名を。

曇り空はいつしか雨を落としはじめた。

雨は嫌いだった。
彼の《竜気》がまっすぐに届いてこないから。

でも《番》となった今。
互いの《竜気》が甘く混じりあう今。

もう良かった。
むしろ熱く火照る身体に心地よいとすら思う。

何という幸せ。

私は竜に、彼の《番》に生まれたことを感謝した。



「◆◆◆!」


東の湖に彼の姿を認めて私は翼をたたみ地上に降りた。

一瞬のはずの、竜から人の形になる時間すらももどかしく彼のもとへ走った。

笑顔で、両手を広げて待っている彼のもとへ。


いつものように手を伸ばす。
抱きしめ合う―――――はずだった。


けれど


彼は突然、竜になると私を―――――



痛みは感じなかった。

くらくらと
混ざり合う《竜気》に酔い
ただ彼を見ていた

愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい

私の《番》。

その姿を見ていたかった
その《竜気》を感じていたかった。


ほらね?
私たちは《竜気》が混ざりあう前から互いを《番》だとわかっていたのよ、と。


父さんに
皆に、自慢ができなかったな、なんて

その場に似合わないだろうことを考えて


私は最期にひとすじ涙を流した。


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