2 / 5
本編
中編
しおりを挟む「……ねえ家令くん。いや。アーネスト。久しいね」
ルカスが去った執務室。
王太子殿下は自分と同じく残された家令に声をかけた。
家令はドアの前から王太子殿下のいる執務机へと近づくと、恭しく礼をした。
「殿下。お元気そうで何よりでございます」
王太子殿下は手をひらひらと振って見せる。
「堅苦しい挨拶はいいよ。
二人きりだ。学友だった頃のように話してくれ。
聞こうか。僕にも言いたいことがあるんだろう?」
家令は
にっこりと笑った。
「良くおわかりで。素晴らしい。
さすがは結婚式で新郎を攫ったかと思ったら、そのまま三ヶ月も帰さない無恥な方だけのことはある。
太古の昔でしたら家臣は数ヶ月ごとに城に泊まり込みの出仕だったようですが。
未だこの国にそのような雇用形態があるとは思いませんでしたよ」
「……ぐうの音もでないけどね。
一応言っておくけど私は、ルカスに帰るように言ったんだよ。
けれど今のこの仕事が終わったら二週間の長期休暇が欲しいからと言い張って」
「何ですか、それは。愚策もいいところだ。
主人も相当ですが、そんな側近を諭すのも王太子殿下の手腕なのでは?
貴族の情報収集力を舐めておいでですか?
結婚式をぶち壊した上、《新郎》を自分のもとから帰さない王太子殿下。
裏でご自分がなんと噂されているか、お考えになられたことは?」
「何それ、怖い」
「ともかく、あの様子では主人は戻って来ませんね。
どう致しましょうか。クビになさいますか?
それとも《突然の病で倒れた》とでも書いた届けを提出致しましょうか?」
「いや……。どちらも不要だ。ルカスに、本日から二週間の休みを許可する。
二週間で足りるよね。奥さんを見つけて、戻ってきて貰うまでに。
君のことだ。本当はシャノン嬢の行き先を知っているんだろう?」
「いいえ、存じません」
「え……嘘だろ?」
「嘘など何ひとつ申しておりませんよ。本当です。
シャノン様を屋敷の皆でお見送りはしましたが、どちらへ行かれるかなど、全く聞いてはおりません」
王太子殿下は家令をじっと見た。
「……アーネスト。
じゃあ本当に、他国へ行くと言ったシャノン嬢をただ黙って出て行かせたの?」
「はい」
「王命で結ばれた、主人であるルカスの奥さんを?」
「はい」
「貴族の女性を。身ひとつで。何ひとつ持たせずに。馬車も使わせずに?」
「はい。その通りです」
「ふうん。……ねえ、アーネスト。
ルカスが妻にと望んだのは格下貴族の令嬢シャノン嬢。
ただ婚姻を申し込んでも断られることはなかっただろう。
だが格上の貴族に嫁ぐとなれば、シャノン嬢は周りから良く言われない。
必ず妬まれ嫌がらせを受けたりするのは目に見えている。
それを少しでも緩和するため、ルカスは陛下に《王命》をお願いした。
王太子である僕に終生仕えると誓ってね。
ルカスはそこまでシャノン嬢を想って婚姻を結んだんだ。
まあ、結婚式に参列していた僕が大至急王宮に帰るようにと呼び出された時、
一緒に行くと言い張ったルカスを止められなかったのも、
そのあと、後処理に時間がかかって三ヶ月も多忙にさせたのも悪かったけどさ。
この三ヶ月、ルカスは毎日シャノン嬢に花を贈っていたよね。
あの年まで女性に興味を持ったことのないルカスが。
ルカスはシャノン嬢に本気で惚れているよ。
君は間近で見ていて、良く知っていたんじゃないの?
それでも君は、シャノン嬢をただ出て行かせたの?」
それははっきりと非難する口調だった。
しかし、言われた家令は気にした様子もなく淡々と言う。
「出て行かせた、のではありません。
出て行く事を望んだのは他ならぬシャノン様です。
私にも、屋敷の者たちにも止められませんよ。
シャノン様のお気持ちは良くわかりましたからね。
結婚式を途中で抜け、そのまま帰宅しない旦那様。
《奥様》としての役目も与えられず、ただ屋敷に居るだけの自分。
それは、殿下が参列していた結婚式の途中で呼び出されたのです。
理由はわからなくとも、事態の大変さは察しておられたのでしょう。
殿下の側近である旦那様がお帰りにならないことは納得されておられました。
毎日、旦那様から花も届けられていましたからね。
むしろ忙しくとも気にかけてくださっているのだと嬉しそうでしたよ。
シャノン様はシャノン様で、屋敷での新しい生活を送ることになったのです。
慣れるのに忙しく、旦那様の不在はさほど気にされていなかったでしょう。
ですが、さすがに三ヶ月も続けば気持ちが保てませんよ。
―――数日前からご様子が変わりました。
旦那様が帰宅しないのは、本当に《仕事だけ》が理由なのか。
旦那様の《何もしなくて良い》という言葉は、本当に自分への好意から出たものだったのか。
疑問に思われたのでしょうね。当然です。
だいたい、旦那様は仕事仕事で、お二人は結婚前にも数回しか会われていない。
おまけに女性と親しくした経験のない旦那様は、シャノン様を前にすれば固まるばかり。
気の利いたカードひとつ書けず、シャノン様に自分の気持ちをろくに伝えてもいない。
―――どうですか?
そんな旦那様に花だけ贈られ続けて、シャノン様がいつまでも単純に喜んでいるとお思いですか?
《王命で仕方なく妻にした自分を宥めておく為の花》だと思ってしまっても仕方がないでしょう。
周りがどう言い繕ったところで無駄ですよ。
旦那様が全く帰らずにいることだけが、シャノン様の《事実》なのですから。
むしろ三ヶ月で出て行くと言ってくださって良かった。
長引くほど、良いことはありませんからね。
屋敷の者は全員、そう思ってお止めしなかったのです」
「……そう……」
「はい」
頷くと、家令は次にそこにある空気を払拭するかのように大きく息を吐いた。
「さて。
もうよろしいでしょうか。
これから屋敷の者と、旅に出る準備をしなければなりませんから」
「……は?」
「なんですか?不思議はないでしょう?
王命での婚姻です。名ばかりでもシャノン様は正式な主人ルカス様の《奥様》。
家令の私をはじめ、屋敷の者たち皆でお支えするのは当然だ。
そうでしょう?」
「―――――」
王太子殿下はこれ以上ないほど目を見開いた。
「……アーネスト。君も屋敷の者たちも……
シャノン嬢を屋敷から追い出したのではなかったの?」
「どんなお耳がついていらっしゃるのです?
シャノン様はご自分で出て行かれたのです。私たちは同意し、止めなかった。
そうお伝えしましたが」
「だってシャノン嬢を……身ひとつで出て行かせたって」
「シャノン様は貴族の女性ですよ?
ご自分で荷物をお持ちになるはずがないでしょう。
《供の者》たちが運ぶに決まっています。《お金》も重いですしね」
「ええー…………。待って。じゃあ《行き先を知らない》って言うのは?」
「知りませんよ?
どの辺りにいらっしゃるかなら同行している者からの報告で知っていますが」
「うわ……もしかして。《屋敷の馬車は使っていない》って言うのも?」
「使っておりませんよ。《馬車》はね」
「……お見事……」
王太子殿下はくく、と小さく笑ったと思ったら、すぐにけらけらと笑い出した。
「やってくれたね。
これでルカスは血眼になってシャノン嬢を探すだろう。
そして見つけたらもう彼女を離さない」
「そうでしょうね。全く。手のかかる主人です」
「じゃあ僕の側近になってくれれば良いのに」
「お断りしたでしょう。嫌ですよ。もっと面倒くさい」
「……アーネスト。不敬って知ってる?」
笑っていた王太子殿下だが、ふと気づいたように言った。
「あれ?だけど。
君たち屋敷の者は全員、シャノン嬢をルカスの奥さんだと認めていないんじゃなかったの?
さすがに、それは嘘だったのかな?」
澄ましている家令を見ながら、にやにやと笑う王太子殿下。
家令は何を言っているのか、と言うように答えた。
「いいえ?
認めていませんよ。
シャノン様があの情けない旦那様の奥様だなんて。
認めたくもない」
「―――――」
「旦那様にもっとしっかりしていただくまでは認められませんね」
王太子殿下は呆気に取られた。
「……ルカスとシャノン嬢は結婚して三ヶ月……だよね……?」
「ええ、そうですね」
「シャノン嬢が屋敷に入ってまだ……三ヶ月……だよね……?」
「そうですが?それが何か?」
「―――――」
「ああ、いけない。随分と時間がかかってしまいました。
では、私はこれで。
失礼いたします。王太子殿下」
礼とはこのようにするものだ、という見本のような一礼をし、家令は執務室を出て行った。
そのあと、たっぷり時間をおいて
ようやく動くようになった口で、王太子殿下は呟いた。
「…………怖っ……」
腕をさすりながら独りごちる。
「……え。シャノン嬢、何したの?
彼女、魔法でも使えるの……?
……ルカス……まずいぞ。
シャノン嬢に許してもらわないと屋敷の者、全員から見捨てられる。
あはは、大問題だね」
驚き半分、面白さ半分という顔で言ってから、
王太子殿下は執務机の上に置かれた書類に気づいて青くなった。
307
お気に入りに追加
1,896
あなたにおすすめの小説
(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)
青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。
だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。
けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。
「なぜですか?」
「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」
イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの?
これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない)
因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

夫と親友が、私に隠れて抱き合っていました ~2人の幸せのため、黙って身を引こうと思います~
小倉みち
恋愛
元侯爵令嬢のティアナは、幼馴染のジェフリーの元へ嫁ぎ、穏やかな日々を過ごしていた。
激しい恋愛関係の末に結婚したというわけではなかったが、それでもお互いに思いやりを持っていた。
貴族にありがちで平凡な、だけど幸せな生活。
しかし、その幸せは約1年で終わりを告げることとなる。
ティアナとジェフリーがパーティに参加したある日のこと。
ジェフリーとはぐれてしまったティアナは、彼を探しに中庭へと向かう。
――そこで見たものは。
ジェフリーと自分の親友が、暗闇の中で抱き合っていた姿だった。
「……もう、この気持ちを抑えきれないわ」
「ティアナに悪いから」
「だけど、あなただってそうでしょう? 私、ずっと忘れられなかった」
そんな会話を聞いてしまったティアナは、頭が真っ白になった。
ショックだった。
ずっと信じてきた夫と親友の不貞。
しかし怒りより先に湧いてきたのは、彼らに幸せになってほしいという気持ち。
私さえいなければ。
私さえ身を引けば、私の大好きな2人はきっと幸せになれるはず。
ティアナは2人のため、黙って実家に帰ることにしたのだ。
だがお腹の中には既に、小さな命がいて――。
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

【完結】私の大好きな人は、親友と結婚しました
紅位碧子 kurenaiaoko
恋愛
伯爵令嬢マリアンヌには物心ついた時からずっと大好きな人がいる。
その名は、伯爵令息のロベルト・バミール。
学園卒業を控え、成績優秀で隣国への留学を許可されたマリアンヌは、その報告のために
ロベルトの元をこっそり訪れると・・・。
そこでは、同じく幼馴染で、親友のオリビアとベットで抱き合う二人がいた。
傷ついたマリアンヌは、何も告げぬまま隣国へ留学するがーーー。
2年後、ロベルトが突然隣国を訪れてきて??
1話完結です
【作者よりみなさまへ】
*誤字脱字多数あるかと思います。
*初心者につき表現稚拙ですので温かく見守ってくださいませ
*ゆるふわ設定です

(完結)その女は誰ですか?ーーあなたの婚約者はこの私ですが・・・・・・
青空一夏
恋愛
私はシーグ侯爵家のイルヤ。ビドは私の婚約者でとても真面目で純粋な人よ。でも、隣国に留学している彼に会いに行った私はそこで思いがけない光景に出くわす。
なんとそこには私を名乗る女がいたの。これってどういうこと?
婚約者の裏切りにざまぁします。コメディ風味。
※この小説は独自の世界観で書いておりますので一切史実には基づきません。
※ゆるふわ設定のご都合主義です。
※元サヤはありません。


(完結)私より妹を優先する夫
青空一夏
恋愛
私はキャロル・トゥー。トゥー伯爵との間に3歳の娘がいる。私達は愛し合っていたし、子煩悩の夫とはずっと幸せが続く、そう思っていた。
ところが、夫の妹が離婚して同じく3歳の息子を連れて出戻ってきてから夫は変わってしまった。
ショートショートですが、途中タグの追加や変更がある場合があります。

私があなたを好きだったころ
豆狸
恋愛
「……エヴァンジェリン。僕には好きな女性がいる。初恋の人なんだ。学園の三年間だけでいいから、聖花祭は彼女と過ごさせてくれ」
※1/10タグの『婚約解消』を『婚約→白紙撤回』に訂正しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる