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ある夫婦の愛と、憎しみと
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と声にならない声を上げ、私は飛び起きた。
汗をかいていた。
手の震えが止まらない。
胸を押さえて呼吸を整える。
夢よ。
ただの、夢。
しっかりしなさいと自分を叱咤する。
しっかりしなさい。
もう何回も見ているもの。
わかっていたじゃないの。
途中から、
これは夢だって。
何を狼狽えているの。
ひとりの寝室の、ひとり寝ていたベッドを降りた。
白みはじめた外の明かりをたよりにサイドテーブルにあった水差しからグラスに水を注いで飲む。
ようやく少し落ち着いて、私は息を吐いた。
二年くらい前からずっとこうだった。
いいえ、どんどんあの夢を見る日が増えている気がする。
嫌な夢だった。
忌まわしいあの日の夢。
二年ほど前、夫が浮気した。
夫の浮気相手は私の侍女だった。
馬鹿な二人だった。
夫を自分の虜にできたと思った侍女は私を蔑み、夫に思わせぶりな態度を取り。
夫は夫で蕩けるような目で侍女を見て。
二人の関係は瞬く間に皆に噂されるようになった。
決定的だったのが、私が客間での二人の行為を見たことだ。
庭でお茶会を開いていた日だった。
夫を探しに行ったのだ。
私は倒れ、私の両親は激怒した。
入り婿だった夫に、侍女を愛人として屋敷に囲うことなどできはしない。
すぐに侍女は激昂した私の両親に屋敷を追い出された。
退職金なし。紹介状なしで。
平民の彼女がその後、どうなったのかは全く知らない。
続いて、出て行けと言われた夫は泣きながら床に頭を擦り付け許しを乞うた。
夫の両親も謝罪に来た。
だが私の両親は謝罪は受け入れないと門すら開けなかった。
爵位こそ同じだが、財力には雲泥の差がある私の家と夫の家。
膨大な額を融資する側の私の家の不興を買うことがどういうことなのか。
良くわかっていたのだろう夫の両親は、門の前で行き交う人の好奇な目に晒されながらも泣きながら土下座していた。
何日も何日も。
それでも門は開かなかった。
「お前のしたことの結果だ」
私の父に門の前で泣きながら土下座する自分の両親の姿を見せられて
夫は、ますます泣いた。
床に頭を擦り付け、私に謝罪した。
すまない。許してくれ。
確かに僕は間違えた。
だが、一時の気の迷いだったんだ。
その……
――君が忙しくて。僕は寂しくて――
家の後継者は私だ。
夫より遥かに仕事は多い。
確かに私は、そのころ忙しかった。
でも、だから浮気が許されるとでも?
私たちは恋愛結婚だった。
どちらからともなく惹かれ合い、大恋愛の末、結ばれたのだ。
私の両親は大反対だったが、私の必死さに最後は折れてくれた。
結婚式では夫に、私を頼むと頭まで下げてくれたのだ。
なのに……この裏切りはなんなの?
私は号泣しながらも許すとは言わなかった。
許せるはずはなかった。
私の両親も、離婚が当然という態度だった。
あんな婿などいらないと。
私も、それしかないと思っていた。
けれど
それでも、好きで一緒になった人なのだ。
毎日毎日、花を贈られ、片時も離れず謝罪され、愛しているのは君だけなんだと愛を囁かれ。
それまでは尻込みするばかりでやる気のなかった仕事も覚え
少しずつではあるが、屋敷の者や私の両親からも信用を得ていく夫を見て
私は、夫とやり直すことを決めた。
夫は喜び、もう二度と君を裏切ったりしないと誓ってくれた。
そして……一年。
言葉通り。
夫は良き夫となっている。
それなのに……
私は今も夢に見る。
あの日、客間のベッドで睦み合っていた夫とあの侍女を。
あの時の絶望が、寄せては返す波のように何度でも胸を締めつけにくる。
あの日から二年以上が過ぎている。
でも……まだ二年と少しだ。
私は疑ってしまう。
次があっても不思議ではない。
今は、確かに良い夫だろう。
けれど
人生は長い。
この先、夫が再び私を裏切らないという保証など、どこにもない。
なにせ一度、夫は私を裏切ったのだ。
何食わぬ顔で。
今は私に触れるその手で
あの侍女を―――――
穢らわしい
憎い
その思いが消せない。
―――いいえ。
どんどん酷くなる。
どうしてなの。
私は許したのに。
やり直すと
再び愛そうと決めたのに―――――
一夜一夜
あの日の二人を夢で見るたびに醜い思いが積もる。
私は自分で自分を抱きしめた。
誰か教えて欲しい。
この醜い思いを、どうやって消せば良いのか。
涙が溢れた。
―――まるでゆっくりと毒に侵されていくようだと思った―――
私は夫の実家へ行くようになった。
夫の実家には家を継いだ夫の兄夫妻と、身体が弱くほぼ部屋から出られない夫の弟がいる。
以前は目の回る忙しさだったが、今は夫の助けがあり休みの時間が取れるようになっていた私は、その空いた時間を夫の弟を見舞うことに使った。
夫も、夫の兄夫妻も感謝してくれた。
でも感謝されるようなことではなかった。
私は喜んで夫の弟のところへ通ったのだ。
私より二つ年下の夫の弟は、明るい性格だった。
病弱な自分を嘆いたりせず、できることをして楽しんでいた。
刺繍など、私より――いいえ。その辺の職人より上手いくらいだ。
仕事や社交の話ではない。
天気や、花や、動物や……なんてことのない話。
それでも彼と話すのは楽しかった。
自分でもわかった。
私は彼のおかげで徐々に明るさを取り戻していった。
あの忌まわしい日より前の自分に戻れた気がした。
夫と同じ部屋で眠るようにもなった。
穏やかに日々は過ぎ、やがて私は子を産んだ。
元気な男の子だった。
夫は、それは喜んだ。
―――そして、その日。
すやすやと眠る子を抱いていた私に、乳母が言った。
お坊っちゃまはお父様似ですね、と。
私は子の髪を撫でながら、言った。
「そうかしら。むしろこの子は夫の弟によく似ているのよ」
と。
隣にいた夫が息を止めたのがわかった。
私は―――笑った。
「でも、どちらでも同じよね。兄弟ですもの」
愛しい子、と眠る子どもに頬ずりをする。
そして私は、夫に向け微笑んだ。
「可愛い子だわ。二人で育てていきましょうね。あなた」
夫の笑顔はかたく、顔は青ざめていたが私はそれを無視した。
ふふ
心配しないで。
貴方の弟と私は、そんな関係じゃない。
この子は間違いなく貴方の子なの。
でもね
このくらいの意地悪は許してちょうだいね。
夫婦ですもの。
まるでゆっくりと毒に侵されていくような、あの感覚。
共有しないとね。
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