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33-1 貴女に ※クロードside
しおりを挟むその日。
俺はカーステン侯爵家の門の横に立ち、考えていた。
仲間からこの屋敷でケビンが執事をしていると聞いて、会いに来たのだった。
寄宿学校を出るとすぐ、騎士の異父兄に武術を叩き込んでもらい、俺は諸国を旅する冒険者となった。
その俺を、歳の離れた弟か子どものように可愛がり、一人前の冒険者にしてくれたのがケビンだった。ケビンは恩人だったのだ。
そのケビンが、利き手を負傷して冒険者をやめたと噂で聞いた時は驚いた。
冒険者は気ままだ。幾つもの国を縦横無尽に渡り旅をする。
同じ冒険者同士でも、何年も会わないことはよくある。
だから何年もケビンに会っていなくても気にしていなかったが。
まさか冒険者をやめるほどの怪我を負っていたなんて。
一目会いに行こうと決めた。
そして数年かかかって、ようやくケビンのもとに辿り着いたのだが、ここで困った。
貴族が――それも令嬢は王太子の婚約者候補だという侯爵家が。
他国の民で、しかも素性を明かせない俺を屋敷に入れてくれるはずはない。
俺は深く被ったフードの下のゴーグルに触れた。
色付きのゴーグルだ。
眩しい陽が目に入らないように。あるいは訳ありで。色付きのゴーグルを愛用する冒険者は多く、俺は全く目立つことはなかった。
しかし、侯爵家を訪ねるなら怪しまれないようにゴーグルは外さなければならない。
だが外せば――出自が知れる、厄介な瞳の色を晒すことになる。
さて。どうするか。
ケビンに届くかどうかわからないが、門番にメモを託そうか。
ケビンが出てくるまで待とうか。
それとも……残念だが諦めるか。
悶々と考えていると――馬車が来て門の前で止まった。
馬車を通すため、すでに門は開いているのに。どうしたのだろう。
そう思って見ていると――なんと馬車から令嬢が降りてきて、俺の手を握った。
そして笑って言った。
「騎士様ですね?ようこそカーステン侯爵家へ。どうぞ中に。すぐに父を呼びますわ」
俺が違うと言うより早く、護衛たちが令嬢を止めようとした。
だが彼女は「この方はお父様のお客様です」と平然と言い放ち、玄関前まで一緒に行こうと馬車に乗るよう俺を促した。
馬車の中にはこちらも何故かにっこり微笑む夫人がいた。
断れば即、不審者扱いは必至だ。断れる雰囲気でもない。
……あとはケビンに助けてもらおう。
俺は観念して馬車に乗った。
「―――ク……っ!」
屋敷に通されると、まずは俺を見たケビンが目を丸くし口を押さえた。
その前で屋敷の主人――カーステン侯爵はにこにこと笑顔でいた。
令嬢と夫人は俺に挨拶をし、屋敷の奥へ入って行った。
それを待っていたのだろう。
二人が見えなくなると、カーステン侯爵は笑顔のままで言った。
「私の知り合いの騎士は先ほど帰ったのだけど。
―――で。君は誰なのかな」
◆◇◆◇◆◇◆
「あはははははっ!はーははっ!!ははははっ――く、苦しい。ああ、おかしい」
通された執務室で。
わけを話すとカーステン侯爵は腹を抱え、目尻に涙まで浮かべて笑った。
侯爵の後ろに立つケビンは口に手を当てるだけに止めているが、肩が震えている。
「ご、ごめんよ。クロード。くくく……それにしても。
君で良かったよ。とんでもない輩だったかもしれないと思うとゾッとする。
ロゼも迂闊なことを。
……いや。君だったから、なのかな」
「――は?」
「普段は上手く隠しているのだろうが。今の君の立ち居振る舞いは貴族のそれだ。
ロゼの行動に面食らって咄嗟に地が出て、そのままなのだろう。
いくら離れていても、身についているものは消えたりしないんだよ」
「―――――」
「そして腰の剣だ。ロゼが君を《今日来訪すると聞いていた騎士だ》と信じて疑いもしなかった理由はそれかな。単純な子だなあ。ちょっと注意しておかないと」
「……その必要はないかと。
最初に手を握られました。私が本当に騎士かどうかを確かめられたのでしょう」
「ああ。剣だこを、かな。あの子がねえ。確かめたのかな。ならまあ、いいか」
カーステン侯爵は笑みを浮かべたまま、両手を胸の前で組んだ。
「クロード。これも何かの縁だ。しばらくここで。ケビンの下で働かないかい?」
俺はケビンを見た。
カーステン侯爵の言い方からして、俺の素性をご存知なのだと思えたからだ。
しかし、俺はケビンにも素性を明かしてはいなかった。
ただ一度。ゴーグルの色を変えた方がいいと言われただけだ。
それでもケビンは気づいていたのだろう。
ゴーグルの下の、俺の瞳の色に。
ケビンに出会った頃の俺は、自分の所作にも無頓着だった。
よくある名なので、名を偽ることもしなかった。
答えなのか。悪戯がばれた子どものようにケビンは笑った。
そしてカーステン侯爵が言った。
「見ての通り、ケビンは私に仕えてくれている。
執事となる以前から、もう何十年もね。
私には冒険者の知り合いが何人かいるんだ。
いろんな国の、いろんな話を聞かせてもらっている」
「…………」
「だが君にそれを求めはしないよ。
君の見たいものと、私が聞きたい話は全く違うのものだからね。
それに君を誘えば、私を信じて《可愛い弟子》の話を聞かせてくれたケビンに叱られてしまう。
だから私に下心があって言っているわけじゃない。
誓ってもいいよ。
――ただ、君はこうしてケビンを訪ねてきた。
いい機会だ。
しばらくここで休んでいったらどうかな、と思っただけだよ」
「―――休む?」
「ずっと飛んでいるのは、疲れるだろう?」
「―――――」
「巣に帰るのが嫌なら止まり木でいい。生き物には休む時間も必要だよ」
「…………」
旅に憧れていた。
色々な場所へ行って、色々な物を見て。
なんでもやってみたい。なんでも知りたい。
生きているんだから。
せっかく健康な身体があるんだから。
自由に、好きな所へ行ってみたい。
ずっと旅していたい。
あんな家には戻らない。
休む時間もいらない。
もっと遠くへ。
もっと、もっと、もっと。
そう強く思っていた。
だから冒険者になった。
なのに。何故だろう。
俺は「お願いします」と頭を下げていた。
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