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29 どうして

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―――さて、私はこれからどうしましょう。


王太子殿下と別れてすぐに、もう私はこの先のことで頭がいっぱいでした。

三年も好きで、二年も恋人だった方なのに。
私は薄情者でしょうか。
でも前回のことも、前世の《ツバキ》のこともありますし、良いことにします。


お父様は、あとは私の好きにしていいと言ってくださいました。
それなら私は、色々なことがやってみたいです。

まずは靴が作りたいです。
今よりもっと足に合って、軽くて履きやすくて、蒸れないで、長時間歩いても疲れない靴が。

椅子が欲しいです。
正座のできる、背もたれはなく、低く、座面が大きい椅子が。

平民の暮らしが見てみたいです。
家やお店や。病院にも行ってみたいです。

そうです。
《ツバキ》の記憶の影響は大きいようです。


あと他には……そうですね。
《外交官になりたい》と言っていたご令嬢が、王太子殿下の婚約者になったのです。
代わりに、私が外交官になるのはどうでしょうか。

そうしたらクロードに会えるかもしれません。
東の大国に行けたなら―――――。


そっと目を閉じます。
私は何を考えているのでしょうか。
そんな理由で外交官だなんて。

それに、クロードに会ってどうしようというのでしょう。

ほんの何日か、話しただけの人です。
それなのに。


―――あら?

と、ようやく気づきました。
何故、何日か話しただけだったのか。

「歳をとりましたので後継を」と、執事のケビンがクロードを連れてきて、それから半年もあったのに。時が戻ったあの新たなはじまりの日まで、私はクロードと話したことはありませんでした。

確かに面と向かって話をするような機会もありませんでした。
片やお父様に仕える執事の見習い。
片や王太子殿下の婚約者候補として王宮で過ごすことが多かった娘です。

それでも半年間、全く話さなかったのは。
きっとクロードが《王太子殿下の婚約者候補》の私との接触を避けていたからでしょう。
そして、それができたのは執事のケビンと……お父様の協力があったはずです。

謁見のやりとりでカーステン侯爵家が調べられることになったあと、すぐにクロードが執事見習いを辞め、すんなりと故郷に帰ることができたのも。

―――執事のケビンとお父様が。クロードの出自を知っていたから。

……当たり前でした。
クロードを連れてきたケビンが
クロードを雇い入れたお父様が
クロードの出自を知らないはずがありません。


ああ、ならば。
やっぱり私の想像は正しかったようです。

クロードのあの、ほんの少しだけ色が入っていた眼鏡の奥の琥珀色の瞳は……光が入ると金色に見えるのでしょう。

―――東の大国の、王族だけが持つという色です。

自分の出自を知り逃げ出した、とクロードは言っていました。
逃げ出せたのです。
ならば王族なのは、クロードのお母様ではなく、本当のお父様なのでしょう。


東の大国の王族の血を引く者。

それならいつかの。
大時計を落とすのに失敗し、私が王太子殿下の婚約者となるのを避けられそうにない場合には「騎士に攫ってもらおうか」と言った、お父様のあの軽口は……クロードのことを言ったのかもしれません。
クロードに頼んで東の大国に逃がしてもらえば、私は確かに婚約者にならずに済んだでしょうから。


―――なら、前回の。槍騎馬試合の勝者となり、私を望んでくれた騎士もクロードでしょうか。


同じ《騎士》という言葉に一瞬考えてしまいましたが、私はすぐに首を振りました。

あり得ません。

騎士だったとして、何故、クロードがそんなことをする必要があるのでしょう。
それに、お父様がクロードに頼むことも不可能です。

五年前、私が王太子殿下の婚約者候補に選ばれた時もそうでしたが、正式な婚約者になった時。
発表の前にもう一度、カーステン侯爵家は調べられました。

その時、もし東の大国の王族の血を引くクロードの存在を知られたら。
カーステン侯爵家は東の大国の王家に通じていると思われてしまいます。

だから前回、私が王太子殿下の婚約者が決まった頃には。クロードは執事見習いを辞めて、東の大国に帰っていたはずなのです。
それから九年後の槍騎馬試合の時に、都合よくこの国に――ましてやカーステン侯爵家にいたはずがありません。


―――未来は変わりました。
けれど。クロードがいなくなることは……同じだったようです。



私は、今日もまた庭を望むベンチに座っています。

忙しいお父様がわずかな時間でも安らげるようにと、お母様が置いたベンチです。
ですが、今や私の特等席のようになっています。

ここでぼんやりと庭を眺めていると、今も。
クロードが私を呼びにくる気がします。


何故でしょう。
ほんの何日か、話しただけの人なのに。

はじめて私の前回の話を真剣に聞いてくれた、味方のように思った人だからでしょうか。
前回と前世の記憶を持った、それまでと違う私に気づいてくれた人だからでしょうか。
《ツバキ》のことを話した、ただ一人の人、だからでしょうか。


どうして……。


クロードがいないことが
どうしてこんなに、心細いと感じてしまうのでしょう―――――。


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