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9 侯爵家子息ジェイデンside

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もう滅茶苦茶だった。

母は目を覚ますことなく、こんこんと眠り続けていた。
医師にも原因はわからないと言われ、なす術なくただ静かに寝かされている。

それなのに。


「嫌だわ。どうしよう。
お母様がこんな状態じゃ、王宮に行ってあのエミリアを脅してもらえないじゃない。
さっさと勉強を終わらせて《私》と代わってもらえないじゃない」

《エミリア》は頬を膨らませてそう言った。

それだけじゃない。

「お母様、起きてちょうだい」
「お母様、《私》の声が聞こえているんでしょう?悪ふざけはやめてよ」

「やめろ」と怒っても、
「黙れ」と言っても。

《エミリア》は母親を心配するどころか、勝手なことばかり言い放った。


母が倒れてから三日目。

ついには「お母様、生きてるの?」と言った時。
俺の中で何かが切れた。

「―――いい加減にしろ!倒れた母上が心配じゃないのか!
なんて言い草だ!それでも実の娘か!!」

《エミリア》は口を尖らせた。

「だって。お母様が起きてくれないと……。《私》早く王宮に戻りたいのに」

「《お前》は王太子殿下に婚約を破棄されたんだ!《お前》が王宮に戻る日など、永遠に来ない!」

激怒した俺は《エミリア》に叫んでいた。

《エミリア》はきょとんとして。
それから笑い出した。

「嫌だ。変な冗談はやめてよ、お兄様。
そんなはずがないじゃない。
それじゃあ何故、あのエミリアが王宮で《私》の代わりに勉強をしているの?」

「あのエミリアが、王太子殿下の新しい婚約者になったからだよ!」

「え?」

「《お前》は王宮の護衛を何人も寝所に招き入れたな。
王太子殿下はそれで《お前》を見限ったんだ!」

「え?何言ってるの?そのくらいのことで……」

「何がそのくらいのこと、だ!
貴族の令嬢が寝所に男を入れるなど、あり得ないだろう!
ましてやそれが王太子殿下の婚約者のすることか!
王太子殿下は《お前》とこの侯爵家の全員を不敬罪で公開処刑にすると言ってきたんだぞ?!
そして、それが嫌ならあのエミリアを新たな婚約者によこせと言って、あいつを王宮に連れて行ったんだよ!」

「うそ……」

「嘘なものか。《お前》は王太子殿下に捨てられたんだよ。
とんだ阿婆擦れだとな」

「あ、阿婆擦れだなんて!酷いわ!誤解よ!
そんなことしてない!
話したでしょう?《私》はマッサージや、手を繋いでもらっただけよ?」

「誰が信じるんだよ、そんな話。
貴族の令嬢はな、不埒なことをしたのでは?と疑われた時点で終わりなんだよ。
だから《お前》は一人で外出したことはないだろう。
舞踏会に行くにもお目付け役シャペロンとして母上が付き添った。
はしたない行為をした令嬢だと人から言いがかりをつけられることなど絶対にないようにな。
《お前》は、そんなこともわからなかったのか」

「そんな……そんなの普通の令嬢のことでしょう?!
《私》は、特別な子なのよ?」

「……またそれか」


勘弁して欲しかった。
ため息を吐いた俺に、《エミリア》は小さな子どものようにむきになって言った。

「本当だもの!《私》が小さい頃からお母様がいつも、そう言って――」

「――自分の子どもが《親にとって特別》なのは当たり前だろう!
母上が言ったのはそういう意味だったんだよ!」

「そんな……。だって。《私》には、身代わりだっていて……。
嫌なことは、全部《私》の代わりにあいつにやらせることができたわ。
教会へ行って、汚い子どもに触らなきゃいけない慈善活動や
王太子殿下からもらった大陸公用語で書かれた手紙の返事を書くのや
勉強だって……全部っ」

「《お前》……全部あいつにやらせただけ、だったんじゃないだろうな。
慈善活動で行った教会で何をしてきたのか。
王太子殿下への手紙の返事はなんて書いたのか。聞いたことは?」

「聞いていたわよ。お母様に覚えておかなければ駄目だって言われて。
でもいちいち覚えていられなかったわ。面倒くさくて。
どうでもいいでしょう。
別に、誰かに聞かれても忘れた、で片付くんだから」

笑いがこみあげた。
なるほど。

教会での《エミリア》は評判が良かった。
分け隔てなく人に接し、孤児院の子の看病までする優しい令嬢だと。
兄である俺は何人もの人から《妹》を褒められた。
だがこの《妹》はそんな性格ではない。
おかしいと思われて当然だ。

大陸公用語で自分が書いた手紙の内容も忘れたと言って答えられない。
代筆させるくらいだ。
きっとこの《妹》は大陸公用語をろくに話せもしないんだろう。
優秀な代筆者がいると気づかれて当然だ。

「それで王太子殿下に《お前》には身代わりがいると気づかれたんだな」


《エミリア》はぽんと手を打った。

「そうよ。あいつは《私》の身代わりなのよ?
だからまたあいつと入れ替わればいいだけの話だわ。
今度はうまくやるわ。もう寝室に護衛たちを入れたりしない。
それでいいのよね?」

「つくづく馬鹿だな。
王太子妃になる者なら受けるはずの教育を《お前》は受けていない。
王宮に上がってからずっと放っておかれたんだろう?
王太子殿下は《お前》を婚約者にする気なんかない。
はじめから、あのエミリアが欲しかったんだよ。
はは……。
王太子殿下にとっては《お前》が、あいつの身代わりだったんだな」

「そんなはずない!
……そんなわけないわ。《私》が本物の《エミリア》よ。あいつじゃないわ。
偽物のあいつに王太子殿下の婚約者が務まるはずがない!」

「……ああ。あのエミリアには務まらないさ。務まるはずがない」

「でしょう?!だから《私》があいつと代わらなきゃ――」

「――行ってみたらどうだ。王宮に。
王太子殿下は予期して手を回しているだろうな。
この侯爵家の令嬢――王太子殿下の婚約者は王宮にいる。
王太子殿下の婚約者の名を騙った《お前》は即刻捕らえられ、首をはねられる。
その覚悟があるのならな」

「―――――」

《エミリア》はようやく黙った。


頭の中で声が甦った。


――「細い首だな。少し力を込めただけで簡単に折れそうだ」――


乾いた笑いが止まらない。

無理だ。
あのエミリアに――あいつに、王太子殿下の婚約者は務まらない。


妹《エミリア》も
あのエミリアも駄目。

「終わりだな」


この侯爵家はもう終わりだ。

その上、母上もこんな―――――。


「どうしてこうなった……」


俺は笑い続けた。


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