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1 新入りメイドのカティside

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「そちらのエミリア嬢を新たな婚約者にいただきたい」

王太子殿下の言葉に、その場にいた誰もが息を呑んだ。

この屋敷の主人夫妻と、子息のジェイデン様だけではない。
私も、普段は冷静沈着な執事のカーソン様もその場で凍りついた。
一緒にお茶を用意し、並んで部屋の隅に控えていた同僚のカーラさんなんか、はしたなくもぽかんと口を開けたままだ。


「返事は?」

そんな中、鷹揚にソファーに座る王太子殿下の声は楽し気にすら聞こえた。

「待ってください!エミリアは!エミリアは私の婚約者です!」

我に帰った子息のジェイデン様が、慌てて王太子殿下に叫んだが
王太子殿下は何でもないことのように言った。

「ああ、あの《エミリア》からそう聞いたよ。
でも結婚はまだしていない。そうだろう?」

「――それはっ!貴方と、私の妹《エミリア》の結婚式が終わってからと――」

「――だが私と君の妹《エミリア》の結婚は破談になった。
《エミリア》の有責でね。
まさか王宮の護衛を片っ端から閨に誘う阿婆擦れだとは思わなかったよ。
この家は娘にどんな教育をしてきたのかな」

「う、嘘だ。妹が……そんな……馬鹿なこと……」

「調書は既にこちらへ送ってあったはずだが?
疑うなら護衛全員をここへ連れて来て証言させようか?
当然だが《あれ》を私の妃にすることはできない。
だから君とそちらのエミリア嬢との結婚の日もやってはこないよ。
永遠にね。
なら私が貰い受けても良いだろう?」

「―――――」

「お、王太子殿下。このエミリアを、だなんて。そんな、ご冗談を。
だいたい、このエミリアはデビュタントも済ませておりません。
しかも当家の養女ではありますが、元は下位貴族の娘。
王太子殿下の新たな婚約者に、だなんて……とても……」

言葉に詰まった子息ジェイデン様を助けるように奥様が言った。
私は思わず頷いた。

けれど
王太子殿下は―――

「そう。ならいいよ。《エミリア》はどうなるだろう。
王太子妃になろうという身で護衛を片っ端から誘うだなんて。
王太子の私を――ひいては王家を馬鹿にするにも程がある。
不敬罪で公開処刑が妥当かな。
とんでもない不名誉なことだね。
この家が落ちぶれるのは目に見えているけど。それでも構わないなら――」

「――ま、待ってください!《エミリア》を公開処刑?!そんなっ!
あ、あの子は。いえ。
……もし。もし、本当にあの子がそんな行いをしたとしても未遂、でしょう?
母親である私がよく言ってきかせます!
もう二度と、そのような真似はさせません!ですから、どうか――」

「――この家は。
《エミリア》だけでなく全員が王家を馬鹿にしているのかな?」

ひっと、奥様が声を上げた。
子息ジェイデン様は部屋の隅に控えている私でもわかるほど震えている。
気づけば、私の足も同じように震えていた。


このお屋敷のご令嬢《エミリア》様は、ひと月ほど前に《王太子妃候補の一人》から正式に《王太子殿下の婚約者》となられた。
それは名誉なことだ。屋敷中が大騒ぎになったらしい。

らしい、というのは私はその様子を知らないからだ。
私はその後、この屋敷に入ったメイドだから。

「これから勢いの出る家よ」と紹介されて来たこの家の雲行きが怪しくなったのはつい三日前。

使用人に家の大事を詳しく話す主人などいない。
だから詳細は知らなかった。

けれど主人夫妻と子息ジェイデン様の様子、顔色、表情。
使用人たちは《何かあった》と敏感に勘づいていた。

そして王太子殿下が屋敷を訪ねて来られる、と聞けば原因は王宮にいる王太子殿下の婚約者――この家のご令嬢《エミリア》様だと察してはいた。
それでも、まさかこんな――家が没落するかどうかの大事だなんて。

―――恨むわよ。私にこの家で働くことを勧めた叔母さん。

これじゃ次はろくな家に雇ってもらえないじゃない。
私は泣きそうだった。

「ジェベルム侯爵。当主の貴方の意見を聞こうか。
この事態。どうおさめるつもりかな」

王太子殿下の声にはっとした。
そうだ、この家の御当主――旦那様は、まだ一言も言われていない。
こんな時に!

思わず睨むように見れば……ご主人様は青い顔を忙しなくあちこちに向けていた。
どこを見ていいのかわからないとでも言うように。おどおどと。

「……わ、私は……」

「私の婚約者が娘の《エミリア》から養女のエミリア嬢に変わるだけだ。
この家が王太子妃を輩出する家だということは変わらない。
……そうだな。
王太子妃の義姉が罪人だなんて醜聞は避けたいからね。
娘の《エミリア》の方は公開処刑はなしにしよう。
この家はお咎めなしだ。
どうかな。
我ながらこの家のことを考え抜いた甘い案だと思うけれど。
それでも受けられないかな。
侯爵に他にもっと良い案があるというのなら聞かせて貰おうか」

「―――――」

「あなた!」
「父上!」

奥様と子息ジェイデン様が旦那様に詰め寄ったが、旦那様は青い顔を床に向けただけだった。

腹が立ったのだろう。
奥様が旦那様の胸の辺りをどん、と叩いてから王太子殿下に歩み寄った。

そして恭しくひとつお辞儀をして……微笑んだ。

「まず、娘《エミリア》のしたことはお詫び申し上げます。
ですが。こう言っては何ですが、きっと護衛の方達が《エミリア》の美しさに虜になってしまわれただけですわ。
よくよく調査していただければ、《エミリア》に非はないとわかるはずです」

「ほう。つまり言い寄ったのは護衛たちの方だと?」

「ええ!そうですとも!
王太子殿下の婚約者として王宮に上がった《エミリア》が、そんな愚かな真似をするはずがございません。
王太子殿下。娘を信じてやってくださいませ。
娘は《王太子妃候補》の中から殿下が選ばれた婚約者ではないですか。
他ならぬ殿下が娘を是非に、と推してくださった」

「そうだったね」

「ありがとうございます、殿下。
娘の行いを酷く誤解されても。
それでも、やはり娘を諦めきれないのでしょう?
だからこの、養女のエミリアを新たな婚約者にとおっしゃった。
……この娘は、私の亡き妹の子。
姿形だけなら我が娘《エミリア》に瓜二つですものね。
おまけに妹が私の真似をしたために、名前までも同じエミリア。
我が娘《エミリア》の身代わりにするにはもってこいだと思われたのでしょう」

「ふふ。そうだね」

「でしたら!身代わりなど必要ありませんわ!
殿下には御身に相応しい本物の《エミリア》がいるでは―――」

「――それで?
私にそちらのエミリア嬢をくれるのかな?どうなのかな?」

「………………え……?」

「言わなければわからないかな。
護衛を誘った?護衛に誘われた?そんなものはどちらでもいいんだ。
《あれ》が《承知した》のが問題なんだよ。
わからない?
《あれ》がしたことの意味が。
もし《あれ》が私の妃となり子を産んだとして、私はその子を我が子だと信じきれない。
周りの者たちもだ。
王太子の子――未来の国王たる子の出自を誰もが疑うことになる。
そういう行為を《あれ》はしたんだよ。
冗談じゃない。《あんなの》を私の妃にはできないんだ」

「……そん……な……」

「どうやら。本人に聞くのが一番早そうだね」


王太子殿下は立ち上がると、主人夫妻と子息ジェイデン様の横を抜けて三人の後ろに隠れるようにしていたエミリア様の前に立った。

そしてエミリア様の手を取ると跪かれた。

「エミリア嬢。私の新たな婚約者となってもらえないだろうか」

「―――エミリア!お前はこの家の後継者ジェイデンの婚約者です!
それだけでも分不相応なのに、王太子妃なんて務まるはずが―――」

奥様が叫んだ。
だが―――

「――エミリア嬢。私の新たな婚約者になるより。
この家の皆と一緒に公開処刑になる方がいい?」

王太子殿下のその一言で
奥様は声を失くした。


「どうなの?エミリア嬢。全ては君の返答次第だよ」

にっこり微笑んだ王太子殿下を見つめて
観念したらしいエミリア様は小さく答えた。

「……婚約者のお話。謹んで受けさせていただきます」

「エミリア!!お前!!」

「――ジェベルム侯爵夫人。
本日只今を以て、エミリア嬢は王太子である私の婚約者となった。
いかに伯母であり、義母であろうと呼び捨ては無礼だろう。
黙らなければ貴女の娘《エミリア》の不敬罪と共に処分するが?」

「―――――」

はくはくと息を吐くだけになった奥様を見て、王太子殿下は満足そうに笑った。
そしてエミリア様の手を取ったまま立ち上がった。

「良かった。受けてくれてありがとう。
―――じゃあ行こうか」

「行く?」

「王宮に。《あれ》を教育したこの家に貴女を置いておけないからね。
ああ。ドレスなど身の回りの物は全て私が用意するから不要だが、どうしても持っていきたい物があれば取っておいで」

エミリア様は胸の辺りを軽く押さえて僅かに首を振った。

「……いいえ。ありません」

「そう。じゃあ行こうか」

「はい」


そう言って。
小さくお辞儀をしただけでエミリア様は王太子殿下と部屋を出て行かれた。


私は呆然と見送った。

私には理解できなかった。

ううん。

行かなければ、ご自分共々この家の全員を公開処刑にすると言われたのだ。
エミリア様が、王太子殿下に従われたことが理解できなかったわけじゃない。

そうじゃないけれど。

この家の養女となって共に暮らして
子息ジェイデン様といずれ結婚する仲だったのだ。

少しは
もう少し……何か別れの挨拶があってもいいんじゃないの?

「……エミリア様って、優しい方だと思っていたけれど。
……ちょっと冷たくない?」

思ったことが声になってしまったらしい。
隣にいた同僚のカーラさんが私を見た。

カーラさんはふう、と息を吐いて呟いた。



「そうか。……貴女は新入りだものね」


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