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999年目
30 それぞれの想い ※セバス
しおりを挟む※※※ セバス ※※※
チヒロ様には、この世界中の言語を操れる能力『全語』がある。
昨日、授業の後。
そろそろ他国の言語にも興味を持っていただこうと、さまざまな他国の言語で書かれた本を数冊お渡しし、意図を説明しようとした私の目に映ったのは――。
数冊の本を見比べ一冊を選び出すと、なんの違和感もなくその本を読みはじめたチヒロ様の姿だった。
ただ眺めているだけかと思ったが、違った。
チヒロ様は少しも戸惑うことなくページをめくっていった。
恐る恐る声をかけると、私に本に書いてある中で分からない言葉を聞いた。
私は平静を装いながら、その分からない言葉を全て書き出すように言った。
するとチヒロ様は紙にメモしていった。
この国のものではない文字を。
驚くべき光景だった。
声もなくし、私はただただ、その様子に見入った。
そのうち、思いついて。
私が操れる他国語のうちのひとつでチヒロ様に話しかけてみた。
想像した通り、チヒロ様は同じ他国語で返事を返してきた。
もう疑いようがなかった。
その日のうちにレオン様に報告し。
そして今日。レオン様に言われ、確認のためにとテオを連れて来たのだ。
―― 世界中の言語を操れる能力 ――
今はまだ良い。
少女であるうちは誰の目にも触れず《宮殿》で暮らすことを許される。
しかし成人し、表に出ることになれば―――
《『空』の愛娘》
以前、レオン様がチヒロ様のことをそう称されたがまさしくその通りだ。
『空』に深く愛されていることを確信する美しき『空の子』。
『空の子』の象徴である、この世界にはない漆黒の髪と漆黒の瞳。その容姿。
少女の今でさえ、チヒロ様の類まれな美しさは人を惹きつける。
成人後の彼女の美しさはいかほどだろうか。
国内の行事であればまだ自由がきく。
だが――例えば他国の要人がこの国を訪問された際に行われる晩餐会など。
『空の子』の出席を要求されれば我が国は招待国として、チヒロ様を出さねばならない。
その時、他国の要人は見るのだ。
この世界で唯一の漆黒の髪と瞳を持つ、類まれな美しさの女性の『空の子』を。
『全語』がなくとも頭の痛い問題だったのに。
『全語』のあるチヒロ様は息をするような自然さで、他国の言語で要人と会話ができる。
さらに彼女が世界中の言語を操ると他国が知れば………。
どの他国が望んでもおかしくない。
小国から大国まで。
他国の誰が望んでもおかしくない。
貴族でも、王子でも、国王でも。
求婚者が多く現れることは間違いないだろう。
王家にとって。
いや、この国にとってチヒロ様は欠くことのできない存在なのだ。
チヒロ様の意思もあるが、他国からの求婚など「諾」と言えるものではない。
しかし断るにしても外交は厄介だ。
――「他国が君を手に入れる方法は他にもあるということ。それも合法的にね」――
あのお言葉。当然だがレオン様もそれに気づかれている……。
ならばその厄介事を簡単に防止できる方法があることもご存知のはずだ。
先にしてしまえば良いのだ。チヒロ様を。この国の者の伴侶に―――
他国への牽制を考えるなら王族。
そしてチヒロ様との繋がり・年齢……。
全てにおいて文句なしに相応しいのはレオン様だ。
しかしことはそう単純ではない。
レオン様も、それをわかっていらっしゃる。
『空の子』様を降ろされたレオン様は、今や国民からも人気がある。
そして第二王子が臣下に降ったことで国政でもレオン様の影響力は増した。
そのレオン様が『空の子』様を妃とすれば……今以上の存在感を得る。
ただ美しいだけではない。
国民を思い、読み書きを教える《託児所》まで作ろうという『空の子』様だ。
チヒロ様を妃にした第3王子は国民の熱狂的な支持まで得るだろう。
王太子殿下側には脅威とうつりかねない。
お二人が良くとも臣下はわからない。
お二人の代は良くとも、お子様たちの代になれば亀裂が生まれるかもしれない。
王家の先だけを思うのなら。
『空の子』様を伴侶に迎えるのは王太子ご夫妻の第一王子様であっていただきたいところだが。
第一王子様は僅か二歳だ。
王家でなければ貴族だが……それは駄目だ。一貴族に強力な力を持たせてしまう。
下手をしたら王家以上の影響力を持たせてしまうかもしれないのだ。
とても認められることではない。
……唯一。
唯一、王家以外で考えられるお相手は――我が主人。
神獣ジル殿が認めたお二人ということならば。どこからの非難も受けない。
だが一貴族との婚姻では。他国への牽制はできるだろうか……。
それにもし、レオン様との間に亀裂が入ることにでもなれば―――。
レオン様。
そして我が主人。
どちらもチヒロ様にとって特別な方であるのは疑いようがないが。
お二人はどうお考えだろうか……。
少なくともレオン様は、その気はないとおっしゃった15歳のレオン様ではない。
17歳の、今のレオン様にはチヒロ様への想いがあるはずだ。
だが何も言葉にはされない。
チヒロ様を、ただ優しく見守っておられる。
チヒロ様のお心に従うおつもりなのだ。
チヒロ様がどんな未来を選んでも、それを受け入れるおつもりなのだろう。
レオン様は変わられた。
もう暗い闇を抱えたレオン様ではない。大人になられたのだ。
私は一人感慨にふけった。
目の前ではチヒロ様がレオン様に話しかけている。
私はお二人の姿を目を細めて見守ることにした。
「レオン。なんだかよくわからないけど。私は他国に行きたくない。
それは、他国が見たくないとは言わないけど。でも、私はこの国にいたい」
チヒロ様はどこか必死な様子で訴えられ、レオン様は静かに聞いている。
チヒロ様はうつむき続けた。
「一番初めにこの国にやってきたからじゃない。ここにいたいから私はいる。
……もし私が他国に望まれたとしても、断っていい?」
レオン様は優しく言う。
「ああ、もちろんいいよ。君は自由だ。したいようにしたらいい」
レオン様の言葉に、チヒロ様はようやくぱっと顔を上げて笑った。
そして言う。
「―――本当?
じゃあ、例の黒い光が見えた植物がある、国境近くの高山に行ってもいい?」
レオン様はにっこり微笑まれた。
「それは却下」
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