忘れない

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 シトゥカは酒場で噂話を耳にした。さる高貴な女性が生まれ故郷を探すためだけに探索者ギルドに依頼をした。が、何人か失敗した上に次の引き受け手はなく人を探しているらしい。
 「所詮、金持ちの道楽だよなぁ。こちとら朝から晩まで…」

 なくしてしまった生まれ故郷を探したい。その依頼にあるだろう感傷が探索者を生業とする男たちのあり方と無縁のものであるため、理解に苦しむらしい。

 シトゥカは女ながら、男たちの言いたいことが解る気がした。探索者として彼女が仕事を初めて、もう10年以上経っている。強さを求める者は感傷に浸らず、前をのみ見つめることに彼女はいつしか気づいた。

 確かに愉快な話ではないな、とシトゥカは思った。特にこの時代、人類が生存すること自体が厳しくなってしまった時代であることを念頭に置いたら、失った故郷を探すためだけに探索に掛かる大金を払うなんて馬鹿げてる。


 「その話、もっとよく聞かせて」

彼女は独りで居た隣のテーブルからスラリと立ち上がった。背が高く凛々しいシトゥカには男たちも一目置いていた。

 「なんだよ、シトゥー。お前、やるの?何でも雲を掴むような話でさ、依頼人も婆さんだっていうから場所は恐らく"境界"の向こう側だぜ」

シトゥカは、その依頼の金銭に興味がある旨を伝えて酒を奢った男からその依頼人について聞き出した。その後、ギルドを通してコンタクトを取り付けると、シトゥカは最も格式の高い部屋の一つで面会をすることになった。

その際、シトゥカは珍しく黒いスーツを用意して、もう何年も使っていない革靴まで引っ張り出した。営業部の職員からきつく言い渡されたためだ。ギルドとしてもこの依頼主に慎重になっているらしい。

 「気難しい方なのですか?」
 「いや、そういう訳でもないんだが度重なる失敗にかなり失望されてる。当然だよ。それでも依頼は続けられる意向なんだが、君ほどのアームフォースですら失敗すれば残念ながらもう依頼自体を断わらざるを得ない。これ以上、この仕事にリソースを割くわけにもいかないからね」

 予定時間5分前に現れたのは眼鏡をかけた短い白髪の老女だった。紫色の衣服を身にまとい、両耳に豪華な三日月の耳飾りをしている。不安そうで落ち着かない様子だった。神経質なタイプだろうなとシトゥカは当たりを付けた。また、恐らく月を信仰するハフレスト教徒であることも察せられる。

 「女性なんですね。そうだとは聞いてなくて」

彼女はオドオドした様子で話し出した。シトゥカは余裕を持ってハッキリと答えた。

 「はい。わたくしはブラックの冠位まで達した探索者で、これまで困難な案件も乗り越えて参りました。今回も恐らく出来るだろうと信じています」

そうして背の高いシトゥカは戦士としての風格を持った表情で老女の目を真正面に捉えた。

 彼女の話は長かった。生まれ故郷が7歳の"あの日"、壊滅したことから始まってそれからの苦労や悲しみや、そして夫と出会い事業を始めてやがて貴族の地位まで登りつめたこと。シトゥカは顔を決して崩さずそのほとんどを聞き流した。

 肝心なことはその故郷の街についてだ。
「つまりケルビム地域、羊頭半島の西側の方に目的の場所があるだろうと」

「はい…それは確かなんですけれど」

タブレットに映る地図を見ながら、老女は疲れたように微笑んだ。

「…あとこの時期になると南の方から満月が出てくるんです」

 シトゥカは沈黙した。なるほど、多くが匙を投げたのは彼女の指定した探索範囲が広すぎることだ。なぜなら、老女は長い年月で街の名前を失念してしまったらしい。そして…

「写真を取ればよろしいのですね」

「…はい」

 依頼は壊滅した故郷の写真を撮るというそれだけだった。探索自体に掛かる必要経費を考えるとその目標として明らかに足らない。恐らくこの女性の恵まれた地位と金が無ければこの依頼はギルドによって門前払いされていただろう。余りにも私的な感情が優先でその社会的意義に乏しいように思われるからだ。

 しかし、彼女の答えは既に話し合いの前からギルドとの間で決まっていた。

「わかりました。お引き受けします」


もうこれ以上、話すべきことはない。ややあっけに取られたような老女を前にシトゥカは優しく微笑んだ。





 今、シトゥカは海辺に来た。それはここ数年の仕事前の彼女のルーティーンだった。

「せめてあなたが墓を建てることを許してくれていたらね」

シトゥカは、心の中で呟いた。そして3年ほど前に死んだあの男、アーシェのことを思った。自分よりもさらに背の高い巨漢でいつも豪快に笑っていた明るく元気が良すぎる奴。長い間、仕事を共にしていた。そして短い期間、死がそれを分かつまで二人は恋人だった。

 「シトゥカ・ケナー、アームフォースの準備が完了した」

 スマートフォンから管制官のコールが聞こえる。了解、彼女はそう応答して浜辺から立ち上がった。水平線の向こうは何も見えない、澄んだ青空のみ広がっている。大きく伸びをしてシトゥカは早足で歩きだした。

 武装小型戦艦内部に入った後に、コックピットで彼女はいつもの確認した。光エンジン、放射性燃料、4本のアーム、ボディの安定性etc。

「ok, スタンバイ」

そしてアームフォースの揚力で海の向こうへと飛び出した。





 大陸に着いてから5日ほど経った。"境界"を越えた辺りで案の定、遭遇する怪物たちの頻度と攻撃は苛烈さを増した。シトゥカはやや油断したせいか、優秀な学習をしているドローンを2体も失った。ここから先はベテランの探索者にとっても鬼門だ。


「警告、北北西5km先に集団あり」

彼女はやむを得ず方向を変えて逃げ切ることにした。

緑の草原を幾つも迂回を重ねながら、道中の基地で休息を取ってやや長く4週間かけて羊頭半島の入り口の基地にたどり着いた。半島といってもいびつな大きさでかなり南西に長い。彼女はこれからの探索で長期戦を覚悟していた。

「行くのかい」

基地で再会したヨーデルは心配そうだった。

「あっちは最近、荒れているんだ。私が思うに時期が悪い」

シトゥカが新米の頃から老齢の彼は今でもちっとも変わらない若々しさだ。流石に年相応の老いた雰囲気もあるが、朗らかで常に頼れる人だった。

「大丈夫だよ、ヨーデル。食料と燃料は依頼の関係で余裕があるし、それに何よりあたしのアームフォースだぞ」

ヨーデルは少し黙ってから静かに笑った。

「なら行って来なさい。そして必ず帰ってくるように」

彼は祈りの言葉を唱えてから十字を切ってシトゥカの無事を祈った。





 もはや無人でありながら、代わりに緑が生い茂った無人都市はいつだってシトゥカの胸をときめかせた。都市には人のざわめきを忘れ去った美しい静寂が満ちている。もうここに来るまでに何度もこうした場所を通りすぎたにも関わらず彼女にはこの都市が二度とないくらい美しく思えた。


 だが、建物の影から現れる狼型の怪物ジャオは陰険でしつこかった。彼女のアームフォースの堅さとその攻撃にかなわないと見るや、すぐさまゲリラ戦を展開した。高く飛び掛かってアタックするとすぐに離脱して建物の影に隠れる。そうしてしつこく機体の消耗を狙う。

 機体のアームがそれなりに被害を受けた。シトゥカの機体は高性能な光エンジンを搭載しているのでそれほど問題にならないが、もしアームが壊れたら今回の任務が制限されるし、もちろん彼女自身それなりの経済的被害を被る。


「ジャオは本当にやり口が鬱陶しい」


 怪物はあの歴史的事件で変化(へんげ)する前は、元を辿れば皆、人間だ。

 だから、今や完全に人外とは言え、その知性にも人間臭い要素があっても不思議ではないのかもしれない。やや低空を移動しながら、そんなことを彼女は思った。

 候補地はほぼ無数にあった。しかし、彼女は幸運にもジャオの進化個体に出会うこともなく、20以上のドローンを展開しながら辺りを巡ることが出来た。



 老女によれば故郷のあった街には、海が近くになく、巨大なハフレスト教の聖堂があったという。

「それだけじゃ、わからない...」

彼女は夜、コックピットで眠る際に独り呟いた。

 そもそもなぜこの依頼を受けたのだろう。彼女自身にもそれが完全にはわかっていなかった。

難しい挑戦に挑むならより意義のある仕事が良いし、老女に同情したならシトゥカはプロの探索者として失格だ。

 しかし、この仕事の話を聞いたときそのどこか浮世離れした内容が心の琴線のどこかに触れたのだろう。悲しくて寂しそうな老女の顔。シトゥカは正直に言えば、その愚かさに腹が立っていたことも思い出した。

 老後は寂しいのかもしれないけれど、だからってあなたの代わりに幼い頃に失った故郷の写真を撮るためだけにどれだけ多くの苦労が必要か知っているの?私たちが命を賭けて海の向こう側で何をしているのか気づいているの?

 探索者が怪物を間引きすることで私たちの生活圏が守られているんじゃない。あなたには自分の事情しか目に入っていない。この依頼のために使ったリソースでもっと人類の役に立つことが出来たはずじゃない。

 しかし老女は"貴族"でシトゥカはただの人だった。





 それは次の日の朝だった。
「これ…なの?」

一体のドローンが巨大な人工建築物の映像を送ってきたのだ。月の紋様が付いている。

「調べて」

やがて2時間ほどして古都市マグワイアに巨大なハフレストの聖堂があることを彼女は確信した。

「どう思う?」

「依頼者ドランナ・マルスバーグの街である確率は73%。これほど巨大な規模の建築物は当時の技術では容易には建設できない。聖堂の写真も確保し、すでにアーカイブスに記録した。基地に帰投することを推奨する」

AIロジャーは何の感慨もなく冷徹な答えを発した。

「そうね」

シトゥカは無事、2週間ほどで依頼を切り上げることが出来た。彼女はコックピットの中でこの偶然に感謝した。シトゥカはまず基地に戻り、本部に連絡することに決めた。






「警告。10km先、進化個体あり」

 それから4日ほどして基地の近くまで来たところでロジャーが警告した。

「進化個体?」

「Nウイルスの強毒化を確認。EH変異個体確率90%」

基地が近いし、他の探索者に被害者が出る恐れもあるが変異個体に単独で手を出すことは避けねばならない。

「了解、このまま戻りましょう」

より急いで帰ることに決めて、それからわずか数分後だった。

「警告。探知された模様。距離南東2km。時速100km以上で接近中。あとわずかで…」

その瞬間、強烈な振動が彼女を襲った。
球体内部が回転し、席に座っている彼女に激しい負荷が掛かる。

「音速に近い!逃げるわよ、飛んで」

光エンジンが作動して重力を曲げる。そしてアームフォースは一気に遥か空高く浮き上がった。

咆哮と共に火炎が傍を通り過ぎる。シトゥカは空中でジグザグに走行して的を絞らせなかった。それはもうずっと彼女がやってきたことだ。そして一緒に仕事をしていたアーシェに長らく教わった運用でもある。



「戦いましょう」

「非推奨。このままならば逃げ切れる」

「いえ、逆に逃げることこそ危険だと思うの」


「…了解、戦闘準備」

 彼女は神経を研ぎ澄ましていく。特殊水晶体のコックピットからは360度が見える。

 怪物は奇襲が失敗したために既に身を隠した。シトゥカは大地にあるビル群をはっきりと睨みつけながら呟いた。

「集中」


 いつものように恋人のアーシェに以前、言われた言葉を思い出す。

目の沈黙、耳の沈黙、言葉の沈黙、心の沈黙そして精神の沈黙だと。

次第に世界の中にシトゥカが没入していく。


今ここには彼女とそして世界しかいなかった。シトゥカはある種の瞑想状態に入っていた。


「凄ぇなぁ、全然叶わねぇや」


 アームフォースの模擬戦でシトゥカが完勝したときに見せたアーシェの屈託のない笑顔がふと脳裏に浮かんだ。


 アーシェ。私が何度頼んでも、俺は偶像が映った写真は残せないなんて言って、私との写真を遺してくれなかったわね。その教えをあなたがいなくなって何度恨んだか私にはわからない。

 けれどあなたはまだ生きているわね、生きている。私の傍で。海にあなたの骨を撒いたとき、もうこれで終わりなんだと一生分泣いたけれど、こうしてピンチになればあなたはいつも私の前に出てくるから。

 あなたの写真、ここにあるのね。アーシェ。



何かが視界の隅で動いた。

彼女の認識に反応して一撃で光弾が飛ぶ。獣の巨大な悲鳴が辺りに響いた。

「誰に手を出したか分からせてやるわ。光は我々にある。やるわよ、ロジャー!」

「了解である、シトゥー」


30分後、彼らは一匹の獣を仕留めた。

「おめでとう」

戦闘終了後すぐに通信が入った。先日、無事を祈ってくれていたヨーデルだ。途中から見ていたらしい。

「実に見事なものだ。気づけばもう一人前の戦士さ。あの泣き虫な娘さんが...時が移れば何もかも変わるものだ」

「バカ言わないでよ、ヨーデル。あたしはいつもこうだったでしょ」

「いや、それは違う」


ヨーデルは昔のまだ10代の青さがあった頃の彼女を知っているのだ。

 基地で連絡を終えて、写真が確かに故郷の写真であることをシトゥカは確かめた。海を渡ってギルドに戻ると、ドランナ夫人が直接お礼を言いたいと申し出たらしいことを彼女は告げられた。だが、シトゥカは丁重に断った。

大仕事の後はゆっくりと休息し、今日の無事を感謝すること。昼寝の一時を愛すること。それこそが彼女のやり方だったから。

だが、ドランナ夫人がシトゥカにコールしてきたため二人は短く言葉を交わした。


「ありがとうございました。本当に...」

「いえ、これが仕事ですから」

シトゥカはそっけなく答えた。

「あなたにとっては余り気乗りしない仕事だったでしょうが...」


ドランナ夫人は申し訳なさそうな顔をした。

「ですが、私にとってはこの上なく大切なことだったのです。この聖堂の写真を孫に渡すということが」

思わずシトゥカはじっと彼女を見つめた。

「もう見つかるとは思っていませんでした。でも聖堂は...形もこんなに残っています。この場所に恐らく私の大切な家族も眠っていますから。本当にごめんなさいと何度思ったか...」

老女は画面の奥で静かに泣いていた。

シトゥカはかなり恥ずかしさを感じた。アーシェが言っていたじゃないか。どんな仕事にも決して気を抜くなと。それは自分の命を守るという意味だけじゃなかった。何を勘違いしていたのだろうか。


ドランナ夫人が高位の貴族であることばかりに目が入り、彼女の気持ちをシトゥカはまるで聴いていなかった。それは明らかだった。

シトゥカは静かに言葉を切り出した。

「...どんな仕事でも神様にとってその大きさに違いはないと聞いたことがあります。むしろ慎ましい仕事ほど偉大なことだと見てくれると。私の恋人が以前言っていたことですけれど」


「これまではちょっとした教訓としか思っていませんでしたが、確かにその通りです。私の失礼な態度に気を悪くされていたでしょうか。だとしたら本当にごめんなさい」

シトゥカは明確に謝罪した。はっきり謝ることこそが必要であると感じたからだ。



 勝気な自分とは違って、アーシェは時にはこのようにしっかりと謝ってくれていた。彼は常に自分欠けている何かを埋めていた。今回だって彼がもっと傍に居てくれていたら、その存在をもっと強く感じていたらこんな過ちは起こさなかっただろう。


 忙しさにかまけて忘れていた。生きていく上で大切なものが何であるかを。必ずしも効率や意義を求めることが全てではない。でも彼女にはアーシェのような強い信仰を持つことが難しいことは相変わらず変わらなかったが。



 今、シトゥカはベッドの上でぐっすりと眠りについている。そして愛する人を夢と沈黙と静寂の中で確かに想っている。

 彼女は、祈っている。再び彼と会える日が来ると。死は何かを引き裂くものでは決してないというアーシェの言葉を彼女は誰にも言わず密かに信じていた。
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