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第ニ章

魔法学院の王子様とヒロイン候補(1)

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 カロンがユートピアの魔王城の地下にある巨大魔法陣に現れてから、三年の時が経ち、ゼノンとカロンは十三才になっていた。
 数日後に魔法学院中等部に、ゼノンと共に入学する事になっているカロンは部屋に届いた大きな箱をいそいそと開け始めた。
「ルビィ。制服、おかしくないですか?」
 大きな鏡の前で、届いたばかりの、白黒の特徴的な大きなセーラー襟と折り返した袖に金のラインが入った上着と、ウエストの後ろで結んだ大きなリボンが可愛らしい膝下丈のプリーツスカートに身を包んだカロンはルビィに訊ねた。
「カロン様。制服、似合ってる。大丈夫」
 少し曲がった胸元の黄色いリボンタイを手際よく直し、ふわりと微笑む、私服のチェック柄のワンピース姿のルビィは、十九才になり、魔法学院の高等部を首席で卒業し、新学期から母校であり、ゼノンとカロンが入学する予定の魔法学院中等部の新米教師として働く事が決まっている。
「ルビィ。入学したら、ルビィは先生になるのですから、わたしに"様"は付けないでください。わたしが、おとうさまに叱られてしまいます」
「ああ、そうだった……」
 おっとりした口調でそう言って、口元に手を当て、しまったという顔で目を見開いたルビィは、魔王であるジュンに、カロンには家族のように接して欲しいと言われてから、なるべく近しい者である友人のガーネットたちと同じように自然体で話すようにしていたが、奴隷商人たちから解放されて、魔王の保護下で魔法学院に通わせてもらいながら、侍女として働いて給料をもらっていた為、ルビィにはカロンは雇い主の大事な娘という認識があり、敬意を払い"様"をつけて呼んでいた日頃の習慣からか、なかなか呼び方を改められないでいた。
 ぷるんとペールブルーの塊が、ベッドの上から跳ねて、まるでルビィを慰めるかのように、ルビィの頭の上に飛び乗った。
「スライムくん。ありがとう」
 ルビィがスライムの半透明の身体を撫でると、スライムはプルプルと揺れた。
「それにしても、スライムって不思議です。わたしたちの言葉や気持ちが分かるみたいなのに、この世界にはいなかった謎の魔獣で、おとうさまが研究しているのに、おとうさまからはいつも逃げてばかりいるのです。なんででしょうか?」
 ルビィの頭の上に飛び乗ったスライムに指を伸ばし、下りてきたスライムを両腕でキャッチしながら、カロンはルビィに訊ねた。
「魔王様は、スライムくんに嫌われてる」
 ルビィは即答した。
 研究と称して丸一日、スライムの生態を知るために追いかけ回していれば、それは嫌われてしまうのも当然だった。
「でも、魔王様はスライムくんに感謝してる」
 ルビィはそう言って、つんとスライムの身体を突いた。
「うん。わたしもスライムくんには感謝してる。スライムくんのおかげでわたしは魔法学院に入学できるんだもん!」
 カロンは腕の中のスライムをぎゅっと抱き締めた。
 三年前のユートピアとエーデンハルトとの平和条約十周年記念晩餐会をお披露目の場として、その存在を公表されたカロンは、魔力なしだと魔王であるジュンに断言されてしまった。
 魔族であれば、何も影響のない、微量の誘惑フェロモンにすら耐性がなく、苦しんでいたカロンだったが、ゼノンと共に狙われ、火球を放たれた時、ドレスの真珠に擬態していたスライムが弾けて、霧になり、その霧が火球を消した。
 ジュンの研究の結果。スライムには水系の魔法を操る能力があり、スライムは、魔王城の地下の巨大召喚陣にカロンが召喚された時に一緒に召喚された魔獣だった。
 ジュンはカロンに、「スライムは僕の眼鏡のように、カロンに与えられ魔法アイテムだよ」と言って喜んで教えてくた。
 義兄ゼノンが、貴族の集まる場で、アカイン本家の次男アレクサンドルに挑発されても相手にしない事を、「妹が魔力なしなら、お前も弱いんじゃないか」と馬鹿にされ、いつもゼノンに守られてばかりのカロンは悔しい思いをしてきた。
(ゼノンおにいさまは誰よりも努力家で、口ばっかりのアレクと違って強いのです!)
 そう心の中で何度も叫ぶ場面があった。
 同じ年頃の為、貴族の集まりではアレクとエリザと一緒にいる場合がよくあり、カロンは上から目線で話す二人と出来ればあまり一緒にいたくなかった。
 見た目だけ尊い魔族の、偽物の自分が、ゼノンの重荷にはなりたくなかった。
 召喚魔法については修行中でスライムの力を借りる事にはなるが、魔獣召喚士見習いとして、ユートピアの魔法使いのひとりとして、ゼノンの義妹として魔法学院に通える事をカロンは誇りに思った。
「ルビィ。わたし、おとうさまとおにいさまに制服姿を見せに行ってきます!」
 カロンはスライムを抱きしめたまま部屋を飛び出し、同じ階にある魔王ジュン・クロウドの執務室の扉をノックし、「はい、どうぞ」と少し元気のないジュンの返事の声がすると、カロンは勢いよく扉を開けた。
「おとうさま! 制服、届きました! どうですか?」
 部屋の中で、全身が見えるように、カロンがくるりとスカートを揺らしながら回転するその姿を目に焼き付けると、ジュンは元気を取り戻し、テンションが上がった。
「ああ、カロン。制服、よく似合っているよ!」
 ジュンは、机に乗り切らす床まで置かれた大量の書類の山から顔を乗り出し、この地獄に現れた天使のような愛娘カロンのその姿に、心を癒され、目を細めた。
「さすが、我が親友! 何を着ても似合いますな! 記録はばっちりですぞ!」
 片手に大きなレンズのカメラを構え、羽根の付いた白いシルハットから、ちらりと覗く、亜麻色の前髪と綺麗に八の字を描く口髭を貯えた美形の金眼の紳士カイロスは、そう言って、親指を立て、カロンを色んなアングルから撮影し始めた。
「あはは……」
 カロンは苦笑いするしかない。
 カイロスは、去年、ゼノンとカロンの十三才の誕生日祝いの日に、忙しい中、ジュンが、魔法学院へ入学できる年齢になったカロンに、初めて召喚魔法を教えて使った際、オルト山脈に生息する魔犬オルトロスを召喚するはずが、白い円卓と椅子で一人お茶をする彼が魔王城の地下の巨大魔法陣の間に召喚されてしまった。
 カイロスは自称神の子と名乗り、カロンの事を親友と呼び、召喚された喜びを泣き叫びながら話したが、彼の話には虚言が多く感じられ、彼はカロンより年上の男性で、カロンにはカイロスを召喚した魔法陣にカロン自身が召喚される前の記憶を殆ど失っていた為、ジュンがカイロスを不審者扱いし、魔法騎士たちに一度捕らえられたが、その後、釈放され、ジュンの秘書官として迎え入れられた。
 カイロスが指をパチンと鳴らすと、書類だらけの執務室の空間に、突如、白い円卓と椅子が出現する。
「せっかく私の親友が遊びに来てくれましたから、父親の仕事を早く終わらせて欲しいという親友の頼みを叶える為に私も助力してはいますが、さすがに現実時間で百二十時間分の仕事を今日一日で熟すのには無理がありますから、お茶にして休憩いたしましょう! ペリ殿!」
 カイロスが、ペリの名を呼ぶと、直ぐに美味しそうな菓子とティーセットを乗せたキャスター付きのワゴンを共ないペリが現れた。
「本日は、カボチャのタルトと魔王様がご所望されたミツイモのヨウカンでございます」
「タルト!」
 カロンは、目の前で切り分けられるタルトを目にし、瞳を輝かせる。
「ペリ。僕にはヨウカンと濃いめのコーヒーをブラックで」
 ジュンがそう言うとペリは手際よく黒い液体をカップに注ぎ、細長い黄色いミツイモのヨウカンを切って皿に並べ、フォークを添えてジュンのいる側の白い円卓の上に並べた。
 ジュンは執務用の椅子から這い出て、円卓の椅子に座ると、一口、ヨウカンを口に入れて咀嚼すると、コーヒーを一気に流し込んだ。
「はぁ、生き返った……」
 そのままジュンは円卓の上に突っ伏する。
「おとうさま。お仕事、大変ですか?」
 カロンは、カボチャのタルトを突きながら、ジュンを心配そうに見つめ、訊ねた。
「大丈夫ですぞ、我が親友。彼には私がついていますからな」
 そう言って、カイロスは、ティーカップソーサーを片手に、履いている白い革靴に生えた白い鳥のような翼を優雅に羽ばたかせて、ふわふわと宙に浮いている。
「ああ、今の時期は……魔法学院に新学期やら、……ひと月後のエーデンハルトとの平和条約記念の事で、特別、忙しいだけだから、……死にそうだけど、彼のおかげで例年の何倍も仕事は片付いている、よ?」
 ジュンはそう言ったけれど、カロンが室内を見渡してみても、執務室内はいつも通り、書類の山で溢れていて、とても仕事が片付いているようには見えなかった。
「我が親友よ。これでも本当に片付いているほうなのでずぞ。私が、神の御技で、彼が通常の五倍の仕事量が熟るように、彼の一日の時間を現実時間で百二十時間に設定して差し上げているのでございます」
 八の字の口髭を指で触りながら、カイロスは誇らしげに、そう話し、手にしていたティーカップの中身の香りを嗅いでから、口に含んでそれを味わった。
「え、…… 一日って二十四時間ではないのですか?」
 カロンは、ペリから、一日は二十四時間だと教わっていたが、カイロスは手にしていたティーカップを反対の手の中にあるソーサーの上に置き、その人差し指を立てて、それを左右に振り、話を続けた。
「ノン! ノン! それはこの世界の者達が勝手に決めた事ですぞ。時刻神である私、カイロスには、個人の時間経過を遅らせたり、早めたりする事など造作もありません!」
「……カロン。君の自称親友はこの世界にいなくなったと思っていた本物の神様。神族だよ」
 ジュンが補足するように、カロンにそう告げたが、カロンは宙を舞っているカイロスに訝しげな視線を向けた。
 カロンにとって、カイロスは、自分を親友と呼ぶ魔将貴族たちより派手な羽根の付いた白い帽子と燕尾服を着た不審者だ。
 ジュンが、カイロスは神様だと言っているのだから間違いないだろうが、証拠がない。
「カイロスは本物の神様なの?」
 カロンがそう訊ねると、カイロスはひとつ咳払いをしてから話し出した。
「おほん。今は親友である貴女の願いを叶える為に、父親である彼に対して祝福をしておりますが、貴女がこの地に召喚されてから、私は貴女に夢の中で何度も本を呼んで差し上げたでしょう?」
「あ!」
 カロンは、この魔王城に来てから、主にペリに言葉を教えてもらっていたはずだった。
 白い手が捲る絵本もよく読んでもらったり、白い手に手渡された本を自分で読んだり、途中で眠ってしまう事もあったけれど、目覚めるとペリはカロンの事を、「覚えがいいですわね」と言って、褒めてくれたが、カロンは、その日、ペリに読んでもらっていた絵本の内容を覚えただけのつもりでいたが、ペリの手は白ではなく、褐色だ。
 数時間のつもりでいたが、その時は時間の感覚はなく、何十冊と読んだ本の山が出来ていたと思う。
 現実のつもりでいたが、あれは夢で、その中でカロンに本を読んでくれたり、おすすめの本を手渡してくれた白い手はカイロスのものだったのだ。
 魔王城に現れたばかりのカロンは言葉も辿々しく、まるでこの世界に生まれたばかりの赤児のようだったが、その成長に周囲の者たちは驚いたのだ。
 それは、夢を通して、カイロスがカロンに、通常の時間では学べない量のこの世界の知識を教えていたからだった。
「わたしはカイロスの事を何も知らないのに、どうしてそんな事を?」
「我が親友よ。何もなかった私に、喜びを教えてくれた親友への、私からのただの恩返しです。だから、貴女は何も知らなくていいのです。私が、この地に召喚された日、私の事はこれから知っていただければいいと申したでしょう?」
 カイロスは床に降り立ち、椅子に座ったカロンと視線が合う高さに屈み、そう答えた。
 恩返しと言われても、カロンは思い当たる事はなく、カイロスに対して複雑な思いを抱いた。
("変な貴族"だと思ってしまって、ごめんなさい……)
 カイロスへの第一印象は"変な貴族"だった。
 ジュンが言うには、貴族は変わり者の集まりらしいが、失礼かもしれないが、カロンの目から見て、カイロスは見た目から変だった。
 そして、カロンを親友と呼び、おかしな発言の数々を繰り返し、その場にいたジュンやゼノン、護衛をしていた魔法騎士たちは全員カイロスを不審者扱いし、カイロスに真っ先に剣を向けたのは、ゼノンだった。
 手にしていたティーカップソーサーを白い円卓の上に置き、カイロスは徐に、懐中時計を取り出し、時刻を確認してから告げた。
「我が親友よ。急がないとすれ違ってしまいますぞ。兄君のいる場所へ行かなくてはならないのでは?」
「ああ、そうでした! おとうさま、カイロス。それにペリ、お仕事がんばってください!」
 カロンは足早に執務室を去り、ゼノンが剣術の練習をしている魔法騎士団の練習場を目指す。
「そういえば、今日はエマくんが、ゼノンの指導をしてくれているんだったな」
 好物のタルトを食べ残し、部屋から立ち去る愛娘の後ろ姿を見送りながら、ジュンは、そう独り言ちた。
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