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しおりを挟むあれ以来佐藤はとても過保護になった。朝の通勤だけでなく、加藤が仕事で遅くなる日は必ず待って一緒に帰宅した。引ったくりにあった件は話しても心配を掛けるだけだからと周囲には秘密にすることにした。
「佐藤くんもう本当に大丈夫だよ? 待っててもらうのも悪いし」
「待つのは苦にならないし気にしないで。俺が好きでやってるんだから」
遅くなった日に言ってみたが、そう返されると断るのも悪い気がしてそのままの日々が続いた。橘先輩とご飯に行く回数はぐっと減ったが、その場合は駅から佐藤と電話で話しながら自宅まで歩いた。そんな日々に慣れる頃には彼との時間を楽しみにしている自分がいた。
「佐藤くんさぁ、最近ずっと加藤くんと一緒じゃない?」
定時後加藤を待つために一人社内で書類を整理していると、戻ってきた本宮先輩が話し掛けてきた。
「そうですか?」
「朝も一緒に出勤してるし、夜も一緒にいるの見掛けるって噂よ?」
なんだその噂とは思ったが口には出さずわからない風を装い笑顔を作る。自分は周囲に公言したいが加藤は違う。下世話な視線に煩わされるのは彼にとっては辛いだろう。何か言われて今の関係が終わってしまうのは絶対に阻止しなければならない。
「通勤時間が一緒だから俺が声掛けてるだけですよ」
「ふーん。初恋ちゃんとはあれから何か進展はあったの?」
「いえ、特には」
「佐藤くんに靡かない人なんているのねぇ」
机に凭れ掛かり華美にならない程度に飾られたネイルを見ながら本宮先輩は言った。
「俺なんか全然大したことないですよ」
「佐藤くんなら選り取り見取りなのに、どうしてその人にご執心なのかしら」
この前の飲み会と同じ流れだと佐藤は苦笑する。悪い人ではないのはわかっているが、自分の正しさを信じて疑わない善良な彼女は正直苦手だった。
「さぁ…。俺にとっては神様みたいな人ですから」
「神様?」
「えぇ、神様」
そう言ってにこりと笑うと、彼女は少し引き攣った笑顔になった。
「…まぁ、佐藤くんを合コン呼んでくれってみんなに頼まれてるから、気が変わったらいつでも声掛けて」
「ありがとうございます」
纏めた髪を解き、じゃあ私は戦場に行ってくるわと彼女は帰って行った。
「加藤くん、あの、お願いがあるんだけど」
ある日の帰り道、佐藤が言った。
「どうしたの?」
緊張した様子で彼は手を差し出す。
「手を、繋いでもいい?」
「えっ、で、でも人が…」
加藤が周りをちらちらと見ると佐藤はそうだよね、としょんぼりした。余りの消沈ぶりに加藤は自分がとても悪いことをしたように思えて狼狽える。
「あ、あのもうちょっと人がいないときだったら…」
そう言い進み出す。とぼとぼと歩く佐藤はさながら叱られた小さな子供のようだ。可愛いと思い加藤はくすりと笑った。住宅街に入ると人はおらず、加藤は思い切って彼の手を取った。
「今だったら、人もいないから…」
赤くなった顔を隠すように横を向いて呟く。佐藤は涙目でありがとうと握った手に力を込めた。
「ずっと夢だったんだ。大切な人とこうして歩くの」
あと数分だけだというのに、佐藤はしみじみ言った。
「すごくどきどきしてる」
意識するとこちらまでなんだかどきどきしてきた。恥ずかしさと少し嬉しい気持ちで胸がこそばゆい。そこで漸く、佐藤のことが好きなんだと気が付いた。
「じゃあ、またね。おやすみ」
アパートの前で少し名残惜しそうに佐藤は手を離した。彼の後姿を見送り、加藤は触れていた手をぎゅっと握った。
佐藤は自宅に戻るとそのままベッドへダイブした。幸せ過ぎて死んでしまうかもしれないと思った。子供の頃から憧れてずっと恋焦がれてきた相手とお試しとはいえ付き合って、少しとはいえ手を繋いで歩いたのだ。
「夢を見ているのかもしれない」
ベッド横に置いてある最近撮った加藤の写真を眺める。先日の引ったくりのことがあってから随分彼の態度が変わった気がする。
彼を傷付ける奴は誰であろうと許さない。だがあのことがなければ彼もここまで距離を詰めてくれなかっただろうと思うと少しだけあの男に感謝したのも事実だった。加藤が止めなければ殺してもいいと思った相手なのに我ながら頭がおかしいと自嘲する。
「君のことがそれだけ好きなんだよ」
写真に話し掛けた。
「加藤くんが俺のことを好きって言ってくれたら、もう死んでもいいかも」
写真の中の彼にキスをしておやすみ僕の神様と呟くとそのまま眠りについた。
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