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第1怪「口裂け女」

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その日の私は仕事を終え、辛い腰痛とブルーライトにやられたしわっしわの眼球に苦痛を覚えていた。

「きつい・・・。」

思わず、心の声が口から漏れた。時刻は深夜2時。家から仕事場が近い。そんな理由で職を決めてしまったのが運の尽きである。
上司から「え?家近いの?なら、遅くまで働けるね♪期待しているよ!」
最初は冗談だと思った。とてもユニークな上司だ。ブラック企業と言う単語が忌み嫌われる昨今において、七福神の様な笑顔で、そんな言葉を口にするなんて。
おそらく、この人は夢と希望に満ち溢れながらも新社会人という責任をもつ若人達の緊張をほぐし、これから始まるであろう山あり谷ありの人生に助言を与えてくれる、そんな方なのだろうと。



与えられたのは死刑宣告だった。


彼の笑顔は七福神ではなく、地獄に落ちてくる亡者の姿を嘲笑う閻魔だったのである。
入社してから早3ヶ月。試用期間とは試すものではなく、どれくらい使えるのかを見定める使用期間だったのである。そして、今日、私は晴れて就職し、初めての残業記録更新となった。
こんな疲れきった私を慰めてくれるのは空に散りばめられた無数の星と家で私の帰りを暖かく迎えてくれる敷布団くらいだ。
私は疲弊しきった身体を休める為に1歩でも早く足を自宅へと進めた。

そんな矢先の事だ。

帰路の途中、ロングコートを身にまとい、マスクを着けた長い髪の女性が切れ切れの街灯の下でポツンと立ち、こちらをじっと見つめていた。
狐のように細い目のせいか、とても目つきが悪い。第一印象としては最悪である。

知り合いだっただろうか?

何か目的を持ったその目は私から逸れることはない。とりあえず、会釈だけして横を通り過ぎようとした。その時である。猫のように高い声で彼女はポツリと聞いてきた。


「あたし、キレイ?」


・・・いや、まさか、令和の時代に居るわけない。
だって、令和だぞ?
巷では皆、かじったリンゴがシンボルマークの時計を誰しもが身につけて、音楽を聞いている時代だ。誰もウォークマンを買うために並んでなんていない、そんな時代だ。


「あたし、キレイ?」


彼女は思わず立ち止まった私に再度尋ねてきた。恐怖のあまり、私は声が出ない。なぜなら、私はこの手の物がとても苦手だからだ。
子供の頃に姉から、半ば無理矢理聞かされた怪談や、都市伝説大好きな友人に延々と語られた物が私は苦手でたまらない。
夏にやっているホラー特番は本当に勘弁して欲しいくらい苦手だ。
そんな、私だが、しかし、いまは彼女の質問に答えないといけない。なぜなら、彼女は・・・


「口裂け女」だからだ。


口裂け女とは口元を完全に隠すほどのマスクをした若い女性が、学校帰りの子供に「わたし、キレイ?」と訊ねてくる。「きれい」と答えると、「……これでも……?」と言いながらマスクを外す。するとその口は耳元まで大きく裂けていた、というもの。「きれいじゃない」等と答えると包丁や鋏で斬り殺される。

つまり、「キレイ。」と答えないと私は殺されてしまう。それだけは御免こうむる。私はまだやりたい事がある。こんなブラック企業に務めて終了では死んでも死にきれないものだ。
私は自分の不遇を呪いながら震えた声で答えた。


「かかかかき、き、きれ、きれぃでひゅ・・・。」


情けない声だと笑いたければ笑え。生きるためなら笑われ者にだってなってやる。だから、見逃してください。


「これでも・・・?」


口裂け女である彼女はマスクに手をかけた。これから私は人生においてトップに入るであろうトラウマ級の口が耳まで裂けている映像を見せられ、そして、毎晩、夢に出てきては最悪の目覚めを迎えるのだろう。
覚悟はできた。さぁ、見せてみるがいい。君の素顔(トラウマ画像)を。


「あの・・・」

「・・・ひゃぇ?」

素っ頓狂な声が私の口から漏れた。

「見えました?」

「え・・・?な、何がでしょうか?」

「あたしの口。」

「え・・・?」

「だから、あたしの口です。」

彼女はマスクに手をかけてはいるが、チラっと頬の部分を見せている。
何か傷のような物が見えているが、あれが口なのだろうか?

「見えました?」

「えっと・・・多分、それらしいものは。」

私の答えに彼女は安堵したのか、ほっと息をついたかのようだった。

「驚かれましたよね?」

「えっと・・・。」

「見えたんですよね?あたしの口が。」

「は、はい。」

「それじゃあ、いまから貴方を全力で追いかけますので、走る準備を・・・」

急展開すぎる。

「いや、ちょっ!ちょっと待ってください!」

クラウチングスタートの姿勢をとろうとしていた彼女を私は思わず止めに入った。

「なんですか?これが口裂け女の風習なんですよ?」

「いや、そうではなくてですね。」

それは私にも解る。私はこの後、100m6秒台で走る彼女とチェイスしなければならない。そして、ポマードと頭の中で唱える事も知っている。

「その・・・マスクは取らないんですか・・・?」

私の率直な疑問を彼女に問いかけてみた。
すると、彼女ら私の問いに対しどこか不安げな表情を浮かべ答えてくれた。

「最近、感染症が流行ってるので。」

・・・ん?

「あたしも本当なら見せたいんですけど、上から今のご時世は厳しいからって言われてるので。」

「・・・なるほど?」

「あ、念の為、検温いいですか?」

「・・・はい。」

彼女は持っていたポシェットから体温計を取り出し、私の額から検温し始めた。

「36度8分か。喉痛かったりとかはないですか?」

「あ、大丈夫です。」

「あ、こちらもお願いします。」

消毒液・・・。

私はしっかりと手を除菌した。

「それでは、いまから追いかけますが5m程の感覚を空けて追いかけますのでご安心ください。あと、お疲れのようですので早めに「ポマード」と唱えてもらっても構いませんので。」

なんだ、この事務的かつ愛護的なシチュエーションは。口裂け女ってこうなのか?これが令和の口裂け女なのか?

私は何故か彼女がとても身近に感じてしまい、ふと気になった事を聴いてみた。

「あの、これだけ感染対策を徹底されていますが、もし私が貴女をキレイじゃないと答えたらどうなるのですか?たしか、鋏とかを使って殺害すると聞いたのですが・・・」

「あ、そこは大丈夫ですよ。」

彼女はマスク越しでも解る笑顔を私に向け、ポシェットから何かを取り出した。


サプレッサー付きのハンドガン。


「これで殺らせていただきますので。」

彼女はにこやかなままこちらに笑みを浮かべている。

私はあえて何も言わず、彼女が提示した条件で数m走った後、ポマードと唱えさせてもらった。

背後を見ると距離をとって走っていた彼女の姿は煙のように消えていた。

私は今日起きた体験を後世に残すために彼女に対する注意点を書き記しておくことにした。



「口裂け女」
・最近の口裂け女は感染対策に気をつけながら活動している。
・やはり、ポマードという単語は有効らしい。
・「キレイじゃない」と絶対言わないこと。あの目は必ず遂行する目だった。



第1怪「口裂け女」(とソーシャルディスタンス)
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