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しおりを挟む娼館の外では、中にいた倍以上の騎士団員が建物の周囲を取り囲んでいた。
ようやくはっきりとしてきた頭で、これがどれほど大きな騒ぎなのかを実感する。
ユリアンはツェツィーリエを抱いたまま、騎士団の紋章が彫られた黒塗りの馬車に無言で乗り込んだ。おそらく御者とは既に行先について伝えてあるのだろう。彼は、元々すべてが終わったら真っ先にツェツィーリエと話をするつもりだったのだ。
膝の上に抱きかかえられ、たくましい腕がツェツィーリエの背を支える。なぜだかほっとして、悲しくもないのに涙が溢れた。それに気づいたのか、ツェツィーリエを抱く腕に力がこもった。ユリアンの身体から伝わって来る熱に、いけないと思いつつも瞼は重くなり、いつの間にかツェツィーリエは意識を手放していた。
*
重たい頭が少しだけ宙に浮き、唇に柔らかいものが触れると同時にコクリ、と喉が鳴った。
冷たくてほんのり甘い液体が、ぼやけた頭を少しずつ透明に変えていく。
「……もう少し……」
あと少しだけ飲みたいと手を伸ばすと、もう一度柔らかなものが唇に落ちてきた。口の端からこぼれ出た滴が筋を作り、それを頬に添えられた大きな手の親指の腹が優しく拭ってくれた。ツェツィーリエはこの手をよく知っている。剣を使う者特有の、ごつごつとした手のひら。
「……旦那様……?」
しっかりと瞼を開くと、そこには心配そうな顔をしてツェツィーリエを覗き込むユリアンがいた。
ツェツィーリエは見慣れた寝台でユリアンの膝の上に抱かれていた。どうやら馬車で気を失っているうちに公爵邸へ着いていたようだ。着ていたドレスはいつの間にか着替えさせられている。
「気分は?まだ頭がはっきりしない?」
そういえば、いつの間にかユリアンの口調がくだけたものに変わっている。いつもツェツィーリエが淋しくなるほど他人行儀だったのに。
「いいえ、さっきよりはずっと楽です」
ユリアンは、しばらくなにも言わないまま、ツェツィーリエの様子をただ見つめていた。
きっと、これまで自分たちの間に起こっていた真実について、包み隠さず話すことを心のどこかで迷っているのだろう。
彼の口から真実を聞きたい。けれど、聞きたくない。聞いてしまったら、もうなにもかも元に戻らないような気がした。ヴァルターを失い、彼の生家から籍を抜かれ一人放り出されたあの時のように、またすべてを失ってしまうのだろうか。
「ずっとあなたが好きだった」
「え……?」
ツェツィーリエは驚いて言葉に詰まった。
確かにアデリーナもユリアンがずっとツェツィーリエのことを好きだったと言っていたが、あの時は状況が状況だったし、とても真実だとは思えなかった。
だがユリアンの目は嘘をついているようには見えない。
「俺が十四の時でした。街であなたを見かけたんです。あなたはヴァルターに暴言を吐かれていて……それでも健気に笑顔を見せるあなたのことが、一目見ただけなのに忘れられなくなった。それからは街へ出るたびにあなたの姿を探しました」
ユリアンが十四の時ということは、ツェツィーリエは十九歳。今から七年も前のことだ。
「そんなに前から私を知っていたのですか?」
驚いたツェツィーリエが漏らした言葉に、ユリアンは恥ずかしそうに俯いた。
「私は……旦那様はアデリーナ殿下と恋仲だったのだと……なにか事情があって結ばれなくて、それで私と半ば自棄になって結婚されたのだと……ずっとそう思っていました」
「ええ……そんな風に思っていることはなんとなくわかっていました。けれど真実を告げればあなたの命が危険に晒される。だからといってそれを許してくれとは俺にはとても言えません」
そしてユリアンは、これまでツェツィーリエが誤解していたアデリーナとの仲について、一つ一つ丁寧に説明してくれた。
アデリーナは、ユリアンとツェツィーリエの結婚を境に、王女という権威をことあるごとに振りかざすようになったそうだ。
従わなければ必ず“あなたが相手をしてくれないなら、ツェツィーリエ様に来てもらう”と言って脅したのだと。
ツェツィーリエは、ずっと気になっていた戦勝の宴での二人の会話について、勇気を出して聞いてみた。
するとユリアンは“まさか聞かれていたとは思わなかった”と顔を茹蛸のように赤くして、あれはツェツィーリエへの気持ちを聞かれ“愛している”と答えたのだと教えてくれた。
「ヴァルターは……彼は自死だったのですね……」
「彼の死因を偽ったことについては、あとで関わったすべての人間から謝罪があると思います。あなたには本当に申し訳ないことをしました。死因と、そこに至るまでの経緯を知っていれば、気持ちも違ったでしょう」
確かに。ヴァルターは自分のしたことに責任をとったのだと知った今は、なんだか胸のつかえがとれたような気がする。
「これまであなたの意志を無視してすべてが進んでしまった。俺との結婚もそうです。本来ならあなたには選択する権利があったのに」
項垂れるユリアンだったが、ツェツィーリエは彼を責める気にはなれなかった。
ユリアンはツェツィーリエには選択権があったというが、それもすべて命があってこそだ。
この命を守るために、まったくの他人であったユリアンが、人のものであったツェツィーリエのために命を懸けて戦ってくれたのだ。感謝こそすれ、恨んだり憎んだりなんてことはもちろん、許さないなんて選択肢はない。
「旦那様もずっと……つらい想いをされていたのですね……」
ツェツィーリエは手を伸ばし、ユリアンの頬を撫でた。するとユリアンの顔がクシャッと歪む。
「またそうだ……」
「え?」
「あなたはまたそうやって切なそうに笑う。つらかったのはあなたの方だ。俺は幸せだった。ずっと想ってきたあなたを形はどうであれ妻にできた。毎晩この腕に抱いて、朝まで可愛らしい寝顔を眺めていられた。つらいなんてそんな……今だって俺はこんなに幸せなのに……!」
「旦那様……」
「愛してるツェツィーリエ。あなたを手に入れるためなら俺はどんなことだって厭わない」
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(執筆期間:2022/05/03〜05/24)
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2022/05/30、エタニティブックスにて一位、本当に有難うございます!
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(Twitter)https://twitter.com/yukiyukisnow7?s=21
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