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 「……挨拶が遅れた事については私の配慮が足りませんでした。本当に申し訳ありません。そして初めて挨拶をさせて頂いた時も……」

 いざその姿を目の前にすると、思った以上の衝撃で結局伝えたい事は何一つ伝えられなかった。己がこんなにも情けない男だったなんて知らなかった。ただ目を見て話す事さえうまく出来ないなんて。
 会いたくて会いたくて一日千秋の思いで彼女が来てくれる日を待っていた。辛い思いをさせてしまう事に毎日酷い罪悪感を感じながら。それでもやはり自分は浅ましく欲張りな人間だ。
 傷付けるとわかっていてもはやる胸のうちを抑える事は難しかった。
 今この瞬間も心が震えている。あなたをこの瞳に映せる喜びと、もうすぐ失う哀しさで。
 
 「まあまあ、もういいじゃない。」

 「ルシール?」

 ずっと黙ったままだったルシールがいつもの調子で割って入って来た。
 一体何が“もういい”のか。まだ聞きたい事は山ほどある。フェリクスは自分を疎んでいる訳ではなかった。ではどう思っているのか。この先どうするつもりなのか。
 しかしそんなシルフィーラの思いを知ってか知らずかルシールは続ける。

 「シルフィの美しさに心を奪われる男なんてこの国には数え切れないほどいるだろう?彼もそのうちの一人だったってだけさ。シルフィも今回の事でよく知りもしない男の元に嫁ぐ事の辛さを嫌ってほど身に沁みただろう?だからもう帰ろう?後の事はベルクール卿に任せてさ。」

 「待ってルシール。これは私と彼の問題だわ。それにローゼリア様の言い分だって聞かなければ……」
 
 「その必要はない。」

 強い口調にシルフィーラはハッと息を飲んだ。幼馴染みがこんな言い方をするのを初めて聞いたからだ。
 初めて会ったあの日から、どんな時でも口の中に砂糖でも詰まっているのかと思う程に甘い言葉しか使わないルシールが、冷たくはっきりとまるでシルフィーラを上から押さえつけるように物を言ったのだ。
 これには兄達も目を見開いている。

 「その必要はないって……どういう事ルシール?」

 シルフィーラの声は少し震えていた。

 「あんな汚らわしい罪人に会う必要なんてないよシルフィ。あの女は我が兵がモルスの牢獄まで連行する。父親と共にね。」

 (汚らわしい……罪人?)
 穏やかではない言葉だ。
 ルシールの顔はにっこりと笑っているが、その目はまったく笑っていない。
 モルスの牢獄とは王都にある大罪人のみを収監する場所だ。近年では収監されたその大半は政治犯だと聞く。いくらシルフィーラが王弟の娘とはいえ、その婚約指輪の窃盗くらいで収監するような場所ではない。虐められたとしても然りだ。しかし今とルシールは言った。

 「ローゼリア様のお父上も一緒にって、一体どういう事なのルシール?それに兵って……」

 シルフィーラは兄達に視線で問い掛けるも二人も何も知らないようで首を横に振るばかりだ。

 「あのローゼリアって子は父親と結託してゲルンの侵入を手引きしてたんだよ。」

 「えっ!?」

 ゲルン民族の存在を知らぬ者などこの国にはいない。長年隣国と共に国境を脅かしてきた野蛮な民族だ。それを手引き?

 「嘘でしょう!?だってローゼリア様はずっと床に伏せっていたんでしょう?」

 しかしこれにルシールはケラケラと声を上げて笑う。

 「本当にシルフィは可愛いなぁ。まだあの女が病人だってどこかで信じてたの?さっき指輪を取り返そうと裸足で飛び掛かって行ったのを見たでしょう?あれは紛れもなく仮病だよ。病人にあんな俊敏な動きは出来ないよ。彼女…ローゼリアはね、焦ったんだ。」

 「焦った?」

 「そう。きっとこの家から出たくなかったんだろうね。何不自由ない暮らしに甘えるだけ甘えて来たんだろう。そして使用人を懐柔してベルクール卿の妻の座を狙ってたんだろうね。浅ましいよねぇ。普通なら救って貰った恩に報いることはあれど妻の座に就こうだなんてさぁ。けれど当主であるベルクール卿にシルフィとの縁談が持ち上がった。ベルクール卿の気持ちはローゼリアには無い。となれば後は追い出されるだけ。それで追い詰められての犯行だろうね。」

 「そんな……」

 ここを追い出されたくなくて必死だった気持ちはわからなくもない。だが今の話が本当だとすれば咎は彼女とその父親だけにとどまらない。
 (彼女を養っていたベルクール家だって……)

 「ずっと黙っていたんだけどねシルフィ。僕とベルクール卿は取り引きをしたんだよ。」

 「取り引き?」

 「ああ。僕達はずっと前に顔を合わせてるんだ。」

 「嘘でしょ?そんな事一言も言わなかったじゃない。それならルシールあなた……知っててあの日私を見送ったって言うの?」

 「そうだよ。」

 「なんで……なんでよ……」

 なんでそんな事をする必要があるのだ。
 兵を率いて来たと言う事はシルフィーラがここに来る前にはもう確たる証拠があったに違いない。
 
 「じゃあ何もかも知ってたって言うの?ローゼリア様の存在も、その企みも。」

 「ああ。」

 「ベルクール卿!ルシールの話は本当なのですか!?」

 「……本当です。」

 フェリクスは苦渋の表情で答えた。
 シルフィーラはあまりのショックに言葉を失った。

 「ベルクール卿がシルフィに求婚した事で従妹が国家反逆罪を引き起こしてしまった。本来ならベルクール卿だって共犯と疑われても仕方ない身だ。けれど僕も父上も……アルヴィアの叔父上も彼の事は買ってるんだ。シルフィも公爵家を出る前に、叔父上からベルクール領について大体の事は聞いているだろう?」

 確かに公爵家を出る前に父はベルクール領について説明してくれた。四方を隣国と接するこの国に現在辺境伯は四人存在する。その中でも一番広大な領土を有するこのベルクール領は、今も国主導で入植の拡大を続けているという。交通困難地の整備を進めつつ領土の安全を確保し、ゆくゆくは産業施設の誘致も見据えていると聞いた。しかもその統治はベルクール辺境伯に一任されていると言う。それは王国の介入による領民の反発を抑えるためでもあるだろうが、ただでさえ一国家として独立を図れるほどの力を持つこの地にさらなる発展を国が促すなどと、その事実こそ彼が陛下からいかに信頼を得ているのかを証明するにほかならない。
 それだけの人材とこの領土だ。万が一反旗を翻すような事があれば国が転覆しかねない。だから逐一その動向は監視されているだろうし、今回の事もおそらくローゼリアとその父親が独断でやらかした事だと裏も取れているのだろう。
 それなら自分が来る必要なんてなかった。
 こんな思いをさせてまで彼らは何がしたかったのだ。もしかして父も知っていたのだろうか?
 いや、さっきルシールはローゼリアがこんな事をしでかしたのはフェリクスがシルフィーラに求婚したからだと言った。
 なら父はおそらく知らなかったのだろう。
 (じゃあルシールが来たのはなぜなの……?)
 事を穏便に済ますためにだろうか。事情を知ってるから話も早いし?
 しかしこの幼馴染みはそんなに仕事熱心な男であっただろうか。否だ。

 「ごめんねシルフィ。彼らを泳がせてから捕まえたかったんだ。最後の一滴まで膿を出し切りたくてね。それにはシルフィにここまで来てもらってもっとあの親子に暴れて貰う必要があった。そしてベルクール卿にはすべてが終わったら君を返して貰う約束をしてたんだ。彼もほんのひとときでも君と過ごせて幸せだったと思うよ。ねぇ、ベルクール卿?」

 しかしフェリクスは目線を足元に向け何も答えない。

 「安心して。あの親子を捕らえたらすぐに国民に向けて“アルヴィア公爵令嬢がその身を挺して国難から民を救ってくれた”って知らせを出すから。シルフィには何の傷も残らないよ。」

 シルフィーラはどうにも腑に落ちなかった。
 なぜかはわからないがさっきからルシールに違和感を感じて仕方がないのだ。ルシールは面倒な事は決してしない男だ。それが容疑者の捕縛のために辺境までわざわざ出向くなどと有り得ない。
 それにルシールはシルフィーラを返して貰うと言ったが、なぜそれをルシールが勝手に決めるのか。そんな権利があるとすればそれはこの縁談をシルフィーラから任された父だけだ。そしてフェリクスは本当にルシールの提案を承知したのだろうか。彼はそんな駆け引きに、己の保身のためにシルフィーラを利用するような男なのか?
 目を合わせただけで動悸が激しくなり膝が震えるこの人が?シルフィーラを美しいと言ったこの口が? 
 それならば王都に帰すと決めているシルフィーラのためにあんな指輪を用意するものだろうか。土産にしては冗談が過ぎるしお詫びだったとしてもあれはない。

 『彼の事ならお父上の代からよく知っているが、とても素晴らしい青年だ。私としては娘の夫としてこれ以上の相手はいないと思っている。』

 この話を持ってきた父の言葉が蘇る。
 父はなぜ数ある縁談の中でフェリクスを選んだのだろう。そしてどんな思いでシルフィーラを送り出したのか。
 今更知りたいと思ってももう遅い。自分で選ばず決めず、“家族が喜んでくれる人を”と望んだのはほかでもないシルフィーラだ。
 父が選んでくれたのなら間違いないと疑いもしなかった。
 ……いやそれは違う。大切にされて当然だと……シルフィーラにそうしない人間などこの国にはいないと信じて疑わなかったからだ。
 なんて傲慢で思い上がった考えだろう。
 父は与えようとしてくれていたのに。貴族の子女として生まれたシルフィーラに“自分で選ぶ”というこの上ない贅沢な権利を。
 貴族として生を受けたからには政略結婚は避けられない事だ。嫁いだ先でもっと酷い目に遭う女性など山ほどいるはず。実際に夜会などでお喋り好きで情報通な御婦人方から“あそこの御令嬢の嫁ぎ先には既に愛人がいて冷遇されている……”などといった話はよく聞いたものだ。
 しかし今更それに気付いたところでもう遅い。なら自分はどうすべきなのだ。こんな目に遭ったのは自業自得の部分もある。それをフェリクスだけのせいにして王都へ逃げ帰るのか。
 しかし迷うシルフィーラをよそに意外な人物が口を開いた。次男のアベルだ。

 「ちょっと待ってよルシール。僕は今の話が全部本当だとは到底思えないんだけど。」
 
 
 
 
 

 
 

 
 
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