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 「先代である父もそうだったが私の仕事はこの地を守り、この国に暮らす民の安寧を守る事にある。だからベルクール家では代々奥向きの事は妻となる女性と執事達に任せるのが当たり前だった。しかし今回の件が私の無関心に端を発したのであればすべて私の責任だろう……」

 フェリクスから深い溜め息が漏れる。

 「いいえ旦那様!愚息めのしでかした事はこのポールの責任でございます!邸内の使用人を掌握するのも代々執事長を賜った者の務め……旦那様には何の咎もございません!!」

 「元々親に虐待を受け捨てられたローゼリアを哀れに思い引き取ったのは私だ。これも因果応報と言う事だ。」

 フェリクスは深呼吸してシルフィーラにもう一度向き直る。もうだいぶ長い時間を共に過ごしているのにも関わらず、目を合わせる事はおろか顔を見る事にもまったく慣れていない様子だ。

 「……エリオに手紙を渡したのはそれでも信じていたからです。ポールの息子であるのなら必ず正しい行いをすると……しかしそれは私の見立て違い……いや、私への信頼の無さがすべての原因です。そのせいであなたに辛い思いをさせてしまいました。本当に申し訳ありません。」

 目を閉じ、深く下げられた頭。
 何とも言えない気分だった。あれだけ頭に血が上ったのは生まれて初めての事。
 けれどそれぞれの言い分を聞くと誰を責めたらいいのかわからなくなってくる。責めた所でそれが何になるのかとも。

 「……なぜお戻りになられたのに私の所ではなくローゼリア様の所に行かれたのですか……?」

 自然に口から出て行った問いにシルフィーラ自身も驚いた。だがおそらくこれが自分の一番聞きたかった事なのかもしれない。
 手紙まで書いてくれたのになぜ“戻った”の一言を一番に告げに来てくれなかったのか。
 そしてあの笑顔だ。初めて見た婚約者の笑顔が自分に向けられたものじゃなかった事が酷く自分の心を抉った。

 「……会いたかったです。あなたの顔を見たかった。けれど……」

 今はまだこの先を伝える事は出来ない。
 フェリクスは唇を噛んだ。

 屋敷に帰って来るなり廊下の向こうから血相を変えて走ってきたポールに手渡されたのは青い封蝋の手紙。
 差出人も宛名もないそれは本邸の部屋の机にいつの間にか置かれていたと言う。
 草の件で奔走していたポールだが、重要な部屋のチェックは毎日欠かさなかった。それなのにも関わらずだ。
 中には“見ているよ”と一言だけ。
 青の封蝋なんて使う人間はほとんど……いや、見た事が無い。だからすぐにわかった。これはあの青い瞳の第二王子からの警告だと。
 『従妹を使って傷付けてよ』
 口を歪めてそう言った愛しい人によく似た男の顔が頭に浮かぶ。
 おそらく手紙を帰還のタイミングに合わせたのはローゼリアを優先させろと言う事なのだろう。婚約者よりも先に従妹へ帰還の挨拶をしに行った事はすぐにシルフィーラの知るところとなるはずだ。
 お喋り好きな侍女たちが口さがない噂も立てるだろう。そんな事あってはならない。彼女を傷付けるなんて……!
 しかしフェリクスには自分の気持ちを優先し周りを巻き込む事は出来なかった。
 要求通りに動いたところで無事に済む保証は何一つない。だがここで相手の要求を呑まなければ、今与えられている猶予すら失う事になりかねない。
 フェリクスはシルフィーラの部屋とは反対の、別邸へと向かう道へ歩を進めた。
 悔しくて悔しくて思い切り食いしばった歯がギリギリと音を立てる。
 別邸に現れたフェリクスの姿を見て、ローゼリア付きの若い侍女達は何やらきゃあきゃあと騒いでいる。
 あの人は……遠い地から来たあの人はこの一週間どう過ごしていただろう。自分が用意した部屋は気に入ってくれただろうか。不自由はなかっただろうか。これが終わったら会いに行こう。ああでもまずはこの汚いなりをなんとかしなくては。当たり障りのない会話しか出来ないだろうが、それでも伝えよう。私のわがままを聞いてここまで来てくれた礼と心からの感謝を。
 今日も伏せっているというローゼリアの寝室に入ると寝台の側には生前父が母を見舞う時に座っていた特注の椅子。 
 フェリクスはふと思った。
 父であったならどうしただろう。
 父はアルヴィア閣下とは旧知の仲だった。
 物静かで美しい王弟殿下と野性味あふれる豪快な辺境伯。どうして二人が仲が良かったのか不思議でたまらなかったが、父がそれについて語る事はなかった。
 父上ならこんな時どうやって乗り切っただろう。だがという言葉は父に合わない。
 自分の命だけならまだしも自領の民が脅かされるのであればおそらく……

 『ふふ……』

 思わず笑い声が漏れる。
 そうだ。きっとあの父なら迷わず挙兵して王国軍に立ち向かう事だろう。
 そんな時思いがけず機嫌のいいフェリクスを見たローゼリアが声を掛けた。

 『どうしたの?今日は随分ご機嫌ね。』

 『ああ……』

 物思いに耽ってローゼリアの存在をすっかり忘れていた。

 『わかった!婚約者さんの事で悩んでるのね?フェリクスなら大丈夫よ。自信を持って?私も応援してるわ。』

 いけしゃあしゃあとよく言えたものだ。己の保身のためだけに周りを操り彼女を追い出そうとしている君が……。
 “せいぜい従妹をいい気にさせて泳がせてよ”
 そして頭の中に再び忌々しい声が蘇る。
 不自然にならないよう必死で表情を作った。

 『……こんな事を話せるのはローゼリア、君だけだよ。』


 フェリクスは自分が笑顔で嘘がつける人間だと言う事をこの日初めて知ったのだった。
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