婚約者の恋人

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 透き通る青灰色の瞳がこれほど真摯に自分を映すのは初めての事ではないだろうか。
 初めて言葉を交わした時も、さっきエントランスで手首を握られた時も、彼はこんなに真っ直ぐに私を視界には入れていなかったように思う。
 しかしその眉間には少しだが皺が寄り、真一文字に固く引き結ばれた唇はどうやら奥歯を噛み締めているようで引き攣っている。
 こんな顔をされるほど自分の容姿は醜かっただろうか。社交界では並ぶ者なき華と褒めそやされてきたシルフィーラも、フェリクスの額から一粒の汗が見え始めた頃完全に自信を失った。
 まさか冷や汗までかかれるとは……!
 ベルクールは美醜の感覚が世間一般とは違うのだろうか。もしかしたらこの地では自分のような容姿は醜女の部類に属されるのかもしれない。 
 フェリクスのただならぬ様子にシルフィーラが凄まじい勘違いに耽り出した頃、さっきまで喧嘩腰で話していた兄達も怪訝な顔をし始めた。
 無表情で茶を啜るルシールは何やら事情を知っているような口振りだったが口を閉ざしたままだ。
 そして長い間を置きようやくフェリクスが口を開く。

 「……まずはあなたを前にすると……どうしてもこうなってしまう事を知って頂いた上でお話をさせて下さい。」

 「私を前にすると?それは私だけと言う事ですか?」

 質問にフェリクスは頷く。
 普通なら“あなただけ”と言う言葉は喜ぶべき内容が多いものだが、彼の様子からはどこにも喜べる要素が伺えない。

 「あなたの姿を目にすると動悸が激しくなり立っているのもやっとという状態になってしまうのです。」

 フェリクスの告白を聞いていたカインとアベルは目を剥いた。特にカインは仰け反るほど引いた。カインはフェリクスと同じ二十六歳。男盛りで色気ムンムンな公爵家の美貌の長男だ。数多の女性に言い寄られる事が日常茶飯事の彼にはフェリクスのこの発言は理解不能だったのかもしれない。どうやら言葉を失ってしまっているようだ。
 そんな長男を見かねたのか代わりに口を開いたのはアベルだ。

 「……つまりそれはベルクール卿はシルフィに一目惚れを……恋をしたって事で合ってる?」

 「合っています。付け加えさせて頂くと私はその……女性と接する事が出来ないとかそういう精神的な問題はありません。」

 「じゃあシルフィだけに凄まじい衝撃を受けたと?」

 「はい。」

 「ベルクール卿はどこかでシルフィに会った事があるの?それで求婚を?」

 「はい……初めてシルフィーラ嬢の姿を見たのはもう何年も前です。その時から私の心の中にはずっとシルフィーラ嬢がいました。」

 この答えにはカインに続きアベルも言葉に詰まってしまった。
 しかし横で聞いていたシルフィーラはカインとアベル以上の衝撃を受けていた。

 今何て言ったの?ベルクール卿が私に一目惚れですって?しかも何年も前?冗談でしょう?
 それなら今までの態度は一体何なのだ。そしてあのローゼリアという従妹は?
 王都からはるばるやって来た自分を出迎えてもくれなかった。使用人達からは好奇の目で見られ心細い思いをしながらフェリクスの訪れを待っていたのに彼がいたのは従妹の寝室だ。
 惚れた女が来たのなら一目散に駆けて来るものではないのか。自分に言い寄る男性は皆一様にそうだった。
 だからそんな事ある訳ない。
 それに…、顔が強張り身体は硬直し、冷や汗を垂らす彼の様子はどう考えても森で思いがけず穴持たずに遭遇した手ぶらの村人か、果てまた戦場で喉元に剣先を突き付けられ絶体絶命の兵士のようだ。こんなのが恋をする成人男性の姿のはずがない絶対に。

 しかしカインとアベルには何やら思うところがあるようだ。二人は絶句しながらも顔を見合わせた。おそらく考えている事は一緒だろう。
 二人はフェリクスと似た人間を知っている。
 さすがにこんな挙動不審な態度は取らないが、シルフィーラを一目見て時が止まったルシールだ。

 「何?何で僕を見るのさ。」

 ルシールは不機嫌そうな顔をしている。
 僅かな変化だが長年の付き合いだからわかる。おそらくベルクール卿のシルフィーラへの告白が気に障ったのだろうが今は構っていられない。
 そうだ。初めてシルフィーラと対面したルシールは明らかにおかしかった。
 それにルシールだけじゃない。大概の男は夜会でシルフィーラを見た途端虜になって我を忘れる。
 しかしそれならやはり理解が出来ない。
 何故彼はシルフィーラを悲しませるような事をしたのだ。
 兄弟からの再びの問い掛けにフェリクスは表情を曇らせた。

 「……シルフィーラ嬢が到着した日、私は国境沿いの砦にいました……」

 よりにもよってシルフィーラが到着する前日、ゲルン民族がまるでそれを見計らっていたかのように動きを見せたのだ。
 夜半から徹夜での睨み合いが続く中、フェリクスは心細い思いで嫁いで来るだろうシルフィーラを怖がらせるような事だけはしたくなかった。
 だから屋敷にいる者には決してこの事がシルフィーラの耳に入らぬよう箝口令を敷いた。
 
 「ですから急な任務が出来てしまい出迎える事が出来ないと非礼を詫びる手紙をエリオに託しました。そうだよなエリオ?」

 ルシールからシルフィーラに優しくするなと釘を刺されていたが、礼儀を欠けとまでは言われなかった。
 中身を見られるかも知れない事を考えて当たり障りのない内容しか書けなかったが、愛しい人に初めて書く手紙だ。一文字一文字心を込めて綴った。
 だが頼みの綱のポールはこの時自分から与えられた任務に奔走していてシルフィーラの対応に回る事ができなかった。だからエリオによくよく言い聞かせて頼んだのだ。
 必ず渡してくれと。そして親身になって彼女のために動いてくれと。
 しかしそれが愚かな間違いだったと今のエリオの表情を見ればわかる。
 エリオは震える声でぽつり、ぽつりと話し始めた。

 「あの日……旦那様が私に手紙を預けられ出発された直後……ローゼリア様がいらしたのです。普段はあまり本邸の方にはいらっしゃらないのに……」


 『……エリオ……』

 『ローゼリア様!?どうされたのですかこんな時間に!』

 ローゼリアは切迫した様子で、エリオの手にあった文箱に手を掛けた。
 
 『ローゼリア様!?』

 『お願いエリオ……このままじゃ私とフェリクスは引き裂かれてしまう……お願いよ!!』

 王都からフェリクス様の婚約者となる方がいらっしゃると父から告げられてからというもの、ローゼリア様は寝台から起き上がれないほど憔悴した様子で見ていて痛々しかった。
 そして今、自分から文箱を取り上げようとしているその顔は隈が酷く青ざめている。

 『公爵家か何だか知らないけれど……フェリクスに嫌気が差すようにして自分から王都に帰ると言わせればいいのよ!そうすれば私達は……お願いエリオ!!やっと……やっと掴んだ幸せを私から取り上げないで!!』

 顔を歪め涙を流しながら訴えるローゼリアに幼い頃の彼女が重なって見えた。
 
 
 


 
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