婚約者の恋人

クマ三郎@書籍発売中

文字の大きさ
上 下
38 / 49

38

しおりを挟む





 「こちらはこの時期にしか飲めない初摘みの茶葉でございます。皆様のお口に合うとよろしいのですが……。」

 シルフィーラの目を見てそう言ったのは白髪交じりの焦げ茶色の髪をした執事だった。よく似た面立ちに同じ髪色。おそらくこの執事はエリオの父なのではないだろうかとシルフィーラは思った。
 だが彼は縄で縛られるエリオを最初に一瞥しただけで何も言わず、ただ淡々と職務をこなしている。
 まるであらかじめこうなる事をわかっていたかのようだ。
 湯気と共に立ち上る芳醇な香りのする紅茶がそれぞれの目の前に置かれると、一番先に手を伸ばしたのはルシールだった。
 こんな状況でも紅茶の香りを優雅に楽しむ余裕があるのはさすがと言うべきか。いつもと変わらぬルシールのその姿に、シルフィーラの波立っていた心は妙な安心を覚える。
 すごいわルシール……あんな騒ぎの後でも全然動じていない。
 思えばルシールは昔からそうだった。
 隣国と戦争が起きるかもしれないと言う緊迫した情勢の時も、王位簒奪を狙った一派が王宮へ攻め込んだ時も、暗殺者にその命を狙われた時も……彼はいつもすました顔で事態を静観していた。
 王族はいついかなる時も泰然とあれという王家の教えからなのだろうか。いや違う。これはルシール本人の気質も大いに関係しているだろう。
 従兄という近過ぎる存在だったからあまり意識した事はなかったけど、もしかしたら軽いノリとは裏腹に、存外頼りになる男なのかも知れない。
 そう言えば昔……酔っ払ったドニエ伯爵家の子息を追い払ってくれた事があったわね……。
 あの時は子息にいきなり顔を近くに寄せられて、酒の匂いと腐臭が混じり合ったような口臭に吐き気がしそうだった。
 それを兄達よりも先に気付いて駆け付けてくれた。そして今もまた彼は私を助けに来てくれている。
 カップを置いたルシールと目が合う。その途端柔らかく弧を描く目元。私に向ける微笑みは昔から変わらなく優しい。
 今まで“僕にしたら?”などという彼が私にくれる言葉の大半は冗談だと思って来たが、もしかしたらルシールにとって私は本当に従妹以上の存在なのだろうか。
 けれど私にとって彼は従兄以上でもそれ以下でもない。
 家族と同じくらい身近な存在。人は私達の事をどう見ているか知らないが、なまじ血が繋がっているからなのか、私がルシールを異性として意識する事は今まで無かった。
 多分これからもルシールがあの調子ならそれは変わらないと思う。どんなに近くにいても。
 でも……彼とローゼリアも私とルシールの関係と同じなのよね……。
 シルフィーラはチラリとフェリクスの方に視線を向ける。
 スッと通った鼻梁に涼し気な目元。鍛えられた逞しい体と恵まれた体格のせいか、ルシールや兄達のような洗練された印象は薄いが、その佇まいには騎士としての気高さが漂っている。
 今は固く引き結ばれた少し薄い唇も、あの時は優しく弧を描いていた。
 低く下腹部に響く声で私ではない女性……従妹のローゼリアに穏やかに笑っていた彼を見た時はただただショックだった。
 この地に嫁ぐと決まったあの日から、実際に訪れた事のない土地だからせめて知識だけでもと、ベルクール辺境伯領に関して記された書物を一生懸命読み漁った。
 ベルクール辺境伯はその任務の過酷さから社交シーズンにも顔を出さないのだと聞いた。だから人づてにもその人となりを知る事は出来なかったが、きっと素晴らしい方なのだろうと想像を膨らませていた。なにしろ娘の縁談にはめっぽう審査の厳しいあの父が薦めてくれた方なのだ。
 きっと遠い王都からはるばるやって来た私を笑顔で迎えてくれるだろう。そして新しい土地で新しく出会う人達と共に新しい人生を築いて行くのだ。フェリクス様と二人で。そう信じて疑わなかった。
 なのに自分の人生で他人に拒絶されるなんて初めての事だった。自分の周りはいつもあらゆるもので満ち溢れていた。人も物も境遇も、手を伸ばさなくてもそれはいつも私を待ち構えてくれていた。
 だから余計傷付いた。自分はこんな扱いを受けていい人間じゃないと腹が立った。
 でも思い返すと何だか胸がモヤモヤする。
 自分は酷く傲慢な事を思っているのではないだろうかとそんな気持ちになった。

 「さて……じゃあどうしようか。」

 口火を切ったのはルシールだった。

 「では……」

 と、フェリクスがそれに続くよう口を開いた瞬間だった。

 「待てよ。まずはシルフィーラをこんな目に遭わせた理由を聞かせて貰う。」

 カインとアベルが身を乗り出さんばかりの勢いで割って入った。
 しかしせっかくの兄達の気遣いだがシルフィーラは複雑な思いでいた。
 確かに理由を聞きたい気持ちはある。
 公爵家の令嬢である自分を父親に頭を下げてまで遠路はるばる辺境の地に招いたのは、こんな思いをさせるためだったのだろうか。
 それに先程のローゼリア達とのやり取りはどう考えても普通じゃない。あまりの禍々しさに思いっきり避けてしまったが、あれほど高価な指輪を私のために用意してくれていたと言うのだ。おそらくここに来てから私に起こった出来事も、すべてとは言えないだろうが彼の預かり知らぬ事であった可能性が高いだろう。
 だからと言って余計な言い訳など聞いてうっかり同情する事になってしまっても困る。それなら何も聞かずにこのまま帰る方がよっぽどいい。
 だがフェリクスはどうやらそうさせてはくれないようだ。

 「わかっています。それについてもすべてお話させて頂きます。」

 フェリクスはカインとアベルにしっかりと目を合わせてそう言うと、次に覚悟を決めたように深呼吸をしてシルフィーラの方へ身体を向けたのだった。
  

 
 
 
 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】さよなら私の初恋

山葵
恋愛
私の婚約者が妹に見せる笑顔は私に向けられる事はない。 初恋の貴方が妹を望むなら、私は貴方の幸せを願って身を引きましょう。 さようなら私の初恋。

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

出世のために結婚した夫から「好きな人ができたから別れてほしい」と言われたのですが~その好きな人って変装したわたしでは?

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
古代魔法を専門とする魔法研究者のアンヌッカは、家族と研究所を守るために軍人のライオネルと結婚をする。 ライオネルもまた昇進のために結婚をしなければならず、国王からの命令ということもあり結婚を渋々と引き受ける。 しかし、愛のない結婚をした二人は結婚式当日すら顔を合わせることなく、そのまま離れて暮らすこととなった。 ある日、アンヌッカの父が所長を務める魔法研究所に軍から古代文字で書かれた魔導書の解読依頼が届く。 それは禁帯本で持ち出し不可のため、軍施設に研究者を派遣してほしいという依頼だ。 この依頼に対応できるのは研究所のなかでもアンヌッカしかいない。 しかし軍人の妻が軍に派遣されて働くというのは体裁が悪いし何よりも会ったことのない夫が反対するかもしれない。 そう思ったアンヌッカたちは、アンヌッカを親戚の娘のカタリーナとして軍に送り込んだ――。 素性を隠したまま働く妻に、知らぬ間に惹かれていく(恋愛にはぽんこつ)夫とのラブコメディ。

最愛から2番目の恋

Mimi
恋愛
 カリスレキアの第2王女ガートルードは、相手有責で婚約を破棄した。  彼女は醜女として有名であったが、それを厭う婚約者のクロスティア王国第1王子ユーシスに男娼を送り込まれて、ハニートラップを仕掛けられたのだった。  以前から婚約者の気持ちを知っていたガートルードが傷付く事は無かったが、周囲は彼女に気を遣う。  そんな折り、中央大陸で唯一の獣人の国、アストリッツァ国から婚姻の打診が届く。  王太子クラシオンとの、婚約ではなく一気に婚姻とは……  彼には最愛の番が居るのだが、その女性の身分が低いために正妃には出来ないらしい。  その事情から、醜女のガートルードをお飾りの妃にするつもりだと激怒する両親や兄姉を諌めて、クラシオンとの婚姻を決めたガートルードだった……  ※ 『きみは、俺のただひとり~神様からのギフト』の番外編となります  ヒロインは本編では名前も出ない『カリスレキアの王女』と呼ばれるだけの設定のみで、本人は登場しておりません  ですが、本編終了後の話ですので、そちらの登場人物達の顔出しネタバレが有ります

大好きなあなたを忘れる方法

山田ランチ
恋愛
あらすじ  王子と婚約関係にある侯爵令嬢のメリベルは、訳あってずっと秘密の婚約者のままにされていた。学園へ入学してすぐ、メリベルの魔廻が(魔術を使う為の魔素を貯めておく器官)が限界を向かえようとしている事に気が付いた大魔術師は、魔廻を小さくする事を提案する。その方法は、魔素が好むという悲しい記憶を失くしていくものだった。悲しい記憶を引っ張り出しては消していくという日々を過ごすうち、徐々に王子との記憶を失くしていくメリベル。そんな中、魔廻を奪う謎の者達に大魔術師とメリベルが襲われてしまう。  魔廻を奪おうとする者達は何者なのか。王子との婚約が隠されている訳と、重大な秘密を抱える大魔術師の正体が、メリベルの記憶に導かれ、やがて世界の始まりへと繋がっていく。 登場人物 ・メリベル・アークトュラス 17歳、アークトゥラス侯爵の一人娘。ジャスパーの婚約者。 ・ジャスパー・オリオン 17歳、第一王子。メリベルの婚約者。 ・イーライ 学園の園芸員。 クレイシー・クレリック 17歳、クレリック侯爵の一人娘。 ・リーヴァイ・ブルーマー 18歳、ブルーマー子爵家の嫡男でジャスパーの側近。 ・アイザック・スチュアート 17歳、スチュアート侯爵の嫡男でジャスパーの側近。 ・ノア・ワード 18歳、ワード騎士団長の息子でジャスパーの従騎士。 ・シア・ガイザー 17歳、ガイザー男爵の娘でメリベルの友人。 ・マイロ 17歳、メリベルの友人。 魔素→世界に漂っている物質。触れれば精神を侵され、生き物は主に凶暴化し魔獣となる。 魔廻→体内にある魔廻(まかい)と呼ばれる器官、魔素を取り込み貯める事が出来る。魔術師はこの器官がある事が必須。 ソル神とルナ神→太陽と月の男女神が魔素で満ちた混沌の大地に現れ、世界を二つに分けて浄化した。ソル神は昼間を、ルナ神は夜を受け持った。

忙しい男

菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。 「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」 「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」 すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。 ※ハッピーエンドです かなりやきもきさせてしまうと思います。 どうか温かい目でみてやってくださいね。 ※本編完結しました(2019/07/15) スピンオフ &番外編 【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19) 改稿 (2020/01/01) 本編のみカクヨムさんでも公開しました。

口は禍の元・・・後悔する王様は王妃様を口説く

ひとみん
恋愛
王命で王太子アルヴィンとの結婚が決まってしまった美しいフィオナ。 逃走すら許さない周囲の鉄壁の護りに諦めた彼女は、偶然王太子の会話を聞いてしまう。 「跡継ぎができれば離縁してもかまわないだろう」「互いの不貞でも理由にすればいい」 誰がこんな奴とやってけるかっ!と怒り炸裂のフィオナ。子供が出来たら即離婚を胸に王太子に言い放った。 「必要最低限の夫婦生活で済ませたいと思います」 だが一目見てフィオナに惚れてしまったアルヴィン。 妻が初恋で絶対に別れたくない夫と、こんなクズ夫とすぐに別れたい妻とのすれ違いラブストーリー。 ご都合主義満載です!

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*

音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。 塩対応より下があるなんて……。 この婚約は間違っている? *2021年7月完結

処理中です...