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しおりを挟む「こちらはこの時期にしか飲めない初摘みの茶葉でございます。皆様のお口に合うとよろしいのですが……。」
シルフィーラの目を見てそう言ったのは白髪交じりの焦げ茶色の髪をした執事だった。よく似た面立ちに同じ髪色。おそらくこの執事はエリオの父なのではないだろうかとシルフィーラは思った。
だが彼は縄で縛られるエリオを最初に一瞥しただけで何も言わず、ただ淡々と職務をこなしている。
まるであらかじめこうなる事をわかっていたかのようだ。
湯気と共に立ち上る芳醇な香りのする紅茶がそれぞれの目の前に置かれると、一番先に手を伸ばしたのはルシールだった。
こんな状況でも紅茶の香りを優雅に楽しむ余裕があるのはさすがと言うべきか。いつもと変わらぬルシールのその姿に、シルフィーラの波立っていた心は妙な安心を覚える。
すごいわルシール……あんな騒ぎの後でも全然動じていない。
思えばルシールは昔からそうだった。
隣国と戦争が起きるかもしれないと言う緊迫した情勢の時も、王位簒奪を狙った一派が王宮へ攻め込んだ時も、暗殺者にその命を狙われた時も……彼はいつもすました顔で事態を静観していた。
王族はいついかなる時も泰然とあれという王家の教えからなのだろうか。いや違う。これはルシール本人の気質も大いに関係しているだろう。
従兄という近過ぎる存在だったからあまり意識した事はなかったけど、もしかしたら軽いノリとは裏腹に、存外頼りになる男なのかも知れない。
そう言えば昔……酔っ払ったドニエ伯爵家の子息を追い払ってくれた事があったわね……。
あの時は子息にいきなり顔を近くに寄せられて、酒の匂いと腐臭が混じり合ったような口臭に吐き気がしそうだった。
それを兄達よりも先に気付いて駆け付けてくれた。そして今もまた彼は私を助けに来てくれている。
カップを置いたルシールと目が合う。その途端柔らかく弧を描く目元。私に向ける微笑みは昔から変わらなく優しい。
今まで“僕にしたら?”などという彼が私にくれる言葉の大半は冗談だと思って来たが、もしかしたらルシールにとって私は本当に従妹以上の存在なのだろうか。
けれど私にとって彼は従兄以上でもそれ以下でもない。
家族と同じくらい身近な存在。人は私達の事をどう見ているか知らないが、なまじ血が繋がっているからなのか、私がルシールを異性として意識する事は今まで無かった。
多分これからもルシールがあの調子ならそれは変わらないと思う。どんなに近くにいても。
でも……彼とローゼリアも私とルシールの関係と同じなのよね……。
シルフィーラはチラリとフェリクスの方に視線を向ける。
スッと通った鼻梁に涼し気な目元。鍛えられた逞しい体と恵まれた体格のせいか、ルシールや兄達のような洗練された印象は薄いが、その佇まいには騎士としての気高さが漂っている。
今は固く引き結ばれた少し薄い唇も、あの時は優しく弧を描いていた。
低く下腹部に響く声で私ではない女性……従妹のローゼリアに穏やかに笑っていた彼を見た時はただただショックだった。
この地に嫁ぐと決まったあの日から、実際に訪れた事のない土地だからせめて知識だけでもと、ベルクール辺境伯領に関して記された書物を一生懸命読み漁った。
ベルクール辺境伯はその任務の過酷さから社交シーズンにも顔を出さないのだと聞いた。だから人づてにもその人となりを知る事は出来なかったが、きっと素晴らしい方なのだろうと想像を膨らませていた。なにしろ娘の縁談にはめっぽう審査の厳しいあの父が薦めてくれた方なのだ。
きっと遠い王都からはるばるやって来た私を笑顔で迎えてくれるだろう。そして新しい土地で新しく出会う人達と共に新しい人生を築いて行くのだ。フェリクス様と二人で。そう信じて疑わなかった。
なのに自分の人生で他人に拒絶されるなんて初めての事だった。自分の周りはいつもあらゆるもので満ち溢れていた。人も物も境遇も、手を伸ばさなくてもそれはいつも私を待ち構えてくれていた。
だから余計傷付いた。自分はこんな扱いを受けていい人間じゃないと腹が立った。
でも思い返すと何だか胸がモヤモヤする。
自分は酷く傲慢な事を思っているのではないだろうかとそんな気持ちになった。
「さて……じゃあどうしようか。」
口火を切ったのはルシールだった。
「では……」
と、フェリクスがそれに続くよう口を開いた瞬間だった。
「待てよ。まずはシルフィーラをこんな目に遭わせた理由を聞かせて貰う。」
カインとアベルが身を乗り出さんばかりの勢いで割って入った。
しかしせっかくの兄達の気遣いだがシルフィーラは複雑な思いでいた。
確かに理由を聞きたい気持ちはある。
公爵家の令嬢である自分を父親に頭を下げてまで遠路はるばる辺境の地に招いたのは、こんな思いをさせるためだったのだろうか。
それに先程のローゼリア達とのやり取りはどう考えても普通じゃない。あまりの禍々しさに思いっきり避けてしまったが、あれほど高価な指輪を私のために用意してくれていたと言うのだ。おそらくここに来てから私に起こった出来事も、すべてとは言えないだろうが彼の預かり知らぬ事であった可能性が高いだろう。
だからと言って余計な言い訳など聞いてうっかり同情する事になってしまっても困る。それなら何も聞かずにこのまま帰る方がよっぽどいい。
だがフェリクスはどうやらそうさせてはくれないようだ。
「わかっています。それについてもすべてお話させて頂きます。」
フェリクスはカインとアベルにしっかりと目を合わせてそう言うと、次に覚悟を決めたように深呼吸をしてシルフィーラの方へ身体を向けたのだった。
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